9-6
「…ロム?…ダーオの心に居るのは…」
ダーオの瞳に動揺の色が浮かぶ。けれど、もう隠し立ては出来ない。
「…ごめん…俺…ロムとセックス、した」
スカイはその言葉に驚きながらも、心のどこかで(やっぱり)と納得してしまう。ダーオの心にある時から誰かの影がちらつき始め、そしてその陰の正体は言わずもがなのロムであろう事くらい察していた。スカイは涙を溜めながら無理矢理笑顔を作って見せる。もう悟ってしまった。ダーオは戻って来てはくれない。本来あるべき場所に還って行ってしまう。
「…ねぇ、ダーオ…失ってから初めて気付く事ってあるんだね…。僕は大馬鹿だ…」
ダーオの浮気が原因ではない。スカイがミアと浮気をした、それが事の発端だ。
ではミアと浮気をしなければ?スカイはゲイに嫌悪感を示す父にダーオと二人で立ち向かっていただろうか。
(ダーオは島を愛している。きっと何よりも。…僕よりも)
島を開発し搾取する側の人間であるスカイと、島の自然を愛するダーオにはそもそも未来なんて無かったのかもしれない。ダーオの傍で寄り添える人間でなければダーオとの未来は望めない。ほんの数年前の事なのに、高校時代の自分達には根拠のない自信ばかりが先行して現実が見えていなかった。
(…あぁ…島の人間に産まれたかったなぁ…)
スカイは長い物に巻かれながら愚痴を吐きつつ一日を終えるこの島の人間を内心軽蔑していた。もしくは大した努力をする事も無く、与えられた環境に甘んじて藻掻く事をしないロムの様な怠惰な人間を軽蔑していた。けれど今、心底思う。
(お金なんて無くったって…この島の人間に産まれたかった…)
幼い頃から全てが揃う生活しか知らないスカイは今更その生活水準を落とせない。ダーオがプーケットに出てきてくれたなら、父を懐柔する策を二人で張り巡らせる事も出来ただろうか。
けれどダーオは島を愛している。誰よりも愛している。ダーオに島を出る選択肢は初めからない。ダーオを島から連れ出しても、島以上の贅沢をスカイは与えられない。
なぜならヘブン島にはもう既に全ての物が揃っている。
「なぁ、スカイ?…きっと、誰も悪くないんだ。お互い悪くない。お前はヘブンを出る。俺はヘブンに残る。…きっと、ただそれだけの話なんだよ…」
人生の選択の結果が生き様となる。二人の選択する未来は違っていた。ダーオに島を出ろと強要は出来ないし、スカイに家を棄てろと強要も出来ない。
お互いが選んだ未来に向かって進む。きっと、それが大人になるという事だ。
「…浮気してごめんなさい、ダーオ…」
スカイはやっと邪心なく、下心なく謝れた。
「…俺の方こそ…ごめん…」
お互いがお互いの感情を受け止め合った。何せ二人は二年も一緒に居た。
目を閉じるスカイの睫毛が涙にぬれる。ダーオはその雫を拭ってやりたいけれど、ぐっと堪える。もうスカイと一緒には歩いてやれない。
「…わかってるよ。お前の親のしがらみも、お前が抱えて来た苦しみもさ。…だから俺はお前を恨めない。俺にだって脛に傷がある。これはもう…何て言うのかな。仕方なかったんだ、きっと…」
お互いが求め合い、お互いが追い縋る恋なら結末は違っていた。傷つけあっても一緒にいる選択を二人が選べたならば…。どちらか片方だけが縋っても恋は元には戻らない。
「…もっと責めてよ、ダーオ…。なじって、恨んで、俺を憎しみでも良いからダーオの心に焼き付けてよ…。やっぱり思い出になんてして欲しくないよ…」
「ははっ…別れ話でも欲張りな奴。お前らしいよ…。俺だって責められるべきなのに…」
「ねぇ、ダーオ…。僕は自分の愚かな選択を生涯引き摺るよ…」
ダーオはその言葉に胸が痛む。スカイの未練を断ち切ってやるのがダーオの最後の仕事だ。スカイは前に進まねばならない。スカイを恋の亡霊にしてしまうのはダーオの本意ではない。
「…俺に罪悪感を与え続ける?」
ダーオはそっと優しく、それでも確かにスカイの心を離した。誰の為にもならない優しさは優しさではない。
(振られる方が辛いと思ってた。…けど、振る方もかなり辛いな…)
手放した時に痛む心を感じたくない余りに関係を有耶無耶にする人間がいる。けれどダーオはスカイの手を離したその痛みを胸に刻む。中途半端な行動はかつての二人の本気の恋を冒涜する行為だと思った。
(スカイが一人で歩けなかった責任の一端は俺にもある…)
スカイが自分を頼ってくれる事が嬉しかった。スカイの世話を焼く事は決してダーオにとって負担では無く喜びであった。けれどスカイを精神的に甘やかしてしまった結果、スカイの依存心を育ててしまった。
「…どんな手を使っても、もうダーオは戻って来てはくれないね…」
スカイは涙を流しながらもダーオの選択を漸く受け入れる事が出来た。
今日こそが二人の恋の終点だ。二人で紡いだ幸せな時間を、青春時代の多感な時期を共に歩めた奇跡を、スカイは感謝する。
(…ダーオで良かった)
これからは一人で歩かなければいけない。ダーオが最後に教えてくれた事だ。
二人は握手を交わして今度こそ別れを確かめ合う。
「…今日はもう船が無い。リゾートまで送っていってやるよ」
そう言ってダーオは笑った。人たらしの笑顔がスカイの心に刻まれて、胸が痛い。きっとスカイがこの恋を思い返す時、真っ先に浮かぶのはダーオの屈託ない笑顔だ。ダーオのウェーブがかった長い髪の毛が目にかかっている。それを人差し指で流すダーオの仕草をもう見られなくなるのかと思うと、スカイは離れがたい。
「…ダーオ、最後に我儘を言ってもいい?」
スカイの強かさにダーオは苦笑する。粘り強い交渉術でホントンの将来は安泰だ。…それだけでもダーオは安心できる。きっとスカイは大丈夫だ。
「…ふふっ、何だよ?」
「最後の最後、僕が眠るまで傍にいてよ…」
「…最後の最後な」
「…うん、最後の最後。これが、ほんとに最後…」
ベッドに横になるスカイの髪の毛をダーオは優しく撫でてやる。
二人はお互いの思い出を胸に抱き、この恋の終りの時を優しく共有し合った。かつてはこの人しか考えられないと想い合った二人は互いに抱擁を許し合う。時間は無情だ。取り巻く状況は二人を待ってはくれなかった。
けれど「別れ」を選択した結果、共に過ごした二年という時間が全て無駄だとは言いたくない。誰にも侵食されない二人だけの記憶。十代の多感な時期に共に歩んでくれた恋人。その全てが尊い記憶となってゆく。
「…ねぇ、ダーオ」
「…ん?」
「…本当に愛してた。…本当に」
スカイは最後に嘘を付く。「愛」を過去形にしてダーオを安心させた。スカイにはこれくらいしかダーオにしてやれる事が無い。
スカイの言葉にダーオは涙を滲ませる。けれど暗がりの中にその事実は暴かれない。終わってしまった恋だけれど、二人は確かに幸せだったのだ。
「…俺もだよ」
ダーオの言葉を最後に二人の会話は途切れてしまった。
愛の終りに漂う切ない時間の中で、ダーオはふとロムの言葉を思い出す。いつかの砂浜で言ってくれた言葉だ。
『…悲しみは分け合うと楽になる』
今更ながらダーオは実感が湧く。ロムはずっとダーオの悲しみを半分背負い、絶え間ない愛を惜しみなく与えてくれた。
悲しみに暮れる幼いスカイを放って置けなかったダーオの根源にあるのは、ロムの愛情であり優しさだった。
窓からの月灯りがスカイの瞼を照らし、星達がダーオを労う。
人は決して完璧ではないと知れた夜。二人が少し大人になった、そんな夜だった。
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