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第五話 祭壇

 刺された。背中が熱い。嫌な汗がエリスの全身から噴き出る。


「ごめんでやんす……でもこうするしかないんでやんす……ジェーンを生け贄にしないと、お父さんが生け贄なるでやんす……」


 イディナのうわ言のような言葉がエリスの耳に流れ込んでくる。

 エリスは後ろを振り返り、イディナの手を叩いて刃物を落とした。その刃物を遠くへ蹴り飛ばす。それがエリスにできた咄嗟の措置だった。

 エリスは倒れた。冷たい床が頬に触れる。じわじわと血溜まりが広がる。

 エリスの視界からウージーとイディナが遠ざかる。抱えられたジェーンも祭壇へ運ばれる。

 エリスは追いかけたかったが、身体が動かなかった。

 意識が朦朧とする。目の前に死が迫ってくるのが分かる。

 ここで死んだら、ジェーンは助からない。分かっているが、動かない。

 動け! 動けよ身体!

 なんてザマだ。一度不意打ちで殴られたというのに、その失敗が全く活かせてない。全く同じやられ方をするなんて。実践経験の無さが悔やまれる。

 エリスは自らを嘲笑しながら、死を受け入れようとしていた。


「あーあー、どうして挑んじゃうかな」


 突然、声が聞こえた。女の声だ。何やら心地よい匂いもしてくる。しかしエリスからは、その姿が見えない。


「もう少し待ってくれたら、僕が間に合ったのに」


 匂いを嗅いでいると、段々エリスの意識が明瞭になってきた。背中の痛みもすっかり引いている。


「だ……れだ」

「僕? 僕は香の女神ギャレット。創造主を殺した神の一柱さ」


 いつのまにか、エリスの前におっとりとした顔の女が現れていた。

 創造主を殺した? 目の前の、こいつが?


「うん。人間と話すときはやはり、人間の姿になった方がいいな。その方が会話がスムーズに進む」

「本当に神様……なのか?」

「その通り。君は僕達を討伐してこの世界に平和を取り戻そうとしてるんだよね? 創造主を殺した僕達を」

「……ああ」


 聞きたいことはたくさんあったが、エリスにそんな余力はなかった。ギャレットはそんなエリスの状態を察したようで、話を変えた。


「まあ、その話はいいや。今君がやりたいことはそれじゃないしな。今君がやりたいのは、君のツレを奪い去って食べ物にしようとしてる悪党をぶちのめしたい! そうだろ?」


 ギャレットは宙に向かってパンチを繰り出した。


「……ああ。でも、負けた」

「見れば分かるさそれくらい。君は強いけど、圧倒的に強いわけではない。君より強い人間はこの世界にザラにいる。しかも今回の敵には食の女神トリンカウスがいる。人間に勝ち目はない」

「みたいだな」


 ギャレットは露骨に嫌そうな顔をした。


「でもそれじゃ面白くない。僕は君に勝ってほしいんだよ。だから僕が今から、君を神にする」

「は?」


 ギャレットは白い紙を取り出した。それを破って、できた紙片をエリスの額にあてる。


「人間の君にさよならだ。といっても、外見は変わらないんだけど」


 紙片が眩い光を放つ。紙片が溶けて、エリスと一体化する。

 頭が割れるように痛み出した。


「ぐあああああああああ!!!」

「それは創造主の遺書だ。神の力が宿っている。人間が神の力を取り込むには信じられない苦痛が伴うらしいけど、まあ強くなれるなら問題ないよね」


 あまりの痛みにエリスは絶叫した。痛みは数十秒続いたが、エリスには永遠に思えた。

 痛みは突然引いた。嘘のように身体が軽くなり、エリスは立ち上がった。背中から流れていた血も、いつのまにか止まっていた。


「お、終わったみたいだね。君は今、神の力をその身に宿した。要するに、それを取り込んだ君は神格化されたってこと。君はもう人間じゃなくて神! 覚えててね」


 エリスに力が漲ってくる。不安と絶望が霧が晴れて消えるようになくなり、全能感がとめどなく溢れてくる。今なら何でもできる気がする。どんな敵も打ち破れる気がする。


「人間のときとは違うだろ?」


 ギャレットはニヤニヤ笑いながら聞いてきた。


「……どうして、助けてくれたんだ」

「言っただろ? 君が負けるのを見るのは面白くないんだ。力を貸したんだから、期待にはバッチリ応えてくれよ。じゃあね!」


 ギャレットはひらひらと手を振ると、煙になって消えた。

 エリスは剣を握り、祭壇へと走り出した。

 一本道を暫く走ると、祭壇に辿り着いた。不自然なほど白い台の上に、今まさにジェーンが乗せられようとしているところだ。

 エリスはジェーンに触れているウージーに斬撃を飛ばした。ウージーは飛んで攻撃を躱し、ジェーンから手を離す。ジェーンは床をゴロゴロと転がった。まだ目は覚めていないようだ。


「しぶといな。まだ生きていたか」


 鬱陶しそうにウージーは言った。


「どうも、運命が僕を生かそうとしているみたいだ」


 実際、そうとしか思えなかった。本来ならイディナに刺された時点で死んでいたはずだが、神を名乗る何者かに生かされた。

 ウージーは哄笑した。


「そうか、運命が君を生かそうとしているのか」

「笑ってられるのも今のうちだぜ」


 エリスは剣を構えた。

 勝負は一瞬だった。

 トン。

 エリスが軽く地面を蹴る音が聞こえた次の瞬間、ウージーの身体に斬撃が入った。

 エリスの動きを捉えた者は誰もいなかった。


「ぐはっ!」


 血を噴き出し、ウージーは目を開いたまま倒れた。

 エリスは自分の手を見つめる。恐ろしく身体が軽い。敵の動きが止まって見える。


「これが神の力か……」


 エリスから笑みが漏れた。笑わずにはいられなかった。圧倒的な強さを手にした今の自分に敵はいないという確信が、エリスを支配していた。

 エリスがイディナに目をやると、イディナは持っていた刃物を落とした。カラン、と音が鳴る。


「わ、私も殺すんでやんすか?」

「邪魔するならな。僕の目的はジェーンを取り戻すことだけだ。そこで大人しくしてるなら見逃してやるよ」


 エリスはすたすたとジェーンのもとまで歩き、彼女の無事を確認する。


「そ、そんなことをしたら私のお父さんが代わりに生け贄になるんでやんす!」

「そうはならない。この国の神を今から殺すからな」


 ゴゴゴゴゴ、と地響きがする。今自分達がいるのは時計台の地下だ。時計台そのものが女神だという話だったから、ここでの会話と自分の殺意はだだ漏れだろう。

 エリスは深く息を吐いた。殺意を隠す気は元よりない。ここで決着だ。

 エリスは上空に向かって剣を振る。

 ブンッ!

 地下の天井が裂けた。


「……駄目か」


 攻撃は入るが、ダメージになってない。裂けた天井はすぐに元通りに戻ってゆく。

 元通りになった天井と壁が蠢き出した。エリス達のいる空間が狭くなっていく。


「うわー! 天井と床がくっついてペチャンコになるでやんす!」


 エリスは壁を触った。ブニブニとした感触で、生き物の内臓のようだ。


「ど、どうするんでやんすか!?」

「ちょっと黙ってろ」


 まずは外に出る方法を探すべきだ。敵の体内にいた状態ではろくに戦えない。


「……祭壇」


 エリスは呟いた。食の女神トリンカウスは、自分から生け贄のもとへ動かない。人間に生け贄を祭壇まで運ばせている。

 動かないのではなく、動けないのだとしたら? 

 エリスは白い台に目をやった。

 女神が動けないのだとしたら、その理由は祭壇ではないか。あの祭壇は、時計台の地下から動かせないのだ。祭壇が動かせない理由は、強力な魔法に課された条件と考えれば、説明がつく。

 魔法には条件がある。火力の上限、適用範囲、効果の持続時間など、その条件は魔法によってさまざまだ。

 人間を食べ物に変える魔法は強い。発動する場所に制約があっても不思議ではない。

 女神は時計台として、動かせない祭壇を守っている。それなら、あの祭壇が女神の核である可能性はある。あれを壊せばなんとかなるかもしれない。


「ひっ、し、死ぬ……」


 天井が随分下に下がり、窮屈そうにイディナは言った。エリスは祭壇まで走り、祭壇を斬った。

 ギギイン!


「硬い」


 白い台は傷一つつかない。エリスは確信した。

 やはりこれが核だ。斬られたら困るから硬くしてある。

 エリスは力を入れて、思い切り祭壇を斬った。今度の攻撃は成功し、祭壇が粉々に砕ける。


「ギャアアアアアアアア!!」


 猛獣のような鳴き声が聞こえる。それは、トリンカウスにダメージが入ったことを意味した。エリスの目論見は当たった。

 天井と壁と床がボコボコと音を立てながら、形を変える。沸騰した水のように一部分が膨らんでは破裂する。


「うわ! なっ、何?」


 やがて亀裂がどこからか入った。それはピキピキ、と床から天井へムカデが這うように広がる。

 亀裂からうっすらと光が漏れ始める。その光量は次第に大きくなる。

 光があまりに眩しくて、エリスとイディナは目を閉じた。


「ここは……」


 エリスが目を開けたとき、そこは時計台の外だった。時計台があった場所に、エリスとジェーンとイディナがいた。

 時計台は跡形もなく消えていた。まるで、最初からそんなものは存在しなかったかのように。


「外に出れたか」


 エリスは大の字に寝転がった。さすがに疲れた。大きく息を吐く。


「あ、あの……」


 イディナがエリスに頭を下げた。


「お二人を騙したこと、本当に申し訳ないでやんす」

「ああ……まあ、無事だったしいいや。お父さんを守るためなんだろ? 僕が責められることじゃない」

「でも……」

「それより、こいつは目を覚ますのか?」


 エリスがジェーンの顔を指で弾いた。凄まじい戦闘の最中にいたというのに、ジェーンはすやすやと眠ったまま目を覚ます素振りがない。


「飲み物に入れたのはただの睡眠薬でやんすから、時間が経てば起きるでやんす」

「そうか。なら、僕達はもうこの国を出るよ」


 エリスは起き上がり、ジェーンをおぶった。


「この国は、この世界は、これからどうなるんでやんすか?」

「さあ」


 エリスは首を傾げた。


「僕は余計なことをしたのかもな。この国の神を殺さなければ、この世界に飢えはなかったままだった。これからたくさん人が死ぬだろう。わずかな食糧を求めて、人間同士が争う。その未来を、僕が選択した」


 ジェーンをおぶったエリスは、歩き出した。

 食の国の門を出ると、イディナが走って追いかけてきた。


「どうした?」

「はあ、はあ、一緒に連れていってほしいでやんす!」

「一緒に? なんで?」


 イディナは息を整えると、叫んだ。


「お父さんは死にました!」


 エリスには、イディナの言葉が信じられなかった。


「そんなバカな。僕と話したとき至って元気そうだったぞ」

「……エリスさん、お父さんにこの国のことを教えてもらったんでやんすね。最後の力を振り絞って。使命を終えたみたいに、安らかな顔で倒れてたでやんす」

「……僕は、創造主を殺した者を討ち取るという使命を持って旅に出た。でもこの国でやったことは神殺しだ。僕がこの世界の秩序を壊し、討ち取られるべき者になった。今の僕には何の目的もない。旅を続けるべきかどうかさえ分からない。君のお父さんが僕に何を託したつもりかは知らないけど、買いかぶりだよ」


 ジェーンがエリスの頬をつまんだ。


「なんだ……起きてたのか」

「今起きた」


 ジェーンがもぞもぞと動き出したので、エリスはジェーンを下ろした。


「旅を続けよう! 神の国に行こう!」


 ジェーンは力強く言った。


「私達はまだこの世界のことを知らない。旅を続けて、この目で世界を見て、答えを出すのはそれからじゃない?」


 ジェーンは能天気に言った。

 こうして三人は、食の国を出た。

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