七 尋問
阿蘇津彦は刺青の散る手を顎に添えて考え込んだ。和邇の歯のような、三角の文を並べた柄が彫られている。
「普通に考えれば身体が弱り始めたか、先見の力が衰えたかであろうな。――だが、お前が逃げる先に熊襲を選んだのは何故だ」
「智鋪で大王や王弟から逃れることは叶わない。級長戸辺の娘であることを隠し、ひっそりと暮らすつもりで――」
「それで木葉に住み着こうとしたわけか」
鞠智彦に言われ、夕星はうなずいた。呆れとも感心とも取れるため息をついて、阿蘇津彦が尋ねる。
「其方が間者として送り込まれたのではないと、どう裏付けるつもりだ」
しばらく考え込んでから、夕星は答えた。
「そのつもりであれば、最初から渠帥者の館を目指したはず。私は、螺良様の家に留まるつもりだった」
「木葉は智鋪との国境だ。監視する価値はある」
阿蘇津彦が低く指摘した。
「わざわざ風読を間者にする必要はない」
「風読とやらが役に立つと、随分自信を持っているようだな」
挑発の込もった阿蘇津彦の呟きに、夕星は自分でも意外なほど苛立ちを覚えた。
この力は本来、郷里のために役立てるはずだった。定めのほうが夕星を流転の道に引きずりこんだだけなのに。
「望むと望まざるとに関わらず、級長戸辺の娘の力を大国が求めたというだけだ」
憤りを抑えながら言うと、阿蘇津彦は興味深そうに片眉をあげた。
「まあ良い。木葉でのお前の様子はいずれわかる」
彼は近衛の一人を夏羽の館に残していた。夕星が転がり込んだ経緯を調べさせるためだろう。
「ところでお前は大層な力があるにしては、玉杵名と宇土に突然現れただけで、その後智鋪から逃げたという。何者だ?」
尋ねる阿蘇津彦の脇で、鞠智彦は強い視線を注いでいた。
熊襲と秋津洲の往来はほとんどない。智鋪の者だと言い張ることもできそうだったが、出自を偽る理由はなかった。たとえ、智鋪での弱い立場を明かすことになったとしても。
「数年前に秋津洲の故郷を追われ、筑紫洲に落ち延びてきた」
かすかに瞠目した渠帥者たちに、夕星は大王に拾われた顛末を語った。ただ、ひとりで遠大な距離を旅したというと怪しまれるため、人買いに攫われて筑紫洲まで運ばれたと言いつくろった。
「驚いたな。前々から、どこから湧いて出たのかと思っていたが、出雲に追われて来たとは」
一連の話を聞き終えた阿蘇津彦は、やや目を見開いていた。
思えば出雲に追われたのもまた、風読の力のためだ。大国の関心を惹きつける技のために、望まずして数奇な命運に見舞われたことはさすがに伝わっただろう。
鞠智彦はと言うと、兄ほど驚いていなかった。さらに興味を持った様子で、しげしげと夕星を眺める。ふたたび沈黙を破ったのは阿蘇津彦だった。
「訊きたいことがまだある」
夕星は相手を見返した。これ以上、自分に関しては語ることがない。
「お前は何らか、呪いを負っているだろう。宇土や夢ではわからなかったが、目の前で見ると何か軛に囚われているのがわかる。日の巫女にもそれを見抜かれたのではないか?」
あまりに核心に触れる問いに、夕星は何も返せなかった。
「智鋪の王弟も、その軛を盾に脅しをかけたのではないか」
暫く沈黙を守っていた鞠智彦も加勢した。
「どうなのだ」
静かだが有無を言わさぬ口調だった。観念した夕星はゆっくりと答えた。
「風読は、葦原中つ国に唯一人しかいられない。子を産むと同時に、私は息絶える」
平静を保っていた鞠智彦が、にわかに目を瞠った。阿蘇津彦が呟く。
「なるほど。誰かと娶せると脅されたか」
「そういうわけでは――私が事切れれば次の風読が産まれるけれど、赤子から風読を聞くことは叶わないから」
「それもそうだな」
納得した様子で、阿蘇津彦は頷いた。
夕星は唇を噛んだ。智鋪では風読を産む役目から逃れられたが、ここでは大王のような庇護者はいない。影の役割のように、夕星を生かしておく理由もない。
「まあ良い。いずれ考える。――あとひとつ訊きたい」
鞠智彦を一瞥した阿蘇津彦が言った。
「こやつの腕は智鋪の武人に斬られて二度と動かなくなった。そのときの相手は高良彦でも、鳥船とやらでもなかった。鞠智彦を斬った武人について、聞いたことはないか」
夕星はかぶりを振った。鞠智彦が負傷したことすら今日知ったのだ。
阿蘇津彦は考え込むように目を細めた後、質問を変えた。
「その者は偉丈夫とは言えない体躯だった。みずらは結っておらず、髪は一つに括っていた。色白で、女のような涼しげな顔立ちをしていたという」
そんな武人は葉隠でしかありえない。愕然としたのを押し隠し、もう一度首を振った。
「憶えがない」
不服そうに鞠智彦が息をついた。だが何も言わなかった。
「ならば仕方ないが。聞いたところで、何ができるわけでもないしな。――七滝」
阿蘇津彦は、夕星の背後に控えていた近衛に目配せした。男の足音が近づいてきたかと思うと、肩を掴んで立ち上がらされた。
「しばらく待っていろ。逃げようとしたら、どうなるかわかっているな」
返す言葉を持たないまま、夕星はふたたび引きずられるようにして広間を辞した。
牢の湿った土間にうずくまって、ひと晩を過ごした。身体を横たえる広さはあったが、床を這う虫が気味悪く、土壁に背をもたれているほうがいくらかましだった。月のない夜なので、葉隠が助けに来ることはできない。
殺されないために出せる手札は出し切ったから、気を強く持って待たなければ、と思う。だが実際は、誰かと娶せられるかもしれないという恐れが絶えることはなかった。
それを振り払うようにかぶりを振って、夕星は闇に囁いた。
「葉隠」
は、と夕星にだけ聞こえるよう彼が答えた。抱えた両膝に顎を載せたまま問う。
「熊襲の渠帥者の腕を斬ったのか」
返答に窮した気配から、答えは是だとわかった。
「なぜだ?」
あの夜確かに、葉隠は夕星のもとを離れた。主命ではなく、彼が自らそうした。
「智鋪への挑発に、貴女様が使われたことが許せず」
返ってきた言葉は思いもかけなくて、夕星は思わず膝に顔を突っ伏した。氷のように冷徹と見えていた葉隠から、そんな答えを聞くとは。
わけもわからず悔しさが込み上げた。彼が抱いていた想いを早く知りたかったからなのか、挑発に彼が命を賭してしまったことへの苛立ちなのか、自分でもよくわからない。
葉隠が戸惑った気配がした。おもむろに顔を上げて、夕星は言った。
「ありがとう。でも、もう怒りに任せて渠帥者と切り結んだりするな。危険すぎる」
葉隠と心が通うことは、束の間恐れを忘れさせてくれた。だが、余計な考えなど持たないと見えていた彼にひとりの若者としての顔が見え始めると、自分たちの危うさに気づかされる。
「申し訳ありません。護りの本分をわきまえることができず」
夕星はかぶりを振った。
「そういうことではない。其方に無事でいてほしい。――無理をするな」
「護りの務めは果たします」
素直に諾と言わない彼に、夕星は苦笑した。
「務めがあるとないとに関わらず、そばにいてほしい」
彼の沈黙の意味するところを、夕星は知っていた。だから戸惑うことはなかった。




