2-2ロムダーオ
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ロムは桟橋で借りていた車を返却し、数人の手を借りて船に荷物を積み込むとヘブン島へ帰った。
プーケットで預かった島民宛の荷物を配達したり、生鮮食品を島唯一のマーケットに預けたり、とにかく仕事は沢山ある。
やっと全ての仕事を終えて自宅に帰る頃には太陽は既に傾き、黄色くなっていた。
早く秘密の砂浜に行ってダーオをカオムーまで送り届けなければいけない。自宅用の食材を冷蔵庫に入れてから家を出ようとすると、鼻息を荒くしたガイがロムを引き止めた。
「ロム!ペンキは⁉」
息子の帰りに手を拱いて待っていたガイだ。一刻も早く作業に取り掛かりたいガイはロムをせっつく。
「…あ」
プーケットで起こった出来事がロムの脳内を占拠し、請負った仕事はなんとか責任感からこなしたが、父親の世迷言にも似た我儘までは頭が回らなかった。
「まさか忘れたのか?…まったくお前は仕様が無いやつめ。ローンに買ってきてもらおう」
ローンはロムの兄だ。
母に引き取られ、現在はプーケットで働いている。生活リズムが真逆なローンとロムはプーケットで会う事が殆ど無い。
ロムはこれ見よがしに溜息をつくガイの嫌味には構っていられなかった。セルフォンで電話をする父の声を遠くに聞きながら時計を見る。
針は午後四時を指していた。
「…あ、ローンか?お前、明日こっちに戻ってこい。ペンキを買ってきてくれ、色は…」
融通の利かない父に、電話口のローンは素っ頓狂な声を上げている。
ローンだって忙しい。
しかし父は他人の迷惑を考えない。そもそも他人を慮るような父親だったら、今頃は母とも仲睦まじく暮らしているだろう。
「…父さん、ダーオの所に行ってくる」
ロムはそれだけ言うと、電話中の父の返答を聴かずに家を出た。年季の入った原付バイクは海風のせいで所々錆がつく。海に囲まれた島の鉄製品は寿命が短い。
島唯一のアスファルトが敷かれた環状道路を下り、ロムはダーオが居るであろう砂浜までげ原付バイクを走らせた。
(ダーオはサーフィンをしているだろうか)
オンショアになりがちのこの島では、サーフィン客の集客も見込めない。
太陽は既に昼間の情熱を忘れ、疲れ果てた様に頭を傾げ始めていた。夕陽に向かって原付バイクを走らせるロムの顔が黄金に染まる。たなびく髪の毛が艶めく。眩しくて目が開けられないロムは薄眼のまま疾走した。走らせながら、いつもの砂浜で待つダーオを想う。
(…ダーオが待っているのは俺ではない…スカイだ)
そんな事は分かっている。ダーオの待ち人はロムではない。
常に誰かを待つ事を強いられたダーオの哀れな人生を想うロムは、むしゃくしゃする胸の内をなんとか秘密の砂浜に辿り着くまでに抑えなければいけないと自分に言い聞かせる。
こんな裏切りがあるだろうか。
ダーオに何の落ち度があっただろう。ただひたすら気丈に恋人を待つダーオは健気だ。そんなダーオに連絡の一つもせぬまま、女と街を歩くスカイの心境など考える余地もない。しかし…。
(…まだ、確定した訳じゃない…そうだ、まだ…)
何もスカイを庇い立てしたい訳ではない。ダーオの笑顔が曇ってしまう事がロムには耐えられないだけだ。
誓ってスカイを庇う気持ちは一つもない。
ロムの行動基準はダーオの笑顔、その一点である。
背の高い椰子の並木が見える場所まで来たロムは、どんな表情をダーオに向けたらいいのか考える。
思案する間にも原付バイクはダーオの元に進んでゆき、辿り着いた秘密の砂浜にダーオの背中を見つけたロムは胸が軋む。
(ダーオ…お前は今、どんな想いでこの海を見つめてる…?)
アンダマン海の夕陽は素晴らしい。
観光客は皆、「恋人の聖地」と言うフレーズに踊らされてプロンテップ岬に押し掛けるが、ヘブン島から見る夕陽こそがアンダマン海の至宝であるとロムは思う。
産業排水は海流に乗ってシンガポールへと流れゆく。淀まないヘブンの海はエメラルドの宝石にも似て、陽が落ちる寸前までその碧さを保つのだ。
この美しい海のどこかに、ダーオの父が居る。
「…ダーオ」
ロムはいつもの様に声を掛けた。
ダーオはロムの声を聴くや、ニコッと笑顔を向けた。白い歯が夕陽に照らされる。
ロムはその表情を見てしまうと、その笑顔を崩したくないと思ってしまう。もうダーオは一生分の苦しみを受けたのだ。これ以上の苦しみを与える執行人が自分であっていいのだろうか?ダーオの笑顔が曇ることが、ロムは何より辛い。
「おっつ、Nongロム。今日もオンショア」
何も知らないダーオに、これから伝える事実はロムの心を少なからず重くした。
「はぁ…この風にのって還ってきてくれたらいいのになぁ…。あ、煙草吸う?…なんだよ、今日は元気ねーな、お前」
ダーオはそう言って、砂浜に無造作に置かれた煙草の箱から一本を取り出すと、咥えて火を点けた。
ロムはいつも通りの声を出せた筈なのに、呆気なくその異変をダーオに見破られてしまう。
無口で無表情、実の父や旧友にすら異変を気付かれぬ分かりづらい人間という定評があるのに、ダーオには隠し立てができない。
「ほら」
ダーオから火の点いた煙草を渡されたロムは無言でそれを受け取る。二人の座る砂浜の足元にはさざ波が寄せていた。そろそろ満潮の時刻だ。
「…海に入ったのか?」
咥え煙草のロムがやっと口を開く。
ダーオの濡れた髪には雫が滴っていた。
「ついさっきまでな。でも満潮だし、手前だけ。離岸流も怖いし…。そこのタンクで水浴びしたあと、タオル忘れた事に気付いて呆然としてた。なぁ、お前タオル持ってない?」
面白おかしく状況説明をするダーオが屈託なく笑うので、ロムは胸が痛んだ。朗らかに笑うダーオの表情を凍り付かせるかもしれない。
死刑執行人はきっとこんな気分だ。
ロムはスカイを恨む。
「こんなに濡れてちゃ家にも帰れないしさ。母さんももう帰ってきてるし…」
ダーオの母はダーオが海に入る事をあまりよく思わない。海難事故にあった夫の件があるからだろう。事情が事情ゆえ仕方がない部分もある。何せ全身が濡れたまま歩いてほど近い実家に戻れない事情がダーオにはあった。
ダーオの父の海難事故は悲劇である。
ダーオの物語が父の葬式を終えて終劇であれば良かった。しかし現実は悲劇の同一線状に続いてゆく。それぞれがそれぞれの悼み方で父親の死を受け入れた。
あの当時、幼いダーオの心情を少しでも理解してくれる大人が居れば未来は何か違って居ただろうか?
ロムがダーオに寄り添う事も無かった?
そんな事は考えた所で詮なき事だ。
導かれた未来の先で、ダーオの笑顔を守る事こそがロムの使命だったのだ。
「…あぁ、しようがないやつだな…」
ロムは喉に閊える声をなんとか絞り出して相槌を打つと、その場から立ち上がり原付バイクに向かう。
座席下の収納スペースにタオルを入れてあったので、それでダーオを拭いてやろうと思った。
砂浜に戻ったロムは煙草を咥えながらダーオの髪の毛を拭ってやる。
「…後ろ向いとけ」
ロムはわしわしと無遠慮に拭うので、ダーオが抗議の声を上げた。一旦手を止めて煙草をもう一吸いし、もう既に半分にまで到達してしまう煙草をダーオに返した。
「…なぁ、ダーオ」
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