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川蝉祭  作者: 真野櫻子
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2部  5章  (7)

 家の中に飛び込んだ拓也と相葉はあとから追って家に入ってきた二人を横から待ち伏せて、腹に靴先をめり込ませた。倒れたところで、その横顔を踏みつける。

 これで、あと八人――。

 その二人を乗り越えて家に入ってこようとした奴の顎に蹴りを入れて、吹っ飛ばす。

 これで七人――。

 庭を見ると、坂田の、振り回した物干し竿が、その長さが仇になり、塀に当たって動きが止まったところを三人にかかられて、とうとう竿も奪われた。宮本は四人がかりでボコボコにされている。

 拓也と相葉は庭に踊り出て、それぞれ宮本と坂田の助けに跳び蹴りで入っていったが、いかんせん、多勢に無勢で、初めこそめちゃめちゃに手を出していたが、結局は捕まって芝の上に押さえ付けられた。さっき、家の中でした三人もそれに加わる。

 中国人の少年たちは、すでにボロボロの状態の四人を、後ろから腕をねじ上げて無理矢理立たせ、一列に並ばせた。

 それまで門の近くまで下がっていた熊永ユウエイが、鼻歌交じりに軽いステップを踏みながらゆったりと近づいてくる。熊永は、このごろの暑さで包帯を巻くのは止めているものの、まだ左耳に特大のカット面を貼っている。

 リズミカルな身振りでハーパンの尻ポケットから何かを取りだした。手の中のものはあっと言う間に、刃渡り十二センチあまりの、刃の背の先端がえぐるように鋭く反ったナイフと化した。かと言って、これはいわゆる飛び出しナイフではなく、折り畳めるナイフの機構に、刃にバネを付け加えたもので、携帯するのはともかく、所持する分には、一応、届け出の要らない合法の代物である。熊永は収に耳を切られてから、すぐにこれを取り寄せた。

 烏丞篤ではなかった誰とも知らぬ〝あいつ〟を、自分と同じ目に遭わせるために。

 ただ、熊永はハムラビ法典の信奉者ではなかった。

 熊永の考える同じ目というのは「目には目を、歯には歯を」ではなく、「自分の目には、相手の目と歯と鼻と耳とを」なのである。

 熊永は、相変わらず軽やかにステップを踏みながら、そのスイッチナイフもどきを片手でヒラヒラさせて、鼻歌交じりに四人の前を行ったり来たりしながら、そのつど、気が向いたのを、殴り、蹴りつける。

 四人は恐怖で、目の前のうねうね光る刀刃とうじんから目が離せない。

 と、熊永は拓也の前で止まった。

「おい」

 と言って、拓也の顔をガキッという音がするほど殴ってから、

「あいつのことを教えろ……」

 と言った。

 殴られて口から血を吐きだす拓也から返事がないのを見て取ると、熊永は自分より十センチ以上も高い拓也の髪を鷲掴みにして、

「烏丞篤のフリをした、あいつだよ」

 と、拓也の耳を自分の口元まで引き寄せて言った。

「……誰が……教えるか……」

 それを聞いた熊永は膝で腹に蹴りを入れる。

 拓也がぶほっと息を吐いて、咳き込む。

 拓也は四人の中で一番ひどくやられていた。立っているのもやっとであった。しかし、ここで倒れてはだめだ。大勢との喧嘩のときは絶対に倒れてはいけない。倒れたら、全員による、攻撃する箇所を選ばない〝蹴り〟合戦が始まる。それはナイフで刺されるよりもいっそ死に近い。

 ――杳のブラホックを外さないまま死ねるか! 

「クソが」

 と吐き捨て、熊永は拓也の髪を掴んだまま、ナイフの先を拓也の咽喉に突き付けた。


 先程から杳の持つショウビンの鈴がブーンという音を立てて振動し、振ってもいないのに鳴りだした。

「また、あのときと同じ……」

「何と同じだって?」

 杳は展望灯台での、鈴にまつわる一件を話した。義彦はチッと舌打ちすると、

「あいつらそんなこと、俺に一言も……」

 と苦々しそうに言う。そして、

「どうやら、拓也の身に何か起きてるらしいな」

 杳は真っ青になる。「うそっ」

「落ち着け」

 義彦はらしくもなく、自分も杳に劣らぬ大きな声をだす。

「――杳、おまえならわかるはずだ。鈴に聞くんだ。集中して」

 杳は鈴を両手で握り締め、目を瞑って、晶の無事を祈ったときのように、ひたすら祈る。


 拓也を助けて。

 お願い、拓也を助けて。


 拓也を――。


 お願い――。


 すると、杳はおもむろに鈴の持つ手で左斜め後方――南西の方角を指し示した。

 義彦はバックミラー越しに、聞く。「その方角にいるのか――?」

「……わからないけど」

 そう答える杳の目は半眼だ。

 義彦はもうそれ以上余計なことは聞かず、一つ目の小路を左に入った。

 杳の指すままに来た道は、義彦には近ごろ見覚えのある道であった。

 鈴の早鳴りの中、杳が「ここ――」と言った場所は、やはり、死んだ高任潤一の家だった。

 門にかけて合ったイエローテープが千切れて、門が開いている。やはりここで何かあったのだ。

 篝火からこっちシートベルトをしていなかった杳は急いで車から降りる。義彦がそのあとを追った。

 開いていた門の前に立った杳の目に飛び込んできたものは、ぐったりして血まみれの拓也と、その拓也の喉笛を掻き切らんばかりにしているハーパンの少年の姿であった。

「やめてーっ」

 杳が叫んだ。

「杳……?」

 拓也がもうあまり開かない目で見ようとする。

「来るな……ショウビンさん……」

 相葉が息の洩れるような声で杳を制す。

「ショウビン? あれが? おもしろい。おまえに聞くよりあの女に聞いたほうが早そうだな? そこで見てろ。……あぁ、その目じゃ見えないな。せいぜい声をあげさせてやるよ」

 熊永は殊更下卑た笑いを浮かべる。

「やめろォッ!」

 虫の息の拓也のどこに、こんな力が残っていたのか、拓也の口から杳と同じ言葉がほとばしる。

 その時、杳の後方で義彦が叫んだ。

「杳、鈴を振れッ!」

 杳は何やらわからないまま、でも、義彦を振り向くこともせず、即座に、鼻をかむ時みたいに身体一杯に伸ばして鈴を持つ右手を振り上げ、そしてそれをそのまま思いっきり振り降ろした。

 ゴォーン。ゴーーーン。

 すると、杳に近寄ろうとしていた熊永の歩みがぴたと止まり、持っていたナイフをその場にぽとりと落とした。そして、両手で頭を抱えて、苦しそうに呻きだす。

「熊永、どうした?」

 取り巻きの少年たちが、拓也たち四人を放りだして熊永を囲む。どうせ四人は押さえていなくたって動けやしない。リーダーの異常のほうがはるかに重要であった。

「杳、もう一度だ!」

 義彦に言われて、杳は、もう一度鈴を振りあげる。

 すると、ハーバーで、耿司に伸され拓也に小突かれたのが、持っていた物干し竿を振り上げて、杳に向かって振り降ろした。

魔女ムォニュォォッ!」

 杳はそれを見ても、身がすくみ一歩も動けなかった。ただ目の前の恐怖から目を逸らしたいばかりで、目を閉じて、顔を伏せるばかりである。

 ビシァァァンッッ。

 肉を固いもので打ちつける鈍い音が辺りに響いた。

 杳は、ううッと言う呻き声を聞いた。それから、血の匂いを嗅いだ。はぁはぁという苦しそうな息が顔に当たる。そして、逞しい腕が、身体が、自分を余すところなく、すっぽり包み込んでいるのを感じた。だから、目を開けても視界は閉ざされたままであった。しかし、杳はそれが何かよくわかっていた。

「拓也――」

 杳が放心したように呟く。

 拓也は、ボロボロの身体で咄嗟に物干しの前に出て、杳の頭と肩とを覆うように抱き締めたのだった。物干し竿の鋭い打擲ちょうちゃくを受けたのは拓也のTシャツ一枚の背中であった。

「――いやぁぁぁッ」

 すべてを悟った杳の絶叫とともに、杳の持つショウビンの鈴がひとりでにゴンゴンと激しく鳴りだす。

 と、熊永が、

「ゥウワーッッッ」

 という悲鳴を上げて、ますます芝の上をのたうち回る。

「熊永!」

「どうしたんだっ⁈」

 取り巻きが熊永に触ろうとするが、あまりの苦しみように手を出し兼ねていた。そのうちの一人が依然、拓也に抱きしめられたままの杳に向かって、

「オイッ。うるさいんだよッ。鳴らすなッ」

 と怒鳴る。杳が振って、鈴を鳴らしていると思っているのだ。

 いっこうに鳴り止まぬ鈴に業を煮やした別のが、やめさせようと杳に近付く。

 それを、いつのまにか前に出ていた義彦が、錫扇をジャケットの隠しから取り出し、少年の耳をしたたかに打ち付けた。

「ぎゃぁぁーーッ」

 少年は痛みにもんどりを打つ。多分、鼓膜が破けたのだろう。

 義彦はその少年にはもう見向きもせずに、のたうち回っているを熊永を見下ろして、最後通牒のように言い渡す。

熊永ユウエイ君、今後、生きショウビン樣を手にかけるようなことがあれば、たとえ、ユウ家の者でも只では置かない。――熊艾ユウガイ先生がどうなったか、知らない訳ではないだろう?」

 それから、取り巻き皆を見まわして、

「熊永を連れてここから立ち去れ。――今すぐに」

 口調は静かでも、義彦の言葉は底冷えがする。取り巻き連は言われた通りにした。熊永を両脇から肩で支え、高任の家を出て行く。

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