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『今から来て』
迷った挙句、僕は彼女に電話した。すると、彼女がそう言った。既に妻は寝ている。僕はこっそり家を抜け出した。
彼女は既に来ていた。あれからそのままここへ来たようだ。さっきと同じウエアのままカウンター席の一番奥に座っていた。僕は彼女の隣に腰かけた。僕を見てマスターがかすかに微笑んだような気がした。
「驚いたわ。でも、また会えてうれしい。この前は連絡先も好感しなかったから。もう会えない人だと思っていたし」
「あさ、君たちが車に乗って来た時は僕も焦った。一瞬、ヤバいと思った」
「ということは私の事を覚えていてくれたのね?」
「ホテルの事はともかく、初めて会った時に気になって仕方なかった。だから、一度店を出た後、またここに来た」
「ふーん…」
あやふやな返事をしながら、彼女は煙草に火をつけた。
また会えてうれしいと言いながら、彼女はどこか捉えどころがない感じがした。僕はどう接すればいいのか迷っていた。
「取り敢えず、ちゃんと話が出来て良かったわ。これからもよろしくね。ホテルで一夜を一緒に過ごしたキミ」
それから、小一時間ほど自己紹介的なことを話してお互いの連絡先を交換した。そして、その日はそのまま分かれた。
ついでだから僕がタクシーで送ると言ったら、彼女はいいと言った。
「こんな目立つ格好の私と一緒にタクシーで帰ったら、近所の暇なおばさんたちにゴシップネタを提供するようなもんだわ」
帰宅して、風呂に入ってから僕は妻が眠っているベッドへそっと潜り込んだ。よほど疲れていたのか、妻はすっかり熟睡していて、僕が入って来たことにも気付かないようだった。
翌朝、妻の一言に僕は心臓が止まる思いをした。
「あなた、昨日の夜、どこかへ出掛けてたでしょう?」
「あ、ああ…。ちょっと店に忘れ物をして…」
「そう。で、あったの?忘れ物?」
「あ、うん…」
「良かったわね」
どうにかごまかせたかな…。妻は勘が鋭い。ただ、僕がすることに今まで口出ししたり、問いただすような態度をとったことは一度もない。ちゃんと答えさえすればそれ以上は何も言わない。




