幼馴染みの精神世界
トプン、と精神世界に潜る。いつもの水に満たされたような空間は明るくて穏やかで、ちょっぴり温かい。
うん、ビックスだ。前となんにも変わらない。ちょっとくらい変わってくれれば今回の件はなかったのだけど、それはそれとして安心する。
知っているから。昔から知ってる雰囲気だから、ここは好きだ。……懐かしいとすら思う。彼の精神世界を覗いたのは前回が最初なのに、そのときも同じ気持ちを抱いたものだ。
たぶんだけど、子供の頃から彼は変わっていないと思う。ピペルパン通りのナンパ師なんて呼ばれてるけれど、変わってしまったのは上辺だけで本質はメリアの背中に隠れていた人見知りな男の子のままなのだろう。
なんで彼はこんなふうになってしまったのだろうか。本当になんで?
「べつに悪いことをしてるわけではないんだけど……」
街の女性に声をかけるのが趣味だからといって、それ自体は悪いことではないと思う。少なくとも罪ではない。しかも親切にするのが目的だから咎める理由もない。
そう、ナンパ罪なんてものはないのだ。本来ならば好きにすればいいと思う。
そりゃあ偶然スキルは周りに迷惑をかけるから問題だけれど、それでビックスを責めるのは違うだろう。あれは特例過ぎて、再発現するだなんて予想もしていなかったし。
それに……正直わたしは、ビックスのスキルを大した問題だとすら思っていなかった。
制御なんてできなくても、彼のスキルで人が大きな怪我をしたりものすごく困ったりすることはないと確信している。そもそも女の人をナンパするためのスキルだろうし、強化や進化したら危険度が増す、という類のスキルでもないのではないか。
今回は発動タイミングが分かるようになったらしいけれど、次は発動場所が分かるようになるのかも。その次はどんなことが起こるか分かるとか? まあそんなところなんじゃないか。
「メリアが過剰反応してるだけ……ってわけでもないんだけどね。結局迷惑はかけてるんだし」
まあ、メリアの気持ちも分からなくはない。幼馴染みが悪目立ちして迷惑なことになってるとか、わたしもちょっと嫌。放っておくなんてできない。
だから今日も店番を抜け出してまで、引っ張るようにして彼を連れてきたのだろう。
「どうして、こんな性格になっちゃったのかなぁ」
目的のスキルの光球を探してビックスの精神世界を泳ぎながら、わたしはため息を吐く。
子供のころの恥ずかしがり屋で人見知りだったころより、彼の心は成長していると思う。振れ幅が大きすぎるのはともかく、明るくて活動的になって物怖じしないのはいいことだ。
でも……わたしとしては昔の方が良かった。今の彼は、なんというか……困る。幼馴染みだし彼のことはよく知ってるから吐くほどに精神を削るわけじゃないけれど、それはそれとして上手い反応ができているのか不安になるのだ。
――今日も可愛いね、と言われてなんと返したらいいのだろうか。
たとえば前にわたしの店に来たトルティナという少女ならば、堂々とその言葉を受け入れるのではないかと思う。そんなの当然、みたいな顔をするかもしれない。レースで飾った黒いワンピースドレスを身に纏った彼女はとても可愛くて、肌が白くて、紅を引いた唇が愛らしくて、お人形さんみたいな女の子だった。
対するわたしはどうか。お化粧なんてしてないし、服もいつもと変わらないし、髪ですら大した時間をかけて手入れしてるわけじゃない。指輪とかイヤリングとか、そんな小さな装飾品すら身につけていない。同年代の女の子たちと比べて見た目の努力なんて全然していない自覚がある。
そんなわたしが可愛いねだなんて言われても……お世辞だろうかとか、もはや彼流の適当な挨拶なのかもとか、もしかして遠回しにダメ出しされてる可能性まであるのでは? みたいな思考になってしまう。他の女の子にはもっと具体的に褒めてて、わたしにだけ今日も可愛いだなんてフワッとした言葉を使ってるのかもしれないとか疑っちゃう。
そんなふうに、考えなくていいことを考えながら対応するのは疲れてしまうのだ。
だから今の彼は、ちょっと苦手。
「ああ……本当に」
わたしはビックスの精神世界に浮かぶ光球の一つに触れて、ため息を吐く。
そのスキルは目的の偶然スキルではなかった。ただの精神系の、何の問題もない習得スキルでしかなかった。
前の偶然スキルを剥奪するときにたまたま見つけて、微妙な気持ちになったもの。
「剥奪しちゃおっかな、これ」
これはただの、心を強くするスキル。
人見知りとか恥ずかしがり屋とか、意気地なしとか、そういうのを克服して女の子に声をかけるための……勇気のスキル。
「まあ、やらないけど」
触れていた光球から指を離す。これは彼が心の強い人間になろうと頑張って習得したスキルであって、人格はこれ込みで彼のものだ。スキルに操られているとか、これがあるせいで苦しんでいるとか、そんなのではない。
わたしが少しばかり苦手だからといって、安易にこのスキルを剥奪してしまっていいわけがなかった。
ため息を吐いて、またビックスの精神世界を泳ぎ出す。余計な事なんか考えていないで、お目当ての偶然スキルを探さなければいけない。
「まったく。さっさとそのスキル、育てちゃってよ」




