二十五日目:要石を目指して-甲
レイとレアに世界樹冬眠計画の全貌を聞いてから、三日が経った。この三日間、カクアたちはずっとイレアの社に赴く為の準備をしていた。
皆で相談した結果、計画に一段落着くまでは、このシェルターには基本帰らない事にした。余程の事態が発生すれば別だが、何時どんな脅威が降りかかるか分からない道程を毎日乗り越えるのは、流石に厳しいからである。
ここの事はレハゼムたちドロイドに任せて、イレアの社かその周辺で寝泊まりする。週に一度くらい帰って様子を見ていれば、多分大丈夫だろう。
ペルヒェはレハゼムも連れて行きたかったようだが、シェルター側に一人も頭脳が居ない状態は、少し怖い。彼女の力が使えなくなるのは残念だが、致し方あるまい。
そんな、今回の遠征の事を考えながら、カクアは車へと荷物を運ぶ。今持っているので最後だ。
「カクア殿」
と、階段を上り始めんとしたその時、背後からレハゼムの声が掛かった。カクアは足を止めて振り向く。
「おうよ、どうした」
「もう、行くのですよね」
「ああ、そうだが」
「……なら、最後に挨拶をさせてください」
「お、おう。そのくらいなら、わざわざ許可を得る必要も無かろうが……」
レハゼムは割と自主性の有る方だとカクアは思うが、こういう所で時折ドロイド根性を垣間見せる。いくら考える能力を有していても、植え付けられた従順な性格は中々変えられないのだろう。
彼女のこういう部分を見る時、ペルヒェはどんな想いをしているのだろうか。取り留めの無い思案を巡らしながら、カクアは階段を上り始めた。
表に停められた車の周りには、既にペルヒェたちの姿が有った。ペルヒェはカクアの姿を見ると、軽く手を振ってみせる。
ここの所、寝る間も惜しんで人工知能の製作に打ち込んでいる彼女の顔には、隠しきれていない疲弊が浮かんでいた。あまり無理はしないで欲しいのだが。
「待たせたな。荷物はこれで全部だ」
「ん……あれ、レハゼム……?」
「マスターたちの見送りに参りました。……少し、寂しくなりますから」
「……そ、そう。フヒッ……」
レハゼムの見送りはペルヒェには嬉しいものだったようで、彼女はいつもの変な笑い声を漏らした。そしてこう言う。
「ありがとね、レハゼム……行ってくるよ……留守、頼むね」
「はい。お任せください」
主従の感情というべきか、それとも少し歪な友情というべきか。蚊帳の外のカクアは、同じく背景と化しているレイたちと顔を見合わせた。
やがて、気が済んだらしいレハゼムが、シェルターの中へ引っ込むのを見送り、カクアは最後の荷物を車の中に積み込んだ。そして、皆共々乗り込んでゆく。
運転席には、いつも通りにカクア。助手席にはペルヒェ、そして後部座席にレイとレアが並んで着く。
“いどのす”というのは瞬間移動のような能力を有しているのだが、今はそれを行使する事すら辛いのだという。どうしても使えないという程ではないが、節約はしたいらしい。なので、普通の移動手段に相乗りしているのだ。
「じゃあ、出るぞ」
「うん……」
忘れ物が無いか確認した後、カクアは車のエンジンをかけた。そして、イレアの社を目指して走りだす。
果たして、目的地周辺は如何程に原型を留めているのか。あまり期待せず、努めてハードルを下げながら、彼は進む。
進む最中、カクアは出立の準備の傍らで考えていた、ルラサーバーの設定変更の事について、皆に話した。世界の再生計画には直接関わらない代物では有るが、独断専行するわけにもいかないだろう。
事のあらましを聞いた三人は、皆それぞれの反応を示す。まず、ペルヒェが感心したように頷きつつこう言った。
「良いと思うよ、それ……崩壊以前ならいざ知らず、今の状態で魔法が無くなったら、本当に終わるもの……光が見えたわ……」
ペルヒェも、このまま魔法が無くなったらどうしよう、という事は考えていたらしい。幸いにも、彼女とは意見が一致していたようだ。
だがしかし、レイたちの方はううんと唸っていた。その気配を察知して疑問符を浮かべるペルヒェに、レアがこう言う。
「そレやるならついデに、時空に関わル魔法を完全封印してクれなイかな。再びゲートが作られテシまったら、何もカもが水の泡だ」
「ああ、それね……それは、あたしも思うわ……」
成る程、彼女たちはその事を懸念していたのか。カクアは頷く。
「無論、それはやっておこう。おれとて、そのくらいは考えていたさ」
歪曲を生じさせない、ゲート式ではないテレポートも諸共に封じなければならないのは痛いが、背に腹は代えられない。カクアたちがこの世を去った後にまた破綻が起きたら、今度は本当に終わってしまうだろう。
「とはいえ、ルラまで行って、時空魔法を司る部分を物理的に破壊しない限り、完全に無くすのは不可能だ。
上手くいっても、今残ってるゲートは、多分このまま動き続けるだろうな……」
「残存ゲートに関しては問題無い。レアが探して破壊しているから」
「……壊せるの? っていうか、近づけるの……?」
「腐ってモ人外だかラ。キミたちだト呑まレて死ぬから、近づかナいヨうにね。ゲートの破壊は地味だケど重要な仕事ダ、ジンセとの顔合わセが済んだら、ワタシはすぐにそっチの作業に戻るよ」
どうやら、レアの方は直接カクアたちに力を貸すわけではないらしい。人手は有れば有る程良いのだが、彼女の言う通りゲートの破壊は重要な課題であるし。
しかし、顔合わせか。ジンセの方はともかく、レアの姿を見たらポホが泣き出さないだろうか。少し心配だ。
「けど、ルラまで行ク……ねェレイ、出来なイかな」
「んー……残念だけど、今の状態じゃ無理だね。辿り着いたところで消えてしまうよ」
「そっカ。となルと、頑張って一ツ残らズ破壊しないとね」
ちょっと失礼な事をカクアが思う最中、レイたちはそんな会話を交わす。空間移動魔法を使えば、イメージよりかは簡単にルラに行く事は出来るが、彼女たちにはそれ以前の問題が有るようだ。まぁ、下手に物理的な攻撃をすると、他の魔法の行使にまで支障が出かねないし、システム的に封じるくらいが丁度良いと思うが。
「まぁ……頑張ってね、カクア……ええと、カクアの仕事場、だっけ……残ってると、良いね……」
「ああ。結局、必要な施設が残ってないと、どうしようもないんだよな……」
やがて、車内に沈黙の帳が下りた。これ以上ここで話す事はカクアには無いので、彼は何も言わずに運転に集中する。
そうして数分経っただろうか。不意に、ペルヒェが静寂の時間に終止符を打った。
「ねぇ、皆……」
「どうした?」
「……上手く、異界と繋がって……繋がった先に、“いどのす”のエネルギーに出来る何かが有ったとして……。
それがもし、あたしたちと同じくらい、頭の良い生き物、とかだと分かったら……カクアは、どうする……?」
いまいち彼女の言葉の意味が分からなくて、カクアは軽く首を傾げてみせる。そうしていると、いち早くペルヒェの台詞を理解したらしいレイが、特に感情の籠っていない声音で発した。
「十分にあり得る可能性だね。知的生命体の魂って、結構使いやすいエネルギー源だから」
そんな彼女の言葉で、カクアも大体の所を察した。もしかするとこの計画は、異界に住まう人々を大量に殺戮する代物となるやもしれないのだ。
ややもすれば、異界の友人として良好な関係を築いていたかもしれない存在。ヒューマンやエルフと同じように生き、喜怒哀楽を持っているかもしれない生物。──カクアは考え、そして馬鹿らしいと言わんばかりに肩を竦めた。
「だとしても、おれは変わらんよ。……今この世界で生きている人たちの為に、その子孫の為に、その程度の事で立ち止まるわけにはいかない。
それに、もうすでに理不尽な死は発生しちまったんだ。今までに費やされた命と、これから費やされる命を無駄にしないように、きちんとやらないとな」
力強く、固い決意を胸に、彼は口元に笑みを浮かべてそう言った。全く心が痛まないわけではないが、それは盲信という麻酔で鎮めてしまえば良い。
すると、先の台詞の何が琴線に触れたか、ペルヒェが「キヒッ」という引き攣った声を漏らした。それがなんだか戦慄に思えて、カクアは彼女に声を掛ける。
「だが、ペルヒェ。もしあんたの考えがこれで変わったのだとしたら──」
「あっ、ち、違うの……ただ、あたしは……」
だが彼女はカクアの言葉を遮るように、慌てて話しだす。しかし急に話し始めたから息が続かなかったのか、ふぅ、と一つ息を置いた。
「……凄いと、思ったの。カクア、とても強くなったのね……」
「そ、それほどか? ちと照れるなぁ……」
凄い、強いと言われて悪い気分になる者は居ない。浮かべていた笑みをにやけに変えながら、ペルヒェの続く言葉を聞く。
「あたしは、心配、いらないよ……今は、カクアを助けるのが、楽しいから……ヒヒ」
小声のその台詞は、少しはにかむような声色だった。……それを捉え、彼は内心困惑する。
やっぱり彼女は、カクアに常並ならざる想いを寄せているのだろうか。今はそれどころじゃないし、そういうのは後でにしてほしいのだが。
「……前から思ってたけどさ、きみたちって仲良いよね」
「まぁ、元々気が合ってつるんでた仲だしな」
また蚊帳の外になっていたレイが、無感情な声色でそんな事を言ってくる。これは早い所話題を逸らさねば、ややこしい事になってしまいそうだ。何もかもに一段落着くまでは、淡白でありたいのに。
「ていうか、さっきの言いぶりだと、その気になればウィナンシェの人類を喰って力にするのも出来るんか?」
ので、先程の話で感じた疑問点を、至って真面目にレイにぶつける。すると、彼女はやはり色の無い声で返答した。
「可能ではある。ただ、今生き残ってる人を、いや、全ての生命を取り込んでも、今すぐ復活させるのは出来ないな」
「……そうなの?」
「絶対量が少な過ギるし、そレにウィナンシェ人類ノ一般人じゃ、どんナに食べても足りなイよ。そうサね……ペルヒェと同ジくらい、ええト……レベル? 階梯? が高い人間ガ1000人くらいデ、やっト足りるかな」
一瞬のうちに平常運転に戻ったペルヒェの問いに、恐らく精一杯人間にも分かりやすいよう翻訳したと思われる説明を、レアが返す。……『レベル』というのが一体どういう概念かのかいまいち分からないが、とにかくカクアが提示したやり方は無理だという事は分かった。
「それにさ、出来る出来ない以前に、」
と、レイが言いだす。
「人類は我々の親愛なる隣人なんだ。そんな存在を、丸ごと食い潰すなんて事、わたしはしたくない」
虚偽の色の一切介在せぬ、何処かに慈しみさえ孕んだ声。これまで、熱狂と頑なな決意と悲嘆ばかりを表出させてきた彼女が、こういった穏やかな感情を人類に向けているとは。それが意外で、カクアは内心驚いた。
「案外、優しい所も有るんだな、あんた」
「……甘いだけだ。わたしは」
だが彼女のその返事からは、深い悔悟の気配が感じられた。不可触たる心の闇の断片が、ほんの少しだけ噴出する。
「本当に優しいのならば、こんな事態になる前に、もっと……」
「レイ、落ち着イて」
「……分かってる」
平静を失いかけた相方に、レアが声を掛ける。するとレイはハッと正体を取り戻し、元の無感情な声音で応じた。その一連の流れで、これ以上触れてはいけないとカクアは直感し、もう何も言わずに黙り込んだ。
そうして話題の全てが尽きて、再び沈黙の時間が訪れた。今度はカクアもペルヒェもそれを破らず、それ以降は結局目的地に到着するまで、必要最低限の会話しか交わされなかった。




