三十七日目:エアルト
ジンセの手により、異界検索装置が完成したのが、七日前の事。そして今日、カクアたちがイレアの社にやって来てから12日目に、条件に合致した世界を発見したと報せが入った。昨日一旦シェルターに様子を窺いに戻り、今日の朝社に再び到着した所で、知らされたのだ。
繋げてもこちらに過度な余波が及ばない距離──レイ曰く、この訳語では語弊が有るとの事が、これ以上分かりやすい言い方は思いつかなかったらしい──で、エネルギーに変換出来る資源の在る世界。以前に考えられていた懸念とは裏腹に、拍子抜けする程簡単に見つかったのは、僥倖だったのだと思う。
発見した時点で、“いどのす”の破片の片割れは送り込んだとの事だ。無事にパッセージは確保出来たとレイが言っていたし、これで一安心である。
そして今、カクアたち世界樹冬眠計画実行メンバーは、イレアの社の中庭に顔を揃えている。これから、異界とこのウィナンシェを繋げ、向こう側を偵察しエネルギー資源を送り届けるAIを派遣するのだ。
中庭の回廊には、周辺の研究施設から持ってきた機材が設置されている。それらの内幾つか、検索システムに関わる物たちは、幾本ものコードによって、神樹イレアと接続してあった。
だが、今動かすのはそちらではない。イレアとは繋げられていない、転移ゲートの制御装置を改造した奴の方だ。
装置の傍らに用意された寝袋の上で、こっくりこっくりと舟を漕ぎながら、ポホが一本のコードを握っている。彼女が動力たる魔力を提供しているのだ。そんな幼児の頭を、ジンセは片手間に軽く撫でた。
「送るAIは、この『P』って奴で良いんだよな」
「……そうだ、よ」
ジンセがその操作をノートパソコンから行う中、ペルヒェに確認の言葉を投げかける。すると彼女は、かなり小さい声でそう答えた。俯きながらだったので、その表情は読めなかったが、俯いている事自体が彼女の心境を物語っていた。
「よし。じゃー今からやるぞ。レイさん、パッセージを開いてくれ」
「ん。覚悟は良いね」
装置の上部に、透明な円筒状のケースに入れられて取り付けられたキューブ型の水晶のような物へ、レイはその手をかざす。すると水晶は無色の光を放ち、変形し始めた。
まず不恰好な多面体となり、次にトゲの塊のような形になる。そうして色々に変形した後、やがてそれは輪のような姿となり、内側に直視する事の叶わぬ深い闇を湛えた。
「開けたよ」
「おう、じゃ、まず、向こうの景色見てみっか」
「出来るのか?」
「分からん。ただ、試してみてもいいと思ってな。そこのモニターに映る筈だ」
見て大丈夫なのか少し不安が過ったが、好奇心が勝った。カクアは示されたモニターに注目する。
だが、いつまで経っても、画面には何も映らない。時折、スピーカーから耳を劈くような鋭い音が飛び出したり、画面上のノイズが気味の悪い蠢き方をするばかりだった。
「……見えないな」
「あんれー? おっかしいなぁ……」
カクアの言葉に、ジンセは首を傾げながら、うるさいのでスピーカーの電源を落とす。頭を捻りながらパソコンの画面をねめつけるジンセに、レイが緩く首を振りながら言葉を投げかけた。
「多分、根本の世界法則が異なる世界だから、じゃないかな。世界にも色々有るし」
「……それって……大丈夫なの、計画……」
「ちょっと我々の手間が増えるけど、想定内。問題無いよ」
この世界で作った人工知能が、その原型を保ったまま向こうで活動出来るのか、資源をエネルギーに変換出来るのか。少し疑問に思ったが、ペルヒェの問いにレイがこう答えるのなら、大丈夫なのだろう。彼女は何処までも正直者だし。
「まぁ、大丈夫だからこそ検索に引っ掛かったんだろうしな。見れないのは残念だが、次行くぞ」
ジンセはそう言いながら、手早くパソコンを操作してゆく。いよいよ、ペルヒェの作った人造の精神体があちらに送り込まれるのだ。
交換する事でこちらに飛んで来る、あちら側の生命体の魂を、データ化して拘束する手筈も整っている。それに関しては、向こうの世界の事を聞き出せるのが理想だが、それが叶わない場合でも消滅させられれば良い。最悪なのは、ここに有る機械やカクアたち自身を乗っ取って暴れられるのだ。
やがて、ジンセが一通りの操作を終えた後、カチリと実行ボタンをクリックした。すると、“いどのす”の破片が形成している小さな穴の辺りに、薄らと青白い靄のような物が現れ、闇の中へ吸い込まれていった。
「……行ったね」
ぽつり、とペルヒェが呟いた。感慨深げで、少し寂しさを滲ませる声だった。
間もなく、穴の中から先ほどのと似たような靄が出て来た所で、破片が再び変形し元の立方体に戻り、異界との接続が切れる。これにて、無事計画の第二段階が完遂された。
「うん、交換されて来た奴もしっかり捕まえた。はぁー、緊張したー……」
「ああ、本当に」
ジンセが肩の力を抜いて胸を撫で下ろすのに、レイも少し脱力した顔で頷いた。見た目的には地味だったが、とても重要な一歩が今踏み出されたのだ。
「……これで、もうわたしが倒れても問題が無い」
心の底から安堵したように、レイはそう呟いた。微笑みさえ浮かべながらのその台詞は、漸く抱え続けていた重荷から解放された、と言わんばかりであった。壁に背を預け、ずるすると座り込んだ彼女の姿は、実際に今にも倒れて死んでしまいそうである。
そんな彼女に対し、カクアはこう言う。
「とはいえ、もう少し生きててもらえると助かるんだがな」
「……うん。きみたちは哀れになるくらい弱い生き物なのだから、可能な限りは付いててあげる」
レイはそう答えると、その金色の瞳に再び決意を宿し、こちらに向けた。常並の無表情に戻った彼女に、カクアは頷いてこう言う。
「それじゃ、さっさと次だ。捕まえた向こう産の魂から、色々読み取るんだろ?」
「そうなる。早速始めようか」
恐らく、レイのタイムリミットは近づいているのだろう。なら、彼女という頼れる監督者が消えてしまう前に、出来るだけ計画を進めなければ。そう思っての言葉に、ペルヒェがこう付け足す。
「ん……あたしの、部屋に……用意、有る……色々想定、して……会話させる奴、とか、もっと強引に記憶を見る奴、とか……」
「用意が良いね。分かった」
「あー、僕は後で結果を聞くで良いか? これの片付けとか、ポホを寝かしつけたりしないとだから」
「別に構わんよ」
そんな会話を交わしながら、彼らはそれぞれの作業へとがやがや動きだす。今日は忙しくなりそうだ。
扱いやすくする為に、データ化された魂はその感情等を大きく削る事で、要領削減を図っていた。そのため、巻き添えに記憶にまで障害が出ていないか懸念されたが、それは杞憂に終わった。
ジンセのノートパソコンの中に閉じ込められた精神に、耳代わりにマイクを、口代わりに合成音声を与えて会話を試みた所、意味不明な言語では有るが応答が確認された。ので、相手の言葉が分かるというレイがあれこれと質疑を繰り返した所、多くの情報を得る事に成功したのだ。
「まず、説明を簡潔化する情報。この魂は、自らを『アリアケ・テツヤ』と名乗った。ので、今後はこいつを『アリアケ』と呼称しよう。
それから、向こうの世界の名称だ。色々な名前で呼ばれているみたいだけど、きみたちにも発音しやすいように、『エアルト』と呼ぶ事にする」
これで、いちいち『向こう側の世界』だの『そこからやって来た奴』だのと、回りくどい代名詞を使わずに済む。カクアとペルヒェは頷いた。
「エアルトは、一先ず惑星であるみたいだ。話を聞く限り、結構ウィナンシェと似通っている世界なようで、ヒューマンと良く似た種族が大方を支配しているらしい。……エルフは居ないようだ。
宇宙への進出なんかはまだ。技術レベルは、大方ウィナンシェより下。計画の最中に、こちらに干渉される危険性はかなり低いと思う」
邪魔の入る可能性が低いと分かったのは、安心の材料になる。だが、向こうにヒューマンに似た種族が居るという事は、とカクアは知らずのうちに息を呑んだ。
「……やっぱり、“人”を……殺す事に、なる……?」
半ば確認のような、ペルヒェの問い。それに対し、レイは無慈悲に無表情に、「ああ」と頷いた。
「他に、もっと穏和に利用出来る資源が無い限り、そうなるだろう。その場合に、向こうの報復を考えなくて良いのは楽かも。
あと、アリアケも、エアルト人類の一人であったようだ。だから会話が出来たんだろうね」
アリアケの事は実験動物のように扱い、その魂の容量を削減したりしていたが、相手が人と呼べる存在であると聞かされると、流石に罪悪感が生じてきた。とうに覚悟を決めた身だが、実際にこの手を汚したと分かれば、クるものがある。
カクアは自らの手を見下ろし、数度深呼吸をする。そうやって精神を通常レベルにまで落ち着かせると、隣で青ざめた表情になっているペルヒェの肩を、軽く叩いた。
「安心しろ。全ての責はおれが負う。ペルヒェがおれに荷担してるのは、全部おれに頼まれたからだ。……そういう事にすれば良い」
恐らく、アリアケにも家族や友人が居たのだろう。精神交換をした事がバレれば、きっと犯人を恨むに違いない。
ならば、その時に恨みを受けるのは、全てカクアが担おう。それでペルヒェの精神の安定が保たれるなら、安いものだ。そう思って、カクアは朗らかに笑ってみせた。
「……そう、する」
ペルヒェはその提案を受け入れ、長く息を吐いた。そして、顔色を少しマシな色合いに戻す。
その有様を、レイは何だか複雑そうな表情で見ていた。何も言わないという事は、さして文句は無いのだろうが、一体何を思っているのか。それを知る術は無いが。
「さて、と。このアリアケは今後どうするんだ?」
「んー……今後利用する予定は無いしなぁ。どっかに封印して保存しても良いし、消してしまっても構わないよ。
あ、でも、普通にそのパソコンの中のファイルを消しても、魂は消えないかもしれないんだよなぁ……自由にしちゃうかもだし、封印のが無難かも」
「じゃあ、封印する方向でいくかね」
アリアケの処遇の方向性が定まった所で、カクアは徐に立ち上がる。このパソコンの持ち主はジンセだし、彼にも話を通す必要が有るだろう。
これが終わったら、順序的に次は計画の番人の制作に本格的に乗り出す所か。であれば、明日からは本腰を入れてドロイド製造施設を探索するべきだ。もうイレアの社に早急の用は無いし、この周辺で見つからなければ遠征してしまっても良いかもしれない。
「……カクア、きみは、」
不意に、レイがカクアに言葉を投げかけた。中途半端な所で途切れた言葉に、彼は振り向き疑問符を浮かべてみせる。が、それに対し彼女は、何とも形容し難い微妙な表情で、首を横に振った。
「何でもない。気にしないで」
「そ、そうか」
そう言われるとますます気になるのだが、問い詰める事はしないでおく。釈然としないながらも、カクアは頷いた。




