二十二日目:イレア-甲
風前の灯火。今の自分たちを表すなら、そんな言葉が最適だろう。ゆらゆらと頼りなく揺れる“いどのす”の魂の緒は、今にも全てを道連れにして消えてしまいそうであった。
元々限界まで切り詰めていた所に、一時的にとはいえ無理を通して全盛期の力を振るったのだ。レイが自らを以てダメージを受け止めたものの、多少の消耗は免れられなかったようである。
まぁ、上手い事自分にしわ寄せを集中させられたのは僥倖だ。肉体の大半を失ってしまっているレアに向かったらかなりまずいし、もし“魔神”を封じるベネトナシュに行ったら最悪だ。世界に魔が溢れ出してしまう。
(……大分、キツイかも)
主に形而上のレイヤーに受けた損傷を癒す為、最低限の生命活動以外を完全に停止し、呼吸や代謝を利用して魔力や思念の力等を取り込み回復に充てる。恐らく外から見れば睡眠状態に見えるだろう。
文字通り、これは休眠だ。とはいえ、再びあんな無茶を通せるまでに回復する事は出来ないだろう。時間が掛かり過ぎてしまう。
……正直、もう少し余裕が有ると思っていた。だが思ったより早く限界が来て、故に恐らく長期滞在はしないであろうジンセたちにだけ優先的に話をしたのだ。話し終えた時点で閾値を超えた感じがしたから、この選択は正解だったと思う。
しかし、カクアたちには悪い事をしてしまった。思わせぶりな事だけ言って寝入ってしまうなんて。自分が同じような事をやられたら、後で散々詰るだろう。
果たして、彼らはレイの言いつけを守ってくれているだろうか。ジンセたちから話を聞いといてくれれば最善なのだが。
まぁ、何にせよ、希望は見えた。どこに有るかも分からなかった光が、手を伸ばせば届く所に有ったのだ。ここからは下手さえ打たなければ、余程の不運が無い限り計画の始動までは持って行ける筈である。
(……思考も、ここまでにしよう)
あれこれ考えるのにもリソースを使う。本来であれば微々たる消耗だが、今は無意味な浪費をしている場合ではない。彼女は一つ一つ思考を打ち切り、やがて完全な闇に意識を閉ざした。
深く、安らかに、彼女は眠る。眠り続ける。一抹だけ、もう目覚めたくない、なんて思いながら。
「.i lo fagri velxai cu canci .ei……」
カクアの部屋に、ペルヒェの詠唱する声が響く。その清涼な声色に導かれ、彼女の魔力がカクアの左手に集中する。そして、もう手袋を使わなくても良いくらいに快癒した腕の、最後に残った僅かな引き攣りが、音も立てずに消えてゆく。
やがて、全ての破壊された組織が正常に治された。この火傷を負ってから三週間強経って、漸く全快したのだ。
「上手く、出来た……」
念入りにカクアの腕を検分した後、ペルヒェは安堵の表情と共にそんな台詞を漏らした。達成感に満ち満ちた顔をする彼女を前に、カクアは手を握ったり開いたりしてみる。
「……ああ、完治したな。ありがとうな、ペルヒェ」
「ふ、ふふ、どういたしまして……」
無事に彼の腕が治ったのも、ペルヒェの地道な治療の賜物だ。心からの感謝を述べると、彼女は少しくすぐったそうに笑った。
「じゃあ、夕飯まで……自由にしててね……」
「そうさせてもらうよ。ペルヒェも休めよな」
退室する彼女を見送りつつ、使い古した包帯をゴミ箱に放り、完治した腕をあれこれ動かす。見るだけで具合が悪くなるような惨状だったあの火傷が、こうも綺麗に完治するとは。魔法の力は凄い。
(……しかし、もう22日目か。後少しで一ヶ月経つのか……)
もう一ヶ月と言うべきか、まだ一ヶ月と言うべきか。分かるのは、案外カクアはこの生活に順応しているという事だけだ。
今日の外出で、地下街周辺の見張り場所のうち、一日の間に往復出来る距離の所は、全て巡回し終えた。先客が来たらしい所も有ったが、それでも多くの物資を得る事が出来たので良しとする。
このままいけば、次は一泊以上掛かるのを覚悟で他の見張り場所も探してみるか、それとも他の事に時間を使うべきか、といった具合の選択になるだろう。カクアとしては、どうせ他の所を探したってもう何も残っていないだろうし、見張り場所を探すべきではないかと思うが。
「……レイ、早く起きねーかな」
ぼやくように呟く声は、静寂に飲まれて消えた。……七日経った今になっても、彼女は眠りこけたまま目覚めていない。
呼んでも揺すっても魔法をかけても、レイはうんともすんともいわない。このまま死ぬまで眠り続けたままではないのか、という懸念すら出始めている。
ジンセたちを送り出した意図や、彼女の計画の全貌。消化されない疑問ばかりが溜まっていく。
だが座して待つ他無いとカクアは思う。下手に行動に出るのは愚の骨頂だ。迷子になった時にはその場から動かないのが最善手、この場合もそうだと考えられた。
(しかし、不安さは拭えないな)
彼女を待つのをすっぱり止めて、さっさとジンセを追いかけて話を聞いた方が良いのではないか。数日前にレハゼムが提案し、ペルヒェに却下されたものであるが、ここまで来るとそちらの方が有効な気がしてくる。
身体を休める間、しっかりとその辺りの考えを纏めておこう。カクアは部屋の中をぐるぐるとうろつきながら、うだうだと考え込み始めた。
考える中、カクアは何となくレイの見舞いに向かっていた。この問題の渦中の人であるレイの姿を見れば、少しは得るものが有るやもしれないと思って。
「……レイ、見舞いに来たぞ」
やがて彼女の部屋の前に着くと、カクアはそんな言葉を投げかけつつ扉を開けた。多分聞いてはいないだろうが、こういうのは気持ちが大事なのだ。
だが部屋の中に居た人物を見て、彼は瞠目した。そこには、酸鼻を極める凄惨な姿の人と思しきモノが居たのだ。
立っているのが不思議なくらいの有様だった。頭部は左半分が大きく欠け、断面からは骨や中身が見えている。左肩から脇腹にかけても削ぎ取られたようになっており、比較的原型を留めている右半身も、腕が無かった。
身体のラインが隠すマントの上からでも、すぐに分かる程の欠損。一応自分の脚で立っているように見えたが、少し重心が不安定な辺り、脚も片方欠けてたりするのだと思われる。
「っ……!!」
コイツは、生きているのか。ゾンビか何かとしか思えない有様の後ろ姿に、カクアは臆して動きを凍り付かせてしまう。金縛りに遭ったように硬直する四肢を必死に動かし、後ずさって部屋から出ようとするが、間もなくそいつはこちらに振り返ってきた。
「キミは?」
何処からどうやって出しているのか分からない声は、主の見た目とは裏腹に理知を感じさせる色だった。それでも容姿のおぞましさに怯み、カクアは言葉を返す事が出来なかった。
その態度に、相手はふと気付いたように目を左側に向け、気付いたふうな表情になった。そして少し首を傾けると、マントに付いているフードがひとりでに浮き上がり、頭の欠損を覆った。
「このよウな姿で申し訳なイ。ワタシはレア、レイの半身だ。彼女に呼ばレて、ここニ推参しタ」
「よ、呼ばれた、って……レイは起きているのか?」
「そうだ」
その返答は、レイの声で行われた。真っ先にこのレアと名乗った人物に視線が行ったから見ていなかったが、確かにレイが上半身を起こしてこちらを見ていた。
「……わたしは平気なのに、レアには驚くのか」
「そりゃ、頭が無いのに動いてる奴見りゃ、誰だってこうなるわ!」
「そういうものなのか。まぁ、良い。何とか復帰出来たから、話がしたい。良いだろうか」
淡々と話題を変えるレイに、カクアは軽く頭を掻きながら頷く。彼女が目覚めた事で、うだうだと考えていた事は意味を失ったし、待ち望んでいた状況の変化が起きたのだ。彼女が呼びつけた人物が少々個性的だからといって、いつまでも驚いている場合ではない。
ゾンビめいた姿をしたレアだが、レイに敵ではないと保証されたからか、もう恐怖は感じなかった。ので、次に移る前に、彼はレアに向き直る。
「ええと、レア、だっけ」
「ン、ワタシに何カ?」
「さっきは、必要以上に怯えて悪かった。それと、おれはカクアという」
先ほどのカクアの態度に、少なからず彼女は嫌な思いを抱いただろう。それを払拭する為に、言われる前に誠意を示しておかねばなるまい。
「……ヘェ。うん、分かっタよ」
どうやらそれは効果を示したようで、彼女は少しだけ声を和やかにさせて答えた。
会議室には五人の人影。カクアにペルヒェ、レハゼム、それからレイとレアである。今このシェルターに居る頭脳が全員集まった所で、まずレイが口を開いた。
「話したい事というのは、他でもない。以前話した、この世界の為に打てる最後の一手……その実行に、きみたちの力も貸して欲しいという事だ」
およそ八日越しの、話の続きだ。カクアはこれまで出た情報を想起する。
まず、レイたちは“いどのす”と呼ばれる人外である。彼らは超越者であり、時には神ともされた存在。彼らはウィナンシェの滅びを予見しており、それを避ける為に行動していたが、間に合わなかった。
しかし打つ手が無くなったわけではなく、最後の計画の実行の為に、レイは滅亡後の世界を彷徨い協力者を探していた。自分たちはもうすぐまともに活動出来なくなるから、その前に“いどのす”とは関係なく動ける人類に、希望を託す為に。
そして今、彼女は協力者としてカクアたちを迎えようとしている。そんな言葉に、ペルヒェがこう返した。
「まず……計画の全容を、話して……」
「それもそうだね。分かった。何処から話そうかな」
協力するにも、何をやるのか分からなければどうしようもない。その台詞にレイは頷き、ぽつぽつと語り始めた。
「まず、名称を与えようか。そうだね、どんな名前が良いかな……世界……いや、世界樹、休眠……ううん。世界樹冬眠計画、としよう。
現在この世界に必要なのは、莫大なエネルギー。我々の描く計画は、それを外部から引き込む為の物だ。……筆記用具って有る?」
「ん、これ、使って……」
ペルヒェは机の引き出しからメモ帳とペンを取り出し、白紙のページを開いた後、彼女の前に差し出した。レイはペンを取ると、片手で器用に紙を押さえつつ何やら書き付けてゆく。
「外部というのは、遠い異世界。基本的に、互いに影響を一切及ぼし合わない程遠い場所の事だ。そこから、直接あるいは間接的にエネルギーを持ち込む。
我々が考えるその手順は……待って、今描くから」
片手しか使えない関係上、描画作業に手間取っているようだ。それを見かね、カクアは彼女の方へと手を伸ばし、代わりにメモ帳を押さえて固定した。
「あ、ありがと」
顔は上げないまま、彼女はそう言い手を動かし続ける。やがて、単純な絵図が完成した。




