3-1ロムダーオ
【第三話 星の平野を渡って】
1
ロムは頭痛で目が覚めた。
昨日のペンキの匂いがまだHOTEL HEAVENLYの至る場所に充満していたからだ。
蚊帳は吊るしたが、窓を開け放して寝たので隙間から侵入してきた虫に刺されていた。
軽く舌打ちをし気怠い頭でセルフォンを確認すると、ダーオからのメッセージが入っていた。
「…ん?」
ロムは眠気も飛んでメッセージアプリを開く。少し古いロムのセルフォンは反応が遅く、なかなか画面が切り替わらないのが苛立ちを増す。
やっと開いた画面のメッセージを確認して、ロムは目を見開いた。
「…クソ!」
慌てて飛び起きたロムはシャワーもそこそこに、そこらへんに投げ捨てていたTシャツとハーフパンツを履いてモーテルを飛び出した。
「…おい!?ロム、どこに行く⁉」
玄関先で朝の一服をしていたガイに呼び止められたロムは「桟橋‼」とだけ言うと、原付バイクに飛び乗ってエンジンを思い切り捻った。
急発進したものだからロムの身体は後ろに倒れそうになったが、なんとか腹筋で堪えるとハンドルを握り込み、桟橋へと急いだ。
早朝のヘブン島は太陽もまだ気怠げで、柔らかい陽の光がロムの短くもサラリとした黒髪を照らす。
昼よりも朝の方が空は青い。
どこまでも抜ける天上の蒼色は夜を少しだけ引きずって、太陽の周りには白み始めた空が映しだされる。
エメラルドグリーンの水平線の境界に浮かぶサーモンピンクのグラデーションが美しかった。
岩礁が浮かぶ景色の奥に、くじらの様に鎮座するプーケット島を横目に見たロムは心配な表情を浮かべる。
普段は無愛想なロムの表情をここまで如実に変えてしまえる人物はたった一人しか存在しない。
(お前、なんでこんな早く帰ってくるんだよ…)
先程受け取ったメッセージはダーオからだった。
【Nong、起きてる?朝イチの便で帰るから迎えに来て!メンゴ】
何とも気が抜ける内容ではあったけれど、ロムはその文面を額面通りは受け取れなかった。昨晩ダーオはスカイと一緒だった筈だ。何故こんなに早く帰って来るのか。もっとゆっくりと二人で過ごせば良い物を…。
(…喧嘩でもしたか?)
ダーオに直接聞いてみなければ分からない。ロムは一抹の不安を胸に抱く。
(もし迎えに行った桟橋で、朗らかなアイツの表情に悲しみの色が浮かんでいたら…)
ロムには思い当たる節がある。
つい最近仕事で行ったプーケットで、スカイは美人と仲睦まじく歩いていたのだ。
(…やっぱりスカイは浮気を?)
それもまた分からない。
ロムはそうで無い様にと祈る気持ちが強かった。何もスカイの肩を持ちたい訳では無い。ダーオの悲しむ顔を見たくない。ただそれだけだ。
(もしスカイが本当に浮気をしていて、ダーオを悲しませる真似をしたならば…)
ロムは桟橋で落ち合うダーオの表情如何では、そのまま戻りの船に飛び乗ってスカイの通うソンクラー大学プーケットキャンパス観光学部に乗り込んでやる事もやぶさかではなかった。
(ダーオが笑顔でいられるなら、選んだ相手が気に食わないスカイでも納得するしかなかった…でも、ダーオを悲しませるならば話は違う…!)
動悸が収まらないロムは、島唯一の環状線道路の坂道を駆け抜けて桟橋へと急ぐ。
★
辿り着いた桟橋でロムはバイクを適当に路上駐車し、全速力で乗降場に走った。
周囲を見回すが、まだプーケットからの船は到着していない様だった。
乗り場付近では学生服を着た島民の子供達がお喋りをしながら船を待っていた。防波堤の向こう側に小さく見える船が徐々にこちらに近付いてくる。
あれにダーオが乗っている。
「…はぁ…はぁ…」
上がる息とも溜息ともつかぬ息遣いのロムは額に汗を滲ませながらセルフォンを取り出し、桟橋前のポールに寄りかかる。
自身のセルフォンの画面からフォトアイコンをタップした。
普段写真を撮らぬロムの画像ページにはストックがない。先日隠し撮りをしたスカイの画像はすぐに表示された。その写真の隣には、ダーオがカオムーで常連と笑いながら話している写真が並ぶ。
ポールのすぐ下は海がチャプチャプと音を立てていた。
ロムはダーオの写真をタップし、その朗らかで人たらしの笑顔をピンチアウトして画面いっぱいに表示させてみた。指先でそっとダーオの顔を撫でてやる。
願わくば、笑顔で桟橋から降りてきて欲しい。
「おっは」
「ッ…!?!?」
突如叩かれた肩に慌てるロムはセルフォンを海に落としてしまいそうになる。
声の主はたった今到着したダーオだった。
想いに耽っていたロムは船の到着すらも気付けない程ダーオの写真に見入ってしまっていたようだ。
「無言て…そんな、お前」
ダーオは笑いながらロムの驚く仕草を真似して笑う。ロムは無言ではあったが、肩は思いっきり飛び上がっていた。
(びっ…くりした……)
どうやら隠し撮り写真はダーオには見られて居ない様だった。
下船する数少ない乗客達が船の出口からたった今吐き出されてゆくところを見ると、きっとダーオはデッキから桟橋に飛び降りたに違いない。
ヘブン島のやんちゃな男子ならば皆がやる、度胸試しの降り方だ。
「…おい、ダーオ。お前何歳だよ…」
小学校から高校までの十二年間、休日以外毎日乗ったこの船は島の子達にとって珍しくも無い、手慣れた乗り物だった。数十分程度と言う短い時間でさえ暇に感じる男子小学生がじっとしている筈もない。やっと着いた到着地で度胸試しにデッキから桟橋に飛び降りる遊びは島の子達のスタンダードな遊びだ。
小型船のデッキだから出来る事であって、地上までの距離は高くはあるが大した段差ではない。
鞄を友達に持って貰い身一つで飛び降りることができたなら、それはつまり正式な島の小学生である。
大人に見つかると怒られるので、そう言う点も含めてまさに度胸試しでもあった。
「ははは、船に乗ったらやらざるを得ない!身体が禁断症状を起こすんだよ」
「もう大人だろ…」
「じゃあスカイは子供のまはまだな。あいつは一回もチャレンジしないままだったから」
「っ…」
ダーオは人たらしの笑顔をロムに向けた。ロムはスカイという名前を聞くといつもそんな眼をする。相変わらず性格が合わない同士なのだとダーオは苦笑する。
「お前はやんねーの?ほぼ毎日プーケットに行ってる癖に」
「やらねーよ!高校卒業して一か月も経ちゃ…」
スカイが絡むと機嫌が悪くなるロムだが、ダーオがふざけるとちゃんと返してくれる。それがダーオには心地良い。ロムは昔からずっと一緒に過ごした気の合う親友だ。ロムのお約束の様な突っ込みがダーオには一番しっくりくる。
「大人ぶりやがって!年下のくせに!」
悪態をつくダーオはすぐに笑顔に戻ると、口笛を吹きながらロムのバイクの運転席に跨る。
ダーオは少しばかり疲れていた。
昨日のスカイとのセックスは痛みに耐える行為だった。愛しい相手だから我慢できるが、好きでもない相手とあんな行為は出来ない。
「ホラ、帰るぞ。Nongロム」
勝手に呼び出して、ロムのバイクにさも当然の様に乗るダーオが、笑いながらロムに顎で後ろに座れと言う仕草をする。ロムの物は自分の物。自分の物も自分の物。その態度にロムが怒らないのをダーオは知っている。
「はぁ…。お前、なんでこんなに朝早…」
そう言いかけてロムは口を噤んでしまう。ダーオの首筋に残る紅い痕を見つけてしまったからだ。
「…ッ…」
一瞬の内に冷水を浴びせられたような心境だ。
昨日、ダーオはやはりスカイと共に夜を過ごしたのだ。意図的に吸いつかねば着かぬ鬱血痕が、ダーオの不自然な首筋のある一点に与えられているだけで証拠は充分だ。
潤んだ瞳のダーオは寝不足気味なのか、白目に毛細血管が少しばかり浮いていた。
いつもと変わらぬ朗らかな笑顔の奥に、物憂げでしっとりとした色気が漂う。
(…昨日、お前がスカイと何をしたのか…)
敢えて訊ねなくとも雰囲気で分かる。昨日、ダーオはスカイに抱かれた。それは確定した事実である。
ロムの胸が錆びた音を立てて軋む。
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