3−4ロムダーオ
柱に記された六歳までのダーオの身長記録は、ダーオの身長を記した線の横に父親の字で「一〇一センチ」と記されていた。
その下には各年毎の身長が、やはり父の文字で書かれている。けれど一〇一センチ以降の記録は無い。
ロムとダーオは無言で粥を啜る。
リビングの大きな窓は開け放たれ、その向こうに見える海は相変わらずのエメラルドブルーだった。
景色をまるごと切り取って絵にした様な贅沢な窓だ。寄せては返す潮騒が耳に優しい。
ロムは向かいで食べるダーオの首筋をちらりと盗み見た。
(…昨日の二人はどの様に熱い夜を過ごしたのだろう…)
長身のダーオよりも背が高いスカイに組み敷かれるダーオ。そんな下衆な映像をつい想像してしまったロムは胸にせり上がって来る正体不明の焦燥感に戸惑う。本当ならばそんな想像などしたくなんてないのに。
小さな溜息を付くロムに気付いたダーオは、手を止めて優しくロムを見つめる。
「ロム、イントラは何時から?」
「…十時」
「お前、一回家に帰んの?それともウチで十時まで時間潰す?」
ロムがダーオの提案に乗るはずがない。
その提案に乗ってしまえば、あと数時間はダーオの首筋につく艷っぽい情事の痕を盗み見て悶々とした時間を送らねばならないからだ。
「…めんどいけど、帰る。おばさんに貰った粥を親父に与えてやらなきゃ」
ロムは良い言い訳を与えてくれたダーオの母に感謝する。
「…餌みたいに言うなよ、ったく。ガイさんは犬か!」
そう言ってダーオはケタケタと笑った。
潮騒とダーオの笑い声以外は聴こえない。この空間がロムには贅沢過ぎる幸せだ。
今この時だけは誰も入り込めない。
世界はここで完結すればいい。
このリビングの八畳だけが世界のすべてであればいい。
足を組み替えたロムの爪先が意図せずダーオの足先に当たる。
わざとではなく偶然の触れ合いにロムは慌てて足を引っ込めた。
「…ッ…すまん…!」
「はぁ?いや?」
特に気にも止めぬダーオは気の抜けた声を出して大きな欠伸をした。
昨日の夜更かしを引き摺っているのだとロムは察する。
ダーオの首筋に残る紅い痕はロムの目に痛い。その印は二人だけの世界を完結させない現実の刻印だ。
ダーオはスカイの物である。
気怠げなダーオを前に、幼馴染以上でも以下でもないロムが取れる行動はあまりにも少ない。
「…おいダーオ。食ったら寝ろ。俺は一回帰る」
「ふぁ…ぁぁねむっ。…はぁい。…っと、夜は?迎えに来る?」
「…あぁ」
ダーオがスカイの物であるなら、ロムはダーオの物である。
心奪われる相手の所有物になれる世界なら、それが正しい公式だ。
粥を食べ終えたロムがダーオの器と自身の器をシンクに持って行く。さっと洗って食器を脇に置いた。
食卓テーブルでセルフォンを弄るダーオを促し、「ほら、来い」とだけロムは言うと、形の崩れたソファに誘った。
「はーいはい」
そう言って大人しく寝転がるダーオの身体に薄いタオルケットを掛けてやる。
ロムは「…セルフォンはほどほどに」とだけ言うと家を出た。
「母さんか!」と言い返すダーオの声はちゃんと耳に入っていたので、鼻で笑ってバイクに跨る。
太陽は徐々にその存在感を増してゆく。海風がロムの頬を撫でた。
何故こんなに早くプーケットから帰島してきたのかはついぞ聞けなかった。けれどダーオは平常運転だったので、桟橋での心配は杞憂であったのだろう。…杞憂であってくれ。そう、ロムは願いながら実家であるHotel HEAVENLYに戻ったのだった。