第九話 店番もやってみると結構楽しい。
ついに両親が旅行へ出かけ、獅子雄達が店番をする日がやってきてしまった。
毎年恒例の店番であるが、今回違うのは、亜紗妃が一緒に店番をすることだった。
今日から両親は一週間ほど旅行に行く予定…だったのが急遽変更が加わり、一ヶ月ほど色んな場所に行ってくることにしたらしい。
この急遽変更される旅行を、我が家では急変旅行と呼んでいる。
もう毎年恒例の事なので、家族間ではこれが普通のことと化しているから、誰も不思議とも思わなければ止める者も居ない。
こっちは食費と店の維持費等を用意されていれば、大抵の事は出来てしまうからだ。
両親が旅行中の間は、俺と出雲と竜子さんの三人で店番をすることになる。
「あー、暇すぎる。酒飲みたい…獅子雄、ちょっとビール買って来いよ」
「いやアンタ今は仕事中だろ!?紅尾金龍の水合わせはどうしたんだよ!?水合わせは確かに暇だけど、あれ一匹数万するヤツだからおとしたら怒られるレベルじゃないって!」
「ちょいお兄!亜紗妃ちゃんがバケツの水をひっくり返したからモップ掛け手伝って!」
出雲に呼ばれて行ってみると、水浸しになった床を涙目でぞうきん掛けをしている亜紗妃ちゃんが居た。
「ごめんなざい…わだじが不注意でごぼじまじだ!」
「ここは俺が片付けおくから、亜紗妃ちゃんは出雲に餌やりの方法を聞きながら、魚たちに餌を与えて貰えると助かる。無理そうだったらリビングで休んでても良いから」
「こっち来て、あとはお兄に任せて大丈夫だから。泣かなくても大丈夫。うちは熱帯魚のお店なんだから、水をこぼす位で別に怒られたりはしないよ」
ふぅ…どうして亜紗妃ちゃんが店の手伝いをしているのか。
今日から店番をすると聞いて、亜紗妃ちゃんが店の手伝いをしたいと言い出したのが始まりだ。
唐突に店の手伝いをさせて欲しいと言われたが、大変だからと説得しようとしたんだがな、出雲達が乗り気になってしまったからゴリ押しされてしまった。
とりあえずは体験と言う形で難しい作業等はさせないと言う事で決定していたのだが、出雲のヤツは何故に古代魚の所で水替えをさせたんだ。
肉食魚系等(この辺)は俺と竜子さんの担当だと決めてあるはずなのだが。
よりにもよって…古代魚であるポリプテルス・エンドリケリーの水槽をやっていたのか。
こいつ等は肺魚と呼ばれる肺で呼吸する種類の古代魚だ。
まるで蛇の様な長い体を持つが、成長すると大きくなるので育て甲斐や体が筋肉質になるからそれが美しいということでかなりマニアも多い。
俺の予想からだと、多分水替えをしている最中に呼吸する為に勢い良く水面まで急接近してきたのだろう。
最初は驚いても仕方がない…俺も一度やったことあるから。
「水槽からの飛び出しはなさそうだな…被害もそこまでないから良かった」
もし飛び出されていたりしたら厄介過ぎる。
ポリプテルスは肺魚と呼ばれているだけあり、水槽から飛び出しても少しの間は生きていられる。
特に蛇に似た形をしているから、意外と陸上でも移動が出来る。
下手をすると水槽台の下や変な所へと逃走されてしまったら、見つけ出すのは困難だ。
やっと見つけた頃には干からびた状態という手遅れになるケースもかなり多い。
ポリプテルス(奴等)は、水槽の蓋にある隙間を狙った様に飛び出しては、自滅する事故が多々あるから気が抜けない。
対策として家の店では濾過用ウール等を詰め込んでいる。
穴を塞げばいい話だと思うが、肺魚故に肺でも呼吸するから密閉すると窒息死してしまう。
だから家の店では通気性の良い濾過用のウールをフタの隙間に詰めて、脱走防止対策をしている。
以前は金網を改造して付けていたらしいが、頭を怪我したりする個体が多発したり、金網を通り抜けてお客さんに水がかかるので廃止したそうだが。
「獅子雄、あらなんとかのはな?って金魚は家の店で取り扱ってるっけ?」
「あらなんとか?あらなんとか、あらなんとか…麁の華か!アレはちょっとマニアック過ぎて家では扱ってないな」
頭を掻きむしりながら戻って行く竜子さんの背中からは、かなり苛ついている雰囲気が伝わってきた。
麁の華なんて名前、金魚好きでもあまり聞かないだろう。
相当金魚に深く関わっている者とか、金魚が大好き過ぎる人とかだ。
俺ですら図鑑でしか見た事がないからな。
図鑑でもあまり載っていないのもあるだろうが、まずレアな金魚である事は間違い無い。
竜子さんが名前を聞いても直ぐに出てこないのは仕方がない話だ。
「ねぇねぇ、エンゼルの水槽で白点病が出てるんだけど、どっち使えば良いんだっけ?メチレンブルー?それともヒコサン?」
「絶対にヒコサンを使え。前にメチレンを入れすぎた時の惨劇を思い出せ」
過去に出雲がメチレンブルーを使用した時、思いっきり力を入れすぎた事が原因で辺り一面に薬をまき散らしてしまった。
着色の効果が強いせいで衣類に付着すると洗った程度では絶対に取れなくなる。
それを店のあちらこちらへと飛ばした後、俺達にまでぶっ掛けてしまったんだからな。
おかげで出雲はかなり叱られて、俺達は衣類を一部ダメにされてた挙げ句に、体の一部が青くなってしまった。
店の方もまぁまぁな被害が出たのだが、あの時はお客がいない事が一番の幸運だ。
「あのお兄さん…さっきはありがとうございます。私が片付けないといけないのに」
「失敗は誰にでもあるから、気にしなくても良いよ。俺も何度かやったことあるからね」
申し訳無さそうにしているしている亜紗妃ちゃんは、着替えたのか俺のTシャツを着ていた。
下には出雲が好みそうなダメージジーンズということは…出雲から借りたということか。
「可愛いでしょ?こういうへそ出しもありじゃない?亜紗妃ちゃんって無駄なお肉とかないし、腰が凄く細いから私より着こなしてるんだよね」
うん…似合ってる事は認める。
違和感どころか、出雲よりも女の子らしくすら見えてくるからな。
下手をすれば出雲や竜子さん以上の看板娘に出来るかもしれない。
出雲は近所の人達からも可愛いと言われているから、この時期になるといつもよりお客さんは店に来る。
だが家の店での問題は竜子さんがお客さんで気に入らないと、睨み付け続けるというところだ。
しかも一昨日の事件があって、まだ不機嫌なところが抜けていないから、いつ爆発されるか分らないのが恐ろしい。
「いやぁ、まさかバケツをひっくり返されるとは思わなかった。でもこうして可愛い姿が見れて私は結構満足だったり」
「い、出雲ちゃん…私、やっぱりお腹だすの…恥ずかしいよ」
抱き締めながら撫で回す出雲と、顔を赤くする亜紗妃ちゃんを見ても、やっぱり女の子同士がふざけている様にしか見えないのが凄い。
いつも心の中で言っているような気もするが、何度見ても凄いと言いたい。
女の子っぽいから違和感が仕事をしない上で、心配する気が起らない。
亜紗妃ちゃんから告白されてから、出雲との男女関係にならないだろうという、複雑な形での理解が出来たからだ。
その代わりに俺自身がかなり複雑な心境だけどな。
「出雲、なんで亜紗妃ちゃんにポリプテルスの水替えをやらせたのか説明しろ。あそこは俺と竜子さんが担当するって決めてたよな?」
「あはは、実は亜紗妃ちゃんがポリプを見て可愛いっていうから…案外…行けるかなーと思って、へへへ」
「私からお願いしたんです。ポリプテルスってお魚の小さい姿が、まるでウーパールーパーみたいだったのが、可愛くてお世話してみたくなったんです」
ウーパールーパーか…確かにエンドリケリーの幼魚はエラから生えているな。
あれって成長と共に消えて行くから不思議なんだよな。
しかし亜紗妃ちゃんの好みがポリプのエンドリだったとは。
人の好みをどうとかいう気はないが、かなり良い趣味をしていると言える。
エンドリケリーは人気がある種類なのだが、成長とともに大型になって行くために飼育が困難になる。
平均的に80㎝ほどには成長するから、将来的にはかなり大きめの水槽を用意しないと飼えない。
幼魚の頃を見ればホームセンターに売っている金魚セットで飼育できそうな気もするが、肉食魚故に水も頻繁に汚すから、あれを買うより先に大きめの水槽で余裕をもった方が良いと言える。
もし亜紗妃ちゃんが飼育したいと言うのであれば、その事も説明しないとだ。
本人が買いたいと言い出せばの話だが。
「ポリプって可愛いよね。あのちょっととぼけた感じの顔とかたまらない!特にパルマス・ポリーって種類が頭が丸くて可愛い顔をしてるの!この間までいたんだけど、お客さんの元に旅立っちゃって」
「パルマス系なら入って来てるはずだぞ。アロワナ付近にある水槽で温度合わせをしてるはずだ」
お互いに顔を見合わせて、目を輝かせながらパルマスを探しに行く二人。
元々親父がポリプ好きというのもあって、結構取り扱っている種類はかなり多い。
ブリーダーとも関わりがあるから、そこから仕入れたりもしていると聞いたもあるが、実際に色んなブリーダーが来たりするから誰が育てている人なのかよくわからない。
「お兄さん!私、このパルマスって子を飼いたいです!飼い方を教えてください!」
「亜紗妃ちゃんポリプ買うの⁉︎だったらこれで熱帯魚仲間だね!じゃあ早速必要な物をお兄に選んで貰って、発送は竜子姉に頼んで運んでもらおっか!でも水槽は最低でも一週間はから回ししてからにしないと。あと今日来たばかりだから、一回休ませてあげないとね!」
「ちょっと待て。水槽を準備する前にすることがあるだろ?まずは親御さんから許可を貰わないとだめだ。最初は小さくても、成長すればだいぶ大きくなるのが古代魚だからな。それと肉食でもあるから、そこもしっかりと頭に入れておくことだ」
今の時代は大分飼育がしやすくなったと思う。
肉食魚だから水を汚しやすいから、頻繁な水換えを要求されることは常識だ。
肉食魚の糞は、金魚等と違い魚等の肉も食べているから相当な臭いを発する。
もちろん昔は肉食魚を買うと言うときは餌も生きた餌等を使うから、餌代も馬鹿にならない程だったらしい。
だが時代が進んで濾過器もより強力で使いやすい物が続々と登場してきたし、餌も栄養価と嗜好性の高い人工飼料も販売されてきている。
魚の飼育法もまた同じで、新しい方法でより飼育難易度も下がったとも言えるだろう。
ポリプなら大型種以外なら60㎝のセットで売られている水槽でも飼育は可能だが、本当はもっと大きい方が余裕があっていいが、その代わりにメンテナンスもまた大変になってくる。
「多分飼うことは許してくれるかもしれません。両親がリビングで大きい水槽で一匹飼っているので。名前は確か…えっと、アスト、アストロ?」
「それってアストロノータスじゃない?オスカーって名前の方が一般的に知られてるんだけど」
写真を見せてくれるというので、確認をしてみるとやはりオスカーだった。
それも色が白いのと、模様からして種類はタイガーオスカーのアルビノ個体だと分る。
見た感じだと水槽の大きさは横幅が120㎝で奥行きと高さが60㎝のかなり大きい物だと思われる。
レイアウトもしっかりとされており、下にはガーネットサンドを薄く敷き、真ん中にはかなり立派に成長したアヌビアス・ナナが植え付けてある巨大な枝流木。
濾過装置はスタンダードに上部式フィルターとサブに糞取り用の投げ込み式フィルターを採用してあるのか。
あとよく見てみると、混泳蒹水槽のコケ取り要因買われていく巨大化したセルフィンプレコが二匹も泳がせてある。
これはこれでなかなかな良い風景で迫力のある水槽だ。
「大っきい…竜子姉の部屋にあるのはこれよりももっと大きい水槽があるけど、亜紗妃ちゃんのお家の水槽もなかなかに良い水槽を使ってるね」
「見た感じだとアクリル水槽だな。プレコもオスカーも怪我が無い様子だと、お互いにあまり縄張り争いをしてないと見える。オスカーにしては大人しい性格だな」
「お父さんとお母さんが一目惚れしちゃったんです。私が初めてこのお店に来た日に、水槽の中でまだ小さかったのが可愛かったそうで」
この写真のオスカーは、家の店で買われて行った個体だったのか。
写真からも伝わってくる感じだと、大切に育ててもらったのが伝わってくる。
大きさもアルビノ個体の場合はあまり大きくならないという話を良く聞いたりもする。
普通の個体であれば大きくなっても30㎝以上になるのだが、アルビノだと25㎝ほどで止るという話も聞く。
輸入された野生個体の場合は更に40㎝を超える事も多い。
亜紗妃ちゃんの写真だと見た感じでは、普通に40㎝ほどは行っているからとても大切にされてきたんだろう。
「私の知ってるオスカーの中でも一番大きいかも。でも竜子姉の部屋に入ったら、亜紗妃ちゃんびっくりして失神しちゃうかもね」
「も、もしかして怖いお魚とかがいたり…するの?」
「アタシの部屋に怖いのなんているわけないじゃん。居るのは可愛いアロワナ達。どいつもこいつも可愛い顔してんだよね、これがさぁ!」
いきなり会話に乱入してきた竜子さん。
始まったのは自分の部屋で飼っているアロワナ自慢。
竜子さんの部屋には三匹のアジアアロワナが同棲しているが、この人もまた育成がなかなかに上手い。
水替えの時は俺も一緒に駆り出されるのだが、終わった後には煙草を渡してくる。
それも吸いかけの二本か三本しか入っていない物をだ。
何度かいらないと断っていくと、最終的には電子煙草を渡された。
その後は電子煙草に使うであろうフレーバー?の使った余りを渡される。
「亜紗妃ちゃんもアロワナ飼いな。分らない事があればアタシが教えてあげっから。なんだったら直ぐにでも設置してあげようか?」
「い、いえ…流石にアロワナを飼うまでの自身がありません、ごめんなさい。それに私、この子に運命を感じたんです。この子の顔がまるで、お兄さんが考え事をしている時の顔に似てるんです」
俺の顔がポリプに似ていると照れながら言う亜紗妃ちゃんに対して、理由を聞いていた二人は大爆笑していた。
一目惚れした理由が、俺の考え事をしている時の顔って結構ショックが大きい。
以前にも竜子さんからオオカミウオと言われたこともある。
自分の顔が凶悪なのはしっかりと理解してる!
遠くから見たらヤクザだって分ってる!
過去に親からアロハシャツを着せられた時には警察に職務質問を一日で三回以上も受けたことだってある!
どうして…俺ってヤクザ顔に成長したんだろう。
「アハハハ、本当だ!お兄の顔の雰囲気がパルマスそっくり!」
「パルマスそっくりって…ぶっ!ヤバい、腹痛ぇ!お前いつからそんなアホ面するようになったんだよ!」
もうこの場から逃げ出したい!
だけども、店番をサボったら後でフルボッコになれる。
この屈辱が一体いつまで続くんだ。
夕方辺りになってくると、少しだけお客さんが増えはじめた。
増えはじめたと言っても、いつもよく来てくれる金魚のブリーダーさんや、グッピーやベタを趣味で沢山増やしている人とかばかりだが。
一部の人では竜子さんと出雲目当てで来る人も居たりする。
特に出雲目当てで来るのは近所のご老人方だ。
竜子さん目当てで来る日とは柄の悪い人とかが来るのだが、お客相手でも最初はかなりの喧嘩越しで話をしていた。
ここ最近だと相手にするのすら面倒に感じたのか、作業をしている俺を呼びつけて相手を脅すことを覚えてしまったらしい。
大体の相手は俺が出てくると青ざめて出て行く。
過去には警察を連れてきた馬鹿野郎が居たが、ご近所の方達が説明をしてくれたおかげで助かった。
二度とご免だというのに、遠くから来るバイク乗りまで来るから少し困っている。
「へぇ、出雲ちゃんのお友達かい。こりゃまた可愛い子だねぇ」
「あ、ありがとうございます」
「超可愛いでしょ!竜子姉も亜紗妃ちゃんにメロメロで、もう可愛すぎてヤバいの!」
出雲と亜紗妃ちゃんは会話に夢中になってるが、俺の方は竜子さんの大学の友人に絡まれている。
理由は知らないが竜子さんの友人6名が来店してきた。
魚を買いに来たのか、またはからかうために来たのかまでは知らないが…さっきから女の人が三人ほど絡んで来るから仕事が出来ない。
まだ魚について聞いてくるのであれば答えたりはするが、どうして彼女が居るのかとか、モテるのかとか傷を抉るような質問をしてくるんだ。
「これが竜子の弟かぁ…全然似てないけど、ウチてきには結構ありかな~。なんかこう、顔から男らしさがにじみ出てくる感じ?君分る?分るよね?最近は草食系とか言うけど、ウチはやっぱりこう野生的に魅力のある方が好みなんだけどなぁ~」
なんだ…この人。
凄い上目使いで見てくるだけじゃなく、さりげなく胸元のボタンを開けて来てる。
あとボディタッチもやけに多い気がする…気がするんじゃなくて確実に来てる。
「独り占めはダメでしょ?私にもねぇ、楽しむ権利があるんだから。何だったら、今からでもどこか遊びに行く?竜子には説明しておくから」
「あ…俺は…まだそういうのは早いかと」
「早いって何?お姉さん達に言ってみ?獅子雄君だっけ?結構女遊びしてそうだよね。だけど、反応からして未経験でしょ?何がまだ早いのか、しっかりと話してみてよ」
む、胸が当たる。
左右と後ろから胸が押しつけられてる。
落ち着け俺…落ち着くんだ俺。
きっとこの人達はふざけてこんな事をしてるんだ…でも目が本気にも見える。
「ねぇ獅子雄君。お姉さん達は獅子雄君と遊びたいなぁ。大人しかしらない、特別な遊びをしたいなぁ…初体験が美女三人って、かなり幸運だよ?」
急に耳元で囁かれたと思うと、逆の耳に息を吹きかけられた。
これ以上は俺の理性が保ちそうにないと感じた瞬間、背後から突然引っ張られ、在庫倉庫へと放り込まれた。
入り口を見ると竜子さんの後ろ姿があり、こちらを見ずにカッターを目の前に投げて倉庫を出て行ってしまった。
多分在庫を開けておけと言いたいのだろうが…助けてくれたと信じよう。
実際の所は助かったのだが、男としては…やっぱり自然現象が起るよな。
あの三人が本気で言っていて、本当について行ったりしたらある意味凄い思い出になってたな。
まだ心臓の鼓動が激しい…手まで震えてる。
「…お兄さん。えっと…その…大丈夫、でしたか?」
「大丈夫…少し驚いただけだよ」
亜紗妃ちゃんから外の様子を聞いてみると、少し戸惑ったような感じだったのだが、軽く説明を聞くと良子さんがついに爆発したらしい。
俺がついに爆発させてしまったのかと恐怖したのだが、どうも怒りの矛先は俺ではなく友人達に対してだそうだ。
俺が三人に絡まれている間、ずっと睨み付けながらイライラしているのが伝わってきて怖かったとのこと。
煙草を一本吸い終わる事に、消費するスピードが増していき、最後には五本まとめてだそうだ。
そして俺が動けなくなっている所で爆発してしまい、俺をここへ放り込んで帰って来たと。
「お姉さんが居ない間、お友達三人がお兄さんに絡んでた三人を怒りながら連れて帰ったんです。出雲ちゃんと私には、後で謝罪に来ると伝えて欲しいと言われましたが…本当に大丈夫でしたか?」
心配をしてくれているのは分るんだけども、顔が結構違いよ。
目に涙を溜めているのはいつもの事なのだが、今日に関して妙に色っぽい。
さきほどの件でまだ体が落ち着いていないとう事だ。
「…ごめんなさい!私…私…お兄さんのが…その」
は…恥ずかしくて死にたくなってきた。
収まってすらいない状態で近づかれたから…もうこの倉庫から出ない。
「うぅ…恥ずかしいよぉ。私まで…でも、やっぱり恥ずかしい。だけど男同士だし…きっと大丈夫、うん…私は男の娘だから」
何が大丈夫なのか分らないが、一人で何を納得しているのだろう。
「私は…私はお兄さんが好きです!あれから、家に居る時も、部屋に居る時も、お風呂に入っている時も、学校に居る時もずっと沢山考えました。お兄さんは…女の人が好き何だって。でもやっぱり…忘れられなくて…優しいお兄さんが、好きで、思い出すだけで苦しくて」
目の前で上着を脱ぎ始める亜紗妃ちゃん。
上半身だけを見れば発育が遅い子にも見えなくもない体。
以前にも見た事があるからこそ、あまり緊張感が湧いてこなかった。
手を胸元に持っていって隠す仕草はとても女の子らしいと思える。
あれ?やっぱり亜紗妃ちゃんって女の子なんじゃないかと思えてくる俺が少し怖い。
「この気持ちは本当なんです…あの人達みたいな、遊びとかじゃないんです。こんなに、人を好きになったのは…初めてなんです」
亜紗妃ちゃんが近づいてくるたびに、俺はあることに気づいてしまった。
目の前でズボンがほんの少しだけ、膨張しているのだ。
男なら誰でも分る現象であり、目の前で起っている事態が何を意味するのかが、ハッキリと分かってしまう。
「私じゃ…やっぱりだめですか?男が嫌なら…お金を貯めます。そのお金で手術を受けます。本当の女の人になれば、私を受け入れてくれますか?だから、どうかそれまでで良いから…一度で良いから」
ゆっくりと目の前に座り込み、顔を近づけてくる亜紗妃ちゃん。
いつもならここで出雲とかが覗いて居たり、誰かが来て助かったりするのだが、今日に限っては誰も来てくれない。
本当にこれで良かったのか?
あのまま連れて行かれていった場合には、俺はどうなっていたのか予想はつかない。
こうして迫られている時も同じく、どうするのが正しいのかが分らない。
受け入れてしまう方が楽になるのだろうか。
「…やっぱり…今の私には早い気がします。まだお付き合いもしてないのに…でも、でも気持ちが、抑えられない」
「まだ早いって感じるなら…まだその時じゃないって分ってる証じゃないか?正直俺もさっきはビビってたけど、今もかなりビビってる。たまに見せる積極的な亜紗妃ちゃんに圧倒されるからな…抑えられないってのは、誰だってある事だよ」
俺は俺で、別の欲望が抑えきれなくて財布が軽くなってしまうけどな…主に金魚で。
だからある意味、何かに惚れ込むってのは良く分かってしまう。
金魚に惚れ込むのと人を好きになるってのを同じにするなと言われたら終わりだが、それを好きって思うって行為に違いはないと思っている。
亜紗妃ちゃんが誰に恋をしようとも、否定をするなんて馬鹿みたいな行為はしない。
惚れた相手と言うのが俺であるとしても、完全に恋愛を妨害する事なんで出来ない。
この行動事態が屑のやることであったとしてもだ…俺にはどうしても否定する事が出来ない。
自分自身でも分らない程に…否定も拒絶もしたくなんてないからだ。
「あの…少しで良いんです。ほんの少しの間だけでいいので、私を抱きしめてもらえませんか?お兄さんの心臓の鼓動を少しだけ聴かせてください」
そう言うと同時に、俺の胸元に顔を当てて心臓の音を聞き始めた。
抱きしめて欲しいと言われてやろうとすると、結構恥ずかしいと感じてくる。
実際に抱きしめてみると、男とは思えない程の体の細さに、肌はとても柔らかくさらさらとしていた。
自然と手が動き始め、柔らかい肌をなぞるようにと撫で始める。
既にお互い気づいてはいいたのだろう。
お互いで見ずとも分るが故に、男としての本能が動き始めている。
生殺しからのこれは耐えるというのも辛いというものだ。
「このまま…ずっとこうしていたいです。私、凄く心が安らぐんです。初めて、ここまで愛おしい気持ちになりました」
そこから先は何も起ることもなく、ただただ静かに時間が過ぎて行くだけだった。
誰かが倉庫に入ってくる事もなければ、こちらもこれ以上は何もせずに倉庫を後にした。
雰囲気と欲に流されて結構なところまで行ってしまったが、かなりの順序を飛ばしている。
以前よりも亜紗妃ちゃんとの距離が縮んだような…というよりも懐かれた感じがする。
「おっそい!二人でイチャイチャしたいのは分るけど、店番の時くらいは控えてよ!キレた竜子姉がどこか行ったらから私一人でやらされてるんだけど!?」
「別にイチャついたりはしてないさ…箱から在庫を出すのを手伝ってもらってただけだよ」
「う、うんそうだよ。私、お兄さんが大変だと思って」
完全に疑った視線を投げつけてくる出雲。
実際の所は出雲の言っている通りなのだが…バレると後々厄介なことになる。
何よりも…受け入れ初めている俺がいる。
俺は男でも女でも行ける人間なのか?
やはり亜紗妃ちゃんが女の子っぽいから、あまり拒絶反応事態が起らないのか?
最近だと亜紗妃ちゃんからああいうことをされても嫌とは感じなくなってきてもいる。
もう自分自身が分かんなくなってきたから疲れてくる。
「今竜子姉から連絡来た。なんか今日は帰れないから、夕飯は適当に食べて良いだって。夕飯は出前取ろうよ!私は今日中華が食べたいから中華料理頼もう!」
「出前を取るんだったら龍子姉さんにも注文を聞いておかないとな」
「龍先生の所に行くなら私もご一緒させてください!」
いつも思うのだが、亜紗妃ちゃんは本当に龍子姉さんを尊敬してるんだと思わされる。
龍子姉さんの名前を出すと必ずと言って良いほどに目が輝き、絶対に付いてくると言い始める。
そして出雲の方もソワソワしているから、行きたいのが見え見えだ。
「…はぁ、二人は龍子姉さんに何が食べたいか聞いて注文をしてくれ。竜子さんが居ないから、店も今日は早めにしめておくから」
「アイアイサー!亜紗妃ちゃん、今日も家に泊まってく?てか明日も家で働いてみる?そうすればポリプのお世話しながら飼育方法を勉強出来るよ。あと許可を取るなら電話でも出来るからね」
今日も亜紗妃ちゃんは我が家で夕飯を食べて、泊まって行くことになった。
時刻はまだ6時半辺りだが、今日は店のシャッターを閉める事にする。
「すみません。お店ってまだ開いてますか?」
シャッターを閉めるために外に出てみると声を掛けられたので振り返ってみると、一人の少女がこちらを見つめていた。
見た感じだと出雲と同い年ぐらいに見える少女だ立っていた。
腰まである黒髪は染めているのか毛先は赤く、とても整った顔立ちをしている。
つまり美少女が家の店の前に立っているということだ。
ふむ…この少女が店はまだ開いているかと聞いてくると言う事は、相手はお客さんと言う事で間違いない。
本当は店を閉めたいのだが、決まった時間より早く閉めるのをやめることにした。
せっかく来て貰ったのに、追い返すなんてすることは出来ない。
「全然大丈夫ですよ。どうぞゆっくり見て言ってください」
基本的に家の店に熱帯魚を買いに来る人で、若いお客様が来るというのはかなり珍しい。
ましてや少女が一人で来るってことが珍し過ぎる。
もしかすると出雲か亜紗妃ちゃんと同学年の子かもしれない。
でも俺の顔を見てもビビらないって言うのも…なんだか新鮮で嬉しい。
「お願いしたいんですが。このレッドビーシュリンプを10匹と、クラウドシュリンプとブラックシャドーシュリンプを5匹ずつお願いします。あと栄養系の土って取り扱ってますか?」
「栄養系でしたら丁度シュリンプ水槽の下に置いてあるのと、水草水槽の下にあるのが全部ですね。無い物であれば、こちらでお取り寄せられそうな物であれば、お取り寄せも出来ますが」
少女がソイルを見ている間に、こちらは言われた通りにシュリンプを救う為に網と容器を取りに行く。
シュリンプ系の厄介な所は、小さいエビである事からかなりすばしっこく、逃げられやすいから捕まえるのにも苦労するところだ。
レッドビーシュリンプは赤白の縞模様で、かなり綺麗なエビだと思うが、一部では飼育が難しいと言われている。
店で販売してる間にわかったが、言われている程に弱いとも思えないと感じている。
水あわせはしっかりとする方が良いが、個人の意見としては結構強いのではないかと言いたい。
水槽に入れて直ぐに死んだという場合には、その個体が元々弱っていたり弱かったか、入れた水槽の水がまだ出来上がっていなかった場合だ。
「シュリンプなんですけど…自分で掬っても良いですか?」
「はい、全然構いませんよ。その方が、自分の気に入った個体を選べますからね」
掬い終わった個体を袋に入れている間に、ソイルの方も決まったらしく、カウンターの上に乗せられていた。
購入するシュリンプを見る限りだと、もしかするとブリーダーをしてるのかもしれない。
選んでいたレッドビーシュリンプは、安いので300円ほどのが居るのだが、購入していたのは親父の知り合いのブリーダーが繁殖していた個体。
一匹だけでも安い個体の5倍はするのを10匹も飼っている。
そこへ別のブリーダーが増やしたブラックシャドーと呼ばれる黒いシュリンプと、クラウドシュリンプと呼ばれるハイブリット系の高い個体まで購入しているからだ。
普通なら水槽で泳がせるのが目的であるならば、安い方を飼っていく人が多い。
この種類を泳がせるのは相当な物好きだろう。
「もしかして、シュリンプのブリーダーとかしているんですか?」
「分りますか?熱帯魚店を経営していますから、分りますよね」
経営しているどころか、ただの手伝いなだけなですけどね。
「いえ、経営しているのは父と母で、自分は店の手伝いなんですよ。あと上に姉と下に妹が居て、二人も一緒に手伝いをしているもので」
「そうなんですか?貫禄があったので、てっきりここの店長さんかと…失礼な質問だと分かっているのですが、おいくつなんですか?」
話し込んでいくうちに、お互いが同じ高校二年生であり、高校が少し離れた所にあると言うことが分った。
気がつけば意気投合しており、お互いに違う物のブリーダーをしているが、苦労が分るということで時間が経っていたようだ。
なかなか戻ってこない事に痺れを切らしたらしい出雲が呼びに来てしまった。
「いつまでやってんの?もうご飯届いたんだけど」
「悪い、つい長話をしちまってて」
「妹さんですか?可愛いですね。今日はありがとうございます、また来ますね」
少女が店を後にした後、突然出雲が俺の袖を掴んできた。
どうしたのかと思い顔を見てみると、何故か暗い顔をしながらも、袖を強く握りながら一言だけ不気味な事を言い放ってきた。
「…あの女…気を付けた方が良いよ」
まるで出雲が怯えている様にも見える。
ただ何を怯えているのかは分らない。
「絶対に気を付けて…女の勘ってヤツだけど、私はあんまり関わりたくない感じ。特に亜紗妃ちゃんと竜子姉達には会わせない方が良いよ」
その日、店を閉めた後の出雲はいつもよりも暗い雰囲気でおかしかった。
出雲が言っていた警告が気になり、あまり寝付く事も出来なかった。
ただ
気がつくと、いつの間にか亜紗妃ちゃんが俺のベッドで寝ていたのに驚かされた。
「気を付けて…か。そうさせてもらうよ…お前の予感は良く当たるからな」
結局…俺はなんとなく亜紗妃ちゃんの頭を撫でている間に眠ってしまった。
小さい頃に怖がった出雲がベッドに潜り込んできた時にやってやると寝るからだが、これをすると俺自身も気づかぬ間に眠ってしまうからだ。
このときはまだ、出雲の警告に隠された真意には気づいていなかった。
獅子雄と亜紗妃との距離が縮む一方で、突如店に現れた少女。
彼女の正体は一体…出雲の警告の真の意味とは?




