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ダークナイト  作者: 神月裕二
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9 邂逅

 早坂順弥は、京子に救われてから二日ほどの間に、急速に言葉を覚え、知能を高めていった。というよりも、今まで覚えていて失っていたものを、徐々に思い出しつつあるといった感じであった。それほど、知識の吸収性が高かったのである。

 また、京子と一緒に街を出歩けば、一度でその辺りの地理を頭の中に納めることも出来た。

 だから、その日、朝早く京子がモデルの仕事で部屋を出ていった後、順弥は一人で街に出てみたいと思ったのである。

 年齢的には定かではないが、顔つきや体つきなどからしても中学生であろう。だが、今の彼の知識はそれ以下でしかない。まだまだ好奇心が旺盛な少年と言っても良かった。

 そんな訳で、順弥は胸をときめかせながら、マンションを出たのである。

 その安易な行動が、彼をさらなる地獄へ導くことなど、到底考えもつかなかった。

 少年にとって、街の喧噪さえも新鮮であった。

 恐らく、記憶を失う前は、当然のこととして全く気にも留めなかったような事柄まで、少年は感動と驚嘆のうちにそれを受け止めていた。

 人々がせわしく行き来する往来、ざわめき、車のクラクション、排気ガスの臭い、そして、電柱の根本にしがみつくようにして咲く小さな名も知らぬ白い花。

 ふと、工事中のビルの下に立ち、頭上を見上げる。

 耳障りな音がして、火花が散っている。

 ビルを建設するための鉄筋を溶接しているのだと、順弥は知らない。まだ、京子に教えてもらっていないのだ。

 それでも、しかし感動はある。

 いや、それだからこその感動だろうか。

 人間は、何とすごいのだろう。

 そういう素直な気持ちである。

 再び、順弥は歩き出した。

 楽しかった。

 心が高揚して、足どりが軽くなる。

 ずっと、このままの生活が続きますように。

お姉ちゃんと、ずっと暮らせますように。

 順弥は微笑みながら表通りに出た。

「うわっ!?」

 休日ではないのだが、さすがに表通りはもの凄い人ごみであった。

 人、人、人。

 その人の多さに、順弥はただただ驚くばかりである。

 こんなにも人がいて、生活しているのか。

 それは、もの凄いことだと思う。

 感動して歩道の真ん中で立ち尽くす順弥の耳に、どやどやと騒々しい音が聞こえてきた。

 何かしら、と左に眼を向けると、太ったおばさんの集団がこちらに向かってくるのが見えた。

 何列にも並んで、歩道を占拠しながらずんずんと歩いてくる。

 その迫力に思わず圧倒され、順弥は慌てて街路樹の影に走り寄った。

 上手くその集団をやり過ごすと、順弥は、ふうっと溜息をついて、再び歩き出した。

 途端、一人の男に正面からぶつかった。

 歩き去ったおばさま方の迫力ある背中に眼をやっていたからである。

「あっ……!?」

 思わず尻餅をついてしまう。

「大丈夫かい?」

 優しげな声がとっさにかかった。

 二〇代の、まだ若い男が心配そうに順弥の方を見、手を差し伸べてきていた。

 暖かい感じのする笑みを浮かべた、紺のスーツを着た若者であった。

「あ、ありがとう」

 順弥はその手につかまりながら立ち上がると、ペコリと頭を下げて礼を言った。

 彼はくすっと微笑み、

「この人ごみの中で、よそ見しながら歩いてちゃ迷惑だよ」

 そう注意すると、順弥のジーンズについた土埃を払ってくれたりもした。

 順弥は、少しこの若者が好きになれそうな気がした。

「――この街は、好きかい?」

 唐突に彼が訊いてきた。

「わからないよ。――でも、たぶん、好きだよ」

 順弥は戸惑いながらも、自分の感想を素直に若者に伝えた。

「人がいっぱいいるし、ビルもいっぱいある」

 活気に満ちあふれているのだ、という言葉を、順弥はまだ知らない。だから、そういう表現の仕方になってしまうのだ。

「ああ、そうだね。――人がいる数だけ考え方があるし、人生がある」

「…………」

 順弥が沈黙してしまったのは、彼の言っている言葉の意味がわからなかったというわけではなく、何を言おうとしているのか見極めようとしたからである。

 記憶を失っているとはいえ、順弥はそういうことが出来る少年なのであった。

「だが、奴等は愚民だ」

「――!?」

 愚民という単語の意味はわからなかったが、少年には、若者から放たれる悪意の念のようなものを察知することが出来た。

「自分たちが、この星で最もすぐれた生物だと錯覚し、他の動物や植物を喰らい尽くしていく。そして、この地上にしか住むことが出来ぬくせに、環境を破壊し、汚染し続ける。それが、悪いことだとわかっていても、だ」

「…………」

「――まさに、愚か者だよ。だから、我々は人類を滅ぼすのだ。そう、粛正だよ」

 ゆっくりと、若者が順弥の方を振り向く。

 そこには、あの優しく、暖かな笑みはなく、冷徹な氷のような表情のみがあった。

「わかるかい、《《一〇五号》》」

「ああ…」

 順弥は、眼前の若者の顔に邪悪な笑みが満ちるのを見、知らず一歩後退していた。

「君を、我々の組織『ノウド』から外に出すわけにはいかないのだよ。君のパワーは強力すぎる。――どうだ、戻ってはくれないか?」

「いやだ!」

 順弥は、叫ぶように言って、若者の差し伸べてきた手を思い切り振り払った。

 その声がかなり大きかったので、まわりを歩く人々が、何事かと思わず彼等の方に顔を向けた。

「――ふむ、場所を変えよう。ここではやりにくい。――ついておいで」

 そう告げると、若者は順弥に背を向けて、ひょうひょうと歩き出した。

 少年は、その若者の背に凝っと鋭い視線を向けて、その場に立ち尽くしていた。

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