努力の意味
お前、そんなナリして知識人なんデスか?
思わずそう声に出しそうになって、なんとか我慢した。
あたしにだってそれくらいの理性はある。さすがに言葉にするのは失礼すぎるだろう。けれど内心の自由は許してほしい。
「と、こういう奴じゃな。わけが分からんじゃろう?」
ヤガートお爺さんが肩をすくめて、同じくポーンを二つ進める。進んだ白のポーンの頭にぶつける。
そういえば、見た方が早いって言っていたデスね。たしかに見た目のインパクトあった。
「筋肉自慢の研究者、というのはたしかに意外だったデス。まあでも、わけが分からないとまでは思いませんデスが。文武両道はいいことじゃないデスか?」
「頭も身体も鍛えたくせに、心がまったく伴っておらんじゃろ」
ウルヴァス氏が別のポーンを二つ進める。……指を離すときにピクリと震えて、駒が少しマスの中央からずれる。
「トレーニングして筋肉を身につけ、勉学に励んで知識を溜め込むのは良い。見上げた努力じゃな。じゃがな、努力を示すためなんぞにスキルを封印するというのは、まったくもって度しがたい」
ため息と共にヤガートお爺さんは違うポーンを一つ前へ。前に出たポーンにヒモを付ける一手。
まだ序盤の、ただの定跡。話しながらでも指せる手。
「どんな分野でもトップレベルはみな、使えるものの全てを最大限に駆使してしのぎを削っておる。スキルを封印するとは、その熾烈な競争から身を引くということじゃ」
ああ……まあ、それはそう。
誰もがスキルを持っているのだから、当然だけど専門家だってスキルを持っている。というか、そういう人ほどすごいスキルを持っているもの。
ウルヴァス氏は軍にだってなかなかいない巨漢だが、非常に少ないだけで同じような体格の者なら何人か知っている。そういう者たちはみんな筋力系のスキルを持っているから、重量挙げなどの単純な力比べで競ったら……そりゃあスキルを封印したウルヴァス氏に勝ち目はないだろう。そんなの誰にでも分かる。
「努力とは自分のため、結果を得るためにするべきものじゃ。それをこやつは過程にこだわり他人に認められようとするあまり、結果をないがしろにしている。自ら遠のいてすらいるのじゃよ。――その筋肉はより重いものを動かすためにあり、その知識はより深みにある最適手を求めるためにある。スキルはそれを助けるものなのに封印してどうする」
「……誰かに認められたい、という欲求は悪いことでしょうかね? 普通のことでしょう? ヤガートお爺さん」
白はナイトを動かす。中央へ戦力を集める。
それもまあ分かる。誰かに認めてもらう、というのは普通に嬉しいことだ。スポーツでも勉学でも盤上遊戯でも、本当にわずかなトップ争いをしている者より、むしろそちらの方をモチベーションにしている者の方が多いだろう。
でも、ヤガートお爺さんはそれが不満なんデスね。
「スキルを封印して勝てるのは三流以下だけじゃろう。それでお前を認めるのは、三流以下の奴だけじゃ。――いいや、格下にハンデ付きで勝って満足してるだけの人間など、誰も認めやせんかな」
クツクツと笑いながら、黒もナイトを動かす。性格が悪いな、このお爺さん。お孫さんにもっと活躍してもらいたいんなら、そう言えばいいのに。
認められたい。だからスキルを封印しても自分はすごいんだとアピールする。そのためにザールーン教に入り、質の良い封印具をたくさん付けてスキルのない生き方をする。
あたしだったら無い選択だけど、理解は一応できる。そしてウルヴァス氏はそれでも十分優秀だったに違いない。
けれどハンデ付きでトップへ上り詰めるなんて不可能だ。ウルヴァス氏は結果的に、自ら上に行く道を閉ざしてしまった。
二人の関係性が見えてきたな。
「なるほど、なるほど」
ウルヴァス氏は逆側のナイトを動かす。中央へと戦力を集めていく。
「スキルを使わないことをハンデととれば、その通り。ヤガートお爺さんの言うことも分かります。ですがね、僕のスタンスはそうじゃないんです。……そうですね、トップ争いしてる人たちが、こんな心ない言葉をかけられる場面を想像してみて下さい。あんな奴らは大したことない、スキルに頼りすぎだ、スキルがなければなんにもできないってね。――簡単に想像できるでしょう? だって日常的に言われてるだろうから。誰だって日常で、そういう事を言ってるから。ねえ、ミクリお嬢さん。そういう言葉を言ったり、聞いたりすることはありませんか」
巨漢がこちらを見る。おっと、話を振られるとは思わなかった。
ちらりとお爺さんの方を見ると、ヤガートお爺さんは盤上から顔を上げずキングの前のポーンを進める。最初に動かしたポーンを守る一手。
好きに話せと。
「言うことも聞くこともあるデスね」
正直に答えた。だって、そういう言葉はよくあるものだ。
トップ争いをしてるというわけではないけれど、たとえば双子の兄は銃のスキルをけっこうな高ランクで持っていて、だからあたしは射撃訓練では兄にほぼ勝てない。……そんなのに訓練終わりでドヤ顔自慢されたら、そりゃあスキルのせいにしたくもなる。
近接戦だと立場は逆転するのだけれど。
「でしょう? それって、スキルはズルみたいなものだって思ってるからじゃないですか?」
「……論理が飛躍してないデスか?」
あまりにもあっさりと言われたため、思わず頷きそうになってしまった。
「飛躍していません。僕はただ、ズルはしたくないんですよ。だからスキルに対してそう思う心があるかぎり、スキルを気分良く使うことはできない。ありのままの自然体で、誰に恥じることなく正々堂々と振る舞いたいのです」