三日目:ギザギザ世界-乙
慣れない車を駆り、朽ちた街を無言で進む。かつてイーアイレアにおいて最大の栄華を誇っていた都も、今では立派な廃墟だ。窓越しに延々と広がる瓦礫を見、彼は虚無感に襲われた。
運転席にはカクア、助手席にペルヒェ、後部座席には三人のドロイド。計五人が乗った車が、時折瓦礫や段差を踏んでがくんがくんと揺れる。
外出にあたって身に着けているのは、簡素だが頑丈なヘルメットに防刃ベストに、厚めの軍手。普通の手袋が着けられない左手には、料理用のミトンをそのまま使用している。更に目元にはゴーグルを、口元には本格的なガスマスクを装備していた。
膝の上に地図を乗せたペルヒェが、うつらうつらと船を漕いでいる。車が大きく揺れるとその衝撃で気付いたりするが、すぐにまたうとうとし始める。再三危険だ危険だと念押しして来たわりには、緊張感が無い。
だがある場所に差し掛かった所で、ペルヒェは弾かれたように覚醒した。気怠げなふうすら一切無い鋭さを孕んだ表情で、彼女は辺りを見回す。
「……ここだ……カクア、停めて」
「ん、おう。起きてたのか」
言われた通りに車を停める。そして番人役のドロイドを一人運転席に残し、カクアたちはひび割れたアスファルトの上に降り立った。
何とも、静かだ。大都会とはいえ鳥なんかはそれなりに居たりするのだが、その鳴き声すらしない。……全滅、してしまったのだろうか。小鳥たちさえ死に絶えてしまったらしいという事を理解し、カクアは少し気分を悪くした。
大地の起伏の代わりに、建築物が地平線を遮っていた街。その原型は何処にも無く、嫌になる程良い見晴らしとなっている。そうしてふと東の空を見やると、また彼の常識にダメージを与える光景が飛び込んで来た。
遠く。だが視認出来る程度には近い所に、“それ”は存在した。光る柱と思しき物、しかし何処も照らさない何か。眩しいわけでもないのに直視する事の叶わない、見ようとしてもいつの間にか視線を逸らしてしまうモノ。
何なのだ、あれは。未知への恐怖と、それを解消せんと理解しようとする心が鬩ぎあう。そうやって魅入られたように硬直するカクアの肩を、ペルヒェがぽんと叩いた。
「推定……この災害の、原因。時空の、断裂……あまり、見ない方が、良い……頭、おかしく、なる……」
そう言って、彼女はカクアの頭を掴み、ぐりっとそっぽを向かせた。それにより、漸くあの光の柱もどきから解放された彼は、知らず知らずの内に止めていた呼吸を再開させる。
肩を荒く上下させながら、カクアは少し目を閉じた。あれが、原因。未知かつ異質、一目で『やばい』と分かる物だった。あの位置は、恐らく隣のセンド区辺りだろうか。
「気を、取り直して……行こう……」
くぐもったペルヒェの声に合図され、四人は歩き出す。そして周辺の瓦礫の山の一つに近づくと、彼女はこう指示を出した。
「今日は……発掘作業。簡単に取れる物、は……ここには、もう無い、から。強化魔法、かけるね……カクアは、無理しなくて、良いよ……」
「む、分かった」
普通に入れる建物は既に占拠されているか、もしくは漁り尽くされたか、その二つしか無いのだろう。ドロイドたちと並んで瓦礫の前に立ち、どこから退かせば良いか目星を付け始める。
「起動……」
彼女は右手首の腕輪に手をかけ、その表面に付いているスイッチを押した。するとそこから長方形をした半透明の補助盤が無数に現れ、同心円の軌道を描いて回転し始める。正規の魔法補助機材では有り得ない、かっこよさ優先で作られたような操作し辛そうな形だ。
「.i zukte lo xadni tsabi'o」
短いロジバンが響く。この言語は何十年も前、魔法支援システムを開発するために各国から集まった技術者たちが作り上げた物である。開発チームの中での共通語として使われた他、そのままシステムを構築する為のプログラミング言語にされた代物だ。結果、詠唱用の言語にもなってしまったが。
子供用の補助機なんかなら他言語に対応している物も有るが、高度な魔法を使いたければロジバンの習得は必要不可欠である。過去にはもっと効率の良い詠唱言語を開発するというプロジェクトも有ったらしいが、結局流行らずに立ち消えてしまったようだ。
さて、彼女の右手から三条のレーザーもどきが発射され、対象三人に着弾する。するとカクアたちの右手に、効果時間を視認する為の光の円が浮かび上がった。これ系の魔法ではよく有る仕掛けである。
「あたしは、魔法かけても、非力だから……回り、見てる」
「おう。効果時間切れたら声掛ければ良いか?」
「そうして……」
そう言うと、今度は自分に浮遊魔法をかけ、ペルヒェは天高く浮かび上がって行った。次いで透明化の魔法を使い、姿を消してしまう。
(……自由に魔法が使える奴は良いよな)
彼とて子供ではない。その辺りはとうの昔に折り合いをつけている。だが憧れを止める事は出来なかった。
さて、作業に手を付けよう。下手に山を崩落させてしまわないように、カクアたちは慎重に取りかかり始めた。
幾つかの民家だった瓦礫を漁り、腐っていない食べ物や使えそうな布等を手に入れたカクアたちは、車に収穫物を積み込む作業をしていた。今日はここの所で切り上げよう、と帰投の準備を進める。
「……流石に食べられる物は多くなかったな」
「まぁ、ね……」
「いつもこの程度なのか?」
「……心配は、要らない、よ。ストックは、たっぷり……いざとなれば、他のコミュニティ、攻めれば……」
その返答は、カクアの言葉を暗に肯定していた。どう見ても、一日の収穫量が消費量より少ないのだ。カクアが加わっても、それ程効率が良くなったふうは無いし。
ペルヒェのシェルターの環境は、恐らくこの状況下では最上級に良い方だ。だがそれでも、じり貧状態を強いられている。長生きしたければ、やはり抜本的な施策が必要になるだろう。戦争なり、外交なり。
(まさに小国家群のようだな)
戦争や外交という喩えを自分で思い浮かべておいて、まさに的確だなと彼は自画自賛した。きっと人類文明の黎明期も、このような状態からスタートしたのだろう。
そういえば、イーアイレアの政府は何をしているのだろうか。壊滅したのか、それとも。
いや、考えても致し方が無い。今自分たちに恩恵を齎さない連中の事なぞ、放置で良い。寧ろ、まともな恩恵も与えられないのに権力を振りかざされるのも鬱陶しいし、無いなら無いままの方が好都合だ。
「じゃあ……帰ろ。カクア、運転……出来る?」
「まぁ、保つだろ、大丈夫だ」
そんな会話を交わし、彼らは車に乗り込もうとする。と、その瞬間、カクアの耳に石を蹴る音が届いた。ペルヒェもドロイドたちも気付くくらいには明確な音で、皆一気に緊張して背筋を伸ばす。
「……!!」
この足音の感じは人間だ。だが襲撃者にしては、気配を隠すふうが一切無い。それどころか、どうやら片足を引き摺っているようなリズムである。
「う……ゲホッ、ぐ……だ、だれ、か……」
掠れた女の声。遭難者がまだ生きていたのか。声の聞こえた方に一斉に顔を向けながら、銘々に武器を構える。カクアは古びた拳銃を片手で保持し、前方に向けた。
「居る……の、ガハッ!!」
ぴちゃぴちゃ、と液体が落ちる音がした。吐瀉か吐血か、それ以外か、しかし足音は止まらない。やがて、そいつは瓦礫の陰から出、彼らの前に姿を現した。
「……何なんだ、あんたは」
そのあまりに凄惨な姿に、カクアは思わず呻いた。血の気が引くとはこう言う事か。冷や汗が噴き出し、ゴーグルが少し曇る。
満身創痍の女だった。左腕は引き千切れ、右足首が有り得ない方向に曲がり、胸部や腹部には無数の銃創が有る。更に顔の左半分が無惨に潰れ、左目の残骸と思しきモノが眼孔の有ったらしい所から飛び出していた。
だがそれ以上に、人外じみた者であった。額から生えた二本の黒い角は、片方折れた断面を見ても作り物のふうが無い。右だけしかないエルフのように長い耳は、かつては両方有ったのだろうと髪の血痕から窺える。
肩の上で引き千切られたような具合の白い髪は、血と埃と泥とでぐちゃぐちゃに汚れている。オシャレなつなぎのような服も、傷と体液とでべたべたで原型を留めていない。だがそれでも、彼女の金色の隻眼は強烈な意志を宿しこちらを射竦めていた。
「……ああ……希望……わたし、の……キボウ……さい、ご……の…………」
熱に浮かされたように──実際、そうなのだろう──、彼女はぶつぶつ呟きながら、こちらに歩み寄って来る。決意と殺意と憎悪と慈愛と絶望と希望がごちゃごちゃにミックスされたような、そんな感情の籠った声だった。
「我々……を、救っ…………、た…………の………………」
そこまで言うと、ふと彼女の瞳から意志の光が消えた。ぐるん、と白目を剥き、そのままどさりと倒れ込む。死んだように俯せに横たわる傷だらけの女に、カクアははっと我を取り戻して銃を下ろし、駆け寄った。
「……どうするか、これ」
「どうしよ、かな……」
先ほどまで動いて喋っていたという事実が無ければ、ただの死体と思って見逃してしまいそうな程の満身創痍っぷりだ。呼吸も甚く静かでゆったりで、体温も殆ど感じられない。先ほどで事切れたと誤診しそうなレベルである。
だが、まだ確かに生きている。ヒトならざる執念で、彼女はまだ確かに生にしがみついている。白髪の女の身体を抱き起こしながら、カクアはペルヒェにこう提案した。
「おれはこいつを助けてみたいと思うんだが」
「……メリットが、有ると……思うの?」
「ほぼ賭けだがな。コイツ、この通り、普通の人間じゃないだろ」
確かに人間、それもエルフによく似た特徴をしているが、この角はどう考えてもおかしい。これだけ傷を受けて死んでいないのだって妙だし、尋常の者でないのは確信出来る。
「……そりゃ、そうだけど……人間じゃ、なくても……助ける理由、有る?」
「本命異世界人、対抗何か神様っぽい奴、って所か。もしかしたら、だが、現状の打開策を持っているやもしれん」
無論、そうでない可能性の方が高いが、と付け加える。だがこのまま手をこまねいていては、そう遠くない未来に現状維持すら不可能になってしまうだろう。それに、と彼は続ける。
「さっき、コイツは『我々』と複数形の一人称を使っていた。コイツが普通の異世界人とかで、ただ死にかけていて助けて欲しいなら、そんな言い回しをする必要は無いだろう。仲間らしい奴も出て来ないしな。
異邦人にしては言葉も通じているし、故におれはコイツに何か有ると考える。……まぁ、デメリットも大きいし、普通は見捨てるべきなんだろうが」
論理的な理由を並べ立てながら、しかし真っ先に浮かんだ感情は表に出さない。非論理的にも程が有るし、非日常の連続による疲弊の産物としか言いようの無い代物だったからだ。
運命の歯車が噛み合った気がしたのだ、なぞ。
「……そう、だね。賭けに出てみる、なら……体力の有る、今の内、に……」
暫し考え込んだ後、ペルヒェはそう呟く。そして魔法装置を起動すると、まず一番目立つ千切れた左腕の断面辺りに手を翳した。
「最低限……喋れるまで、治す。その先は、後で……考える……それで、良いね……?」
「……本当に良いのか?」
「うん……」
まさか本当に容認してくれるとは思わなかった。一体如何なる風の吹き回しか、と惚ける彼に、ペルヒェはこう言う。
「……やらずに後悔、より……やって、後悔。カクア、処置、手伝って……貫通してない弾丸、取り出すんだ……」
彼女の指示に、カクアは少し眉根を寄せつつナイフを取り出した。骨が頑丈なのか、殆どの弾丸は女の体内に留まってしまっているようだし、傷を塞ぐ前に摘出せねばならないだろう。気が滅入るし、素人に出来るか分からないが、やらねばなるまい。
「ありがとう、ペルヒェ。……知らない人、今助ける」
ドロイドたちを見張りに立たせ、シェルターに連れ帰るまで保たせる為の処置を進めてゆく。銃創を抉っても殆ど溢れない血に、間に合うだろうか、とカクアは少し憔悴した。
ふと、女の目が気を失って尚見開かれていた事に気付き、彼はその目蓋を閉じさせる。今は休め、という思いを込めて。




