プロローグ
織原琥太郎の半生を語るとするならば、彼の居場所は戦場以外になかったと言えるだろう。
それというのも、彼の家系は代々軍人家系だった。父も祖父も曾祖父も大きな功績は残さずとも戦場にて身命を賭して誇りを持ち戦ってきた筋金入りの軍人家系。
だから、琥太郎自身も軍人としての教育を一通り受け育ってきた。通常の勉学と並行して、剣の振り方を教わり、銃の扱い方を教わり、生き残り方を教わって生きてきた。
だが、これも血筋か何なのか、琥太郎は教わった殆どの技術で平均点以上を叩き出せなかった。
剣を振っても簡単な斬撃しか出せないし、銃を撃っても全弾が命中する事は滅多になかった。代々続く軍人家系にもかかわらず、突出した兵士ではない彼に同じような境遇の者が白い目を向ける事が多かったのは事実だし、琥太郎もそれを否が応でも感じていた。
それでも彼は気にしなかった。平均的なら平均的で、中堅軍人を目指せばいいのだと、大きな武勲や功績を残せずとも父や祖父や曾祖父のように誇りを持って戦場を生き抜くのだと、腐る事無く真っ直ぐに思っていた。
そうして考えると彼はやはり家族のように筋金入りの軍人だったのかもしれない。
けれど、奇しくも彼には特殊な才が存在した。それが一般兵とはかけ離れた、戦略家としての才だと知ったのは、父に剣の教鞭を振るわれている時だった。
何の理由か、彼は一度父に怒鳴られている時に反論し、父を丸め込むことに成功したことがある。その時父にその口八丁さを「詐欺師染みている」と評されたことを彼は今でも覚えている。
この経験から、彼は自らに策略家の才があると知る事となった。だが、彼はこれを公表することをしなかった。
それは、彼がこれを公表してしまえば参謀に育てられると幼心ながらに恐怖したからである。
参謀は基本的には戦場に出ず、上から兵士に命令を飛ばす役割である。そう、戦場に出ない。それは、彼が望む兵種を根本部分から否定する兵種であることは言うまでもない。
同志が死に行くのをただ傍観し、自らは安全圏から命令を飛ばすだけなどという温くふざけた兵種に就くなど反吐が出ると、当時の彼は思っていた。
だから彼は人知れず己の才を伸ばしてきた。通常の勉学に加え軍人としての技術、そしてさらに策略家としての勉学も加えた彼の幼少時代は実にハードなものとなった。
けれど彼はやり遂げた。それはひとえに自らが見定めた未来を―――戦場に立つことを望んだ故の事だった。
決して楽ではなかった、決して楽しくはなかった、決して心折れ掛けた事ががなかったわけではなかった、しかし、彼は戦場に立つことを胸に秘め鍛錬を終了させた。
そうして彼は高等学校卒業と共に念願の軍人へと相成った。
初出撃で彼は戦場の残酷さを知る事となった。昨晩寝起きを共にした同志が次に会った時には体中に被弾し、肉は抉れ血塗れで見るも無残な姿になっている何て事は日常茶飯事の事で、何時しか彼はそういった同志に十字を切る事をやめた。
まさに現代の地獄といっても差し支えない世界。そんな世界を、彼は生き抜いた。
時に卑怯非道と罵られることもした、
時に同志を見捨て欺きもした、
時に嘘を突き通しもした、
それでも彼は、生き抜いた。
そんな、自分さえも折り曲げて生き抜いてきた琥太郎にも一つだけ変わらない、否、変えられない風習があった。それは、戦地で志半ばで散っていった寝起きを共にした同志たちの遺品を集め持って帰る事だった。
それが、もしかしたら琥太郎なりのケジメや贖罪のようなものだったのかも知れない。
そんな遺品が三十と溜まった頃、世界に転機が訪れた―――
―――何の脈略もなく、ただただ突然に、戦争は終了したのだ。
それまで世界に深く根を張った大木かの如き戦争は終戦した。長きに渡る戦争は各国を疲弊させ国力回復へと務めさせる事となり、各国は改めて戦争を起こす所の話などではなかった。
平和な新時代の始まりといえるだろう。傍から見れば。
現実は小説ではない。戦争が終わったからといって章が移り変わることもなければ年月が飛ぶこともない。簡単に、世界は、人間は、切り替わる事ができるはずがない。
それまで当たり前だった戦争を軸に自らを構成した人間なら、なおさらに。
琥太郎も、そんな切り替わる事の出来ない―――取り残された人間の一人だった事は言うまでもない。
時間は怒涛の如く過ぎ去って行った。各国が偽りの協和条約によって成し得た、手を貸し合いながらの国力回復は滞りなく進んでいた。元々戦場被害が少なかったことも関係しているのかもしれないが二年もすれば琥太郎の国の民衆の生活水準はむしろ戦前よりも回復していた。
そうして、民衆は新時代に目を向け始めたそんな頃、琥太郎はいいも知れぬ無気力感に襲われていた。
当たり前だ。琥太郎のような、戦争でこそ真価を発揮する軍人は、平和な新時代においては無用な長物に過ぎない。むしろ、終戦した事によって軍人への風当たりが多少強くなっていたことは否めなかった。
傍から見ればそれはあまりにも理不尽な八つ当たりに見えていたし事実そうだった。けれど、琥太郎にはその感情が理解できた。彼もまた、何かに擦り付けたくて仕方がなかったから。
戦争で戦った英雄である所の琥太郎のような軍人は、政府から厄介払いの為にだろう申し訳程度の補助金を貰う事できある程度の生活は保証された。
その補助金で彼は安いアパートを一部屋借りて、生活を始め、気付けばバイト戦士へと変貌していた。
朝には、軍人時代の名残で自己鍛錬を行い、昼はバイトと行けていなかった大学に通い、夜は食事を摂って就寝。そのサイクルを、戦後直後から数えて一年近くは繰り返した。
自己鍛錬は日常化していた為に苦にはならなかったし、バイトもそつなくこなし勉学だって理解できた。けれど、彼の無気力感を埋めるものは存在しなかった。
そんな時に、彼はあるオンラインゲームに出会う事となる。
そのゲームの名は《アリステイル・オンライン》。キャッチフレーズは「君が選択する世界」。
《アリステイル・オンライン》―――略称、ATOはその他のVRMMOと比べ戦略性が高いVRMMOである。
剣と魔法そして現代武器などを駆使して世界を冒険する、そんな極有り触れた世界観を持つATOに琥太郎が目を引かれた理由はその圧倒的な戦略性の高さゆえだろう。
どのように戦略性が高いのか。それはこのゲーム内にいて一番重宝すべきは《ポイント》と呼ばれるものだという点である。
VRMMOを含めあらゆる育成システムがあるゲームには多かれ少なかれLv制が存在する。
一般的RPGでは敵を倒すといった経験を積む事によってキャラクターのLvを上げる事ができ、Lv上昇と並行してキャラクターはステータスが少量だが成長する事となる。
けれど、このATOにおいて、敵を倒したからといってLvが上昇することは決してない。
敵を倒すことによって得られるのは《ポイント》と呼ばれる数字のみである。
ステータス上昇も、スキル習得も、クラス熟練度も、さらにはLv上昇でさえ、この『ポイント』を使用することでしか行えず、一度割り振った《ポイント》はもう二度と、取り返しがつかない。
《ポイント》とは即ちこのATOの世界そのものを体現する肝と言えうるだろう。
そしてもう一つ、戦略性を高くさせる要素が存在する。
《適材適所システム》。
これは琥太郎がATOをプレイさせる要因となったシステムである。このシステムはプレイヤーの身体的情報や経歴などを考慮させる事によって、どの《能力》に《ポイント》を注ぎ込めばいいのか自らが見定めていく仕様である。
仮に、あるプレイヤーが剣道の有段保持者だとした場合、そのプレイヤーには剣術技能と剣士の組み合わせが最も向いているだろう。当たり前だ、日常から剣道において剣の振り方を習っている者が剣を持つ事によって弱体化するはずない。
その逆もしかり。仮に剣道有段保持者が剣を持たない拳闘士になれば弱体化するのは当たり前だ。それを踏まえた上で自らが上げるべき能力を見極める事もこのATOの醍醐味の一つであると言えよう。
己が培ってきたものを最大限発揮するゲーム。そこには優劣が付くLv制もシステムがあれば何でも最大限扱えるといったご都合主義は存在しない。
それはまるでゲームではなく、真に自らの技術で生きることが要求される異世界のような錯覚を覚えさせられる、そんな、魅力的な世界。それこそがATOが人々の心を掴んで離さない理由だろう。
それ故に、幼少期から積み重ねてきた技術を披露する場を喪失し腐りくすぶっていた琥太郎が惹かれたのは当たり前の事であり、琥太郎は単純に自らの名前の後ろの部分を抜き出したロウという名前で登録して、ATOの世界へと降り立った。
そうしてATOを組み込んだ琥太郎の生活は怒涛の如く過ぎ去って行った。
当初は右も左も分からない世界に困惑しもした。けれどプレイするにつれ、その世界に触れていくにつれ、その世界の素晴らしさを知っていった。
戦場を失って無気力で腐っていた琥太郎にとってはそれはある意味新鮮で、ATOの魅力の虜となるのも時間の問題だった。
それから、琥太郎が自らが持つ技能に合わせたプレイスタイルをある程度完成させた頃に、彼は似た境遇の人物から自分のギルドに入らないかと勧誘を受けた。
元々、対魔物戦闘技能に乏しく不向きだった彼はよくランダムパーティを組んでいた。その為か、その誘いに軽く二つ返事で了承できた。
琥太郎をギルドに誘った男のギルドはお世辞にも規模が大きい訳ではなかった。むしろ小規模といって差し支えない。けれど、小さい故に団員達それぞれと個別で談話して仲良くなる機会も何度かあった。
そうして一週間が過ぎた頃、全プレイヤーに運営陣からある一通のメールが一斉送信された―――
―――拝啓、プレイヤーの皆様へ。ATOをプレイして頂き誠にありがとうございます。
つきましては、今回プレイヤーの皆様に『ある』アップデートサービスを実施したいと考えさせて頂かせてる所存です。
このアップデートを行った場合に限りATO―――正式名称《アリステイル・オンライン》の基盤となった異世界《アリステイル》へと転移する事情が発生いたします。
《アリステイル》移転に関しましては、プレイヤー様に極力負担が掛からないよう善処させて頂きます。また、お持ちの《能力》及び《一部装備》のみの引継ぎとなります。それ以外のボス攻略時習得武器や一部技能、ゲーム内通貨などの物品は引継ぎできないのでご了承のほどお願い致します。
アップデートの実施は今晩のPM23:45 ~ PM00:00の期間にて実施させて頂きます。
このアップデートは強制ではございません。アップデートを行わずともゲームの進行に問題は生じません。無論、ゲームのサービスも持続させて頂くつもりです。
あくまでこのアップデートをなさるかどうかはプレイヤー様ご自身の『選択』です。
ただもし、プレイヤー様が今の世界に満足できておらず、時代に取り残されてしまったと感じているならば―――
―――異世界《アリステイル》は間違いなく、そんなプレイヤー様の期待に添える事でしょう。
運営陣からのメールを読み終え、最初に琥太郎が思ったことは「何かの冗談だろう」という呆れで構成されたごく当たり前な感情だった。
「異世界転移」なんて単語が出てくるのは現代ではweb小説などだけの話だ。現実は甘くないなんていう事は琥太郎自身が一番よく知っている。それにこの運営陣が時々お茶目な事を起こす事があるというのはATO内では知名度の高い事だった。
だから彼は断じていた。これはいつも通り運営陣の冗談の一環であると。
けれど、そうは断じていても、琥太郎はその「冗談」に言い知れぬ期待を感じずにはいられなかった。
世界から世界への移動なんてたかだかオンラインゲーム会社ができるような事じゃない。百歩譲って可能だったとしても、移動間にて副作用が起き死んでしまうかもしれない。他にも懸念要素なんて考えればきりがないほどには琥太郎の中には存在した。
けれど、それを全て踏まえた上でも、琥太郎にとってこの誘いは魅力的に見えたことは確かだった
仮にもし、異世界《アリステイル》なるものが存在するとして、信じ難いが運営陣が言っていることが本当だとして、その異世界とやらに転移できるとするならば。
それは、自分が一番望んでいた事ではないだろうかと、琥太郎は自らに問いかける。
戦争が終戦して、目標もなく、生き甲斐もなく、無気力に生きるだけの、そんな日常。それは琥太郎にとってはお世辞にも理想の日常とは言えなかった。
望んだ世界が目の前で提示されている。ミリットとデミリットを天秤にかけた思考はもうすでに終了している。ならば後は、一歩を踏み出す勇気のみで、幸か不幸か、琥太郎はそれを持ち合わせていた。
ギルド拠点内に存在する少々古めかしい時計に目を向ける。時刻は明記する大小二つの針は十一時五十二分と指している。実施終了までおおよそ八分ほど。
琥太郎は目の前の虚空に手を滑らせる。それがこのATO内でのメニューウィンドウを出現させる方法であり、出現した半透明のメニューウィンドウの中から「アップデート情報」と記された項目をタップして、その項目内に存在するたった一つの情報を指先で押す。
《Ver.アリステイル -異世界への切符ー 》とご大層に書き記されたファイルに明記された情報をざっと流し読みし、アップデートの有無を質問する二文字が表示される所まで進む。
琥太郎は右側の文字である「はい」を指先で押すと、しばらくお待ちくださいのシステムメッセージが表示され、琥太郎はメニューウィンドウを閉じた。
時計を見やる。時刻は十一時五十六分。実施終了の十二時まであと四分に差し掛かっていた。ギルド拠点内に目を向ける。それぞれがそれぞれ、メニューウィンドウを操作する動作を行っている。
彼らの経歴について琥太郎は個人差はあれ耳にしている。彼らもまた琥太郎同様に時代に取り残された人間だと言う事も。だから、彼らが運営陣の誘いに乗る事は別段驚くほどの事ではなかった。
団員達から目を離し、琥太郎が拠点内をざっと見回している時に彼を自分のギルドに誘った男がふと言った。
「ロウ、僕は君や彼らに出会う事の出来たこのゲームに感謝しかないよ。もし、これが運営の茶目っ気じゃなく真実ならば、今度会う時は向こう側―――《アリステイル》でだ」
まるで今生の別れのような言葉を穏和な笑みを浮かべながら口にするその男―――シュウに琥太郎は短くけれど確かに肯定の返事を返してから、もう一度時計へと目を向ける。
時刻は十一時五十九分。琥太郎は一度息を吐いてから、正面へと目を向ける。それに少し遅れて、システムメッセージが表示される。それと同時に琥太郎は眩暈に襲われた。その眩暈はやがてテレビの砂嵐のようなものへと変貌し、視界が制限されていく。
テレビの画面を消す時のように意識が途切れるその間際に見たシステムメッセージには、たった少しの文章が綴られていた。
――――ようこそ、異世界《アリステイル》へ。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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