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第十話 浪人のつもりが牢人源四郎

 なにやら外が騒がしい。眠りをさまたげられ、さてどうしたものかと案じながらも、いつの間にか再びうつらうつらしていた。すると(かんぬき)ががちゃりと開けられる音が響き、次いでどたどたと慌しい足音が耳へ伝わってくる。

 こんな夜更けにどこの阿呆がと半ば呆れていたものの、格子戸(こうしど)越しに見えた顔は兄者であった。

 思わずびくりとする。


「源四郎! いったい何があった!? そもそもこれは何じゃ!」

 格子戸の間から、ずずいとしわくちゃの紙が突き入れられる。

「見ての通り。暇乞(いとまご)いの書状です。飯富家に迷惑をかけるわけにはいきません」

「それは読めば分かる。分からないのはそこに至る事情よ。何も記してはいないではないか! ここの役人に尋ねてもちいっとも要領をえぬ」

「まあ、それは。何も言ってはおりませんゆえ」

「この兄にも明かせぬことなのか?」


 語るべきか語らざるべきか、つかの間逡巡する。いや、駄目だ。口を閉じ無言で首を振る。

 その後は、ええい話さぬか、いいえ話しませんの押し問答がしばらく続いた。

 けれども、(おとこ)がひとたび決意したことなのだ。生半可(なまはんか)に揺らぐわけにはいかない。


「知れば、きっとご迷惑をおかけします。話すわけにはいきません!」

「ふう、存外に。いや、源四郎は昔からこうと決めたらなかなかに強情であった」

 また来るからな、と言い残し立ち去って行く兄者の後姿は肩が落ちているように見える。済みませぬ、とその背中へ黙って頭を下げた。




 それから三日ほど過ぎた昼近く。半刻(約1時間分)後に面談する旨を伝えられた。いくらか安堵する。

 牢というものは、案外にすべきことがない。よって暇を持て余す。それをここ数日で思い知らされていた。


 いや、そもそもここは牢なのであろうか?

 窓は三つほどあるもののいずれも握りこぶし大の大きさで、もう晩秋に近い季節だというのに障子窓を塞ぐ覆いは薄い。出入り口は格子戸、その先に更に閂のかかるぶ厚い木戸が二ヶ所。

 こうして並べ立ててみれば、牢であることには間違いないのであろう。

 もっとも牢というものは、地下に設けられて悪人が五人、十人と押し込まれているものとばかり思っていた。だからなのか、どうにも違和感をぬぐえずにいる。

 そうそう、今日の夕餉は何であろう。干し魚はもう飽きた。猪肉(ししにく)が出れば良いのだが。

 そういえば、いつもならば突然に役人が顔を出していたのだが今日は珍しくも事前に報せがあった。


 することもないがゆえに、取りとめもなく思考していく。だが、どうやら時間となっていたようである。木戸の閂が開けられていた。きしんだ音が部屋の中にまで伝わってくる。



「お初にお目にかかる。拙者、郡内岩殿(ぐんないいわどの)城は小山田信有(おやまだのぶあり)の下で家老を務めておりまする加藤有定(かとうありさだ)

「これは丁重なご挨拶を。それがし、飯富虎……あ、いや。浪人飯富昌景」


「そこから、ですか。よろしいでしょう」

 ふぅ、とため息をつかれていた。


「大事なことです。それがし、暇乞いの書き置きを飯富家当主である兄虎昌宛てにしたためて屋敷に置いて来ましたので。つまり、今のそれがしはいっかいの浪人に過ぎません」

「その浪人うんぬんに関してですが。三日ほど前にお見えになられました飯富虎昌様に確認したところ、そのような書は知らぬ存ぜぬの一点張りでございましたぞ」

「そんなはずは!」

「で、ありますので。昌景殿は浪人ではございません。ただ今この時もれっきとした武田家配下の飯富家家臣となっております」

「さようでありますか」


 あの夜に兄者が手に持っていたものはなんなのだと声を荒げたくなる。だが、問うにしても虚しくなるだけのこと。加藤殿は小山田信有様の臣下であって、当然ながら兄者ではないゆえに。

 覚悟を決めて記した暇乞いではあるものの、兄者がどこにも届け出ていないのであればそこら辺にあるちり紙と大差ないことも事実。

 詰めが甘かった、とわずかに後悔の念を覚える。


「昌景殿。いい加減に事情を話してはいただけませんか。このままでは関所破りを企てた者として武田家で定められている諸法に沿って処罰するより他はなくなってしまいますぞ」

「加藤殿。ここの役人からも重ねて問われていますが、何度尋ねられようとも口を割るわけにはいきませぬ」

「困りましたなあ。拙者の(あるじ)小山田信有も気にかけておいでなのです」

「それにつきましては……ご迷惑をおかけしています。とこの昌景が詫びていたとお伝えくださいませ」

「分かりました、きっと伝えておきます。では、せめてこの件だけでも。そもそも何故に堂々とお名を名乗られて関所を抜けようなどと。露見せぬと思われたのですか?」


「あ、いや。それについては誤解があります。郡内岩殿の地に関所があることも、浪人が関所を通るのに調べがあることも知りませんでした」

「さようですか。一応言っておきますと小山田家の領地は甲斐の東端にございますゆえ。峠の向こうは北条の領地です。国の境に関所が設けられているのは当然のこと」

「そういうものなのですか?」

「ご存知ではなかったのですか」

「はい。国境を今まで訪れたこともありませんでしたので」

「ああ、確かにそれは。所用がなければ知らなくても当然。つまり、意図的に関所を抜けようとされたわけではない。そういうことでよろしいか」

「はい」

「そういった事情であれば罪一等を減じることもかないましょう」


 ほほう、なにやら駆け引きめいたその話しぶり。ならば、ここは当然退いてはならない。


「それがしの無知ゆえの不始末とは言え、罪は罪です。情状酌量など望んではおりません。この飯富源四郎昌景、定められた刑に従う所存。たとえ腹を切れと言われようとも覚悟はしています」

「いやいや、処分となれば重うございます。切腹ですらないのですぞ。(はりつけ)た後に槍で心の臓を一突き。以降も骨と皮になるまで野晒し。これが、郡内岩殿における関所破り者の末路です。何せ、北条と武田家は近年は戦にこそなってはいませんが和睦を結んでいるわけでもなし。しかも加えて商家の者ならいざ知らず。武家の者はたとえ浪人であろうとなかろうと手形無き者を通すなど。ありえませぬ」


 ま、まさか死罪とは……。せいぜいが最も重くても入牢何十日程度だと予想していた。

 だからこそ切腹上等と大見得(おおみえ)を切ってしまった。もしかすると、かなりまずいのかも知れない。困った。

 しかも切腹ですらない、武士としてではなくただの罪人として磔刑。

 気持ちがぐらりと揺れかかる。いや、それでも。明かすわけにはいかない。


「いかがですかな。語ってはいただけませぬか? 事情によっては罪そのものがなかったことにもなります」


 さすが、というべきなのだろう。小山田家の家老なだけはある。右に左にとぶんぶんと振り回されている。その自覚がある。だが、後ろか前かを選ぶのなら前に進む。


「それは無理というもの」

「ううむ、困りましたな。とはいえ、さすがは豪胆昌景殿といったところでしょうか。あれからもう、早いもので半年以上が過ぎましたが。上田原の戦においての(いさおし)は伊達ではありませんな」

「え?」

「いかがされましたか?」

「あ、いや。その……豪胆とは?」

「おや、ご存知ありませんでしたか。小山田家家中では有名でございますぞ。あの戦、拙者も主とともにあの地におりまして。わずか二百五十の手勢であの猛将須田満親の右腕古屋保隆率いる千五百の大攻勢を防ぎきった指揮ぶり。まこと感嘆している次第。しかも聞けば、実質的には初陣であったとか。凡なる者が成せることではありません」


 指揮……と呼んで良いものなのだろうか、あれを。半ばは、ただひたすらに目の前の敵と相対していただけ。弓手への指図は郎党の遠山康治と浪人香川元秋殿に預けていた。槍足軽の差配にしても郎党河野彦助のさりげない助言に随分と助けられていた。


「そうそう、それもさることながら。こちらの方も更に凄い。あの雨宮兄弟を、太刀の利清に槍の正利をそれぞれ一対一で討ち取ったという見事なる武勇伝」

 なんだその、いかにもな二つ名は。豪胆とはえらい違いではないか。……いや、今はそれについてはどうでもいい。


「お待ちを。あの兄弟はそれほどに有名だったのですか?」

「さよう。以前のこと、今より四年は昔でしょうか。北信濃の村上義清と武田が敵対関係ではなかった頃の時分に。武者修行の旅の途中とかで雨宮兄弟はこの郡内岩殿の地に滞在していたことがあるのですよ」

「ほほう」

「その折には恥ずかしながら小山田家家中の多くの者が相手になりませんでした。それほどの兄弟を、お一人で二人とも倒されたとは。驚嘆の一言に尽きましょう」


 雨宮兄弟。そうであったのか。

 弟はそれほどの武芸の達者とは感じなかった。うっそうと生い茂る樹木の、雑木林の中だったゆえなのか。槍ではなく太刀と太刀で斬り結んだ。だが実は、槍の方こそが得手(えて)だったとは。

 兄の方は……確かに強かった。対峙しただけで、これはまずい、逃げるが勝ちよと感じられる相手など、そういるものではない。

 たまたま、勝てたに過ぎない。不覚にも転んでしまい気がつけば倒していた。左腕が利かなくなってしまったせいで、右腕のみで握っていた太刀のおかげ。自分でも全く予期しない動きをしただけのこと。


 加藤殿の話はどちらも、嘘ではない。ともに真実……ではある。けれどもしかし。

 どうにも何かがどこかで捻じ曲げられて伝わっているような。


「お尋ねいたしますが、いったい誰がそのようなことを?」

「ああ、確か昌景殿は決戦の後は怪我を治す為に古府中へ早々に帰還されていたのですな。その後の長対陣において、我ら小山田勢は飯富勢とは同じ陣所を守っておりまして。何せ、両家ともに死傷者だらけで随分と数を減じていましたので。その折に飯富家の郎党の方が、確か河野(なにがし)

「河野彦助ですか」

「そうそう、そのような名でありました。戦の最中とはいえ、あの長対陣。少しでも気晴らしにでもなればと、飯富虎昌様と我が主の双方合意の上でささやかな宴を開いた折に」

 く、彦助め……。何を余計なことをぺらぺらとしゃべっているのだ! こっ恥ずかしくなる。


「なんでも、あの死地に自ら望んで踏み止まり、あげく命を落としたほどの忠節無比な者が豪胆昌景隊と初めに名付けたそうですな。その元になった戦ぶりと合わせて、我ら小山田勢は皆感動を覚えたものです。戦人(いくさびと)とはこうあらねば、と」


 そうだった。言い出したのは確かに遠山康治であった。まるで元服前の少年が好んで読みそうな薄っぺらな絵草子(ほぼ挿し絵しかない書物)に出てきそうなあだ名であったゆえ、耳にしたその場で聞かなかったことにしていた。その後、今の今まで豪胆の件はすっかり忘れていた。

 古府中の飯富家屋敷に詰めている郎党たちは誰一人として口にしていない。それは間違いない。飯富郷にいる者たちも同様。彦助とも何度も会っている。にも、かかわらず。

 ……そうか、そういうことか。彦助め、周りから、外堀から埋めていこうという算段を取っていたとは。



「いやいや、豪胆昌景などと」

「なんと!? 格好良いではありませんか。まさか、お気に召されていないのですか?」

 ……この男、小山田信有様の家老加藤有定殿の感覚にはついていけそうにない。

 お気に召すも召さないもない。考えるよりも先に腕が出るような、いわば阿呆みたいではないか。自身の思い描く理想の武将像とはあまりにも違い過ぎる。うんざりしてしまう。

 豪胆と付くくらいならば、槍の昌景とか太刀の昌景の方が、まだしもマシと思える。


「それがしは未熟者。忘れてくださいますようお願いいたします」

「ううむ、豪胆なだけではなく謙虚でもあられる。拙者の愚息に昌景殿の爪の垢でも煎じて飲ませたい気分ですよ」


 くっ! あの太刀め。六星宗政め。いったいどこまで(たた)れば気が済むというのだ。

 飯富家の金をごそりと減らし、せっかく作り上げた飯富六星旗は幻と消え、更に太刀そのものを兄者は手離す羽目となった。あげくの果てにたどり着いたのが豪胆昌景隊……。

 胸中で泣きそうになる。しかしながらよくよく考えてみれば、兄者が太刀を衝動買いした以外は全て自らが絡んでいた。

 そうだ、お祓いを受けよう。ここを出られればすぐにでも。厄払いをしなければならない。


「まだまだ、まだまだです。それがしなど」

「さすがは豪胆殿。慎み深い。おっと、拙者はそろそろ戻りませんと。それでは今日のところは引き下がります。が」

「が?」

「入牢なされてより既に五日を数えています。我が主の一存にて、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)の横目奉行(他国の間者を監視したり始末する役所。各地の関所も間接的に監督している)曽根虎長様への報告は留めてはおります。されどもさすがにこれ以上の日延べは難しいかもしれません。次に拙者が訪れるまでに、その辺りをご一考してくださいませ」

「なんと言われましても、明かせぬものは明かせません」

「こちらとしても豪胆殿ほどのお方を杓子定規に処罰などしたくはないのですよ。せめて偽名を使われるとかもうちょっと頭をお使いであれば……。いや、堂々と名乗られるその姿勢。いかにも豪胆殿らしくある、と言えましょうか。では、これにて」

「ご足労をおかけしています」



 手のひらが、腋も、背中も。秋だというのに汗で濡れそぼっていた。

 本当に勘弁して欲しい。いや、何かがおかしい。ふと気が付く。とうとう、ついには豪胆昌景ですらなく豪胆と呼ばれていた。何というありさま。愕然としてしまう。

 その名を二度と口にしないと約束されたならば、今すぐにでも事情を明かしてしまいそうな心境になりかけている。


 源四郎は心の底からうんざりしていた。



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