1-6 ロムダーオ
「…お前の人間のステディはどうした?」
ロムの問いにダーオは答えなかった。…いや、答えられる内容が無い。
「…連絡、ちゃんと来てるのか?」
「…」
ダーオが視線を落とす。
満点の星空と月が二人を心配そうに眺めていた。夜の大海原に浮かぶのは幻想的なムーンリヴァー。今夜は満月だ。
「…ロム」
「ん?」
ダーオの声が低い。いつもの元気で明るいダーオは、この時ばかりは鳴りを潜める。
「…この砂浜はずっと変わらないな」
「…ん?…あぁ」
この入り江は二人だけのプライベートビーチだ。
ロムの父であるガイも、ダーオの恋人も、ダーオの母も、誰もこの場所を知らない。
この場所は二人にとって特別な場所だった。
ここに来れば変わらない物は確かにあると安心できる。ここでダーオとロムは、幼い子供が耐えるには少しばかり酷な現実を励まし合った。この場所は昔から、二人だけの秘密の砂浜だ。
「ヘブン島のムーンリバーは相変わらず、渡れそうなくらい眩しいなぁ…」
「…あぁ」
ダーオは六歳の時に漁師である父を亡くした。海難事故だった。
幼い二人の身に同時期に起きた悲しい出来事。
幼馴染の二人は互いに励まし合い、支え合いながらこの砂浜で幾年を過ごした。
ダーオはロムのお陰で悲しみは分かち合える事を知った。
ロムは今も尚、父をこの入り江で待ち続けるダーオの忍耐力を知っている。
「六歳って、俺らにとっては忌まわしい年だった。…丁度あの頃、スカイもこの島に引っ越して来たんだよな」
そう言うと、ダーオはロムの手に持て余された煙草を攫ってゆく。
勝手に火を点け、勝手に吸った。
ロムの物はダーオの物だ。
ロムは苦々しい思いでダーオの口から吐き出される「スカイ」と言う名前を聴いてた。
「…スカイから、ちゃんと連絡は来てるか?」
「…」
決して小さくない肢体を持つダーオが、こんな時ばかりは小さく見えた。
「…会いに行けばいいじゃないか」
ロムは憮然とした表情で言う。
スカイとダーオは恋人同士だ。
恋人同士が会うのに、何を躊躇う事があろう。スカイは何もバンコクや海外に居る訳ではない。すぐ目の前に見えるプーケットに居るのだ。
ダーオに横恋慕するロムが、恋敵のスカイに塩を送るのは愚かな事だろうか。しかし決してそうとは言い切れない。
ロムはダーオが幸せであって欲しいだけだった。ダーオが笑顔であるならばその手段は厭わない。例えそれが自分によってもたらされる笑顔ではなくとも、だ。
ダーオは乾いた笑いを潮騒に溶かす。
「ははっ…邪魔したくない。…アイツが抱えているのは、この島の未来だからさ…」
はっきりとそう言われてしまうと、ロムはもう入り込めなくなってしまう。スカイはリゾートホテル経営を生業とするホントングループの息子だ。プーケットの大学に進学し、向こうに移り住んで早一か月は経とうとしていた。
恋人同士の決定にロムは首を突っ込めない。
忍耐強いダーオは一度決めると融通が利かない人間だ。そうでなくては海のどこかで彷徨う父親を、気の遠くなるほど長い時間、待ってなどいられない。
来る日も来る日も幼いダーオは父の舟をこの砂浜から探していた。大人になった今、未だ帰らぬ父が本当はもう存命していないだろう事をダーオは理解している。
…けれど、待たずには居られなかった。
そんなダーオの心境を分からないようなロムではない。ロムはずっと、ひたむきにダーオだけを見つめ続けているのだから。
「…はぁ」
ロムはダーオに聴こえない様に小さく溜息をつく。
(…もしダーオが女なら泣き喚いていただろうか。嫉妬に狂う事も、スカイを詰る事も…もしダーオが女なら、そんな感情を俺に示してくれただろうか…)
けれどダーオは男らしい程に男で、彼の過去がそれをさせなかった。耐える事、待つ事に慣れたダーオは、ほんの一か月など待った内には入らないのかもしれない。
ロムがダーオの事で溜息をつく数は夜空に浮かぶ星達の数よりも多い。
そのどれもが、ダーオへの慕情ゆえだ。