グレスリー・ドロゥマンの古馴染み
歴史ある、しかし活気のある町並みを歩く。二人でゆっくりと、陽だまりを楽しむように。
初めて来た、まったく知らない場所なのに懐かしく感じるような、穏やかな時間だった。
「本当に驚いたわ。いきなり訪ねてくるのだもの。久しぶりねグレスリー」
お互い歳をとってシワもできたのに、彼女は驚くほど若々しく見えた。仕草や振る舞いから生気が溢れているようだ。
気持ちが若いと雰囲気にも出るらしい。……見習えるとは思えないが。
「いきなり来たのはすみません。なにせ細かい住所が分からなかったものでして、手紙も送れなかったものですから。……お久しぶりです、ステラ」
正直、この辺りの地図を新しく作ってやろうかと本気で考えたくらいには難儀した。
仮に王都内で防衛戦になったとき、正確な地図のあるなしでは全然違ってくる。そういう建前で軍を動かせないものかと検討したが、さすがに南部戦線の後処理が残っている現状、軍もまだそこまで暇ではなかった。
「あらあら、出版社に聞けばよかったのに」
「作家の住所なんか教えてくれるわけないでしょう」
「軍の偉い人なんだから、それくらい強制的に調べられるでしょ?」
「バカなんですかあなたは。やるわけないでしょう私用なんだから」
先ほど生気が溢れていて若々しいと思ったが、どうやら間違いだったようだ。若い頃と内面がまったく変わっていない。
「というか、偉くないですよ。軍の中枢にいるわけじゃありませんし」
「勲章もらってたじゃない。新聞で見たわよ。それにロア殿下の同じ部隊なんでしょう? 親衛隊みたいなものじゃないの」
どこの世界に王族を最前線に蹴り出す親衛隊がいるというのか。
「それなりに武勲は上げましたがね、それ一回でふんぞり返れるほど軍は甘くないですよ。……というか、あなたこそ偉くなったんじゃないですか? 『ステラおばさんの簡単お料理レシピ』シリーズの新刊、売れてるみたいじゃないですか」
「ふふ。作家はどこまでも一人なのよ」
組織で出世とかはないということですね。とはいえ売れっ子なら多少は偉そうにしてもいいと思いますが。
金銭的に余裕はあるだろうから中央区の一等地にだって住めるだろうに、なんで旧市街のあんな普通の家に住んでるのか。
「あの本のおかげで、あなたが生きていることを知りました」
ゆっくり道を歩いていると、小川に突き当たった。きっと先ほどの小さな橋に続くのだろう。
せせらぎの音が涼しげで、足を止める。
「死んでると思った?」
「死んでいてもおかしくないと思っていました」
懺悔のようだ。
告解のようだ。
「我々の生家は南ですからね。……ちょうど、あの南部戦線が開幕した場所です。まさか軍人として、戦うために里帰りするとは思っていませんでした」
眼下の小川を見下ろす。小さな川だが、堤はかなりしっかりしている。大雨が降っても氾濫などの心配はなさそうだ……なんて、また思考は仕事に逃げようとして。
「あのときは大変だったわぁ。買い物に出てたらいきなり戦争が始まったのだもの。すぐに王国軍が駆けつけて保護してくれたけれど。家の中に手榴弾を投げ込まれたところもあったんですって?」
「避難所は東区でしたでしょう? なぜ西に?」
「引っ越して来たのは最近よ。三ヶ月前くらい。それまでは東区の避難所にいたわ。すっごい大きなお鍋で毎日料理してたんだから。おかげでレパートリーが増えちゃった」
「炊き出し係だったんですか?」
まさか『ステラおばさんの簡単お料理レシピ』の作者が避難所で炊き出ししてたとは。
けっこうな流行になった本だから、読者もいただろうに。
「そうそう。避難したみんなのために炊き出しやってたの。で、それで銀行に預けてた財産は全部使っちゃったのよね」
「食材に私財つぎ込んだんですか? 王家から支援は出たでしょう?」
「ええ、避難所生活をするには十分にね。でも普通の生活には十分じゃなかったわ。じゃあ少しでも良くするために、持ってる人が出すべきでしょ?」
ああ、思い出して来た。ステラはこういう人物だった。
簡単に言っているが、思い悩みはしただろう。そうとう悩んで、最終的に全財産を使おうと決心し実行して、そして今は晴れやかに笑っている。
晴れやかに笑うためにそういう選択をとる。そういう人だ。
「で、避難所を手伝いながら執筆して、本が出て原稿料がはいった頃にはだいぶん落ち着いてたから避難所を出ることにして、それでここに引っ越してきたのね」
「なるほど……なるほど……。それでなんで西に?」
「え? なんとなくだけど?」
完全に思い出した。こういう人だった。
はぁー、と深いため息を吐く。南区に戻ってるのではとか、親戚を頼っているのではとか、そんな方面から調べても見付からないはずだ。これはこの身が間抜けだった。
まあ、変わってないようで少し安心した。もう少し変わっててもいいのでは、とも思うが。
「次は料理本じゃなくて自伝でも出したらどうですか? きっと売れますよ」
「嫌よ自分のことなんて。それに次は小説を書くって決めてるもの」
「それ、子供のころも言ってましたね」
ステラは昔から小説が好きで、子供ながらに難しそうな本も読んでいたし、小説らしきものも書いていた。けれどなぜか出したのは料理本だった。
彼女がデビュー作を出したときはすでに冷血のスキルが発現していたが、さすがになぜなのかと眉間を揉んだものだ。
「……スキル剥奪屋という店を知っていますか? ピペルパン通りの端にあるのですが」
「ああ、あのお店ね! ちょうど昨日行ってきたところよ。素敵な女店主さんのお店よね!」
なんともタイムリーなことだ。きっと興味本位でどうでもいいスキルを剥奪しにでも行ったのだろう。
「そこで冷血というスキルを剥奪してもらいました。あらゆる精神干渉系スキルを受け付けない代わりに、感情の起伏がなくなるスキルです」
「知ってるわよ。鉄面皮のドロゥマン。どんなピンチのときでも冷静沈着に、必ず最適解へと導く冷血の作戦参謀。あなたの代名詞と言えるスキルよね。どうして剥奪しちゃったの?」
「彼女のスキルについて半信半疑でしたので、試してみようと思ったからですね。暗示や封印を誇張して言っているだけの可能性もありましたので」
真実、最初はそうだった。ロア殿下の威圧を取り除けるスキルの噂を得て、自らを実験台にしそれを確かめる。それだけの理由で、この身は冷血の剥奪を依頼した。
「……ですが冷血を剥奪してすぐ、あなたの新刊を見つけたんですよ。そのときの自己嫌悪は忘れられません」
あのときは本当に、本当に、膝から崩れ落ちるかと思ったのだ。
膝をつかなければ人ではないとすら感じた。だけど、この身にはその資格すらなかった。
「あなたのことを忘れていたわけでも、戦争に巻き込まれたかもと思い至らなかったわけでもありません。でも、死んでいてもおかしくない、としか思っていなかった。この身は心配すらもしていなかったんです」
自分は、人でなしだから。
「ああ、そういうことね。急に来たからなにがあったのかと思っちゃった」
ステラの声は軽かった。拍子抜けするほどに。
そうして、彼女はこちらを振り返る。大きな丸眼鏡ごしに、片眼鏡の自分と視線を合わす。
「あなたに冷血のスキルがあって良かったわ、グレスリー」
晴れやかに、少女のように、ステラは笑う。
「だってあなた、英雄にまでなったのに、遠い人になっちゃったなって思ってたのに……こうして会ったら、昔とまるで変わってないんですもの。安心しちゃったわ。きっと、冷血のスキルがあなたの心を守ってくれてたのね」
……相変わらず人を見る目がない。さすがに無垢な少年だった頃と、今の非道な作戦参謀では面影もないだろうに。
変わってなくて安心したのはこちらの方だというのに。
「アネッタさんに感謝しなきゃね。だって彼女が冷血を剥奪してくれたおかげで、こう言えるもの」
ここは生まれ育った南区とは似ても似つかない、歴史ある町並みで。
なのにまるで変わっていない丸眼鏡の幼馴染みは、昔と同じように微笑んで。
「――おかえり、グレスリー」
チェスはやったことありませんが、将棋は父と祖父が教えてくれました。なので書けると思ったんですよ。あの回めっちゃ苦労しましたね。KAMEです! ウルヴァス許さん。
というわけで短編連作という形の第四章、いかがでしたでしょうか。今回は大枠でグレスリーの話にしたいと思って始めたのですが、いろいろな人たちが書けて楽しかったです。どの回が良かったとかあったら教えて下さい。
それではまた、次章をお楽しみに。