零:まだ生きている-甲
※注意※
この小説は拙作『春を忘れて大樹は眠る』の前日譚となっております。
前作を読んでいないと、意味の分からない部分が多々出て来るやもしれません。
ご留意お願いします。
空が、裂けた。地が割れ、海が荒れ、風が狂う。破綻した時空から、本来この世界に有り得ない筈の要素が流れ込む。
次々と異物が混入し、惑星が悲鳴を上げる。その流入を拒むすら出来ぬ程弱った世界は、雑菌に蝕まれるように破綻を連鎖させ広げてゆく。そして宿主の危機に引っ張られるように、彼女たちも身を引き裂かれるかのような痛みに見舞われた。
そして彼女は理解する。自分たちの尽力が、全て無に帰した事を。何もかもが徒労であったという事を。
彼女は崩れ落ちる。酷い臭いのする地下水路の中、潰れた左目を右手で抑えて庇いながら、この傷もこの痛みも全て無駄だったのか、と脱力する。無事な方の瞳から、涙が溢れた。
「何故、だ……」
再三、彼女は人類に説いた。この世界に滅びが近づいている事を、それを回避するのに最も適したやり方を。
しかし、取るに足らない妄言、と文字通り斬って捨てた者が居た。信じるよ、と嘘を吐き、彼女を巧妙に捕らえ傷付けた者も居た。
何度も何度も情け容赦無い悪意をぶつけられ、彼女たちは最早満身創痍の体であった。しかし仇で報い続けられても尚、人類に厚意を示し続けた。それこそが希望だったから。
ああ、だけれども、駄目だった。無駄、だった。徒労だった。無意味だった。無駄骨だったのだ。
冷たい絶望が胸に張り付き、彼女の呼吸を止める。比喩でなく目の前が真っ暗になる中、彼女は振り絞って念話を発した。
『……皆、状況は』
『最悪ですな。先ほどのショックで、若い者は皆仮死状態となって消えてしまいました。残っているのは総勢六柱です』
そんなに減ったか。まぁ、あの痛みは凄まじい代物だったし、それ程胆力の無い若者では耐えられないのも当然だろう。人類によって深い傷を負い続けた彼女にとってだって、あれは耐え難いモノだった。
『けど、我々もゴリゴリ異界要素に蝕まれてて、その内残った六柱の活動状態を維持するのも危うくなるでしょう。いえ、今でも限界が近いです』
『どうするか、我らが仮初の王よ。正直、これ以上消費する前にこの星を食い潰すしか無いと思うが』
続けられた言葉に、彼女は少々思案する。確かに、もう希望は有り得ないのかもしれない。今以上に状況が悪化する前に、さっさと次の段階に移った方が賢いのやもしれない。
だが、本当に希望は失われてしまったのか。いや、そんな事は無い。まだ彼女たちの手の内には、最後の一筋の光が残されている。
しかし、こんな不確か過ぎるものに、同胞たちを巻き込んで良いのだろうか。揺らぐ彼女の耳元で、ふと囁き声が聞こえた。
「レイの好きにすレば良い。どっちにセよ、ワタシたちにとッては一世一代の大博打ナんだ」
振り向けば、そこには彼女の半身の姿が有った。頭の半分と肢体の大半を失って尚笑う彼女は、レイの欠けた左腕の付け根を優しく撫でる。
「……そうだな。そうしよう。どうせなら、最高の結果が期待出来る方に」
もうどうやったって分の悪い賭けなのだ。ならば、やって後悔しない方を選びたい。決意して、彼女は同胞たちへと念話を飛ばした。
『皆。わたしは最後の可能性に賭けてみる。わたしとレア……と、ベネトナシュ以外は全員仮死して、破綻の進行を抑えるのに注力して』
『オイオイ、正気かよ……もう人類とか信じるの止めようぜ? 奴らの所為で、あんたらがどれだけ酷い目に遭って来たか』
『止めとこうよ、さっさとこんな世界終わりにしちゃおうよ、これ以上レイたちが傷付くの見たくないよ。もう頑張んなくていいの!』
彼女の事を心配する声が聞こえる。彼らは人類との和解には協力していない者たちだ。これまで浴びて来た人類の悪意を思い出し、一瞬揺らぎそうになるが、すぐに立て直す。
『気持ちは嬉しい。けど、それでもやりたいんだ。ベストエンドを掴むには、人類の協力が必要不可欠だから』
『……レイのばか! ばかどじまぬけ! あほんだら! もうあたし知らないからね! 寝る!』
『もーオレ知らねーからなー。……どっちにせよ疲れたし、ちょいとばかし惰眠を貪るわー。長く、な』
折れぬレイの意志に、彼らは思い思いに吐き捨てた。その数秒後、同胞の反応が二人分ふつりふつりと途切れるのを彼女は感じる。次いで、残った者たちの声が届く。
『……まぁ、我らの王はイレアであるからな。私に異議は無いよ』
『貴方の描く進路に委ねましょう。……任せました』
『願わくばいつの日にか、再び相見えん事を』
次々と仲間たちの声が途絶え、同時に身体に力が漲ってくるのが分かる。絶望のあまりに脱力していた四肢が、いつの間にかまともに動くようになっていた。
そして、自分たち以外の四柱が全員目覚めぬやもしれぬ眠りに落ちた所で、残されたレイはレアに視線をやった。そして片方だけの腕で壁に縋りつつ、よろよろと立ち上がる。
「レアは……出来るだけゲートを破壊して。少しでもデッドラインを遠のかせる為に」
「分かっタ。レイはドうするの」
「兼ねてからの予定通り、希望を託せる人類を捜す。……足掻こう、最後まで」
「オーケイ。じゃあ、ワタシは早速行クね」
レアはウィンクをしつつ、ふっとその場から消えた。残ったレイも、目を閉じて意識を集中させる。彼女の人外の能力、“いどのす”を超越者たらしめる力の一端を発動させる為に。
自身を取り巻く因果の糸を辿り、今後最も成果を得られる可能性の高い行動を探る。リソースが限られている今、その運命予知能力は甚く限定的なものであるが、しかしそれでも確実に正解を示してくれた。
殆どの可能性は、すぐ近くに途絶が迫っている。だが確かに一筋、酷く細く頼りないものであったが、未来に繋がる糸が有った。──彼女が今すぐイーアイレアに向かった場合の道筋だ。
(……イーアイレア、か)
そこに何が有るのか、一体どんな振る舞いをすれば勝利を掴み取れるのか、そこまでは読めなかった。しかしそこには間違いなく、この惑星における最大の希望が有るのだ。
自らの本体である神樹イレアの聳える地へと、彼女は転移する。その最中、彼女はこの数奇な巡り合わせに、久方ぶりに口元に笑みを浮かべた。




