第六話 砂丘
「うーん、道こっちで合ってるのかな? 絶対違う気がするんだけど……」
ぶつぶつ言いながら地図と睨めっこするジェーン。この光景にも慣れたものだ、とエリスは思った。
故郷を出て旅をするエリスとジェーンは、旅の途中で出会ったイディナと共に神の国を目指している。
「あのー、疑問なんでやんすが」
恐る恐るイディナがエリスの顔を覗き込んだ。
「何?」
「お二人はこの世界を旅してるんでやんすよね?」
「そうだけど」
「乗り物とか無いんでやんすか? 歩きじゃこの世界回りきる前に死んじゃうでやんすよ」
食の国を出発した三人が今歩いているのは砂漠だった。終わりの見えない砂丘の上り下りには、草木の一つも見当たらない。
ザク、ザク、と砂を踏む音が響く。
「確かに、乗り物あると便利だよね」
「便利っつか、必須でやんすよ!? こんな砂漠徒歩で越えられるわけないでしょ!」
「しょうがないでしょ、地図には砂漠があるなんて描いてなかったんだから」
騒ぐイディナに苛立ちながらも、その発言には一理あるとエリスは同意した。乗り物なしでこの砂地獄を越えるのは厳しい。直射日光は容赦なく照りつける。汗は出るし喉は渇くし、このままでは砂漠の中で干からびてしまう。
「食の国で馬かなんか盗んでくればよかったな」
「それ犯罪でやんすよ」
すかさず突っ込むイディナに、エリスは指をさした。
「イディナ、お前が言うな。僕の背中を刺したお前に犯罪を指摘する資格はない」
「な、それはもう謝ったでやんすよね! 終わったことを蒸し返すのはなしでやんす!」
「いや、よくよく考えたら刺殺未遂は謝罪でチャラにならない。僕は死ぬまで引きずるぞ。嫌なら一刻も早くこのパーティーの役に立てるよう精進するんだな」
「ぐぬぬ……」
「あ、乗り物」
ジェーンの声に、二人は言い合うのをやめた。確かに向こうから何かが走ってくる。
「あれ、車だ」
それは自動車だった。光沢の目立つ青色の自動車が砂煙を上げて跳ねながら、こちらへ向かって爆走してくる。
「あれに乗せてもらおうか」
「うーん、でもあの車、私達がこれから行こうとしてるとこから来てるのよ。Uターンしてくださいとは言えないでしょさすがに」
「それもそうか」
走る車を三人は呆然と見ていた。
車は三人の前で急に停まった。砂が思い切り顔にかかる。
ウィーンという機械音と共に窓が開き、運転席から一人の男が顔を出した。自分達の数倍は歳をとってそうな老人だ。
「珍しいね。旅人かい?」
老人は言った。老人はグレーのニットに黒いシルクハットという格好で、シルクハットからは白髪がはみ出ている。口は口ひげに沿って左右対称に曲がっていて、優しそうな瞳と合わさって常に微笑んでいるように見えた。品の良さそうな雰囲気がそこにはあった。
「そうです。あなたは?」
「俺はバート。あっちにある国から逃げてきたんだ。命の国って言うんだけど」
ジェーンは険しい顔で地図を睨んだ。
「あっちが命の国? もう、全然当てになんないじゃないこれ!」
地図上では、あの方角に命の国とやらが存在するのはおかしいのだろう。
「僕達は神の国に行きたいんです」
「ふーん、聞いたことないな。あっち行きたいなら送ってやるけど?」
バートの提案はエリスにとって願ってもないことだった。エリスはジェーンに視線を送った。ジェーンも嬉しそうな顔をしている。
「神の国がどこにあるか分からないし、命の国ってところに立ち寄ってみるのも悪くないかもね。神の国へのヒントが得られるかもしれないし」
エリスはバートに礼を述べた。
「ありがとうございます。でも、いいんですか? あなた、今あっちから来ましたよね」
「うん。まあでも僕は急いでないし。国を出た時点で目的は達成されたからね」
三人はバートの車に乗り込んだ。助手席にエリスが、後ろにジェーンとイディナが座る。
「僕は59なんだ。もうすぐ60になる」
車を走らせると、バートはそう話し出した。老人の歳は、エリスには予想の範囲内だった。歳相応の見た目をしている。
「そうは見えないでやんす!」
バートはイディナの見え見えのお世辞に苦笑した。
「ありがとう。でも命の国において60歳になるってのは、いいことじゃないんだ」
「どういうことですか?」
「命の国では、生産性のない人間は殺されるんだ。60歳になった人間も生産性無しとみなされて殺される」
「そんな……」
「まあ、小さな国だからね。資源もないし。要らない人間は処分しないと回らないんだよ。若者のために老人は潔く退場する。僕が若いときも老人はそうしていったんだ。僕の番が来たら僕もそうしないといけない。それがこの国のルールなんだから」
またルールか、とエリスは溜め息をついた。平和な世界の秩序を保つために強要される犠牲。どの国もそうやって外面を整えてきたのだろう。
「そう思ってたんだけどね、ある出来事が運命を変えたんだ」
「何かあったんですか?」
「すごい地震が起こったのさ。真夜中だったけど、あまりの揺れに目が覚めたんだよ。飛び起きて外に出たらビックリさ。建物は大半が瓦礫になってた。その上、この国を囲む壁が崩壊してたんだ」
神が殺されたことで起きた天変地異だ、とエリスはすぐに理解した。
「今まで生きてきて、あの壁が崩れてるとこなんて初めて見たんだ。チャンスだと思った。ここを逃げれば、僕はまだ生きることができる。この機を逃せば、僕は残り数日で死ぬ命。……気付いたら、僕は車を出して国を出てた」
ヒッヒッヒ、とバートは笑った。
「何の計画も無しに飛び出して、どうなるかと思ったけど意外となんとかなりそうだよ。人生大事なのは冒険と勇気!」
視界を遮るものがない砂漠の中を、ガタガタ揺れながら車は進む。
「うおっ! なんじゃありゃ!?」
後部座席のジェーンが叫んだ。エリスが振り返ると、砂漠から大きなミミズが何匹も顔を出していた。
いや、あれが顔なのか、それとも尻尾なのか分からない。目も鼻もついてないピンク色のうねうねと動く身体に、エリスは気持ち悪さを覚えた。
ミミズは楽に車を叩き潰せるほどの大きさで、全長は森で遭遇したゴブリンよりもあるだろう。
「じいさん、あれを倒したいから一旦車を停めてもらえないか」
エリスは老人に頼んだが、老人は「それはできないな」と一蹴した。
「楽しいドライブのコツはね、車を停めたいとき以外は決して車を停めないことさ。走りたいときはスピードを落とさず走る」
車のスピードが上がる。エリスは遠ざかるミミズに目をやった。ミミズは目はなくともこちらを認識しているようで、動きを止めて車をじっと見つめていた。
まあ、振り切れるならそれでいいか……?
「前! 前いるでやんす!」
イディナが前方を指さす。そこにはミミズの群れが蠢いていた。さっき見た光景だ。
「前にもいる!? なんで!?」
そうか、地中を通ってきたのか。地中を進むミミズには砂丘の高低差なんて関係ないから、先回りできるわけだ。
「絶対に僕達を砂漠から出したくないみたいだな。倒す以外なさそうだ」
しかし車が止まらないんじゃこちらから攻撃する手段はほとんどない。どうすれば……。
エリスが考え込んでいると、イディナが窓を開けた。
「ここは私に任せてほしいでやんす」
イディナは窓から身体を乗り出し、そのまま車の屋根に乗った。動いてる車の上であんな身軽に動けるとは。
森で会ったときにも思ったが、まるで猿みたいだ。
「器用だな」
エリスがぽろっと言葉を漏らした。しかし車上に出たはいいが、この先イディナはどう戦うつもりなのだろうか。助手席からでは上の様子が分からないのがもどかしい。
「この車サンルーフついてるから、上見れるよ。後部座席に取手あるでしょ?」
エリスの気持ちを察したように、老人が説明した。ジェーンが取手を見つけてぐっと押す。
ガラスのサンルーフが現れ、イディナの姿が見えた。
「え、下ガラスになってるんでやんすか!? ちょ、パンツ見える!」
イディナの危惧通り、こちらからは純白のパンツが丸見えだ。少し日に焼けたイディナの太ももと、その先にある綿のショーツ。ショーツは少し透けていて、目を凝らせばその奥が見えそうだ。
「絶景だな」
バートが嬉しそうに言った。エリスは同意しようとしたが、後部座席のジェーンが自分を睨んでいることに気付いて咳払いした。
「もう! さっさと終わらせるでやんすよ!」
イディナがポケットからナイフを取り出した。バートが声を上げる。
「おや、あれは僕のナイフじゃないか」
「あなたの?」
「りんご剥くときに使うんだ」
後部座席に置いてあったナイフか。しかし小さな果物ナイフで巨大ミミズとどう戦うつもりだ……?
イディナは片手でナイフを持つ。対するミミズは尻尾を振り上げ、車目掛けて振り下ろそうとしていた。
イディナはナイフをすっと投げた。
ひゅっ。さくっ。
ナイフは難なくミミズに刺さる。ミミズの尻尾が横に倒れる。
ミミズが倒れた隙間を、車がするすると進んでいく。
「なんであんな小さなナイフで……」
バートが不思議そうに呟く。
確かに、ナイフ自体が与えたダメージはほとんどない。しかしイディナが投げたナイフには勢いがあった。あのミミズはただ、勢いのついた攻撃を受けて倒れただけだ。イディナは揺れる車上で、それだけのスピードをナイフにつけたのだ。
エリスは感心した。もしかして自分はかなりの戦力を仲間にしたのかもしれない。
「上手くいったでやんすね」
イディナが後部座席に戻ると、ジェーンが彼女に抱きついた。
「すごいよイディナ! あんなのどうやって身につけたの?」
「子供のときから石投げて木の実とったりしてたでやんすから、こんなのは朝飯前でやんす」
イディナは平然と答えた。
「エリスさん、私このパーティーの役に立ったでやんすよ」
「ああ。上出来だ」
「これでエリスさんを刺した件はチャラでやんすよね」
「いや、それはまだだな」
「えー!?」
「よし、このまま進むぞ!」
バートがアクセルを踏む。車は砂丘を飛び越える。大きく揺れる車内で、エリスは頭をドアにぶつけた。
「いだっ」
「ふーっ! 楽しーい!」
品の良さそうなバートは何処へやら、老人はハイになっている。ミミズという障害物が取り除かれ、好きに運転できる高揚感がバートのタガを外したのだろう。
エリスは危険運転に文句の一つも言いたくなったが、車に乗せてもらっている身であることを思い出して控えた。
バートと会った頃にはまだ辺りは明るかったが、砂漠を抜けた頃にはすっかり暗くなっていた。
「この先が命の国だ。この先を真っ直ぐ行けば辿り着くから。脱走者の僕は国の人間に見つかるとまずいから、これ以上は近付けない。申し訳ないけど、ここまでだ」
「いえ、とても助かりました。ありがとうございます」
三人は車を降りて、バートと別れた。
バートの言う通り、真っ直ぐ進むと国が見えてきた。
「あれが、命の国でやんすか」
無数の煙突が外から見える。煙突は絶えず黒い煙を吐いていた。心なしか悪臭も漂っている。
「ヤバいって……絶対ヤバい国じゃん」
黒い煙を見てジェーンが呟く。
「まあ、あの人の話を聞く限りヤバいのは本当だろうが……ここまで来て引き返すわけにもいかない」
エリスは命の国に向かって進む。二人はその後をついていった。