三話 夢幻世界① 両親
窓から差し込む朝日に瞼を刺激され、目を覚ますと大きく伸びを一つする。少し開いた窓から入ってくる肌寒い風を頬に受け、晴れやかな気分でベッドから体を起こしたファンは窓から外の景色を眺める。澄みわたる空の青さと変わらぬ爽快感を感じていた。
「まさか朝まで寝てたのか、俺は……」
窓を閉めるつもりで、ふと見た窓から望む景色に若干の違和感を覚える。
「はて? あんな建物あったかな?」
見覚えのあるような無いような不思議な感覚に首を捻るも、取り敢えず飯にしようと着の身着のままで寝ていた事を思い出し着替えを始めた。
服を全部脱いで下着一枚の姿になったファンは、床に投げるように置いた服を拾い上げ、またもや違和感を感じた。
「あれ? こんな服、持ってたっけか? いや、あったような、ないような……」
それにサイズも少しばかりか小さい気がする。不可思議に思いながらも、この家に唯一あるタンスが置かれた元両親の部屋へ向かおうとすると、部屋の扉がノックされた。
「だ、誰だ!?」
この家には自分しかおらず、玄関扉ならいざ知らず、家の中にまで入ってきてノックをするとは、不躾にもほどがある。思わずファンは扉から跳び跳ね退く。
「あら、起きていたの……って、どうして下着一枚なのよ、ファン。もう大人なんだからしっかりしなさい」
「か……か、母さん!?」
扉が勝手に開かれ現れたのは、少し癖っ毛のある自分と同じ天色の髪、その優しそうな瞳で愛おしくファンを見つめる小柄な女性。
それは紛れもなく、自分の母親であった。
「母さぁーーん!!」
死んだはずの母親が目の前に現れ、ファンは居たたまれなくなり思わず母親に抱きつく。懐かしい匂いに、確かな感触。小柄な母親は、思わず後ろへ倒れそうになってしまう。
「こ、こらーーっ! は、母親を下着姿で襲う息子が居ますかぁ! そ、そりゃ母親としては、愛しい息子に抱きつかれるのは、満更じゃないけど……けど、こういう事は恋人にでもしなさーーい!!」
困惑の表情を見せる母親によって両腕で必死に押し返される。ファンは母親の言葉で、自分の今の姿を思い出した。
「わっ、ご、ごめん……なさい。今着替えるから!」
慌てて、母親の横を通り過ぎようとするといきなり腕を掴まれる。
「どこ行くのよ? 着替えなら、ほら、そこのタンスにあるでしょうが」
振り返ると、確かに無いはずの三段の引き出しが付いた木製のタンスが目に入る。それも見覚えのあるタンス。昔、両親が亡くなり模様替えをした時に捨てたはずのものであった。
「ほら、早く着替えて降りてらっしゃい。お父さんも待っているわよ」
母親が扉を閉めて出ていくと部屋に一人ポツンと残され「父さんも居るのか」と呟く。
どうなっているんだと、疑問に思いながらも取り敢えず着替えなくてはと、タンスの引き出しを開けてみた。引き出しの中には、とうの昔に、自分には合わなくなった服が綺麗に折り畳まれ仕舞われていた。
「これでいいか」と、不意にタンスの上に置かれた鏡に目をやると、そこには、いつもの男性の顔ではなく、これからの人生を謳歌しようと、やる気に充ちている少年が鏡の向こうにいた。
寝惚けているのかと腕で目を擦ってみるが特に変化はなく、自分の顔を撫でてみると鏡の向こうの少年も同じ仕草を左右対象で行う。
「オオオオオーーッ!! わ、若返っている!? お、俺か、これは!?」
何度も自分の顔を撫で肌の潤いや髪のサラサラ感を確かめてみるが、間違いなく若かりし頃のファン、そのものであった。
「ゆ、夢か……これは?」
自分の髪の毛を一本抜いてみる。
「イテッ! ゆ、夢じゃない……のか?」
痛みを確認して目を丸くしたファンは、思わず雄叫びを上げる。
「うおおおおっ! し、信じられん! もしかして過去にでも戻ったのか!? こ、これはツイている! あの時の……やり直しが出来るかもしれないっ!!」
歓喜に震えるファンは、満面の笑みをみせる。そこに大声を聞いて驚いた母親が再び勢いよく扉を開いた。
「ど、どうしたのっ、ファン!! ……って、あんた、まだそんな格好で。それに何で笑っているのよ」
母親と目が合ったあと、自分の格好を確認すると未だに下着一枚で鏡の前で笑っている事に気づく。
「あ、いや、これは違うんだ。母さん」
「ふぅ……さっさと服を着なさい。お願いだから、昨日のお隣さんみたいな事にはならないでね」
呆れた顔をした母親は、小さな溜め息を吐くと再び一階へと戻っていく。
「隣? 隣は、随分前に無人なはず……」
ファンは昔の記憶をたどり、いつから隣が無人になったかを思いだそうとする。
「お、思い出した。確かに隣の人は、役人に逮捕されてからこの先ずっと空き家だ! 昨日って言ってたよな……つまり、今日は俺の十六の誕生日!! そうだ、確かに俺の誕生日前日に隣で騒動があった。確か逮捕理由は……露出魔……あっ……いやあああああっ!!」
母親に露出狂の心配されて、悲鳴を上げると慌ててズボンを履くのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ファン・セリュウスには夢があった。
現在の採集ギルドに所属するわけではなく、同じゴルゴダの街にある探索ギルドに所属することだった。
そして、各地に点在するダンジョンを攻略して、地位と名誉を手に入れ、そして両親を楽にさせてあげたいという夢が。
しかし、それは叶うことはなく、現在の生活に甘んじ、更には楽にさせてあげたかった両親は、既に居なくなっていた。
それもこれも、全ては、この日がターニングポイントと言ってよかった。
ファンの人生は、十六歳の誕生日から歯車が大幅に狂い出したのだ。
彼は密かに燃え上がる。
今の自分には、この記憶があると。そう、復讐にも似たやり直しが出来る、過ちを回避することの出来る記憶が。
一階へと降りていくと、ファンにとって懐かしい男性が自分の姿を見て思わず目を細める。
「おお! やる気に充ちているな、ファン」
鼻の下に髭を生やし、ファンとは似てもいない茶髪で細身の男性。彼こそ、ファンの父親。ファンは母親同様抱きしめたくなる想いを潜め「おはよう、父さん」と笑顔で通常を装う。
十六歳となり成人したファンの凛々しい姿を、父親は活力のある若者の姿と見ていたが、その実心の中では、思い出したくもない過去への復讐に燃えているのであった。