馬車
扉の壊れた玄関からロアさんが退店して、しっかりその背中を見送って、わたしは大きく息を吐いた。ソファからズルズルとずり落ちてしまうほど、力が抜けてしまう。
スカートが捲れて足が膝上まで剥きだしになってしまったけれど、疲れ切ってしばらくそのまま動けなかった。扉が壊れているからもし中を覗く人がいたら恥ずかしいなと思うけれど、それでもなかなか動けない。
全体的にダメだった気がする。
まず最初に気を失ってしまったし、そのことについて謝らせてしまったし、扉を溶かしたのがイーロおじさんだと気づけなくて拘束させてしまったし、毒キノコを日常的に食べてたおじさんにバカとか言っちゃったし、ロアさんに握手したときビックリさせてしまったし、余分にお金をもらっちゃったし大工さんの手配までさせてしまったし、最後に注意事項を伝えるのを忘れそうだったし。
ああそういえば、今日中に扉の修理をしてくれる人が来るんだ。お茶とかお菓子とか用意した方がいいのだろうか。ちゃんと挨拶もしなければ……。
「うぷっ」
跳ね起きる。トイレへ駆ける。
「うえぇぇぇ……」
一度吐いているから胃にはなにも入っていない。そういうとき吐くのは胃液で、これは一気に出ないからすごく苦しい。
ここにお店を出して数ヶ月たったけれど、お客さんが来ると毎回やっている気がする。これからもずっとこうなのだろうか。ダメだ心も体も保たない。早く隠居したい。
「絶対、中央区とか無理ぃ……」
コツ、コツ、コツ、と石畳の道を歩く。封印の装飾具であるフードをとって市街に出るのは久しぶりだ。
良い町並みだと思う。多くの人で賑わう中央区より人通りは少ないが、落ち着いた雰囲気は時間がゆるやかに流れているような気がした。
特に、すれ違う人たちが笑顔なのがいい。
「穏やかな場所なのだな」
ここは戦場ではないのだ。それが空気で分かる。
あの凄惨な臭いがしない。
……先の戦争では、自分たちはこの平和を守ったのか。それは少しだけ、誇らしく感じてもよいのだろうか。
馬の足音と車輪の音がした。後方から馬車がやってくる。
道の端に避けようとして、その馬車が近づくにつれて速度を落としていることに気づきため息を吐いた。
足を止める。ちょうど自分の真横に停まった馬車に乗り込む。
「お疲れ様です、殿下」
「もう少し散策を楽しみたかったのだがな」
固定された長椅子に座っている片眼鏡の男を認め、その向かいに座った。外から見た限りでは普通の乗合馬車だったが、内装は豪華だ。一般の馬車にこんな上等なクッションはつかないだろう。
ゆっくりと馬車が動き出す。
「ずいぶん雰囲気が変わられたようです。威圧スキルはとれたようですな」
「ああ。これがそうだ」
手の内の輝石を見せる。黄土色と紫の石と、青色の石。
「二つですか?」
「一つは別人のものだ。くれると言われたからもらってきた」
「扉を壊したあの男ですか」
馬車での迎えが来た時点で分かっていたが、どうやら一部始終を見られていたらしい。
「今日は一人でいいと伝えておいたはずだが」
「お立場をお考えください。護衛を付けぬわけにはいかないでしょう」
「護衛のつもりなら、なぜあの男を通したのだ?」
「たった一人でしたし、戦闘訓練を受けた動きでもなさそうでしたからな。一個中隊が雪崩れ込むような事態なら対応しましたとも」
護衛する気ないだろうそれは。せめて一個小隊から来い。
まあ見ていたのなら、話は早いか。
「中央区のイーロという教授だそうだ。おそらくスキル研究の専門家だろう。私の身分に気づいた可能性がある。身辺調査しておけ」
「承知しました」
「それと扉の修理に工兵を何人か向かわせろ。家主は女性だ、人員は選べよ。強面は向かわせるな」
「すでに手配しております」
聞き耳までされていたか。
自分が気づかなかったのなら、まずなんらかのスキルによるものだろう。気配消しの上手い隠密部隊か、まさか魔術部隊を動員して遠距離から見ていたか。
まあ、自由がないのは慣れている。それに、今はもっと優先順位が高い話題もあった。
「――あれはSランクスキルではないか?」




