小雨の降るピペルパン通りで
シトシトと雨が降る。
雲は薄くて陽の光を透かすくらいで、雨粒は小さくて量も少なくて、傘をさすかどうか迷うくらいの降り方だ。けれどじんわりと湿気が纏わり付いてくるようで、外を歩いていると服がじっとりと重くなっていく。
こういう雨はすぐに止むようで、なかなか止まないのがお決まりだ。もっと、ザー、って音を立てる豪雨の方が短い気がする。天気のことは詳しく知らないけれど、雨量が少ないから雲が減らないのだと思う。
わたしにとって、こういう日はとてもいい。最高の外出日和だ。
小雨を嫌うから人は道端でお喋りなんかしていないし、それでいて雨で濡れるのは最小限。そして少しくらい早足になるのも不自然じゃない。ちょっと服が湿るくらいで、あんまり人に会わずに買い出しに行けるのだ。この日を逃す手はない。丁度食糧も尽きてきてるし。
サッと出かけてサッと帰る。これに勝る外出はないのである。
「まあ……お店の人との会話は増えがちなんだけど……」
ベンさんのパン屋で世間話をして、ニコニコとしてお別れして、お店を出て少し歩いて。
わたしはニコニコしたまま、胃の底の痛みに耐えてギュッと目を瞑る。
……今日はお客さんが少ないからってまたオマケしてもらったけれど、受け取って良かったのだろうか。話しかけてきたのはベンさんだけど、ちょっと長話になってしまったのは迷惑じゃなかっただろうか。というかこういうお客さんの少なそうな日を狙ってオマケをもらいに行ってるみたいに思われたらどうしようか。
そんな思考が一気に押し寄せてくるけれど、なんとか耐える。まだ外だから吐くわけにはいかない。――今日はちゃんと朝食を抜いてきたから、耐えられるはず。
人と会って話す。そんな普通の、誰でもできることが、わたしはすごく苦手だった。苦手すぎて吐いちゃうくらいに。
普通を演じることはできる。人見知りを圧し殺して仮面を被ってちゃんとした人のフリをすることはできるのだ。
けれど話して、別れて、一人になった後で自己嫌悪の反省感が始まる。本当にあの話題で良かったのかとか、受け答えは変じゃなかったかとか、もしかしたら相手の気を悪くする振る舞いをしてしまったのではないかとか。
「お、アネッタじゃん。どうだい今日はいい豚肉が入ってるよ。特にフィレ肉がオススメ。良いトコが残ってるから買ってかない?」
まあそんなわたしでも、ある程度普通に話せる相手というのは存在する。
このお肉屋さんの看板娘は、貴重で希少なその中の一人。
「もう、リレリアン。そんな一番いいところはもっと特別な日に勧めてよ。今日は肩のところと腸詰めをお願いね」
「アハハ特別な日だって。新鮮でいい肉の入ったいい日だもん。じゃ、干し肉はどう? ほとんど塩漬けみたいな感じだけど、スープに入れたりとかなら問題ないやつ。安くしとくよ」
「それなら日持ちしそうだし、非常食にもよさそう。ちょっと多めに包んでくれる?」
「ありがと! ミクリさんが干し肉たくさん買ってくれるから仕入れの量と種類を増やしたんだけど、あの人そのまま食べる人だからこのタイプは不評でさ。助かるよ」
リレリアンはわたしの幼馴染みだから、ちょっと精神への負担が少ない。……とはいえ他のお客さんの情報をペラペラしゃべられるのはちょっと困る。
共通の知り合いだからいいのか、それともだからこそダメなのか。リレリアンもラインはちゃんと見極めてると思うけど、だとしてもミクリさんがお肉屋の仕入れに影響及ぼすほど干し肉好きという情報をわたしはどうすればいいのか。
まあ、いい。なんにしろ日持ちする食べ物は嬉しい。外に出る機会を少なくできるから。毎回買いたいくらい。
「ロアさんはこれ、大量に買ってくれたんだけどねー。あの人は料理好きみたいだよね」
その人、そのまま食べてる可能性あるよ……。
もしかして、今度ちょっと聞いてみた方がいいのだろうか。シシさんの件から、最近は料理も興味でてきたみたいだしちゃんと調理してるのかもしれないけれど、そもそも塩味に気づいてない可能性あるから普通のレシピで使ってるかも。だとしたら絶対に塩分の取り過ぎには注意した方がいいですよって助言した方がいい。最悪健康を損なう。
どうしよう、わたしが忠告しなかったせいでロアさんが倒れたら。
「あ、ロアさんで思い出した。そういえばあの人、最近は読書にハマってるみたいだよ。この間メリアのところで何冊か小説を買ってたの見たんだ。アネッタ、小説好きでしょ? もしかしたら話合うんじゃない?」
ロアさんが小説……? あんまりイメージないけれど。
まあでも、リレリアンが直接買ってるところを見たならそうなのか。意外な趣味だ。
「へぇ、そうなんだ。今度話すとき、どんなのを読んでるのか聞いてみようかな」
はたして、それは本当に聞いていいものだろうか?
友達から本屋で小説買ってるの見たって聞いたんですけど、って言うの? もし本のタイトルがちょっと恥ずかしい感じのものだったらどうするの……。なんて、そんなマイナス思考ばかりすぐに思いつくのだけれど。
「そうするといいよ。せっかくのお隣さんなんだし、仲良くしておいた方がいいに決まってるんだからさ」