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風待つ朔  作者: 丹寧
第一部 風読 月夜見
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二十二 警告

 日没後に夕星は、寝所の庭で葉隠と話した。御笠へ呼び戻される理由がわからないことについて、葉隠も解せない思いを抱いているようだった。


「熊襲の呪いが解けたのでしょうか」

「わからない。出雲のことで進展があったと思いたいが」


 御笠から報せが来たのは、今回を除けば一度だけだ。いっこうに沙汰のない出雲に、二度目の使者を送るという簡潔な報せだった。値嘉洲や八女に呼び出されたときは、かならず用件が知らされていた。


「御笠に戻らなければならないほどの進展なら、そう知らされるのでは。あまり期待はなさらないほうが」

「わかっている」


 何度目かに息をついたとき、横あいから声がかかった。


「誰と話しているの?」


 ぎょっとして振り返ると、多岐都が外廊に立ってこちらを見ていた。夜着をつけ、髪を解いた姿で首を傾げている。


「誰とも」


 しれっと嘘をついたものの、多岐都は納得しなかった。庭に降り、そばまでやって来てあたりを見回したが、当然誰もいない。


「相手がいたの? 私としたことが、貴女にそんな色恋(わけ)があったとは気づかなかったわ」


 夕星は苦笑し、かぶりを振った。葉隠の存在は、多岐都にも明かしていない。


「本当に誰もいない。どうやって逃げたの」

「誰もいなかったよ」


 否定しながら、夕星は思わず笑った。伊都に来たころ、多岐都の強気な口調に気圧されることもあったのが噓のようだ。その多岐都とも、間もなくこうして話せなくなる。


「多岐都こそどうしたんだ」

「話したいことがあったの。逢引を邪魔して悪いけど、いいかしら」


 にわかに真剣な顔をした多岐都に、夕星は頷いた。長い話になるからと言われ、高床の廊下のふちに腰を下ろす。すると、唐突に尋ねられた。


「馬に乗るのが得意だったわね。大王の館の厩の場所がわかる? 慣れていない馬でも乗りこなせる?」

 夕星は驚きつつ答えた。


「厩はわかるし、よほどの暴れ馬でなければ乗れる。馬の気性に合った乗り方をすればいいだけだ」


 大抵の武人に負けないほど、夕星は馬の扱いが巧かった。出先を一人でうろうろできたのも、馬乗りが達者だったからだ。夕星のみならず、すべての風読に脈々と受け継がれてきた技だった。


「そう。逃げる手立てがあれば、何とかなるかもしれない」


 多岐都の言葉に穏やかならぬものを感じ、夕星は表情を陰らせた。


「日向大王と高良彦から逃げるなら、熊襲へ向かうのが良いと思う。風読を殺すほど、鞠智彦も阿蘇津彦もきっと愚かじゃないわ」


 遠くから、騒めくような海鳴りが聞こえる。呆気に取られてから我に返るまで、何回か波が寄せては返すのを聞いた。


「――どういうことだ」

「熊襲の呪いが解けたとか、出雲から便りがあったとかなら、そのまま御笠にいればいい。でも何も明かさないまま呼び戻されるのは、良くないことのような気がするの」


 まさに葉隠や夕星が懸念していたことを、多岐都は口にした。


「たとえ誰かと娶せられることになったとしても、暫くは生きていられる。でも、そうじゃなかったら」

「すぐに殺められると言いたいのか」


 多岐都のことだから、何か理由があって言っているのだろう。だが、どこぞへ嫁がされるより悪い事態が、夕星には思いつかなかった。


 一拍の間を置いて、多岐都は言った。


「叔母様のようになるかもしれない」


 夕星は眉を顰めた。


「叔母君は、大王の館で殺められたと言うのか」

「わからない。(むくろ)は誰も見ていないから」


 初めて聞く話だった。死んだ者の遺骸は埋葬の前、身体が朽ち始めるまで(もがり)に付される。身像の人々が都へ着く前に、殯が終わってしまうことは考えにくい。


「身像の者が御笠に行っても、(はぶ)りはこちらで終えたとの一点張りだった。急に臥せって亡くなったと聞かされたけれど、私たちは信じていない」


 多岐都の口調は落ち着いていて、出まかせや言いがかりのようには聞こえなかった。


「ならば、いったい――」


 先を聞くべきではない――聞きたくない気がした。今までに見た智鋪国の姿が失われてしまう。大王たちの見え方が、取り返しのつかないほど変わってしまう。


「日向大王の依代(よりしろ)になったと思う。大王の魂は今、叔母様の身体に入っている」


 依代とは、魂の器のことだ。


 にわかには信じがたい話だった。日向大王として向き合った姿は、多岐都の叔母だったというのか。考えや言葉は大王のものであっても。


 葉隠が緊張した気配がした。


「あの時死んだのは日向大王の身体で、叔母は依代に取られた。随分前から、大王に会えるのは高良彦と巫女長だけだった。身体が取り替えられたとしても、誰にもわからない」


 大王がほとんど誰にも会わないわけが、これで説明できるということだ。


 謁見を他言せぬよう厳命されたこと、饗の祭りにすら出てこないことを、不思議に思わなかったわけではない。日向にいた頃は、人前に出ていたとも聞いた。自身の身体で生きていた時は姿を見せていたと考えれば辻褄が合う。


 多岐都は続けて言った。


「以来、身像は金輪際、人質を御笠へは送らないと言った。それで揉めたすえに、姉様と私は御笠でなく伊都へ出仕した」


 ずっと疑問だった。多岐都は智鋪の人質であって伊都の人質ではないのに、なぜここへ来たのだろう、と。御笠への出仕を何とか避けようとした結果の、妥協の産物だったのだ。


 身像から取れなくなった依代が、また必要になったとしたら。わずらわしいことなしに依代を取りたいとしたら。身寄りがなく、智鋪が生殺与奪を握れる夕星は、誰より適任だろう。


「熊襲もきっと、国の営みの力になる貴女を取り立てる。そうなれば、少なくとも生きることはできる。――もちろん、そんなに上手くは行かないかもしれないけれど」


 夕星は頷いた。すぐに殺されることはないかもしれない。けれど、死なない程度に生かして牢に入れるとか、子どもを産ませて死なせることはできる。


「本当は、身像に逃げてくればいいと言いたいところだけど」


 多岐都が淋しそうな面持ちをしたので、夕星はかぶりを振った。


「多岐都や身像に迷惑がかかることはしない」


 身像に夕星が逃げた瞬間から、多岐都の命は危うくなるだろう。そういうときのための人質なのだ。


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