6 交点
その部屋には、今にも切れてしまいそうなほど、ピンと張りつめた緊張の糸があった。
四人の男たちがいる。
年代も体格もさまざまだ。
「――困ったことになったな」
スーツ姿の男が、少し楽しそうな口調でそう言った。四〇歳前後の、総髪で、斬れそうな程冷たく鋭い眼をした男であった。
彼は足を組んで椅子に座り、マホガニーのデスクをはさんで立ち尽くす三人の男を見つめていた。
中央の男は、すでに漆黒のローブを脱いでスーツ姿になっているが、その顔は紛れもなく、あの闇の密儀を取り仕切っていた司祭のものであった。
司祭は、惨めにもガタガタと身体を震わせて、今にも泣きそうな顔をしている。
向かって左側の、岩のような屈強な男が、司祭をあの混乱の中から脱出させた『巨人』の大竹という男であろう。
そして、総髪の男の視線は、向かって右側の白髪の老人に向けられていた。
年齢は七〇歳前後だろうか。
眼鏡をかけ、口ひげを生やしている。
「どういうことが原因で、あのようになってしまったのか、説明していただけるかな」
男の声を聞いた途端、白髪の老人が、やせ細った小さな身体をビクンと震わせた。
彼もまた泣きそうな顔をして、流れ落ちる汗をハンカチでしきりに拭っている。
「黙っていてはわからんだろう、ドクター池田?」
男の声はあくまでも優しげだ。しかし、その裏に秘められた圧力に、池田と呼ばれた老人は身体を恐怖に震わせるばかりである。
「あなたは自室で、部下の手術風景をご覧になっていた筈だ。それを見て、あなたがどう思われたのか言って欲しいだけなのですよ」
薄く嗤う。
「…は、はい」
老人は、ごくりと喉を鳴らし、覚悟を決めたように話し始めた。
「魔装鎧『騎士』型の暴走は、はっきり申しまして予想外のことでした。魔界の生物をチタン鋼と融合させる作成プログラム、そして人間に鎧を着装させる召喚プログラム、それらに何ら問題はありませんでした。…いえ、なかった筈です」
一旦言葉を切る。
「ふむ――」
男がチェアーを少し揺らした。
きぃという音が沈黙の部屋に響く。
「――では、何が原因なのかね」
「…これは、手術を担当した彼らのうち、重傷ではありますが何とか一命をとりとめた者たちから聴取したことなのですが――」
「――聞こう」
「我々は、『騎士』型の潜在能力を見誤っていたのではないか、と。ビデオカメラが途中で破壊されてしまいましたので判然としないのですが、あの少年――一〇五号は、魔装鎧の放つ妖気に支配されておりました。つまり、魔界の生物の妖気から精神を守るために投与しました抗魔剤が、全くその効力を発揮していなかったことになります。――ですから、全ての作業や行程に誤りがないとするならば、『騎士』型の初期設定における性能の数値が間違っていたとしか…」
「なるほど。それはつまり、全ての設計を行ったあなたの責任ということになりますかな、ドクター」
男の声が、凛と響く。
「は、はい。どのような罰もお受けいたします、寺垣様」
恐れのあまり、気が狂ってしまうのではないか。
それほどの表情であった。
寺垣という、自分より遥かに年少の男に、もの凄い恐怖と威圧を感じているのだ。
「確かに、この度の失敗は大きい。だが、だからといって、すぐにあなたの首をはねることはしない。何故なら、あなたを失うことは我々『ノウド』にとってより以上の重大な損失だからだ」
「で、では…?」
安堵に満ちた顔を上げる。
殺されると思っていたからだ。
「今すぐに、『騎士』型を上回る兵士の開発に取りかかって頂きたい」
何故なら。
「奴は、他の魔装鎧の能力を吸収するという能力を偶然ながらも得た。得てしまった。こちらも早急に奴を発見し、殺すことに努力する。が、もし生き延びれば、奴の存在は我々にとって非常に邪魔なものとなる。――それ故に、全力をもってこれを排除するのだ」
「わ、わかりました。研究室に戻り次第、新たなチームを編成し、『騎士』型の欠陥の発見及び、それを上回る魔装鎧の開発にかかります!」
エビのように腰を曲げ、深々と一礼する。
「頼りにしていますよ、ドクター」
寺垣が微笑んだ。
悪魔のような魅力のある笑みだ。
恐らく、ここにいる誰も彼もが、この笑みに魅入られてしまっているのだろう。
池田は、死の恐怖から逃れられた安堵に包まれたまま、寺垣の部屋を出ていった。
重厚な作りの木製ドアが閉まると、
「さて、君の処分だが――」
寺垣が、中央の司祭に眼を向ける。
「私がここに戻って来た意味はわかるね」
「――!?」
もしかしたら、救われるかもしれない。
ドクター池田のように、新たな命令のもと、生き永らえるかもしれない。
そう思っていた甘い幻想が、いきなり打ち砕かれた。
その冷たい声に。
「君では、この事態を収拾するのは無理だと本部が判断したのだよ」
「そ、そんな――」
司祭は、すがりつくような眼を寺垣に向ける。
本部の判断。
そして、ノウドの幹部である寺垣が、事態収拾のために日本に戻ってきた。
残されるのは、絶望しかない。
足許に、奈落へ続く陥穽が口を開けているのを、司祭は自覚した。
「君には、アメリカ総本部に更迭ののち、しかるべき処罰が下されるだろう。――下がりたまえ」
寺垣の言葉には、逆らいがたいものがあり、男は肩を落として部屋を出ていった。
ノウド本部で待つのは、死だ。
人間としての、死だ。
「――しかし」
それからしばらくして後、寺垣が溜め息まじりに、呟くように言った。
その呟きに、大竹は巨体を緊張させて、寺垣の方を向き直る。
「厄介なことだな、大竹」
「は――」
言葉もない。
「我等『ノウド』が、世界制覇という野望の実現に踏み出して、もう一〇年余り――。これほどの失態は初めてだと、本部の連中にさんざん言われたよ」
寺垣が苦笑する。
「――」
大竹は無言である。
「――ま、こんな所で腐っていても詮無きこと。大竹、伊沢さんに連絡を取って、こちらに来てもらってくれないか? 久しぶりに会いたいのでね」
「牙狼連合の、ですか?」
大竹が、太い声で言う。
少々不満そうである。
「うむ。関西を中心にして日本全国に組員を配する彼の組織なら、一〇五号の発見もたやすいからな」
「し、しかし――」
「どうした? 不満そうだな、大竹。――心配するな。無論、我々も動くさ」
寺垣が言う。
「魔装鎧『鳥人』型、『獣人』型、『忍者』型、各一名から成る特殊部隊に偵察をさせる。――二段構えの作戦だよ。これなら納得がいくだろう?」
「そうですが…。自分は――」
大竹は拳を振るわせていた。
自分――
いや、俺は――!
「わかっている。敵を討ちたいのだろう。だが、今は待て、いいな、大竹」
寺垣の瞳が光を帯びる。
その光を見た途端、大竹は抗えなくなった。
魔装鎧をまとう魔装戦士へと改造されたとき、彼らはその脳裡に寺垣をはじめとする『ノウド』幹部への絶対忠誠を刻み込まれてしまっているのだ。
だから、不満があっても従うしかないのだ。
もし逆らえば、待つのは刹那の『死』である。
「わかりました、寺垣様」
大竹は拳を握りしめて、言葉を吐き出した。