3−5ロム
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バンコクやパタヤ、プーケット、有名な観光地に行き尽くした者達が次に求めるのが長閑な離島でのスローライフだ。
そう言う理由から、ヘブン島の北部に位置する高級リゾートは富裕層の人間や先進国の外国人から人気である。あとは都会のインスタ女子にも。
都会と違って景色は比べようもない程段違いで美しい。海の色もプーケットからたった二十分程度離れただけでこうも違うのかと、ヘブン島を訪れた人間は口を揃えて言う。
島の西側にある桟橋からほんの少し南に下ると、島唯一の整備された白い砂浜のビーチが広がる。
ヘブン島は湾が波を消すのでサーフィンには向かない島だが、初心者には充分だ。
太陽が燦燦と照り付けるヘブン島唯一の人の手が入ったこのビーチで、ロムは朝礼に参加していた。
「はい、では今日の予約はSAPが一組、初級サーフィン二組、ダイビング三組。早い者勝ちだ、どれがいい?」
マリンスポーツアクティビティ経営の社長はロムより三歳年上だ。
島内でホントングループに頼らず生きている島民達は、ホントングループと関わる人間を裏切者と思っている節がある。もしくは金のために魂を売った腑抜け、とも。
けれど社長はホントンと島民の間を上手い事泳いでいる、なかなかに経営手腕のある男だった。この仕事もホントンの下請けとして安定的に回してもらっている。
ロムを含めた五人程集められた島内の若者は、本職とは別に小遣い稼ぎで社長に手を貸す。親には言えない内緒の小遣い稼ぎだ。
例に漏れずロムの父、ガイが知ったら憤慨するだろう。
皆がこぞってダイビングに手を挙げる。こんなに暑い中でSAPなど気が狂ってしまう。海に入って涼めるならばそっちがいい。
ダイビングの次にサーフィンも同じ理由で埋まってしまうと、残るSAPの担当はロムしか居なかった。
「ロム!お前、この前もSAP担当だっただろ。いいのか?」
社長は心配するが、ロムには何も問題が無い。「…っす」とだけ言って客の元に行こうとするのを社長が引き留める。
「ちょちょちょ…そんなんじゃ譲ってばっかの人生になるぞ!ヘブンっ子ならもっとガツガツいけ!相手の都合なんて考えるなよ!」
社長はそう言ってロムの肩を無遠慮に叩くが、そんな事を言われても困ってしまう。あんな父親と暮らしていれば嫌でも我慢強くなれる。むしろ諦観に似た感情を抱くロムだがそれも仕方がない。不器用で無愛想で無表情。これがロムの性格だ。
雨季のこの時期は朝夕にスコールが降る。
アンダマン海に浮かぶプーケット島は季節風により西側の海が荒れる。波が高くなるのでサーファーからは好まれるが、遊泳禁止になる事も多い。けれどプーケットに庇われるように位置するヘブン島を含む小島達にはその災禍は及ばない。
本日ロムが担当したSAP希望者も、プーケットの海岸が遊泳禁止になってしまったという理由で離島にやってきた都会から来た若い女子達だった。
二人は可愛い水着に身を包み、事ある毎にセルフォンで写真を撮っていた。こんな辺鄙な島に居るとは思っていなかった切長の瞳がクールかつワイルドな男を前にしなをつくる。
「私達SAPは初めてでぇ~、何をどうすれば良いのかわからなくてぇ~」
片方の女子がそう言ってあからさまにロムの腕に自身の腕と胸を絡ませて来るので、ロムは内心で溜息を付く。
男女ともに時折居る旅の恥はかき捨てするタイプだ。
ロムはその腕をそっと離す。
「…すみません、ビキニのままだと日焼けで火傷を起こしてしまうので。…何か羽織る物を持ってきます。あとSAP中はセルフォンを持っていけませんので…」
「はー!?じゃあ写真撮れないじゃん!チョーがっかりなんですけど」
ロムは不満を漏らす彼女たちの顔を見ずに社長の元に行き、ラッシュガードの予備があるか訊ねた。社長が彼女達の出で立ちをまじまじと見つめる。
旅先の女性は開放的だ。たわわに実る胸元に社長はニンマリと笑みを浮かべて「待ってろ」と言うと、すぐに会社の所有するバンからラッシュガードを掴んで彼女たちのもとに舞い戻る。
「すみません、これを着て頂いても宜しいですか?SAPはずっと太陽を浴びながら行うので、日焼けしてしまいますもんね」
そう言って社長は彼女達に爽やかな笑顔でニコッと笑った。
彼女達も不愛想なロムよりこちらの小奇麗な社長の方がお気に召したらしく、ターゲットはそちらに移った様だった。
なるほど確かに、社長は小金持ち風の出立だ。
女子達と楽しそうに話す社長を眺めながらロムはまたもや溜息だ。
社長の様に処世術を身に付けたら良いのだろうが、きっとロムの性格上、それをやるのは性に合わない。
そもそも接客業がロムの性に合っていない。
他のインストラクター仲間は客と連絡先を交換し合って一夜を共にすることもあるそうだ。けれどダーオを心の中心に吸えるロムにとってはどうでもいい世界だ。
いざ開始したSAP指南中も彼女達はロムに社長の詳細を聴いてきた。
社長は「俺の連絡先やら何やら聞かれたら教えていいぞ」と言っていたので、ロムは遠慮なく社長の連絡先を彼女達に教えた。
「社長さんて、彼女とかいるんですかね〜?」
中学時代からの腐れ縁な彼女がいるが、ロムは本当の事を言おうか迷ってやめた。
「…いえ、彼は独身ですよ」
嘘は言っていない。
社長は肉食系男子だ。ちょいちょい摘み食いをする社長はロムがここで義憤にかられて連絡先を教えなかったとしても、自力で彼女達に接触するだろう。
折り返し地点からSAPは岸に戻る。体験者に無料でプレゼントしている炭酸飲料を受け取った彼女達はご機嫌で社長とセルフィを楽しんでいた。
ロムは黙々とSAPの板を水で洗い流しバンに積み込む。
彼女達の楽しそうな声がビーチに響いた。
社長はあっという間に今夜の予定を取り付けてしまった。
夜にプーケットで飲もう、と言う社長の声を遠くに聞きながら、ロムは自身も真水を浴びて服を着る。
心地よい倦怠感がロムの身体を包む。
椰子の木陰でエメラルドグリーンの海を眺めるロムは水平線の境界を細い目で見つめていた。
社長はキンキンに冷えたバンに彼女達を乗せると車を動かす。
桟橋まではすぐそこなのに、社長は彼女達の心象を良くしようとあれやこれや世話を焼いていた。
あっと言う間に戻ってきたバンから降りてきた社長は手に現金を握る。
「おっつ~。お前にもっとハングリー精神と下心があれば正社員にしてやるのに」
ナンパが成功した社長は上機嫌でロムに日払いの給料を現金のまま渡し、炭酸飲料も一緒に渡して来た。
「…本職、別にあるんで」
「相変わらずの不愛想君だな、お前は。ま、配達の方がお前には合ってるか」
「…はい」
「じゃ、また人手が足りなくなったら頼むぜ!今日は助かった。俺、ノリの良い子だーいすき」
社長は今夜彼女達とどんな甘い夜を過ごそうかワクワクしているのを隠しもしない。
長年連れ添った彼女が居るくせに、とロムは内心で苦笑いだ。
付き合いも長くなると社長のように飽きたりするのだろうか。ならば別れてやればいいのに、何故付き合い続けたまま他所に目移りしてしまうのか。
ロムにとって社長の行為は贅沢以外の何物でもない。
好きな人を手に入れて居る癖に。
「…社長」
「おう?なんだ?」
「…炭酸、もう一本下さい」
「欲しがり屋さんか!無愛想なくせに無遠慮って、お前終わってんぞ!」
社長が笑いながらロムを詰り、もう一本をくれてやる。分かりずらい奴だがロムの事は可愛い後輩だと社長は思っている。
「ありがとうございます」
「いいよいいよ、もってけもってけ」
しっしっと手で払う仕草をする社長は、早速セルフォンに届いた彼女達からのメッセージ返信に余念がない。
ロムは社長に合掌してビーチを後にする。
途中振り向いて社長に向かい大声を上げた。
「社長!ウチ、この前からモーテルになったんで!今夜使うなら連絡ください!」
「無遠慮で無愛想で商魂逞しいって、お前の頭どうなってんの!?」
お互い笑いながら別れた。
ヘブン島の島民は皆陽気だ。ロムだって冗談をいう時くらいある。
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