十六話 夢幻世界③ 心痛
ファン達四人は、探索ギルドの建物から出ると既に日は高く昇っており、通りは朝より賑わいを見せ、その中にはファン達と入れ違いでギルドの建物に入っていく男達もいた。
体中は薄汚れ、新しい傷も目立つ男達の中に、チラリとファン達を一瞥をくれる者がおり、その鼻から頬にかけて傷痕の残った男に、ファンは少し首を傾げる。
「誰だったっけ?」
雑踏に掻き消されセリにも聞こえないくらいの声で呟いたファンは、その男を、どこかで見覚えがある気がしていた。
「それでは我々はここで。明日の朝に再びギルド前に集合、準備を整え、まずは手始めに近くのダンジョンに潜るか」
「ん? ああ、それでいい。じゃあな二人とも。セリ、行こう」
ファンとセリはルクスとアミラと別れると並んで帰路に着く。
「セリって子供嫌いなの?」
「わっちが? いや、全く。むしろ好きな方さ」
「でもアミラと合わない感じだね」
「そうさねぇ……何て言えばいいか……。何となく“アミラには気をつけろ”って頭の中で警報が鳴るんさね。女の勘ってやつさ」
「女の勘ねぇ……俺にはまだまだ女性の心ってのがわからないや」
後頭部で手を組んで歩いていたファンの腕を取り、自分の腕を絡ませたセリは体を預けるようにしなだれる。
「ファンは他の女の心なんて知る必要はないさ。わっちの心だけでいいんだよ」
「そ、そうだよな」
デレッと鼻の下を伸ばすファンは、もはやセリしか見えていない。人通りは多く、時に前を見ていないファンはすれ違う人と何度もぶつかるのであった。
「おや、何かあったのかね?」
セリはとある建物の前に人が集まっているのに目が止まった。ずっとセリを見ていたファンが視線を上げると、顔がひきつる。建物に見覚えがあったためだ。
「セリ、回り道しよう」
「何があったか聞いてくるよ」
この行動は仕方のないことであった。ずっと奴隷、娼婦と鳥籠の中にいたセリにとっては好奇心というものを焚き付けるのに絶好の餌であった。
建物に近づきたくないファンは、俯き加減にセリの行方を見守り、セリは野次馬の一人に声をかけている。心中ではハラハラとしながらもファンは、いざとなったらセリを連れて逃げる腹積もりであった。
「聞いてきたよ」
複数の野次馬から話を聞き戻ってきたセリは、ファンの様子に首を傾げながら話を始めた。
「なんでも、彼処は賭場らしいよ。で、昨日あった殺人事件の参考人として役人が賭場の関係者を連行するらしいさ」
「さ、殺人事件!?」
見覚えのある建物とは、以前はファンを騙し、そして今回はファンに騙された、あの賭場であった。
そして殺人事件と聞いてファンは一人の男を思い浮かべる。ファンの元友人であるザップの存在を。ファンという厄介者を連れてきては、制裁くらいはあるだろうと考えてはいた。
まさか殺されたのはザップかもしれないとファンは考えたが、すぐに頭を振って、その考えを掻き消した。
「どうかしたのかい?」
「いや。とりあえず此処から離れよう」
随分と後味の悪いことになったと、やはり最悪の事態と捉えてしまうファンは、心を痛める。
ファンは人通りの少ない場所へセリを連れて行くと洗いざらい話す。もちろん、今いる世界が夢の中だとは説明を省いてであったが。
「なるほどね、もしかしたら殺されたのはその友人かもしれないってことさね。でもね、ファン。それであんたが心を痛めることはないさ。悪事ってのは跳ね返って来るもんさ、たとえ大なり小なりね。その男は、ついていなかった。それだけさね」
ついていない。その言葉はファンに重くのし掛かる。以前の自分が正にそうであったように。自分が幸せになれば、より返す波は他人へと降りかかる。初めて、あの枕が少し怖く感じたファンであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
二人の帰宅を今か今かと待ち望んでいたファンの母親は、落ち着きなくリビングを忙しなく動き回っていた。
そこへガチャリと玄関の扉を開く音が聞こえると一目散に迎えに出た。
「なんだ、お父さんか……」
仕事を終えて帰って来くると、あからさまにガッカリされてファンの父親は、不満を露にする。
「なんだは、ないだろう」
ファンの父親の仕事はこのゴルゴダの街の主に商売関係で取り締まる役人であった。と言っても下っ端の下っ端。警察官のような仕事ではあるものの、捜査などはせず、単に一兵卒のような扱いである。
「ただいま」
そこへ丁度ファンとセリが戻って来る。
「お帰りなさい!! ファン、セリちゃん!!」
「おっ……と、と」
母親は玄関を塞いでいた父親を押し退けるとファンとセリに抱きつく。よろけそうになった父親は、苦笑いを浮かべながら頭を掻いていた。
「それじゃ、早速出掛けましょ、セリちゃん」
「俺はお金取ってくるよ」
早く早くと急かす母親にセリは言葉には出さないが少し戸惑う表情をしつつも、心の底から嬉しく思っていた。親の顔を知らないセリは母親と買い物など、初めてなのである。
「お義母様、わっちは……」
「どんな服が似合うかしら。セリちゃんは綺麗だからね、容姿に負けない服がいいわね」
「母さん、これで足りるかい?」
二階から戻ってきたファンは、母親に一銀貨ペリを渡す。正直、ファンには女性の服の値段などわからず、少し多めのつもりで渡したのだった。
「あれ、ファンは来ないのかい?」
「俺は遠慮しておくよ。母さんと女性二人で行っておいで」
「ほ~ら、行くわよ! セリちゃん!」
母親とセリが出ていくと、ファンは父親と二人きりで留守番となり今日あった事を話す。念願の探索者になれたことを嬉しそうに報告するファンを見て、父親もウンウンと何度も頷いて嬉しそうであった。
「あ、そうだ。父さん、実は帰り道に……」
ファンは役人である父親に、賭場でセリから聞いた話を伝えた。
「殺された人がどんなやつかって? うーん、担当違いだからな。話では背の高いヒョロっとした細身の男らしいよ」
元友人であるザップに酷似する容姿。再び胸を痛めるファンは、それでも父親の前では気丈に振る舞い、話題を探索ギルドであったことへと戻すのであった。
「遅いね、母さん達」
「そうだな……と、どうやら帰って来たみたいだ」
「ただいま~」
「遅くなってごめんよ、今戻ったよ」
二人は両手に袋を抱えていたため塞がっており、肩で扉を支えながら入ってくる。想像以上の荷物の多さにファンも父親も呆れた顔をしていた。
「全く。どれだけ買ったんだ。ほら、母さん荷物貸しなさい」
「ありがと、お父さん。ほら、ファンもセリちゃんの荷物持ちなさい。あ、二階じゃなくて奥の部屋にお願い」
台所の奥にある父親の書斎に荷物を運び入れると、母親とセリの二人は書斎へ籠ってしまった。
「何してるのだろ?」
「買ってきたものを品定めしているのだろう。男には中々理解出来ないことだ。覚えておけよ、ファン」
胸を張り男性として先輩風を吹かす父親に、テーブルに肘をついたまま「はい、はい」と聞いているフリをする。
ガチャリと書斎の扉を開くのを見ていたファンは、思わず立ち上がってしまった。普段の装いと違い、華美な物ではなく色合いも地味である。しかし、結っていた髪をおろし、化粧を落としたセリの姿。一見純朴であるが、それが却ってセリの美しさを引き立たせていた。
赤いロングスカートに白いブラウスに薄緑のカーディガンを羽織ったセリは、どうも落ち着かないらしく、手を前で組みオドオドと目が泳ぐ。
「へ、変じゃないかい?」
「全然、変じゃない! 凄い綺麗だよ。何て言うか、元から持っていた艶やかで美しさを包みこむ可憐さと言うか。ごめん、上手く伝えられないや」
「ふ、ファンが喜んでくれるなら……わっちも、嬉しい」
くるくるとその場で回転してみせると、ヒラヒラとロングスカートが舞う。セリは、ファンの手を取り互いに見つめ合う。父親は微笑ましくも、少し親の前では控えてくれと思いながら見ていた。
「そういえば、母さんはどうした?」
「じゃじゃ~ん!!」
父親の言葉を合図に書斎から勢いよく出て来た母親。その姿は大きなスリットの入ったロングスカートに腰下までの華やかな紋様の入った上着を羽織り帯で締めている。肩を出し胸元は大きく開き惜しげもなく谷間を見せつけていた。
「それって、セリのやつじゃ……」
「母さんも一度、これくらい華美な服着てみたかったのよ。どう、お父さん?」
髪を結い化粧までセリと同じく目尻に薄い青いのシャドーまで入れており、くねくねと腰を動かして父親へアピールしているのだが、セリより背丈の小さい母親は、時折ずれる上着を直していた。
「か、か……母さ~~ん!!」
今にも、この場で押し倒しそうな勢いで飛びかかる父親を、襟首を掴んでファンは引き止める。興奮覚めない父親と、その前で胸元や生足をちらつかせる母親。ファンは、こんな両親を見たくないと、そっと目を閉じるのであった。
余談だが、この後お釣りを返してもらったファンの手には銅貨が一枚だけあった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜も更け、ファンは自室で今か今かと待ちわびていた。セリに「着替えて来るから少し待っていて」と言われたためだ。
「は、入るよ」
少し緊張気味のセリの声。扉が開かれると、そこには膝下まである薄手の白いネグリジェ一枚のみのセリの姿が。
「へ、変じゃないかい? わっちは赤とか紫がいいって言っていたのだけど、お義母様が」
本当に大事な部分のみを隠した編み込みのレース柄、只でさえ色気の強いセリに白色という清純さがプラスされ、その相乗効果は計り知れない。
内心で母親の仕事ぶりを褒めつつ、興奮したファンは、早く早くと腰掛けたベッドの隣に座るように促す。
「なんだろ、緊張するね」
仕事ではない、嫌々でもない。初めて己の意思でファンを誘っている事にセリは初心な女性のように緊張していた。
そんなセリの心情など疎く鈍いファンは、隣にセリが座るなり押し倒してその豊かな胸に顔を埋める。それでもセリは受け入れ、愛おしそうにファンの頭を腕で包んだ。
ところがファンは、これ以上何もしてこなかった。それどころか、寝息が聞こえ始める。夢を叶え、その夢の代償として他人の命が奪われた事に自分が思っている以上、ファンは気づかない内に精神的に疲労していた。
「おやすみ、ファン……」
セリはファンを起こさないようにそっと枕の上に頭を乗せて布団を被せると、同じ布団に潜り込み額に軽くキスをして、自分はファンの胸を枕に眠りについたのであった。




