七日目:ホワイト・ウェイト・リクエスト-乙
それで、一旦説明は終わりのようだ。質問が有ればぶつければ良い、と言わんばかりに、レイは背もたれに身体を寄せる。
「なら、質問だ。……あんたの言う、この状況から打てる手とは、何だ?」
ので、レイが促してくれたのに甘えてカクアは問う。ちらりと先の話に出た、その計画の正体を。
「……。まだ、机上の空論でしかないんだ。まともな輪郭を伴うまでは、詳細は話せない」
「だから協力者を求めているんだろう?」
「きみたちには感謝しているけれど、完全に信用はしていない。そういう事」
だが彼女の返答は、そんな芳しくない物であった。助けられた側なのに何様のつもりなのか、と言いたくなったが、ぐっと堪える。
実際、その通りなのだ。カクアが彼女の立場だったとしても、こうするだろう。恩が有るからといって、全ての秘密を洗いざらい話せるわけが無い。
「でもね、きみたちは結構好感触だよ。だって、ちゃんとわたしの話を聞いてくれているもの。時が来れば、その時に改めて協力を乞おう」
そこまで言うと、彼女は徐に立ち上がった。そのまま極自然な運びで部屋の出口に向かうレイを、ペルヒェが呼び止める。
「待って……何処、行くの……」
「外へ。これ以上休む暇は無いから」
「行くアテ……有るの……?」
「無いよ。けれども行動をしなければ、本当に手遅れになってしまう」
すっかり凪いだと思われたレイの面に、じわりと憔悴が滲む。
「時間が無いのか?」
「まぁ、ね。時空の破綻は今も加速度的に広がっている。一応我々が食い止めているけれど、年を跨ぐ頃になれば、わたしがこうして動く事すら、リソース不足で出来なくなるだろう。
そうなれば、何時まで経っても事態が動かなくなって、臥して死を待つしかなくなる。だから、その前に人類に希望を託さなければならない」
確認に近いカクアの問いに、レイは顔をそっぽに向けながら答えた。今は琥珀の月で四月目、彼女の言うタイムリミットまでは半年強しかない。成る程、焦るわけだ。
「あんたは、暫くはこの辺を探すのか?」
「そうだけど」
話は終わりか、とレイは今一度こちらに目を向ける。そんな彼女に対し、カクアはペルヒェとレハゼムに目配せをし、二人の意思の在り処を確認した。そして言う。
「ならば、その間はここを拠点とすると良いだろう」
「ん……あなた一人を、置いておく……それくらいなら、問題無い」
「……は」
呆気にとられたように、レイが瞠目する。無表情が完全に剥がれて、きょとんとした顔を露にした彼女は、歯を隠す事すら忘れて口を開く。
「何故、そんな事を……」
「言っただろ。おれたちは挽回をしたい。どうやら直接には協力出来ないようだが、多少の助けにゃなるだろう」
「……どうして」
万感の想いが籠った声と共に、彼女はふらつき壁に寄りかかる。そして額に手を当てながら、瞑目し頷いた。
「ありがとう。なら、甘えさせてもらう。……きみは、きみたちは、本当に優しいのだな、本当に……」
唖然と、脱力したように、彼女は言葉を絞り出す。俯き影の掛かったその表情は、何故か泣き顔のようにも見えた。
間もなく、レイはシェルターを発っていった。たった一人で、イーアイレアの廃墟の中へと消えていった彼女の背中が、高く晴れた空と比べてどうしようもなく小さく見えた事が、何だか印象的であった。
「しかし、本当に良かったのか? あんな事を約束してしまって」
彼女を見送った後、今後の予定を決める会議を続ける最中、ふとカクアはそんな事を言い出した。リソースに余裕が有るわけでもないのに、本当にレイへの支援を申し出てしまって良かったのだろうか、と。問われたペルヒェは、こくりと頷く。
「うん……どうせ、あの子が上手くいかなかったら、死ぬんだから……彼女の話は、多分本当だろうし……あ、でも……上手く行っても、どうせ死ぬか……」
「ネ、ネガティブだなぁー……」
こんな世界では、文明に守られて育った自分たちは長生き出来ないだろう。そんな思いが、ペルヒェを著しく行動的に傾けさせているようだ。思えば、遠征を実行に移すまでが早かったのも、そういう事だったのやもしれない。
実際、カクアとてそう思っている事は否めない。その内遺品漁りでも物資を得られなくなるだろうし、そうなれば食糧の供給は水耕栽培任せになる。シェルターに備え付けられている栽培施設は中々の規模だが、数十人もを養いきるには到底足りていない。
「……カクアは、長生きしたい?」
ペルヒェがこてんと首を傾げる。その問いにカクアは険しい顔で考え込み、やがて頷いた。
「だな。折角生き延びられたんだから、長生きして、少しでも……何か、為になる事を」
そうすれば、死んでしまった人たちも少しは浮かばれるのではないだろうか。彼らの死を、無駄にせずに済むのではないだろうか。明確なビジョンは無い、だがしかし確かな決意を滲ませ、カクアは更に眉間の皺を深くする。
「そ、っか。なら、その内……延命策、考えるね……引っ越しとか、本格的な農耕、とか……」
「ペルヒェも、おれに付き合ってくれるのか?」
「うん……あなたとなら、延長戦も、悪くない……そう思える、から」
青いメッシュの前髪を弄りながら、彼女は歪さの無い笑みを浮かべる。学生時代は、熱烈さを孕んだ面であるのが常であったが、それに年季の入った表情はとても柔らかであった。
元々整っている面立ちが、笑顔で更に映える。何だか目が離せず見つめていると、やがて彼女の白目がちな瞳が細められ、嬉しそうに見返して来た。ふわりとした、良い香りの錯覚さえするその破顔に、カクアは思わず目を逸らした。
「と、ともかく。なら、いずれ何処かに引っ越す事を視野に入れるとしよう。ここいらじゃ、碌に農作も出来ないだろうし……アテとかは有るか?」
「ん、勿論……用意してた、シェルターは、ここだけじゃない……世界中に、有る……ドロイドたちも、いくらか滞在させてるし……遠いけど、計画を立てて、転移魔法で、飛べば……」
「魔法で飛ばないと駄目な距離か?」
「うん……海外、だもの……」
海外、という言葉で、彼は納得して項垂れた。世界崩壊の原因たる転移ゲートが普及してからは、船や飛行機といったそれ以外の遠距離交通機関は著しく衰退してしまったのだ。
小型船なんかは生き残っていたが、まさかヨットで大洋横断なんて出来やしないだろう。辿り着く前に飢えて渇いて死ぬか、嵐に巻き込まれて溺れて死ぬのが精々だ。
であれば、転移魔法を行使したペルヒェが暫く動けなくなるのを織り込んだ上で、引っ越し計画を立てる必要が有るだろう。彼女が世界地図を取り出し、小さなボードゲームの駒をシェルターの所在の目印として並べるのを、カクアは静かに見守った。
身体はすこぶる好調だ。あの人間たちでは、失われてしまった腕を生やす事は出来なかったようだが、邪魔な傷が消えた事は大きい。
何もかもが万全であれば、肉体の傷なぞ、全身がまんべんなく肉片になって飛び散りでもしない限り、すぐに修復する事だって出来るのだが、今はそうもいかない。純粋に、彼らの厚意は有り難かった。
「……ふっ!」
存分に使えるようになった両脚で、レイは跳躍し廃墟の壁を乗り越える。着地の際、左腕が無い分少しバランスを崩しかけたが、すぐに立ち直れた。
「腕……」
風に虚しく棚引く袖に目を落とし、はぁ、と溜め息を吐く。これを失ってから久しいが、未だに無い状態に慣れない。脚よりはマシだと思っていたが、果たしてどうなのやら。
アテも無く、彼女は壊れた世界を走り進む。世界再生の鍵たりえる人物の手掛かりは、現状『イーアイレア』という場所だけだ。だから、しらみつぶしに闇雲に探すしかない。
今ここで運命の俯瞰をすればもっと絞れるやもしれないが、今“いどのす”は完全崩壊を防ぐのに殆どのリソースを割いている。一瞬でもそれを緩める事は出来ない。
もしどうしてもやらねばならぬとなれば、この身を削る他無い。その場合、精々一回が限界だろう。そして行えば、彼女の身体は衰弱死寸前まで落ち込む。
(出来れば、使わずに切り抜けたいな)
上手く使えば一気に状況を好転させ得るが、あまりにもリスキー過ぎる。これは最後の切り札なのだと、重々肝に銘じておくべきだ。
そんな考え事を続けながら、彼女は嘗て大都市だった荒野を駆ける。肉体の強度も大分落としているが、しかし身体能力は依然として人外の域だ。瓦礫の山を軽々乗り越え、車と並んでも遜色無い速度で走ってゆく。
ふと、彼女はここから一番近い所に有る転移ゲートの方を見た。破れて裂けてしまった空から覗く異界に、白い眉を顰める。
首尾よく全てのゲートを停止させ終えて、全てのリソースを修復に向けられたとして、歪みきった時空が元に戻るのにはどれ程の時間が掛かるのだろう。100年や200年ではきかないレベルであるのは確かであるが。
『レア』
『何?』
今もこの世界の何処かでゲート破壊活動に勤しむ半身へと、彼女は呼びかける。返答はすぐに来た。やはりというべきか、非常に疲弊しているようだったが。
『状況はどう?』
『さっキ、26個目のゲートを破壊シたよ。今は、休憩中』
『了解。こっちは、そこそこ有望そうな協力者に出会えた。彼らに肉体の修復をしてもらえたお陰で、捗りそうだ』
『そうなんダ、良かっタよ。早く、休めルと良いノだけど』
『ああ、本当に。じゃあ、また連絡しよう』
『ン。死なナい程度に頑張れヨ』
遠く近く感じられていた気配が、ふっと消える。レアとの連絡だけは、魂が強く連結している為に消耗も無く行える。他の同胞との相談や転移なんかもみだりには使えない今、レアの声はそれだけで彼女に安心感を齎してくれた。
「……安心、か」
その単語で、あのシェルターに済んでいる人間たちの事を思い出す。満身創痍の身体を引き摺り、彼らの姿を目にした時、レイは何故か深い深い安堵を覚えていた。
理由は不明だが、もしかすると彼らこそが鍵となり得る存在で、本能でそれを感じ取ったからこそ、安心して倒れたのやもしれない。実際、普段は目の前しか見えない程に弱まってる運命予測能力でも、彼らの周囲にレイの求める因果と思しき物が集中しているのが見えるし。
──ああ、だからこそ、彼女は絶望する。何故もっと早くに彼らと出会えなかったのか、と。
もし崩壊前に出会えていれば、時空破綻自体を抑止出来たかもしれない。そうすれば、何をするにせよ選択肢が多かっただろう。
(いや、たらればの話なんてどうだっていい。今のわたしには、今しか無いんだ)
短い白髪と空の左袖を靡かせ、彼女はただひた進む。ベストエンドの鍵を探して、たった独りで。




