七日目:ホワイト・ウェイト・リクエスト-甲
翌日、カクアたちは夜が開けると同時に帰路につき、陽が昇りきるギリギリ前にシェルターへと帰り着いた。見慣れてしまった廃ビルの姿に、心からの安堵を浮かべながら、二人はシェルターの扉を潜る。
「レハゼム……今、帰った……!!」
階段を下りきった所で、ペルヒェが精一杯に声を張り上げる。するとややあって、慌ただしい足音が幾つも聞こえて来た。間もなく、幾人ものドロイドたちが姿を現す。
「──ゥゥゥマスタァァァァァッ!!」
修羅の形相で駆け寄ってくるのは、レハゼムだ。彼女はペルヒェの眼前で停止すると、その手を取って捲し立てる。
「ご無事でしたかっ、お怪我はありませんかっ!? 私も、皆も、もうずっとずっと物凄く心配していて……ああ、本当に、無事で、本当に……!!」
「ごしゅじんー、ごっしゅじーん」
「おかえりえ? おかりお? おかかー?」
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「おー。おかえーりぃー」
涙ながらに無事を喜ぶレハゼムの後ろで、低級ドロイドたちも各々言葉と身振りで感情を表す。定型文しか話せない者、いまいち語彙が不足している者、そもそも発音すら怪しい者等々、様々居るが、皆一杯に歓喜を示していた。
こうして見ると、なんだかんだいってもペルヒェはドロイドたちに愛されているのだな、と思う。複雑な心境をカクアに吐露したレハゼムでさえ、こうして親愛の情を示している。それだけ、ペルヒェは彼らを大切に扱っているのだろう。
「あたしは、大丈夫……カクアもね……それより、変わりは無かった……?」
やや戸惑い気味にペルヒェは応じる。気恥ずかしいのか、ほんのり頬を赤く染めながらだった。その問いに、レハゼムはこくりと頷く。
「ええ、特に仔細も無く。それから──」
そして彼女が更に続けようとしたその瞬間、廊下の奥の方から足音が響いた。先ほどとは違い一人分の、不規則で頼りないその靴音は、ゆっくりとこちらに近づいて来る。
「帰ってたんだ。恩人さん」
やがて声が届く距離まで近づくと、そいつは平坦な声を発してきた。そのまま、右しかない腕で壁を頼りながら、距離を更に詰めてくる。
おおよそ、最初に発見した時と変わらない姿であった。右足首は正常な方向に戻り、彼方此方にあった細かい傷や銃創は癒えていたものの、折れた角や千切れた耳、欠けた左腕と左目はそのままである。左目は、何処から出して来たのか分からない眼帯が覆っていたが。
だが奇怪だったのは、脱がせたら消えてしまったという発見時に着ていた服を、また着用していたという事だ。破れたり千切れたりしていた部分も直っているし、これは一体どういう事なのだろう。
彼女はカクアたちから数歩の距離まで近づくと、そこで足を止めた。無感情に固められた金色の瞳が、カクアの姿を射竦める。その威圧感に、彼は思わず息を呑んでしまった。
「多分、初めまして。わたしはレイという」
と、そこまで言った所で、彼女は何かに気付いたように口を噤んだ。そして、口元を軽く手で覆って続きを言う。
「きみたちの事は、何と呼べば良いだろうか?」
「……どうして口を覆うんだ?」
「ああ。わたしの歯は欠けている。きみたち人類は、そういうのを見るのを嫌がるだろう。腕に関しては、これ以上隠しようが無いので容赦して欲しい」
特に何の悲哀も浮かべず、彼女はただ事実を述べる。姿かたちは年のいってない女、ともすれば少女のようでもあるのだが、その態度と平らな声は何とも言えないミスマッチ感を醸し出していた。
「その服や、眼帯はどうしたんだ」
「眼帯の方は、口元と同じ理由。服だって、まさか全裸で現れるわけにはいかないだろう」
「いや、そうじゃなくて、何処から出したんだよ」
「そっちか。簡単な事だ。いくら弱っていても、このような薄布一枚を創造する事なぞ、朝飯前だ。それより、そろそろこちらの質問に答えてくれないか」
いまいち納得がいかないが、これ以上追及するには、こっちが答える必要が有りそうだ。カクアは名乗る事にする。
「おれの名はカクア・スクォウだ」
「あたしは……ペルヒェ・シスケル……」
「うん。ありがとう」
機械的な笑みを浮かべて、レイは淡々と礼を述べる。何というか、調子が崩れる。何もかものリズムが、根底から異なっているかのようだ。呑まれてしまわないよう気張って、カクアは問いかけた。
「あんたは何者なんだ? どうしてあんな怪我をしていたんだ? 可能な限り話してくれるか」
「聞いて、どうするの?」
すぐに彼女の顔から笑みは消えて、くきり、と首を傾げる。責めたり、疑ったりする色は無く、純粋な好奇心で訊ねているようだった。
さて、どう答えればこちらの望む話が引き出せるだろうか──そう考えて頭を捻っていると、ペルヒェの方が口を開いた。
「……挽回をしたい。何処まで出来るか、分からないけど……あたしは生きている、から……」
その台詞に、レハゼムが驚いたような表情になる。彼女にとっては予想外だったのだろうか。
「挽回、ね」
レイの方はというと、ふと考えるように目を閉じた。そうしてややあって、彼女は再びカクアの姿を視線で射る。
「分かった。良いよ。けど、長くなる」
「なら、場所、変えよう……せめて、座りたい……」
「そっか。その通りにしよう」
何せ、遠征から帰って来たばかりなのだ。可能ならば今から丸一日くらい寝て過ごしたい所だが、相手の気が変わらないとも限らない。
せめて腰を落ち着けられれば、頭の回転に回す体力も捻出出来るだろう。そう思い、レハゼム以外のドロイドたちには持ち場に戻る様言いつけ、彼らは会議室へと向かっていった。
「まず、わたしの事。何て言えば良いかな」
現在会議室には、たった今話を切り出したレイと、カクアとペルヒェにレハゼムが居る。四人がそれぞれ椅子に座っている中、レイは暫し思案顔で言葉を探した。
「わたしはレイ。“いどのす”が一柱、この地に在る神樹イレアの化身の片割れ。ありのままに語ると、こうなる」
「神樹イレア、か……」
彼女自身さえ、どう語るべきか決めあぐねているようだった。ならばこちらも協力的になるべきだろう、とカクアは考える。すると記憶の片隅に、それと合致するものが見つかった。
確かここ・イレア区に、古い神木を祀る所が有った筈だ。研究施設が数多立ち並ぶ中に、ぽつねんと存在する神樹の社。特に意味の無い、ただ古く貴重であるから保護されている場所だと思っていたが。
「分かるかな?」
「ああ、もしおれが思い浮かべたのと、あんたの言うモノが一致しているならば。つまり、あんたは所謂『神』と呼ばれる存在と認識して構わないか?」
「うん。昔は確かにそう呼ばれていたしね。全知でなければ、全能でもないけれど」
仰々しく肩を竦め、カクアの確認にレイは肯定で以て答えた。少し眉尻を下げ、塗りたくられた無表情の亀裂から自嘲のような感情を漏らす。
「ただ、きみたちより、少しだけ“すごい”存在だった。ずたずたのぐちゃぐちゃだったこの世界を治して、だましだまし生き延びさせる事が出来た。それだけ」
「……それって」
その説明で、ペルヒェが何かに思い至ったような声を上げる。それを聞き、言葉を促すように、レイは彼女に視線を向けた。それを受け取り、ペルヒェは口を開く。
「イドノス暦の、名の由来……ずっとずうっと、何千年も昔に、一度滅んだウィナンシェを……今の姿に治した、異邦の神樹、もしくは現世の世界樹……“いどのす”と名乗る者。
世界中に、挿し木された……その内の一つが、イレア。化身も、昔はよく、人にちょっかい出してた、けど……最近は、めっきり……そんな事を、聞いた……」
『イドノス』という名は、子供でも知っている物だ。何せ暦の名称であるのだから。ペルヒェにそう言われれば、そういえばそんな由来が有ったな、とカクアも思い出す。“いどのす”がやって来た時を元年としたから、この名なのだと。
「驚いた。記録が残っていたんだ」
「そりゃ……人類にとって、重大な出来事、だったのだもの……」
「そっか。ちょっと嬉しくて、どうしようもなく絶望するね」
「ぜ、絶望、って」
全く脈絡の汲み取れない単語に、カクアは眉根を顰めて呻いた。一体何がどうして、そんな言葉を漏らすに至ったのだろうか。レイはやや目を伏せさせる。
「わたしがどうしてあんな傷を負っていたのかを話そうか。そうすれば納得するよ」
左目を覆う眼帯を撫でながら、彼女は話題を切り替える。その所作の最中、一瞬左肩が上がりかけたのを、カクアは捉えていた。
「さて、わたしは人類より“すごい”から、ウィナンシェがこうなる事は、ずっと前から予見していた。きみたちはどう?」
「あたしは……大体全部、知ってた……止めなかった、けど」
「そっか。なら話が早いや。わたしはその滅びを回避しようとしてたの。けど、人類ってほんッとうにバカだよね。あのゲートを停止さえすれば、それで全てが解決したのに」
苛立ちと嫌悪を絡ませた声だ。努めて激情を表に出さないようにしているのだろうが、如何せん隠す物が大き過ぎる所為で、チラチラと垣間見えてしまっている。ペルヒェは俯いた。
「最初は、放っておいてもその内気付くだろう、と思っていた。だのに、予想が外れた。慌てて久方ぶりの介入をしたのだけど、駄目だった。我々の想定以上に、人類は愚かだった。
人類のコミュニティの王──いわば大統領とか、首相だとか、そう呼ばれる人間に、我々は説いた。専門知識が無くとも分かるよう、言葉を尽くし、懇切丁寧に。
それなのに、奴らは拒絶した。わたしを裏切り傷付けた! ……そして、間に合わなかった。
だから、わたしはどうしようもない絶望に襲われる。我々の記録が残っていた筈なのに、この提言に耳を傾けなかった人類に対する、な」
浮かび上がった怒りを散らすように、彼女はふるふると首を横に振った。暫しの間で以て気分を落ち着けさせ、再び元の平静そのものとなった表情を見せる。
「こほん。まぁ、人類にも事情が有ったんだろうね。許す、許すよ、わたしは許せる。人類は未熟で半人前なんだからね、寛容に接してあげないと。
それで、我々の行動は間に合わなくて、時空は破綻してしまったけれど、打つ手が無くなったわけじゃない。だから、それを実行する為の協力者を探していたのだけれど、その最中にも色々されてね。
話をする前に撃たれたり、話が出来てもこっぴどい目に遭ったり、変な異界生物に追いかけられたりもして、あの有様になっていたんだ。きみたちが助けてくれなかったら、最後の計画も立ち上げられすらせず頓挫していたろうね。感謝しているよ」
……彼女の語った事が全て真実なのだとすれば、その自制心は凄まじい代物である。何せ目の前にペルヒェが、滅亡の予兆を見て見ぬ振りした『愚か者』が居るというのに、彼女に対する悪感情を見せていないのだから。垣間見えたのも、不特定多数に対する怒り、ただそれだけだ。
(……見下しているから、なんかね)
良い年をした大人が、子供のちょっとした粗相に本気で怒る事をしないように、レイもこのように振る舞っているのだろうか。彼女の言動は、そんなふうにもとれた。
ペルヒェ本人の方はその事実に気付いていないようだが、レハゼムの方は分かったようで、興味深そうな顔をしていた。まぁ、ペルヒェもマヌケだが馬鹿ではないし、その内気付くだろう。




