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「ダーオ!今日は人が少ないから母さん早めに家を出るからね!」
リビングにある階段の下で母が叫ぶ。
ダーオは「…はーい」とだけ返事をして、再度寝ようと枕を抱く。ふと慌ただしい気配を察したダーオは耳を澄ます。
(…ん?なんか既視感…)
母に挨拶をする声がスカイに似ていた。
慌てて起き上がったダーオが階段を滑り降りると、案の定そこにはスカイが居た。
母はスカイに合掌をして家を出る。去り際に、「ココナツがあるからお出しして!」とダーオに言いつけた。
ダーオは疑問符しかない。何故ここに?学校は?
「…どうした、こんな時間に…まだ朝も早いってのに…」
「ダーオ…ごめん…」
スカイの表情があまりに悲壮感漂う物だから、ダーオは質問をやめた。まずは恋人を落ち着かせてやらなければいけない。
ダーオは苦笑しながら冷蔵庫のココナツを取り出して捌き、ストローを刺してスカイに差し出しす。
「…汗が凄いな。まさか桟橋から走って来た?」
人たらしの笑顔をスカイに向けるダーオはどこか吹っ切れている様な表情だった。スカイはこの恋の終焉の予感に縋りつきたくなる。
昨日は利己的な自分を反省したばかりだ。ダーオを手放したくない。ダーオの褐色の美しい肌は滑らかで、笑うと零れる白い歯が愛おしかった。それらがもうスカイの物ではなくなってしまう。
追い縋ればダーオは戻って来るだろうか。嫌だと言っても掴み続けていれば、いつかは観念してくれるだろうか。
「…僕の、一番星…」
掠れた声で言うスカイは、罪悪感を瞳に湛えてダーオを見つめた。スカイが捨てられた犬の様な瞳をするとダーオはいつも抱き締めてくれたのだ。
けれど、もうそれも二人には遠い過去のものとなる。
「…もうやめよう、そんなのは…」
ダーオからの拒絶の言葉はスカイの理性を殺してしまうのに充分だった。優しい口調ではあったけれど、それは確かに拒絶だった。
「ダーオ…‼」
頼むから逃げないで欲しい。愛している。本当に愛している。一番に愛している。
スカイは心でそう叫びながらダーオの唇を奪おうとする。しかしダーオはスカイの手を振り払い、全力でその行為を拒否した。スカイはその悲しみの色を湛えたブルートパーズの瞳を揺らめかせる。
「…ダーオ…」
明確な拒否だった。スカイの心は張り裂けそうだ。自分が悪い。そんなのは分かっている。けれど理屈ではない。ダーオを失いたくない。
「…一番星なんだ、僕の…」
スカイが瞳いっぱいに涙を溜める。海の色を借りた採光から流れる潮の味を、ダーオはもう舐めてはやれない。
「なぁ、スカイ…。お互いがお互いだけを想い合える時間は終わったんだと思う…。ヘブンを出たお前は現実を生きる。…でも俺には、ヘブンを出る選択肢は元から無いんだ…」
ダーオが都会に価値を見出し、ヘブンを出る事を厭わなければ二人は何かが変わっていただろうか。スカイと共にプーケットへ進学していたならば、この恋の執着地点は今日じゃなかったかもしれない。
けれど、人は過去には戻れない。過去を後悔するしか人には出来ない。
(…軌道修正するポイントにまで戻れるならば、俺達は一体どこを選択するだろう。…俺はどこを…)
ダーオはそんな事を考える。
リビングの大きな窓から流れる潮騒は今日も変わらず優しい風を運んでくれる。
(…進学を決めるよりもっと前の、父親が海に出る前日にまで戻りたい…)
この恋が死に体になるまで駆けつけなかったスカイ。軌道修正するポイントに、高校時代を選べないダーオ。
きっと、それが二人の答えだ。
「…スカイ、ごめんな。もう俺はお前の空では輝けないよ…」
ダーオの言葉が胸に痛い。
スカイはもう二度と自分の腕には戻らないダーオを見つめる。
二人の眩しい恋の始まりが今は遠い。
ヘブン島に引っ越してきた時、スカイの両親は窮地に立たされていた。振るわない業績の責任を取らされ、こんな僻地の開発と言う閑職に回された。バンコクの屋敷を引き払って都落ちした両親が躍起になって信頼回復をしようとしている傍で、犠牲になったのは幼いスカイだった。
見た目が西洋人という事、また同級生の誰よりも小柄だった事、島の大人たちがホントン一家に反感を買っていた事。
そのどれもがスカイには試練だった。
たった一人の理解者であるダーオだけがスカイの救いだったのだ。恋に落ちるのにそれ以上の理由が必要だろうか。スカイにとってダーオは無くてはならない人だった。
思春期の頃、バレンタインデーで女子が貼るシールを全て拒否したスカイ。理由を尋ねるダーオに、「ダーオのしか要らない」と言った。それが二人の始まりだった。
(なぁ、スカイ。覚えてるか?お前が俺に言った告白の言葉…)
『僕の身長、ダーオと同じになったよ。…ずっと、決めてた。ダーオの身長に追い付いたら想いを伝えようって。…ダーオ、僕…ダーオの事がずっと好きだった…‼︎』
真っ赤な顔で口説くスカイと真剣に取り合わないダーオ。二人の様子をどう捉えて良いのか分からないジョジョとガン。冷やかな瞳でスカイを見つめるロム。それがあの頃の五人だった。
最初はふざけているのかと取り合わなかったダーオも、毎日スカイがダーオに愛を囁けば観念せざるを得なかった。
(ねぇ、ダーオ…覚えてる?初めてのキスはプーケットの桟橋で船を待っていた時だったね…)
皆がセルフォンでゲームをしたりなどして時間を潰している時、スカイが皆の目を盗んでダーオにそっとキスをした。あの時のダーオの慌てた表情はスカイの脳裏に今も焼き付いて離れない。
初めて二人が身体を繋げ合ったのは高校の男子更衣室だった。
二人は初めての他者の体温に戸惑いながら、声を押し殺して必死に互いを求め合った。
ダーオとの思い出達がキラキラと砕け散る。その破片はヘブンの夜空に瞬く星達の如く瞬く。
お互いが「愛している」の本当の意味も分からずに囁き合った。一緒に居る時間が愛おしかった。会えない時間が寂しかった。
(ねぇ、ダーオ…僕達はさ…そんな、どこにでも居る幸せなカップルだったよね…)
スカイは嗚咽を漏らす。全て自分が壊した。
「…ダーオ…ごめん…」
「…謝るなって。…わかってるから」
親を捨てられないスカイの選択肢は限られている。
(…ダーオはいつも物分かりがいい…。詰ってくれて良いのに、責めてくれていいのに…)
スカイは胸が締め付けられる。
「別れたくないよ…ダーオ、本当は別れたくない…」
「…うん」
震えるスカイの声にダーオは優しく頷く。
「ダーオ…まだ僕は君が好きだよ、愛してる…本当に……」
「…うん」
けれど、ダーオは決して「俺も」とは言ってくれない。
「誰の物にもなって欲しくない…。僕の物でいてよ…」
往生際が悪いと責められてもいい。スカイは今もなおダーオを手放したくない。では何故ミアとダーオを同時進行させたのか。今となっては後悔しかない。スカイの心の弱さがそうさせた。誰もスカイの選択肢を責められない。責められるのはその選択を下したスカイただ一人だ。
「…スカイ」
ダーオはスカイの肩を抱くと優しく摩ってやる。幼い頃、泣いているスカイを慰めてくれた手の優しさは今も変わらない。
「ダーオ…ごめん…。弱くてごめん…戦えなくてごめん…でもまだ愛してる…本当に愛してるんだ…」
最後に抱擁を交わす二人は、互いの思い出を過去の物にする。
スカイは涙に暮れてダーオを強く抱きしめる。確かに触れているはずなのに、ダーオの心が遠いと言う事が手に取るようにわかった。
スカイはダーオを抱きしめている様で抱きしめられていない。愛していると言う言葉が虚しく溶ける。けれど言わずにはいられない。もしまだほんの少しの可能性があるならば、スカイはそれに縋りつきたい。
「…縋ってくれてありがとうな。…俺はお前とこう言う関係になれて…幸せだったよ。…本当だぞ?」
本心だ。スカイから貰った思い出は確かにダーオの青春時代を彩っていた。気弱なスカイの笑った顔が愛おしかった。繋いだ手の温もりが愛おしかった。日に透かされてキラキラと輝く金髪の髪の毛が愛おしかった。その感情は確かに本物だった。
(…お前のその海の色にも似た、空の色にも似た美しい瞳の色は、感情によって薄くなったり濃くなったり…)
二人の恋の終わりを潮騒が優しく包む。
どうか二人がこれ以上傷つけあわない様に願いながら。たゆまぬ波が止まらぬ様に、寄せては返すその強さが互いに同じでなければ愛は続かない。
(ダーオ…君がくれたかつての愛の言葉達を、砂糖菓子に変えられたら良かった。そうしたら僕はそれを全部食べてしまえたのに…君の言葉が、その感情が、僕の身体の中で溶けてしまえたらよかったのに…両親がなんと言おうと、もう離れられない二人ならば覚悟も違ったのかな…)
プルメリアの花が風に吹かれて浅瀬に浮かぶ。
確かにこの恋は、二人にとって何の変哲もない幸せだった。
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