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風待つ朔  作者: 丹寧
第二部 輝津霊 海神
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三 許婚

 知り合いは見つからなかった、と螺良に話すと、彼女は約束どおり夕星を木葉の里に迎えてくれた。幸い、木葉以外にも多数の里から人々が移動してきたばかりで球磨は慌ただしく、それほど目立たずに済んだ。


 移り住んだ者の中で大勢を占めたのは、阿蘇の都から来た人々だ。阿蘇津彦の指示に従って、都ごと球磨へ退避したのだという。木葉の人々が住む一角は阿蘇の者たちが移った土地と離れており、夕星はひそかに安堵した。阿蘇津彦や鞠智彦と遭遇せず、静かに暮らすことが叶いそうだ。


 螺良は兄の夏羽のもとへも夕星を連れて行った。朴訥そうな顔立ちの彼は、珍しそうに夕星を見たものの、何も言わなかった。それより、里人の暮らしを整える務めが忙しく気もそぞろだった。彼は螺良より十も年上で、すでに長を何年も努めているという。


 夏羽や螺良の住む館は、科戸の風読の館を思い出させた。大王の館の百分の一ほどの大きさだが、床は掘りくぼめた土間ではなく高床で、板を張ってあった。どこもかしこも清潔に保たれており、居心地がいい。夏羽と螺良の間に何人かいた兄姉は若くして亡くなったり、嫁いだりして里を去り、いまは二人と年老いた母、それに下働きたちが暮らしていた。


 螺良は夕星に、侍女になってほしいと言った。


「一昨日お産をしたのが、私の侍女だったのだ。しばらく休ませる間、代わって其方に務めてもらいたい」


 里の者たちを訪ねて回り、館に戻る道すがら螺良は言った。


「ありがとうございます。何とお礼を言ったらよいか」

「良いのだ。重いお産だったのもあって、しばらくは充分に養生させてやりたくてな」


 聞けば螺良は小さな頃から、里の女のお産にほとんど立ち会っているらしい。何度も見るうちに大体の段取りをできるようになったという。


「命を賭して命を産むというのは凄まじい。首尾よくいかないときもある。それでも産屋に向かわずにいられない」


 言い方から、無事に終わるお産だけでなく、死産や、母の助からないお産も見てきたことが窺えた。何と言っていいかわからなかった夕星は、螺良自身のことに水を向けた。


「いつか螺良様が赤子を授かるときも安心ですね」

「うん。元気な子を産みたいな」


 希望に満ちた螺良の横顔を見て、夕星は胸の痛みを覚えた。お産に明るい思いを託す人を、初めて目の当たりにした。郷里や智鋪では、夕星の前でこの話題は避けられていたからだ。


「それに私は、どうしても(おのこ)を産まねばならない。夫婦となる相手が相手だから」


 どうやら許婚が決まっているらしい。


「どなたが(つま)になられるのです?」

「渠帥者の鞠智彦様だ」


 今度こそは驚きが顔に出たかもしれない。幸い、乙女らしい憧れを滲ませながら語る螺良に、気づいた様子はなかった。


「渠帥者の館へは、木葉から出仕している者もいる。里が大変なときだから大きな声では言えないが、今年迎える祝言が楽しみなのだ」


 夕星は何とか微笑を返した。


「私が渠帥者の館へ行っても、其方の働き口はここにある。兄上や母上に言っておくから心配するな」

「私のことなど――どうか祝言のことだけ考えていらしてください」


 螺良のように頼もしい人が、今後を慮ってくれることがありがたかった。そして渠帥者は、そんな螺良が慕ったり憧れたりする存在らしい。


「とは言ってもな。兄様はしばらく、木葉とここを行き来しながら、里の行く末を考えなければならないし」

「木葉に、遠からず戻られるのですか」


 木葉から球磨への道は、ところによっては足が沈むほど灰が積もっていた。木葉が今どうなっているかはわからないが、間を置かずして戻れるものなのだろうか。


「できれば、な。里を奪われた者すべてを、球磨で抱えきれるとは限らないから」


 夕星は頷いた。まだ熊襲に来て十日も経っていないが、これまで見た限り土地が豊かと言い難いのは察していた。もともと平地に乏しく、田畑にできる場所が少ないのだ。


「もう木葉に灰が注がないなら、春には戻ったほうが良い。智鋪との国境に近いから、熊襲としてはそういう意味でも離れたくない土地だし。ただ、灰をかぶった土が元のように実りをもたらせるかは別の話だ」


 螺良は静かに言った。来るべき婚礼に思いを馳せつつも、郷里への憂いが滲んでいる。


「其方に助けてもらったぶん、其方のお産は私が助けたかったのだが」


 不意に話がお産のことに戻って、夕星はわずかに緊張した。


「私は臆病者ですから。母が私を産んで亡くなったので」

「お産が嫌なのか?」

「恐れているのは確かです」


 苦笑しながらも胸が苦しかった。許婚への憧れを隠さず、彼の子をもうけたいと率直に口にする螺良は、死を恐れなかった自分を思い出させる。


「静かに暮らせたら、私にはそれが一番でございます」


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