軍服姿の休暇
ガラガラと回る車輪の音が空虚に遠ざかり、まったく聞こえなくなってからやっと、ああ本当にあのオッサンはふざけてるなぁと口の端を歪める。
べつに用が終わって解散なのはいい。彼の立場なら忙しいだろうから次の予定があるのも分かる。
けれどこんな場所に置いていくのはどういうことか。ただの民家しかなくて、しかも空き家が多い寂れた場所ではないか。せめて乗り合い馬車の停留所近くまで送っていくとかしてくれないものか。
というか自分は今日、休暇の予定だったのだが?
いきなり今日付き合えと昨夜に言われ、いったいなんだろうと思っていたらべつに自分では問題ないと考えていた変装スキルを剥奪しろと命令され、こんなよく分からない珍奇な店に連れてこられた。そしてそれが終わったらこんなよく知らない西側の片隅に置いていく。
思えば昔からグレスリー・ドロゥマンという男はこうだった。
頭はいい。準備や手回しも抜かり無い。その手練手管は軍部でも屈指だ。しかし人の扱いが凄まじく雑である。
あの男にとって手駒の扱いとは基本、いいからやれ、なのだ。
彼の言うことは結局は理があるし最適解。だからやらざるをえないのだが、それはそれとして殴ってやりたくなるのが常だった。
「……行くか」
とりあえず、歩いた。自分を置いて馬車が行ってしまったのだから歩くしかない。
なんで貴重な休日を上司に連れ出されたあげく、知らない場所に放り出されないといけないのか。変装スキルを戻したらあのオッサンの顔で奇行の限りを尽くしてやろうか。
知らない街並みを見回しながら歩く。
この辺りはピペルパン通りというらしい。王都の西側に位置する、旧市街と呼ばれる地区。歴史のありそうな様式の建物が並んでいるが、その建築物の多さのわりには人が少ない場所だと思う。
とはいえまったく人通りがないわけではなさそうか。さっきまでいた場所は寂れていそうだったが、少し進めば普通に店が開いていて人の姿も見え始めてきた。どうやらさっきの剥奪屋という店は、この通りの端辺りにあったらしい。
古着屋、鍵屋、雑貨屋。
看板を眺めながらストリートを進む。
子供たちが追いかけっこをしているのが遠目に見えた。道端で主婦たちが談笑している。大工道具を担いだ職人が角を曲がっていく。
明るい雰囲気の良い街だ。……しかし、人が少なく感じるのはなぜだろうか? 不思議に思って、すぐに気づいた。中央区くらい建物が密集しているからだ。
薬屋、楽器屋、散髪屋。
旧市街は、つまり以前は王都の中心だった地区。だから建物が密集しているし、歴史と趣きある様式の立派なものが多くて、だから中央区や他国の繁華街と比べてしまうのだろう。
とはいえ自分としては、それらの人が多すぎる場所よりこっちの方が落ち着けそうな気がした。最近まで任務で赴いていた場所も都会だったからだろうか?
金物屋、本屋、肉屋。
街並みをぶらつくように、ゆっくりと歩く。この辺りに来たことはないし、自分の諜報員としての仕事に関係ないので地図も見たことがない。だから乗合馬車の場所は分からない。
道行く人に聞いた方がいいかもしれないが、まあこの大きな道を進めばそのうち停留所はあるだろうとも予想できる。とりあえず歩く。
家具屋、八百屋、料理屋。
「……腹が空いたな」
剥奪屋にいたときに自失してしまったせいで感覚が曖昧だったが、太陽の位置的に今はまだ朝の早い時分で、しかし朝食には少し遅めの時間だった。
料理屋の前で腹をさする。自分は今日はまだなんにも食べていない。あのオッサンが西区まで行くけど忙しいから朝一な、と言ったので、休日に早起きして軍服を着て来たのである。まだ暗い内から起き出す必要があったから食事は抜いた。
……いや。朝食くらいなんだというのか。なんだかイラッとしてきて、それを自覚して、自分は額を押さえながら首を横に振る。
彼も忙しいのだから仕方ないじゃないか。普段の彼の激務を思えば、多少の理不尽くらいは受け入れるべきである。そうさ、だってあのオッサンはあのオッサンなのだから、多少のことは諦めるしかないのだ。
そんなふうに考えて、ふぅーと息を吐きながら精神を落ち着けて、諜報員として培った記憶力で去り際のグレスリー・ドロゥマンを思い出す。
――さて。ところで最近知ったのですが、この辺りに古い馴染みが住んでいるようでしてね。久しぶりに会ってこようと思いますので、今日はここで解散することにしましょう。
もしかしてあのオッサン、旧友に会いに行っただけじゃないか?
「いらっしゃいませー」
気づけば料理店に入っていた。
一見して、明るい雰囲気の普通の店だ。壁に貼られている紙を流し見ればパスタと肉料理がメインだと分かる。
自分は店員の明るい挨拶に軽く手を挙げて、店内を進んだ。中途半端な時間帯だからか空いている席の方が多いが、一番奥のテーブルに座った。メニューを見ずに、手を挙げてウェイトレスを呼ぶ。
「この店で一番強い酒を」