第一話 幻の風林火山 後編
ついひと月ばかり前のこと。
源太郎兄者から秘かに呼ばれた源四郎は相談を受けていた。「戦場においてなにかこう他家の者たちと比べて”飯富家ここにあり!”と一目でそれと分かるような良き思案はないものか?」と。
戦場で掲げる旗指物といえば通常は家紋を形どったものである。
なるほど、家紋に関する事柄ならば家内の者のみで議を進めるしかない。
飯富家寄騎衆の三枝虎吉殿や相木昌朝殿といった方々のお知恵を借りるわけにもいかなかった。
飯富家の郎党たちへ話してみる、というのもあまりよろしくない。家紋は武家の象徴のようなものである。主家の紋をどうこうという議に加わるなど、心への重圧が大となってしまうに違いない。
相談するということは、責任の一部を委ねることでもあるがゆえに。
かといって、父上にしろ叔父上たちにしろとうの昔に亡くなられている。兄者には嫡男である次郎三郎がいるものの未だ立って歩けないほどの年齢。さすがに話せるはずもなし。
そういった事情もあって飯富家の問題は当面の間兄虎昌と源四郎の二人きりの兄弟でもって決めるより他はない。
別段、家紋を変えようというわけではないにしても、何せ家紋に替わる旗印である。
もしも飯富家が大名というのであれば、旗を複数用意すれば事は済む。だがしかし、飯富家は武田家の一家臣である。あれもこれも、とはいかない。
もっとも兄者からのその問いかけを受けて、まずは「月星の旗ではいけませぬのか?」と返しを入れていた。
我が飯富家の家紋は他家とは意匠が随分と異なっている。
上向きの斜め左に向いた三日月の先を挟むかのように一つ星。
充分ではないだろうか。この紋が目立たぬことなどあるのだろうか。源四郎はまだ戦場には出たことがないものの、そう思わざるを得なかったのだ。
「いやな、悪くはないのだがな。この家紋……」
そう深刻そうにつぶやいた兄者は更に声を落としていった。
先々月の、信濃守護職小笠原家との諏訪平における小競り合いにおいて武田勢は一時ではあるが形勢が危うくなった、と。
そこへ本陣のお館様より命を受けた我ら飯富勢が押し出したところ、あれよあれよと言う間に敵陣を割り砕くことがかなった、と。
戦の後に「さすがは飯富殿、お見事なるお働き」などと同輩の皆々様方や板垣様や甘利様にも賞賛されたばかりではなく、お館様よりも特にお褒めの言葉をかけていただけた、と。
ふむふむ、それは素晴らしきことでございますな、などと合いの手を入れながら、うなづきながら源四郎は聞きに徹していた。
すると、ずずいと身を乗り出してきた兄者の姿が視界いっぱいに広がる。「問題はここからなのだ」と言うその囁き声は耳を直にくすぐり、まるでおのれが想われ人のようですらあった。
源四郎は思わずくすりと笑ってしまう。
何せ、二人のいる場所が場所でもある。
飯富家屋敷の庭のはずれの炭小屋の内に、月夜の晩に。まるで絵に描いたかのような男女の密会のようではあるまいか。
そうでないにしても、もしも端から覗いている者がいるならば、兄弟揃ってよからぬたくらみをしているとしか見えないだろう。
と突然、源四郎の肌へぞわりと震え鳥肌が生じた。原因は探すまでもない。殺気、とまではいかないがその親戚程度はありそうな気が目の前から発せられていた。
「兄は、真剣な話をしておる。分かるな」
「ハッ、すみませぬ」
「頬を張る前に、理由だけは聞いておこう」
いくらか慌てて、最前に俯瞰するかのように思い描いたこの場の情景について源四郎は語る。
「なるほど……それは仕方のなきこと」
兄者に頬を張られることはなかった。苦いものを噛み潰したかのような表情で、ぽんぽんと触れるように肩を叩かれる。
「話を戻すぞ、よいな」
「はい」
「その後、捕らえた者どもを尋問していたのだがなあ……そいつらが言うには、な」
「言うには?」
「月に星の旗を目にして、坂東の、下総は千葉家よりの加勢だ、と陣中に動揺が走ったらしい。千葉家が信濃まで出張って来るには当然相模武蔵の地を通らねばならぬ。つまりはあの大北条家も武田の援軍として参陣しているに違いない。これは最早かなわぬ、と」
源四郎は二つともに心より納得する。
何故、おのれに相談を持ちかけたのか。そして月明かり一つきりの薄暗い炭小屋を密談の場に選んだのか、その理由も。
全く以って面白かろうはずもなし。他の者に、たとえ義姉上様であろうと聞かれたくなどはない。
兄者の話をまとめれば、敵勢は飯富隊の強さに恐れをなして崩れたわけではない。月星の旗に幻を見て後、勝手に右往左往したあげく敗走へといたった。だけだ。
要するに、先の戦において飯富勢は虎の威を借りる狐そのものであった、ということ。
「兄者、先ほど笑ってしまいました件。改めて謝ります!」
「理解し得たのだな! 飯富家が受けた恥辱を!」
「ハッ。これはなんとかせねばなりませぬ!」
甲斐武田家家中において、他家と紋はかぶっていない。月に星は飯富家のみが用いている。他の武田家の諸隊とは見間違えようもない。
なれども、これは。
どうやら、兄者の杞憂じゃと言って笑って済ませられるような話ではない。源四郎は改めてそう思わざるを得ない。
仮に、月星紋について「この家紋はどこの家のものか?」と日ノ本の内で聞いて回ってみたとしよう。
甲斐の国以外においては、飯富家という応えを得るのはほぼ望み薄といえた。ひょっとすれば甲斐国内ですら。
いや、武田家家中は大丈夫だろう……多分きっと。
だが武家以外の者どもらには、この古府中界隈や飯富郷を除けば、結構あやしいのではないだろうか。
理由はある。どうしようもないものが。
月星紋といえば誰がどう考えても、下総の千葉家を連想する家紋なのだ。
坂東八平氏の一つである千葉家があまりにも有名なのである。何せ、あの有名な源家物語にしっかりと描写されているゆえに。
後の鎌倉殿、源頼朝公が旗揚げの後に石橋山の合戦においてひとたびは敗走する。その後、相模湾を船で越えてわずかな手勢とともに房総半島へたどりつく。
けれども、浜へと降り立ってみれば、遠くから徐々に近づいてくる大軍勢。まるで林のように無数にひるがえるは、全てこれ月に星の旌旗。
源家物語の中でも五大名場面の一つに数え上げられている見せ場、聞き場であった。
武家の子らは幼き頃より源家物語を教わる。武士のありようを学ぶべく、かつ仮名や漢字の教本として。
武家以外の者にしても、芝居小屋の演目や琵琶法師の奏でる琵琶の音に慣れ親しんでいる。目にも耳にもする。
「無念、もはやこれまでか!」と天を仰ぎ叫ぶ鎌倉殿の焦燥の声。刻一刻と迫るは月星旗の群れ。
実にこう、手に汗を握ってしまう一幕であった。
源四郎の頭の中でも、その場面がまざまざとよみがえる。
「我らはなるほど坂東平氏。なれど、なれども! 義によりて源氏の頭領頼朝殿へこそ馳走いたそうと集う者なり! これひとえに天下の安寧の為なり!」
まあ、実際はそんな都合よく話が進んだわけもない、と源四郎は冷めた目でみてはいる。
なんと言っても当時の千葉家は房総地方一円を統べる押しも押されぬ旗頭。ざっくりとでも万をゆうに超える兵をたちどころに集めることが容易な大豪族であったのだ。
それほどの勢威を誇っていた千葉家の当時の頭領が、義だのなんだのとそんな頭に砂糖菓子でも詰まっているかのような甘い思考のお人であったはずもなし。
おまけに。
この時点においては、天下は平家の、あの大英雄平清盛公のものであった。
朝廷において位人臣を極めているばかりではない。娘は先の天子様の后で、孫が今上の天子様。更には日ノ本の国のおよそ半分近くは平家の所領。
どう考えてみても当時の源頼朝公は、少なくとも挙兵当時は地方の小反乱の頭目に過ぎない。
しかも、あけすけに言えば義もへったくれもない反乱ともいえた。
幼き頃に死罪か良くて仏門へと預けられるところを平清盛公の正室時子様が哀れと思われ口ぞえをなされ、特別に許されて伊豆地方へと配流されたのが源頼朝公。
許しを出した平清盛公と幼い身ゆえにと口ぞえをなされた時子様のお二人。せめてどちらかが亡くなられていた後に決起した、というのであればまだしも……両者ともに健在なうちに反乱に踏み切るのはさすがにいかがなものだろう。というのが源四郎の素直な感想である。
どこに義があるのか。義理もへったくれもないではないか。
千葉家のやっていたことにしても、天下の安寧の為なら間逆もいいところ。
ハッ……いかんいかんとばかりに源四郎はただよっていた思考を目の前へと戻す。
しかしながら、これは。
ううむ、無理というものではないだろうか。
月に星紋といえばどうしたって千葉家を、というよりも源家物語の名場面を頭に浮かべてしまわざるを得ない。
飯富家当主の弟であるおのれですらこんなていたらく。甲斐の国以外の他国者がどう感じているかなど、何をか言わんや、であろう。
「兄者。今は思いつきませぬ! されど良き手立てを思案しましょうぞ!」
「おう! とは申せ、すぐに案が思い浮かぶものでもない。この兄も考える。源四郎も頼んだぞ!」
「承知しました!」
「弟よ!」
「兄者! なんでしょう!」
いつの間にやら、二人揃って声が随分と大きくなっていた。
「なにやら外が騒がしい!」
「なんと! この飯富家に物取りとは! 随分と舐められたものでございます!」
そう言うがいなや源四郎は物音も高らかにばしんと炭小屋の扉を開け放つ。飛び出していく。その横を、早くも腰の太刀を抜き放っている兄者が駆け抜けていった。「何奴! 我が飯富家で賊働きなど! 斬って捨ててくれようぞ!」
ところが兄弟の眼に飛び込んできたのは……飯富家の郎党たちが手に手に刀や槍を持ち、炭小屋の周囲をかためている光景であった。
その後、義姉上様にこっぴどくお小言をいただく羽目となる。
とはいえ、理由を明かせない。
屋敷内を騒がせたというのに反省の色が全くこれっぽっちも少しも見られない、と十日ばかりの間は罰を受けることとなった。兄弟ともに朝、夕の膳に乗る品が一つ減らされ、兄者は夕餉の晩酌まで禁じられていた。
以上が、ひと月ばかり前の出来事。
戦場で用いるべき旗に関しての相談を兄者より受けて以降、源四郎は四六時中ではないものの、折に触れ思案をめぐらせていた。
ある時、学びの為に月に十日は訪れている恵林寺の和尚様より以前に教わった軍学書の一節を、ふと閃くかのように思い出す。
良いではないか! ぴたりとはまるのではないか!
とその日の内に、先月お生まれになられたお館様と諏訪御寮人様のお子、四郎様の誕生を祝しての宴席へ参加する為に出仕の仕度をなされていた兄者のもとへと走って向かい「これこれこういう語句ではいかがでしょうか?」と伝えた。
それが六日前の朝。
今、躑躅ヶ崎館の外庭で周囲の者たちとともに「疾きこと風の如く~」と源四郎は吼えている。
兄である飯富虎昌の手によって高々と掲げられている風林火山の旗に記されている文字を目で追う必要など微塵もない。
まあ、無理もないかもしれない。
あえて言うならば、そう。文言が立派過ぎた。格好良過ぎた。
あれらの文言がもしも自らの口で語れるのであれば、武田家の一家臣でしかない飯富家の旗印として用いられるよりも、お館様の、由緒ある武田家のご本陣にでんと掲げられそびえている方をこそ、誉れと思うにきっと違いない。
結果としては良かったのだ。
それに、分かってしまった。
源四郎は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
恐らくはこういうことであろうか。
兄者はぽろりと、晴信様や主だった家臣の皆様方の列席された祝宴の席上において漏らされてしまったに違いない。
その点について見てきたわけではないものの、源四郎には自信がある。
酒を飲み過ぎた兄者は舞うのが大好きなのだ。当然、無言でではない。大陸の、いにしえの唐人が詠んだ詩や源家物語や平家物語の一節、時には即興での吟じもある。それが兄者の酒癖なのだった。
残念ではあるものの、それについても今日の名誉の場と引き換えならば充分ではないだろうか。
我が飯富家の風林火山旗は幻となってしまった。だが、別の手を考えれば良かろう。
元々、源四郎が偶然にも語句を思い出しさえしなければ、兄者の、本日の晴れ舞台はなかったのだ。
旗を掲げる務めは、本来ならば武田家家中の序列からみれば板垣様か甘利様が成されることこそが相応しかろう。
それを我が源太郎兄者が!
うむ、ここは満足すべきだ。飯富家の威も揚がろうというもの。
しかも、今日の名誉に加えて。碁石金をなんと二十粒もいただいている。
実に素晴らしい。これで文句を言えば、きっとばちが当たるに違いない。
お舘様は、まことにご立派であらせられる。
兄者の、酔ったあげくの舞に対して褒美を下されたのだ。
たまたま晴信様の悩みをぴたりと射抜いていたからといって、碁石金二十粒は率直にいって過大もいいところ。
せいぜい五粒くらいが相場というものではないだろうか。大盤振る舞いでも十粒が相当。三粒でも充分だろうと源四郎は思う。
それが、なんと二十粒。
良き働きがあればしっかりと報いがあるというのは、やはり嬉しい。
とはいえ三粒、いや五粒くらいは兄者や我が家の郎党たちによる酒宴の費用として消えそうではある。それでもまだ十五粒も残る!
槍か、それか太刀か、弓もよい。いや甲冑こそ。
兄者へ無心するのはどれがいいだろう。いっそ全てを、などと頭の中で算盤をはじいて顔がにやけていく。
おっと、ここは義姉上様も巻きこんでしまおう。
二人が一人一人で「これこれこういう物を購いたい」と言うよりも、共同戦線を張るにしくはない。きっとその方が得られる戦果は大きくなるに違いない。
「疾きこと風の如く。徐かなること林の如く。侵掠すること火の如く。動かざること山の如し」
何度も何度も繰り返されたあげく、ようやく声の揃いつつある唱和に源四郎は加わっていた。