4. 迷いの歌
「歌姫様が深い眠りにつかれた日が精霊紀元年。国をおつくりになった精霊は、その後、民にその清らかな力をお分けくださってきたのです。そうです!我々民のそばにはいつも風の精霊がおられます。光闇の祭祀は二柱の神、歌姫、精霊に感謝を捧げる大切な祭祀です。皆さん、気を引き締めて取り組むように!」
朝の祈りの後、また始まった神官長のいつもと同じ退屈なお言葉と朝食をうっかり食べすぎたぷくぷくのお腹のお陰で、私の意識は遠くを飛んでいたらしい。
あと少し演説の終了が遅ければ……危なかった。
神官長は神紀の話が大好きで、毎日の朝礼で必ず話す。絶対に。
けれど決して肝心なことには触れない。
ーーーこの風の国の現状には。
「やっと終わった。話が短ければもっと早く準備が始められるのに。」
私の肩を数度叩いて意識を取り戻させ、淡々と皆の声を代弁してくれたのは神官レイラ・ケリー。
私と同い歳の彼女は、オリーブ色の髪をまとめ上げキリリとした顔つき。けれど情に厚く意外と涙もろい。
彼女との出会いは、神殿の裏庭で派手に水をかけられ呆然と佇んでいた私に、レイラがそっとタオルを差し出してくれるという、なかなかに恥ずかしいものだった。
次の日、かけた相手に泥水を以って報復しようとした時は慌てて止めたけれど。
店には酔っ払いもたくさん来るから、厄介者の撃退術は心得てると、真顔で言われた時はどうしようかと思った。
レイラは街の食堂の娘だったが、ある日突然妖精の姿が見えたことから神官として召し上げられたそうだ。
妖精とは精霊から零れ落ちた力の一部が具現化したものであり、その姿が視えるヒトの数は少ない。
ここにいる神官のほとんどは視えるヒトであり、妖精の加護持ちともされる。
だから身分は関係ない。
昔とは違って。
ただし「ほとんど」というのは、私のように巫子の側仕えをするために召し上げられた貴族子女の神官もいるからだ。
十八歳で成人すると、以前の貴族制度では文官、武官、神官のいずれかを選択して王宮に形だけ入るというのが慣例だった。
そこで王族や力を持った貴族に取り入ったり、甘い汁を吸ったり好き放題して、政治や治安は置き去りだった。
革命以降、そんな腐敗の元となった貴族制度は解体され、男女ともその功績に応じて一代限りの爵位が議会によって決定・授与されることとなった。
そのため、いかに貴族の子女といえども家の力に縋ることは許されず、実力がなければ成人したからと言って国の中枢には入れないのである。
蛇足だが、私の優秀すぎる兄達は成人前から召喚され、それぞれ国の仕事を担っていた。すごい。
平々凡々な私はというと、成人を迎えたらランドルフの家を出て街で働こうと考えていた。
貴族の家で暮らしてきたけれど、特筆した特技もないし、必要最低限の生活の知識はこの時のために身につけてきた。
何より、このままランドルフの家でお世話になるのは気が咎めた。お母様のいない、この家で。
しかし荷物を整理し、周りにどう切り出すか考えていた成人前夜。
突然呼び出された私が父様から告げられたのは予想だにしていなかった道だった。
「成人したら神官になりなさい。巫子の側仕えだ。」
「……っ」
「聞こえなかったのか。」
「いえ……私が神官ですか?」
「そうだ。成人したら登城しなさい。」
「ですが」
「もう決まったことだ。準備を。」
あの時、机に向かいながら淡々と告げた父様が何を考えていたのか私にはわからない。
ランドルフは盟主との関係が近いことや、文武共に秀でた家柄故に敵が多いのも事実だし、コネのような形で拾い子を神官にするなんて、公然と批判する材料を与えることになる。
それに。それ以前に。
ーーー私には無理だ。あそこには行きたくない。
意を決して顔を上げた。
「私はーーー」
「しっかり国に尽くしなさい。ランドルフの人間として。」
不意に合った目。
相変わらず底が見えない瞳からは何も読み取れなかった。
けれど私は自分の心を図りかね、愚かにも考えることを放棄してしまった。
「ランドルフの人間」と言われ心が跳ねた理由も。
ひどい未来になることがわかっているのに、驚くほど抵抗なく父様の決定を受け入れてしまった自分自身のことも。