第4話 地獄と地獄
この状態をどう形容すればいいのだろう。俺の目の前にはありていに言って地獄絵図が広がっていた。
もともと葉島に出された紅茶を飲んだ時から違和感があったのだ。まるで紅茶を入れ慣れていない、悪く言えばちょっとマズくないか・・・と。
そしてその根拠を証明するかのように、メイ’sキッチンでは今もなお悲劇が生まれようとしていた。
「あわっ、なんでお鍋からお湯が吹き出ちゃうの?」
遡ること数十分前、俺は葉島に料理のコツを教えるということになった。どうやら俺の料理の腕を見て、いつかは教わってみたいと思っていたのだとか。
だが俺が葉島に教えられることなどほとんどないだろう。
完全超人でお嬢様なクラス委員長
葉島のことを一言で表そうとするなら俺はそう表現するだろう。偏見も甚だしいが、何でもそつなくこなすというイメージが俺の中に蓄積されていた葉島に対するイメージだ。
だがそれはものの数分で打ち砕かれた。
当初はパスタを作る予定だったのだ。おしゃれで女の子らしい料理だし、きっとすごいものができるだろうと俺は少し期待していた。
そして現在、目の前の光景を改めて整理する。
当たり前のように調味料が入れ替わっている
火力という概念を知らない
パスタを茹でる時かき混ぜたりしていないので麺が一体化
果てには野菜の皮をむき忘れている
葉島メイには、料理スキルというものが存在していなかった。
話を聞くと、今まで何度か挑戦してみたもののうまくいかず、使用人の人たちに教えてもらおうにも恥ずかしくて言い出せなかったらしい。
使用人がいない日は基本的にコンビニで食料を調達するのが習慣みたいだ。
「少しずつだけど、苦手なものが露見していくよな、葉島」
カラオケでの伝説に加え新たな悲劇をまた作ってしまったようだ。
葉島は料理器具の使い方を知ってはいるようだが、どれもこれも危なっかしい手つきだ。
誰かが卵を割るのにここまでドキドキしたのは生まれて初めてだった。というか、そもそも卵黄と白身を分けなければいけないので一緒に割ってしまったら意味がない。
「ごめんね水嶋君、私ってこんなんだからさ」
葉島はしょぼんとしながら反省していた。確かに擁護しようがないほどの腕だが、かつての俺もこれくらい・・・いや、もうちょっとマシだったか?
「と、とりあえず落ち着いてレシピと工程を整理してみよう。次からは俺も一緒に厨房に立つから」
「・・・お願いします」
なんやかんやでやる気は萎えていないらしい。だから俺も葉島の心意気に応じることにした。
「パスタをゆでるときは、お湯に食塩を加えるんだ。そうすることで突沸を防げるし安全だ」
「ふむふむ」
葉島は俺が言っていることを聞き逃すまいと、必死に俺の話を聞いていた。そのせいで手元がおろそかになりかけることもあったが、そのたびに根気強く注意をしていく。
「今回はカルボナーラだっけ? ならゆで汁をとっておこう。そうすることで乳化が楽になるし、ソースが絡みやすくなるから」
「わ、わかった」
葉島はお玉でパスタのゆで汁をすくっていた。そしてその間に俺はベーコンを炒めている。葉島に火を扱わせるのは怖かったので、俺が実演するという形に持ち込んだ。
「ベーコンは弱火でじっくりとカリカリにして油を外に出す。あとはそこにさっきのゆで汁を加えて・・・」
そうして少しずつ料理ができていく。パスタの麵が茹で上がったところで麺をフライパンの中に入れ、葉島と交代する。
「フライパンの中の液体とパスタを和えながら炒めるんだ。ゆっくりでいいぞ」
「う、うん。任せて」
少したどたどしいが、それでもしっかりと形にはなっている。
全体的に火が通ったところで火を完全に止めて少しだけ温度を下げる。
「あとは作っておいたソースとパスタを絡めれば」
「で、できたよ水嶋君!」
葉島は目を輝かせながら自身が作ったものを見下ろしていた。
紛いなりにも、きちんとしたカルボナーラだ。いろいろと突っ込んだりこだわったりしたかったところは多いが、ギリギリ及第点といったところだろう。
「よかったな」
「うん、ありがとね水嶋君!」
そう言いながらお皿にパスタを盛り付けていく。これが俺たち三人の昼食だ。お腹を空かせて待っているだろうリブラのところへと持っていこう。
※
「とてもおいしいです。やりますね、メイ」
数々の悲劇が生まれたことを知らないリブラは、出されたカルボナーラをおいしそうに食べてそう言った。ちなみにパスタだけでは物足りないと思ったので、俺が冷蔵庫にあったもので適当にサラダを作った。
(それにしても大きい冷蔵庫だったな)
冷蔵庫だけではなくあの場にあった器具のほとんどが一級品だ。正直あの環境で料理ができる使用人たちがうらやましい。
ちなみに葉島は手際よくサラダを作る俺の姿を見て少し落ち込んでいた。曰く、サラダづくりでも失敗経験があるらしい。
メイ‘sキッチンは、もしかしたら今後も続くかもしれない。
そんなことを考えながら食事を楽しんでいると、葉島のスマホが急に震えだした。
「あ、お母さんからだ。ちょっと珍しい」
画面には「お母さん」という文字が表示されていた。
俺の記憶が確かなら、葉島の母親は世界をまたにかける女優、葉島凪子だ。
テレビをあまり見ない俺でも名前くらいは聞いたことがあるくらいには有名で、葉島社長からも何度か奥さん自慢をされたことがあるので印象に残っている。
「もしもし、うん、うん・・・え! 今から!?」
しばらく葉島が会話していたが、急に驚いて立ち上がった。なかなか見れない葉島の慌てっぷりに、俺とリブラは目を点にしてしまう。
「ちょ、いきなりすぎるって・・・え! もうすぐそこ!?・・・あれ、もしもし、もしもーし!」
スマホに向かって叫ぶように葉島は声を張り上げるも、どうやら電話を切られてしまったようだ。
「どうしたんですか?」
リブラはフォークを咥えながら葉島にそう尋ねる。
「うん、私もいきなりすぎて状況を呑み込めていないんだけど、お母さんが帰ってくるみたい」
「おお、それはまたいきなり」
「どうしましょうか、レン」
リブラがそう言いながら俺のことを頼ってくるが、俺もこういう時どうすればいいのかわからない。そして俺は葉島の方を向いて最終的な判断を求めようとする。とりあえず食事も食べ終わったしお皿を片付けようと思って立ち上がろうとするが、
「ごめん、もう手遅れかもしれない」
葉島のそんな諦めの声と共に
「ただいまーメイ! 私が帰ってきたよー」
玄関の方からいやにテンションが高い声が聞こえてくる。どうやら時すでに遅かったようで、キャリーケースを引きづってくる音とともにこちらへ向かって足音が近づいてくるのが聞こえた。
「「!?」」
俺とリブラは同時に体がビクッとする。
(いやいや、いくらなんでも早すぎだろ!?)
先ほどの電話からまだ一分も経っていない。きっとサプライズ感を演出したかったのだろうが、俺たちにとっては家を抜け出す機会をつぶされたということになる。
母と娘の久しぶりの再会に第三者が居合わせるのはお互いさすがに気まずいだろうし、場合によっては先ほどをより上回る地獄が誕生してしまう。
「と、とりあえず窓から出ていくか?」
「うーん、たぶんお母さんの付き人さんたちも何人かいると思うから、目立つことはあんまりしない方がいいかも?」
もう葉島はどうにでもなれというような雰囲気を醸し出していた。
友達と言って紹介されるのも悪くないが、男の俺がいるというのも体裁がよくない。
やはり無理をしてでも葉島邸を出ていこうとした時
「メイちゃーん、ひっさしぶりー。ママが帰ってきたよー。ほらほら、胸の中に飛び込んで・・・」
バァンという音とともに扉が開かれ、綺麗な女性が入ってきて俺とばっちり目が合った。
「えっと・・・君は?」
ああ、どうしてこうなった。