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第二話 真田問答

 鍛錬の一環も兼ねて古府中の郊外において猪狩りをした帰り道のことであった。笛吹川にかかる橋のたもとへいたった時、遠くより駆けてくる者たちの姿を源四郎は目に捉える。

 不審な気配は感じられない。とはいえ、一応の警戒をしながら近づいてくるばかりの様子をよくよく見れば飯富家屋敷に仕える二人の家人であった。

 これまで幾度も猪狩りには出かけていたのに、初めてのことである。

「すわ、なにごと!」と問うてみたところ「虎昌様が屋敷でお待ちです」と応えが返ってきた。

 今日の戦果である猪をくくりつけていた槍ごと預け、出来る限りの速足で帰り道を急ぐ。

 武家の子は無闇に街中を駆けるものではない。それは町民をいたずらに不安がらせるだけである。という兄者より教えられたたしなみに反さないぎりぎりの脚さばきで。



「待っておったぞ、源四郎よ」

「急ぎの用件がおありとか! なんでしょう、源太郎兄者」

 余程のことなのであろうか。それにしては別段焦っている態でもない。「ちとぬるうなった」と言いながらお茶をすすっているその様子は実にのんびりしたもの。いくらか拍子抜けしてしまう。


「ふとな、な。俺は疑問を生じた。我が飯富家は何故に月に星の家紋を用いているのであろうか」

「と、言われましても。ああ、およそふた月ばかり昔のあれでございますね。戦場で用いる旗印に関して」

「うむ、源四郎は鋭いのう」


 いやいや、と胸中で苦笑する。気が付かなければ、おのれは鈍いどころの話ではないではないか。それにつけても、いまだその悩みにこれほどまでに心を割かれているとは。意外に兄者は引きずるたちなのだな。

 源四郎にしてももちろん忘れているわけではない。だがしかし、風林火山ほどに心を熱くさせる語句など早々に閃く類のものではない。


 されども、なるほど改めて問われてみればもっともな悩みかもしれない。この件について思い直してみる。


 今からざっとで四百年以上も昔、鎌倉に幕府どころか源頼朝公すらまだ生まれてもいない頃。

 甲斐源氏逸見氏の初代光長の息子に長能というお方がいた。この逸見長能が甲斐国巨摩郡飯富郷へ居を構え、飯富氏を名乗ったのが我が家の始まり。なお、逸見光長は甲斐源氏武田家の初代源清光の子でもある。


 ……まあ、要するに。

 どこからどう見ても、飯富家はまごうことなく源氏の系譜に連なる一族なのであった。

 にも関わらず、平氏の著名な紋の一つである月紋の派生系である月星紋を我が家では用いている。

 なるほど、何故だろう。考えてみればもっともな疑問ではある。

 とはいえ、それはそれ。これはこれ。

 面と向かって「何故だ?」と尋ねられても、そもそも家の由来や歴史については兄者から口伝で聞き及んだことが自らの知り得ている全てだ。

「分かりませぬ」としか応えようがない。


「そうだよなあ。分からぬよなあ」とうなっている兄者へ「いっそ、意匠を変えてみますか。この前にお館様よりいただきました碁石金二十粒を並べてみるとか?」と半ば冗談半分で口にしてみる。

 すると、予想外の反応が返ってきた。

「ん? それはご先祖様に。いや、目立つだけならば月星紋でも充分なのだが。飯富家としては変更してみる方が良きことなのやもしれぬ。戦場において……碁石金が二十も散らばる旗か! ほほう、悪うはない、な。冴えておるぞ、源四郎よ!」


 元服しておらず当然ながら合戦経験のない身ではあるものの「戦場で他家と間違われるというのはもうごめんだ」という点についての兄者の言い分には心の底より同意をしている。

 されども、であった。悪趣味過ぎるだろう。そんな家紋を用いるくらいならば、下総の千葉家と間違われようが月星紋の方が余程にマシというもの。

 とはいえ、碁石金二十粒うんぬんについてはつい最前の自らの口がおおもとなわけで。今更先ほどの案は単なる軽口でした、とも言い出しにくい雰囲気。

「並べ方が問題じゃな。二列で十。いや、四列で五も悪うはない。ううむ、源四郎はどう思う?」


 どう思うも、こう思うもない。嫌過ぎる。この流れは非常にまずい。流れごと葬りさらねばならない。

 慌てて話題を捻じ曲げる。

「ところで兄者! 急な用事とかで。いったいなんでございましょう」


「おお、そうであった。実はな、二日ばかり前、武田家へ新たに仕官を求めてきた一族がいる。当主の名は真田幸隆。知っているか?」

 突然何を聞かれるのか。源四郎には意図がまったく読めないのだが、問われたからには応えねばならない。


「確か、信濃は小県(ちいさがた)郡の海野(うんの)家の分家筋にあたる土豪だったかと。先代のお館様である信虎様と北信の村上義清との連合軍相手に大敗したあげく海野家の男子は当主を含めて皆討ち死に。残った者どもは小県よりどこぞへと逃げ落ちていったはず」

「ほう、よう知っておるな。日々の学びは俺が見ていなくとも安心だな」


 誉められてうれしくはあるものの、話の筋が一向に見えてこない。

「それで、その真田がどうかしたのですか?」


「うむ、源四郎の言うとおり海野の家そのものは滅んだ。その後、真田は上野(こうずけ)は長野家のもとに身を寄せて信濃への返り咲きを図っていたそうだ。だが、我が武田家の勢威をみるに無理だと判断したらしい。武田家に遺恨があるとしてもそれは先代信虎様にであって、当代の晴信様にではない。むしろ晴信様はご先代様を駿河へと放逐されたお方。よって、心機一転一族打ち揃って仕官したいと武田家を頼ってきた次第」


「なるほど。それは重畳ですね。実におめでたいことであります」

「何故だ? 上野の長野家といえば関東管領上杉家の忠臣だぞ。そもそも海野との戦においても裏には上杉の影がちらついていた。お館様は真田幸隆をすっかりご信用なされていたご様子であったが、俺としてはいささか腑に落ちぬ」


「兄者、それは良くありませぬ。お館様にならい、もろ手を挙げて歓迎すべきです」

「分からぬなあ。分かるように言ってくれ」


 え? 本当に分かっていない? 源四郎はためらいを覚えつつも言を継いでいった。

「そうですねえ、兄者。武田家は信濃を攻め取らんと合戦をしかておりますね。けれども、諏訪一帯を制した後は停滞気味でありましょう。かの両家への仕置きは、あくどう過ぎましたな」

「お前、言いにくいことをはっきりと口にするのだな。ただまあ、あれは……そうよな、いささかやり過ぎであったかもしれぬ」


 いささかどころではないだろう。

 武田が諏訪家とその分家高遠(たかとう)家に対して行った仕打ちを見れば、そりゃあ信濃の他の諸勢力は明日は我が身とばかりに必死に抵抗するだろう、と源四郎は思う。


 お館様の妹君の嫁ぎ先であった諏訪家と武田家は両家の境界地の帰属をめぐって揉めに揉め、戦となった。結果、武田が勝利し、お館様の義弟にあたられる諏訪頼重殿は古府中にて抑留。

 これについては、今の世において日ノ本のそこかしこで起きているよくある話である。

 問題はその後であった。

 ある日突然に諏訪殿を幽閉し、あげくに詰め腹を切らせてしまう。跡継ぎであった男児はいつの間にか病死していた。ことになっている。

 高遠家には諏訪家との戦の前に、武田に従えば諏訪家を相続させると約束して諏訪家を裏切らせ、戦後は言をひるがえして諏訪家相続については反故。怒り心頭で挙兵した高遠家の領地へ逆侵攻して族滅。


 いやはや、あくどいというか。どぎついというか。


 もっとも、お館様のやり様を擁護すべき点はある。

 そもそもは諏訪家が先に言いがかりをつけてきたのだった。それも、ご先代信虎様が当主であった時には全く揉めていなかった土地の帰属について。

 ご先代様を駿河へ追い出されたばかりなあの時期の晴信様にとって、ほんの寸土であろうと譲歩など出来ようはずもない。少しでも退いていれば、諏訪家はもちろん周辺の諸勢力からも”武田弱し”と侮られる羽目となる。おまけに武田家家臣団からの支持をも失っていたことだろう。

 

 ただそれでも。諏訪、高遠両家の扱いについては……兄者の言うようにどう言葉を飾っても、やり過ぎと言うより他はない。



「よろしいですか、兄者。理由あって信濃への侵攻が滞りがちなのです。そこへ、海野の分家筋が居候先である上野の長野家のもとから一族郎党を引き連れて晴信様を頼ってきた。しかも、現在小県郡を領している村上ではなくあえて武田を選んだ。これがどういう意味か……」

「もったいぶるなよ」


「何点かございますよ。一つ目、長野は、というよりも長野の主君関東管領上杉家はこれまでも事あるごとに信濃にちょっかいを出し続けておりますよね」

「奴ら、しつこい。関東管領でございとほざくのならば、北条相手に関東の地のみを争っておれば良いものを」

「裏を返して見ますれば、真田は長野家の庇護の下でただ待っていれば故地へと帰れる可能性があるわけです。ところがわざわざ退転して甲斐へとやって来た。これすなわち、もはや上杉は頼りにならない、ということ」

「なるほど、上杉を見切ったゆえに真田は甲斐へ身を寄せたというわけだな」


「そうです。二つ目、上杉は頼みにならずとした真田ですが、故地である小県を現在領有している村上ではなく武田に肩入れする方が故郷へ返り咲き出来ると踏んだのです。つまりは、村上よりも武田を上と目利きしたということ」

「そういうことか。村上などと比較されるなど面白うはないが、真田の立場となれば比べて当然……だろうな」

「はっきりしていて良いではありませんか。きっとお館様もそこら辺りを踏まえて信用なされたのでは?」


「なるほどのう。中信の小笠原と北信の村上の下についている国人領主どもへ、石を投げ込んだようなものだな」

「そこですよ、兄者。真田という一族を、内懐に抱えることの利は武田にも充分ございます。故地へ帰りたい真田へ今の武田が与えられるのは古府中における家屋敷以外に何がありますか? ありていに申せば空手形のみです。このこと、中信や北信の土豪たちは注視せざるを得ないでしょう」

「わざわざ攻め取ってまで小県の旧領を真田へ戻すのか? あの武田が? と心底疑っておろうな。諏訪、高遠の先例を見れば……それは仕方のなきこと。だがまこととなった日には……武田は変わったのやもしれぬ。となれば降伏しても本領を丸ごと失うことはなかろうと考えを改めざるを得ない、か」

 そこに眼が向くとは! さすがは兄者と誇らしくなる。


 実はもう一つの点に思いいたってはいた。だが、いささか問題があって、口にして良いものかためらう。するとじっと眼を覗き込まれる。

「どうやら四つ目もあるらしいな? 言ってみろ」

「少しばかり、飛躍しているのですが」

「なんだ?」

「海野の血筋の男は皆亡くなっていますが、娘が一人いたはずです。死んだとも、村上に捕らえられているとも、どこぞへ嫁いだとも聞きませぬ。真田幸隆は海野の分家とはいえ、海野本家が滅んだ今となっては海野の娘の後見人でありましょう。もしも、その娘を真田が匿っているとすれば?」

「いや……それについては俺も知らぬ。それで、匿っていたとしてそれがどうなのだ?」

「ここから先は源四郎の思いつきのようなもの。的外れでしたら笑って忘れてください」

「よかろう」

「それでは。お館様にはご兄弟の男子も多く、更には既に四人の息子をもうけておられます。お一人を、海野の娘へ入り婿させれば、信濃小県一帯の領民たちはもとより現在村上の旗下にいる土豪たちにしても、随分と心安らぐのではありますまいか。武田家にとっても信濃の名族海野へ武田の血を入れて再興させるというのは悪い話ではございません」


「武田一門は男子が多過ぎるか」

「兄者、その議はきわどうございます」


 指折り数えてみる。

 お館様のご舎弟としては信繁様、信廉(のぶかど)様、信顕(のぶあき)様、信龍(のぶたつ)様、信是(のぶこれ)様。ご自身の息子としては太郎様、次郎様、三郎様、四郎様。

 合わせて九人。加えてお館様のご年齢を考えれば五男、六男とこの後もお子が増え続けていく可能性は高い。


「事実は事実よ。諏訪の姫様が今年お産みになられた四郎様が諏訪家を継がれることは間違いない。そうでもしないことには諏訪の地は治まらぬ。それにしても、他の方々全てが武田姓というのは、な。ご当代晴信様がご健在の間はともかく、太郎様の御代となればいささか重過ぎる。骨肉相食む(こつにくあいはむ)はお家衰亡の元。源四郎もその辺りを(おもんばか)ったゆえにこそ海野への婿入りを発想し得たのであろう?」


「それは、その通りではございますが」

「お仕えしている主家にいらぬ家督騒動が起きぬよう願うことは臣下として当然のこと。とはいえ、誰に彼に話してよい議ではない、か」

「当然のこと。兄者ゆえに話しました」


 脳裏にふと疑問がよぎる。

 それにしても……何故におのれは兄者よりの急な呼び出しを受けてまで一面識もない真田家や主筋のきわどい話をしているのだろうか。


「ところで兄者。急なご用件とはいったい?」

「おお、そのことよ。実はな、馬を用意してやろうと思うてな」


「ま、まことでございますか! ありがたく!」

 声は震えを帯びていた。飯富家のならいとして持ち馬をもらえるということは近々元服ということに通じている。

 正確にいうならば、与えられた馬を乗りこなせなければ元服は許されない。

 もう少し詳細に述べるならば、路銀も食料も持たずに従者の一人も連れず、古府中より飯富郷まで野駆けをして日没までに戻って来なければならない。

 とはいえ、飯富郷は古府中からはおよそ六里強(約25キロ)の距離である。しかも富士川に沿っての土手道が飯富郷の手前まで通じている。

 ほぼ並足で、時折ゆるやかに馬を走らせたとしても往復で四刻(約8時間)はどうしたってかかりようもない。

 古府中は飯富の屋敷で飼っている馬のうち、源太郎兄者の持ち馬を除けば全て乗りこなせている源四郎にとっては造作もないことといえる。

 年が改まれば十七歳となる。十八歳になるまでには元服を、とは望んでいた。これがおよそ一年以上ほど早まったようであった。顔は自然とほころび、口元がにやけていく。


「うれしいか?」

「はい!」

「うむ、俺もうれしいぞ! いささか遅うなって済まないことをした」

「いえ、おのれなど部屋住みの身でございますれば」

「そこよ、いざ元服したはいいが部屋住みのままではな。出仕先も決まったぞ」

「まことでございますか!」

「平時は勘定奉行跡部勝輔(あとべかつすけ)殿の下で財政方として研鑽を積むように。もちろん戦の折には飯富勢に加わり副将を担ってもらう。飯富郷へ赴く任もこれからは俺と交互にやってもらうぞ」

「ハハッ。なお一層励みます!」

「それでな、源四郎の乗り馬は真田から購おうと考えておる。なんでも、上野の長野家に滞在中は一族郎党を養う扶持を稼ぐために奥州の馬を仕入れ交配させては売っていたそうなのだ。ちょうど、飯富郷の牧で飼うておる駒たちにも新たな血を混ぜたいと考えていたゆえ、渡りに船というやつよ」

「それで、いつわたくしめの馬を?」

「それこそが源四郎を急ぎ呼び戻した目的よ。本日、ただ今すぐにだ! 真田幸隆殿には日が暮れぬ前に行くと既に(おとな)いを入れてある。さ、早う仕度せい」


 そう言ってニッと笑っている源太郎兄者の表情を見るにつけ、源四郎は理解した。

 どうやら先ほどの真田に関する問答はおのれを試されていた。

 そうに違いないと確信する。


「急ぎ、着替えて参ります。しばし、お待ちくだされ!」

 屋敷の内廊下に、まるで滑っているかのような軽快な拍子の足音が響いていった。


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