小説とは、どう読めばいいものなのだろうか?
傘をさしてピペルパン通りを歩く。雨の日だから人通りが少ないうえ、帰り道はさらに人の少ない方へ歩くので気楽だ。わたしの家は街の端の方で、空き家が多い。
だから人とは会わないかなと思ってたんだけれど。ちょうど家が見えてきたところで、知り合いに出会ってしまった。
「おはよう、アネッタ殿。買い物帰りか?」
黒髪黒目の、背が高い精悍な顔立ちの男性。飾り気の無い黒の傘をさしている彼は、お隣のロアさんだ。
以前スキル剥奪屋として来たお客さんで、今は治安維持のため潜伏任務をしている軍人さん。……もちろん潜伏中なのだから秘密なのだけれど、わたしはいろいろあって教えてもらっている。
「おはようございます。食材の買い出しに行っていました。ロアさんはこれからお出かけですか?」
「ああ、少し本屋にな」
おや。
どうやらリレリアンの言うとおり、最近のロアさんの趣味は読書らしい。
この人、前はなんにも趣味がないからって新しいスキル選びに困ってたくらいなんだけど……料理、観葉植物に続き、そして読書と趣味を増やしているようだ。
さてどうしよう。さっきの噂のとおりだと小説が好みのようだけれど、聞いていいものなのか……。いや、やっぱりダメなのではないか。プライベートに踏み込みすぎでは?
というか単純に、話が長くなってしまうのは嫌だ。やめよう。
「雨の日の読書、いいですよね。わたしも今日は家で本を読んで過ごそうと思います」
とりあえず当たり障りのない受け答え。読書はいいものですよね。でもタイトルまでは聞きませんよ。
雨降りの道端だし、ロアさんもここで長話なんてしたくないはず。
塩気の強い干し肉の件はちょっと気になるけれど、顔色とか見ても健康そうだし……今日は、もう……すぐそこに見えている家に帰りたい。
「そうか。アネッタ殿は読書家だったか。なら、小説などは読むだろうか?」
あ、そちらから話を広げてくるんですね。
「はい。たぶん、普通の人よりは読んでいる方だと思いますけれど」
「なら少し教えてもらってもいいだろうか?」
なにをだろうか。オススメのタイトルとか? ロアさんなら戦記物とかが合いそうな気がするけれど。
「小説とは、どう読めばいいものなのだろうか?」
…………えーと。
え? リレリアンの話だと小説にハマってるって話では?
でもそういえば、メリアの店で何冊か買ってるの見たって言ってた気がする。それだけなのに、同じ小説好きなら話が合うかも、とか言ってたの詐欺では?
「実はこの前、マルクから市井で流行っているという本をもらって、フィクション小説というものを初めて読んだのだがな。それが品種改良された生物が機械の代わりをする世界……? の話で、どうにも現実と離れすぎていて想像が追いつかなかったのだ」
ああ……あれ読んだんだ。
情景描写がグロテスクだし、人間が生物を使い捨ての道具のように扱う場面とかウッとくるし、設定も複雑すぎて読書初心者には全然オススメできないんだけど。
わたしはとても好きだけど。
「まあ基本的には冒険活劇だったから、面白いと思える部分もあったし最新刊まで読んだのだが」
偉い。それはとても偉い。
「しかしやはり不可解な部分が多くてな。流行っているとのことだし、おそらく私が小説を読み慣れていないので理解力が足りていないのだろうと考えて、本屋の店員の女性にもう少し馴染みやすい世界観の本はないかと聞いたのだが……」
おお、それも偉い。初心者向けの本じゃないと気づいたんだ。そして自分でも読めそうなのを選ぶためプロに聞いている。
本屋店員の女性、ということはメリアだろう。彼女の選書なら安心だ。
「しかしそれで勧められたのがどうやら、普通の少年少女の恋愛模様を書いたものらしくてな。しかも少女目線の話だから……その、先ほどのものとは違う意味で別世界すぎてなにも分からんのだ」
「ああ……今のメリア、浮かれてるから」
会って話すと普通なのだけれど、普通を演じているのが分かるというか、普段はしっかり者なのにどこか心ここにあらずというか。
とにかく、今のメリアはそんな感じ。まあわたしは理由を知ってるので仕方がない。フォローしておこう。
「そうですね。そういった恋愛小説は奇抜な設定が出てくることが少ないので、本屋さんとしては勧めやすかったのだと思います。ただ好んで読むのは女性の方が多い気がしますから、男性のロアさんには合わないこともあるでしょう」
とりあえずメリアのフォローもしつつ、ロアさんのせいではないと教えてあげる。
まあ、でも彼がどうして困っているかは分かった。妙な設定がなくて、複雑なストーリーでもなくて、女性向けの小説が共感しにくいのだろう。冒険活劇の部分は面白かったと言っていたし、シリーズ最新刊まで読んだとも言っていたから、文字を読むのが苦手というわけでもないだろう。
合うものを勧めればきっと楽しんで貰えるはず。
「ああ。しかし興味深くもあるのだ」
「はい?」
「私は早いうちから士官学校に入ったと前に話しただろう? そしてそこを卒業したらすぐに入隊だった。なので普通の生活というものをよく知らないし、普通の人の心の機微というものに疎い。……特に、恋愛感情に関しては完全に未知でな。せっかくだし人々の営みを理解するため、これを機に勉強しておきたいのだよな」
この人、小説を教材かなにかだと思ってる?
というか恋愛って勉強するものだっけ?
「そ……それでは、男性でも楽しめる恋愛要素の強い小説をお貸ししましょうか? 普通の設定で、普通の人々を書いたものですね」
「いいのか? それはたしかに助かるが、迷惑ではないか?」
「いいえ。一人の本好きとして、ロアさんに興味を持ってもらえるのは嬉しいので。面白い本に巡り会えればきっと、もっと読書を楽しめると思えますよ」
ちょっとこれはただの読書初心者って感じじゃないぞ、と思いながらも、提案する。
まあ恋愛系は王道の一つだし、オススメする本の候補はいくつかある。大丈夫。問題ない。
さて……じゃあ、本当に勧めるのはあれで良かったのだろうか、という反省会を後ですることは覚悟して、真剣に選びましょうか。
とりあえず、一般的に評判のいい名作から選書しよう。