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風待つ朔  作者: 丹寧
第一部 風読 月夜見
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四 日向大王

「広い御笠(みかさ)の都で、この館に辿り着けたのは運が良かったわよ」


 この大きな町は御笠というらしい。


「本当に。――私は、智鋪がどのくらい広いかもわかっていなかったから」

「筑紫洲の半分を占めると言われているわ。大王の束ねる国々は百余にのぼるのよ」


 それは夕星の想像を上回る規模だった。ならば智鋪は、出雲と比肩する大国だ。


 白露の手元の膳を見やったぜんまいや野びるといった山菜の他に、海もないのに貝が並んでいる。加えて夕星が見たことのない、赤っぽい湿り気を帯びた穀物が器に盛られていた――得体が知れないので手を付けなかったが。


 こんな膳が当たり前に出てくるのも、国じゅうから貢納物が集まるゆえだろう。夕星の心中を知ってか知らずか、白露はその後も大王の館について得々と語ってくれた。


 日向大王は常に館の奥にいて、折にふれ政に関わる命を出す。館を出ない大王に代わり、こまごました政務は王弟の高良彦が取り仕切っているらしい。いまは彼の指揮のもと、大水の被害からの復旧や、水分の里の立て直しが行われている。彼が不在の間は、巫女長やその他の臣下が館の諸々を切り盛りするという。


 水分の里は、百余国を構成する小国の一つだ。都のはるか南に位置し、美しい水源に恵まれた土地である。そこが突然、かねてより不仲だった南の隣国、熊襲の襲撃を受けた。


 夕星の顔をしげしげと眺めてから、白露はひとり納得したように言った。


「貴女ってきっと、只人ではないのね。だから巫女長様に招じ入れられたんだわ」


 只人でない、ということの意味がわからず、夕星は曖昧に返した。


「そうだろうか」

「そうよ。大王が巫女長様にお命じになったんだし」


 夕星は首を傾げた。会ったこともない大王が、自分を招じ入れたたとは不可解だ。


「大王が? なぜだ?」


 尋ねると白露は、なぜそんなことを訊くのかと言いたげに首を傾げた。


「さあ?」


 白露が、大王の行動にひとつの疑問も抱かないのは何故だろう。不思議に思ったが、夕星は何も尋ねなかった。しつこく訊けば怪しまれるかもしれない。思ったところで、白露が言った。


「高良彦様の鷹を連れ帰っただけでも、充分な理由だと思うけど」


 あの鷹は王弟のものだったらしい。その場に大王はいなかったから関係ないと思うのだが、白露は続けた。


「あの鷹、高良彦様以外の言うことを聞かないの。素直に帰ってきたのは奇跡だとみんな言ってたわ」


 鷹を探していた少年の、驚いた顔を思い出した。あの鷹が来てくれた偶然に感謝しなければならない。


「それにしても貴女って、奇妙な話し方をするのね」


 出しぬけに指摘され、夕星はどきりとした。


 風読の力を知ったとき、智鋪の人々は何を思うだろう。想像がつかないが、出雲が突然牙を剥いたことを考えると用心に越したことはない。


 夕星は言葉遣いを白露に似せてみることにして、ぎこちなく話題を逸らした。


「そうかな。――大王や高良彦様はどんな方?」

「大王にお会いできるのは、高良彦様と巫女長様だけよ。昔、日向にいらした頃は人前に出ていたらしいけれど、私たちは御姿を知らない。ただ日の神の裔は皆ご長命で、大王も高良彦様も、百年は生きているらしいわ――ああ、そう言えば」


 呆気に取られる夕星の前で、白露は続けた。


「高良彦様なら見かけたことがある。とても壮健な方よ。熊襲が襲ってきても、必ず撃退されるの」


 王弟は軍務も取り仕切っているらしい。夕星は白露が語る事情に、その後も耳を傾けていた。





「巫女長様がお呼びでございます」


 夕刻に幼い采女が現れ、おずおずと告げた。夕星は彼女について長い廊下をいくつも曲がり、館の奥へ向かった。


 巫女長は、小さな庭に面した回廊で待っていた。そして采女をさがらせ、さらに奥へと向かった。彼女に話を聞かれると思っていた夕星は内心首を傾げたが、おとなしくついていった。


 やがて庭に面した広間に辿り着いた。奥には御簾がかけられ、その向こうに背筋を伸ばした女が泰然と座している。


 歳は三十をいくつか過ぎているだろうか。御簾越しに見える切れ長の目も、頬の泣きぼくろも涼しげだった。長い黒髪を背中でゆるやかに束ねた彼女は、白い裳と下襲(したがさね)に紅の大袖と貫頭衣を重ね、襷を締めていた。頸珠(くびたま)と耳飾りは薄紅の勾玉でできており、背後には鈍い光を放つ銅鏡が木の台に据えられている。


 巫女のような装いだが、巫女長より豪奢な衣を纏っているのはどういうわけだろう。


 巫女長は、御簾の前に進み出ると慣れた動作で床に膝を突いた。両の手も床板につけ、深く頭を垂れる。


「日向大王」


 夕星は仰天した。御簾の向こうを見ると、相手はうっすらと口元に笑みを浮かべている。顔は巫女長に向けつつも、夕星の反応を面白がっているようだ。


 こちらの驚きをよそに、巫女長は淡々と続けた。


「あの夜、館を訪った娘を連れてまいりました。長く熱で臥せっておりましたが、今朝がた目を覚ましましたゆえ」

「ご苦労だった。面を上げよ」


 大王は低く通る声で労った。夕星に向けられた漆黒の瞳は、忘れられない余韻を残す、強い眼力をそなえている。


「こちらへおいで」


 外見から推し量られる齢より、ずっと落ち着きのある声だった。振り返った巫女長にも目で促され、夕星はどぎまぎしながら前に進み出、跪いた。床に両手をつく。


「いずこからきた」


 問われて一瞬躊躇うと、巫女長が代わりに答えた。


「采女より、水分の里から逃げてきたと聞いております」

「本人から聞こう。面を上げよ」


 言われるがまま顔を上げた夕星だったが、できればずっと床板を見ていたかった。女にしては大柄というだけでは説明しきれない威厳が、大王にはある。もし嘘を口にしても、きっと見破られるに違いないと思わせる何かが。


「そなたの郷里は水分の里か」


 大王の微笑は、いつしか消えていた。百年は生きているという大王を見据え、夕星は唇を引き締めてから答えた。


「いいえ」


 視野の端にいた巫女長が身じろぎした。


「海を越え、秋津洲より参りました」


 大王は黙したまま夕星を眺めていた。どこか満足そうな趣だ。しばらくして沈黙を破ったのは、唖然とした口調の巫女長だった。


「言葉が確かに、南から来た者と違うようです。水分の里近くから出仕している采女もおりますが――しかし白露は、あっさりと欺かれたようで」


 自分も気づかなかったことは棚に上げて、巫女長は言った。


 大王は怒りも咎めもしなかった。ただ微笑を浮かべただけだった。


「さがってよい。間もなく高良彦が帰るので、すぐにここを(おとな)うよう伝えよ」


 巫女長は厳かに礼をするとその場を辞した。


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