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幽霊と私たち(エッセイ)

作者: 淡川透

エッセイ(エッセイではない)

 "幽霊"が実在すると科学的に実証されてから、二十年が経った。

 昔は幽霊と言ったらホラーや神秘の代名詞だったものだが、実際証明されてしまうと、かつての姿は見る影もない。彼らはすでに我々の日常であり、最近では、物体の干渉を無視できるという特徴を生かし、アメリカ、ロシア、中国などの主要大国が諜報機関として幽霊軍の編成を進めているなんて話も聞こえてくる。


 まあ私としては、どうせ死んでも幽霊になるのなら、もはや戦争などほとんど意味がないと思うのだが……その答えは、きっと次に戦争があった時に明らかになるだろう。全く新しい戦争の形がどのようなものになるのか、不謹慎ながら、私は少し楽しみにしている。

 それに、幽霊が人々を殺しまわる、だなんて、まるでB級ホラー映画のようではないか。幼少期ホラーマニアだった私としては、胸が躍るのも仕方のないことである。

 

 さて。死への恐怖を忘れた人間は、しかし案外いつも通りに過ごしている。ちょっと戦争や暴力への忌避感が少し社会全体から減ったような気もするが、せいぜいがそのくらいか。

 実際、幽霊発見前の人間の創作では、よく「人間の命は限りがあるからこそ美しい」などという言説がみられたが、今の世界でそんなことを言う者は誰もいない。

 実感として、私たちは知ってしまったからだ。


「そんなことは、まったくない。」と。


 別に私たちは普通に仕事をしているし、普通にご飯も食べるし、普通に映画も見る。これは、幽霊も変わらない。幽霊になった連中は確かに多少気ままになった気もするが、正直死にそうになりながら毎日を過ごしている私たちよりもよっぽど幸せそうにしている。というか、無限の時間を手に入れた分、その暇つぶしをしようと幽霊の方が一生懸命生きている人の方が多いと思う。


 まあ、なんというか。

 昔の創作が言うほど、我々は"限りある命”とやらを大事にしていなかったようである。


 幽霊のいる日常。

 幽霊の発見から二十年。幽霊に市民権が認められてから十九年。幽霊の社会参画から十四年。


 いまでは、幽霊がいなかった時代を知らない世代が、社会を作る側に回ってすらいる。むしろ、幽霊という言葉自体が差別用語だとして使われなくなってすらいる。


 これからの時代、死者と生者のかかわりはどうなっていくのだろうか。

 とりあえず、それが平和的なものであることを、私は祈っている。

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