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九話 夢幻世界② 身請け

 少しうたた寝をしたファンが目を覚ますと、ベッドの上で斜にしなだれ座るセリの姿がランプの明かりに照らされていた。


 髪は簡易に後ろに一つに束ねているものの、残った後れ毛が妙に色っぽく、肩に羽織っただけの姿で煙管を咥える艶かしくも美しい姿に、ファンは体を起こしたまま見惚れていた。


「起きたのかい? それで、どうだった? わっちは」

「なんというか……その、凄かった」


 ベッドの上で正座して姿勢を正すファンの姿に、セリは初めて声を出して笑う。その笑みは、年相応で可愛らしさを含んでいた。


「あーっはっは。あー、笑った、笑った。それで、いつまでそんな格好してるんだい? 下着くらい履いたらどうだい?」


 ファンは自分が全裸で正座していることに気付き、恥ずかしくなり慌てて下着を探して身につける。カコンと吹かし終えた煙管の種火を落とす音に、ファンは視線をセリへと戻すと、羽織っただけの服の胸元からはチラリと、ふくよかで白い肌が見えていた。


「ん? どうしたんだい?」

「その……さ、触りたいのだけど……」


 セリはファンの顔からゆっくりと下へ視線を移す。


「あーっはっは。下着を履けとは野暮だったようだね。また、直ぐに脱ぐのだから。……いいよ、時間はまだたっぷりあるさね」


 セリは優しく微笑みを浮かべて自らの手を差し出す。ファンはその手を受け取ると自らの側へグッと引き寄せセリの身体に触れ始めた。



◇◇◇



 流石に若いとはいえ、体力を使い果たした二人は、既に一糸纏わぬ姿でも恥ずかしげなくベッドに横になっていた。息荒く大の字になるファンの腕を枕代わりにセリは、ファンの頬に手を添えた。


「ねぇ……本当に身請けしてくれるのかい?」

「そのつもりだよ。嫌かい?」


 セリは小さく首を横に振る。


「わかってるのかい? 身請けされたからといって、別にあんたのものになる訳じゃないんだ。逃げちまうかもよ」

「うーん、正直言うと出来れば側にいてほしいけど、惚れた弱味というやつかな。セリ……さんが幸せになってくれるなら……。でも、その場合この街から出て欲しいな。顔を合わせるとお互いに辛いだろ。もちろん旅費くらいは出すよ」

「あんた……騙されやすいだろ?」


 ファンは思わず苦笑いを浮かべてしまう。身請け自体は女性を購入するということではなく、女性を娼館から解放するという意味合いが強い。もちろん、互いに同意があれば一緒になることもある。


「もう一度聞くけど、十銀貨ペリ(=一千万円相当)だよ? 用意出来るのかい?」

「大丈夫だよ。信じて欲しい」


 真剣な目をするファンに、セリも覚悟を決める。身請けは客と女性との勝手なやり取りであり、店側としては金以外に得がない。つまり、女性側にもリスクは付くのだ。


「それと最後にもう一つ。わっちは、幼い頃から奴隷として扱われてきたせいで、子を宿すことが出来ない。それでも良いのかい? 跡取りを産むこどが出来ないのだよ?」

「跡取り? うーん、俺の両親なら気にしないと思うけど……良いよ」

「あんた、ボンボンじゃないのかい?」


 決して裕福な身なりではないファン。てっきり貴族か金持ちの子供が変装しているものだと思っていたセリは、少し動揺する。けれども一度決意を固めたセリは、ファンを信じることにした。


「わかった。あんたを信じるよ。着替えな、身請けの話をしに行くよ」


 慌てて脱ぎ散らかした服をかき集め着替える。セリも脱いだ服を着直して鏡の前に座り化粧や乱れた髪を結い直す。その一挙手一投足に目を奪われたファンは、そわそわとして落ち着かない。


 身綺麗になったセリは背筋を伸ばして立ち上がるとファンの手を繋ぐ。


「最後にもう一度。あんたを……信じるよ」

「任せて」


 二人連れ添い部屋を出ると館の出入口にいるネズミ顔の男は、手揉みしながら細過ぎる糸目を更に細くして近づいてくる。


「おや、兄さん。もうお帰りですかい?」

「旦那。この方が、わっちを身請けしたいとよ」

「へぇ~……この若いのが、ねぇ……」


 ネズミ顔の男は、薄ら笑いを浮かべると糸目を少しだけ開き目を覗かせる。身請けすると聞いた途端、男の雰囲気は一変してファンに圧力みたいなものをかけてくる。


 待機中の他の女性も、さざ波程度だがざわめく。その女性達は、決して羨望などではなく、セリを心配しているような悲しい目であった。


「聞いていると思うが、十銀貨ペリだ。明日の朝まで耳を揃えて持ってきな。それが出来なきゃセリには()()()()()をさせてもらうよ」

「特別な扱い?」

「おや~? 聞いていないのか? やれやれ、セリも忘れていたのか?」

「覚えているよ」


 セリは、どこ吹く風と言わんばかりに、紫煙をたゆらせながら明後日の方を見ていた。


「特別な扱いってのは、二度と身請けしてもらいたいなどと思わせないようにするのさ。客の中には特殊な性癖の方もいてね。例えば、手足を切り落とした相手しか興奮しない、なんて客も。ひっひっ……まぁ、無事には済まないってことだ」


 ファンは思わず不安な顔でセリを見る。しかし、セリは堂々としたままで全く動じていない。


「いいんだろ? 信じて」


 セリの目には不安など微塵もなく、ファンを信じきった目をしていた。それにファンは力強く頷き応える。


「大丈夫だから!」

「そいじゃ明日の朝までだ。日が完全に出るまで時間ないぞ。ほれ、一刻も無駄には出来ないんじゃないかい?」


 ネズミ顔の男が外を指差すと色街特有の明かりに気づかなかったが、ファンは外に出て空を見上げると、既に朝日は昇り始めていた。


 ファンは全速力で人混みを掻き分けて走る。まさかこんな時間になっているとは、露にも思わず、ただ全力で走るのみ。


 家に着くも玄関扉は固く内側から施錠されている。ファンは隣近所迷惑考えずにひたすら扉を叩いた。


「父さん!! 母さん!! 開けてくれ! 早く!!」


 ダンッダンッダンッと、何度も扉を叩くと眠い目を擦りながら母親が姿を現す。


「ごめん、母さん! 急ぐから!!」


 母親がファンに声をかける間も与えず、スルリと母親の脇を抜い家の中へと入ると二階の自分の部屋に駆け上がる。部屋に入るなり隅の床板を剥がすと、壺の中から銀貨十枚をしっかりと手に持ち、床板を戻した。


 残りの銀貨は四十九枚。それでも決して惜しくはない。ファンは二階から階段を転がるように落ちていく。


「ちょっと、ファン──」

「母さん、ごめん! あとで聞く!!」


 ファンは家を出ると走る。息は絶え絶えになりながら、痛む脇腹を堪えて走る。空には日がその姿を完全に現そうとしていた。


 色街に入ると、ファンは人に肩をぶつけながらも、足を止めることはなく目的の娼館へと滑り込むように飛び入る。


「はぁはぁ……、はぁ……はあぁぁ……こ、これ……を」


 一目セリの無事を確認すると、ファンは手汗が付いた銀貨をネズミ顔の男に渡す。受け取った銀貨の枚数をネズミ顔の男か数え始めると、娼館の館内は静寂となり、一同がその行方を見守る。


「ふむ……」


 数え終えたネズミ顔の男に注目が集まる。誰かがゴクリと唾を飲み込んだ。


「セリ。出る準備をしな。間違いなく十銀貨ペリ、受け取った」


 館内に喜びの歓声が沸き上がる。身請け自体は、それほど珍しくもないがリスクもある上、女性側が断ったりと上手く行くこと自体が稀。だからこそ、当の本人であるセリは喜ぶどころか、心此処にあらずで呆けていた。


 セリには物心ついた頃から奴隷として、只の道具として扱われてきた経緯がある。それは、一縷(いちる)の希望など持てないほど絶望的な状況。幼児嗜好の主人には興味を失われ娼館に売られても、やはり自分の居場所はこの手の所なのかと。


 子供も産めない体になり、坑がうことすら止めた十二年後。本来、彼女は、この色街随一となるのだが、高値がついても客は途絶えることなく、売り物になる間、この娼館で働くことになるはずだった。


 売られて二日目。自分を身請けしたいと言ってきた少年のような男性。セリは、絶望の果てに最期にこの男性に身を任す。十銀貨ペリという大金など、自分のために出すとは思っていなかった。


 絶望の縁に立たされていたセリは、もし、払えなくてもファンを恨まなかっただろう。そういう覚悟を決めていた。


 ところが予想は覆され、ファンは十銀貨ペリを持って現れた。やっと、やっと解放される。その思いにセリの頬には宝石すら霞む美しい涙を一筋流す。


「ほら、何をもたもたしてんだい。出ていく準備をしな。救世主様がお待ちだよ」


 ファンの息が荒いのは懸命に走ってきた証拠。自分を真っ直ぐ見て笑いかけてくるファンに、セリは頬を火照らせる。先輩の女性に背中を押されて行くうちに、段々と実感が湧くと、自らの歩みが速くなっていった。


 ファンは娼館の外に出ると大きく一つ伸びをして、朝日を拝みながら満足感に浸る。人は所詮ファンの自己満足だと言うかもしれない。けれども、今の満足感は格別なものになっていた。


「お、お待たせしたね」


 セリの身支度は意外と早く終わる。着ている服も先ほどと同じ。白い肌の両肩を出しており、ひらりと薄手のロングスカートは、大きくスリットが入り歩くだけで下着が見えそうなほど。胸に抱えていたのは小さな風呂敷のような荷物が一つ。


 娼館の女性たちは祝福の声を上げ、一部の女性は娼館から出て二人を見送る。二人は隣に並び色街の出口へと向かった。

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