決闘
訓練場は一種異様な雰囲気に包まれていた。
例えていうのなら何処かのコロシアムで人気の剣闘士と悪役の剣闘士を戦わせて見れば似たような雰囲気になるかもしれない。つまりは翔也にはそれほどまでに人気が集中し、雪人にはそれ以上のブーイングが殺到していた。
それもある程度は仕方のないことだろう。いくら杖術を教えていたとはいえ、こちらの世界には杖術の概念は無く、一見すれば一人の女生徒を一人の乱暴者がいたぶっているようにしか見えなかったのだから。
一応そこらへんの誤解を解こうと日輪も雪人も説明した。だが、運悪くというべきか、一部の雪人の実力を知りたがった兵士たちと大部分の無能に差別意識のある兵士たちには彼らの言葉が通じず、強制的に勇者との決闘を受けされられることになったのだ。
そんなわけだから雪人にやる気はない。むしろ周りにおだてられて、状況がまともに判断できなくなっている翔也に対して憐れみの念を禁じえない。
最早勇者というよりも強大な力に溺れた道化である。そして自分には道化に関わっている暇はない。
「おい勇者様。お前は自分の仲間の話も信じてやれないような薄情者だったのか?」
「何を言ってやがる! 日輪は優しいからこんな時に人を傷つけようとする奴でも庇ってしまうだけなんだ! お前みたいなやつに日輪の何が分かる!」
そうなのかなぁと思って日輪の方をみると首をぶんぶんと振っている。これはつまりこいつの暴走ということか。
勇者承諾の時も結構自分勝手に動いていたし、よくこんな奴の友人やれるなとひそかに日輪の評価を上方修正しておく。最もそれが目の前の道化に対する手心に変わることは一切ないが。
「さて……と」
雪人は考える。
ここで大寺を倒すことは不可能ではないだろう。彼にとって三日前から魔力を使えるようになったというくらいでは大寺は脅威にはなりえない。多少、手間取ることはあっても圧勝できる実力差があることくらい、動きを見ればわかる。
かといってここで全力を出して圧勝してしまえば後々注目されるリスクもある。もしかすると戦ってくれという話が再燃するかもしれない。
かといって手加減して負けたとしてもばれる可能性が高い。あの適性検査のときに雪人の実力は王様含め、知っている人は知っているだろう。
面倒なことになってしまったと思い、自分の実力をいかにしてごまかすか、そう考えを巡らせていた雪人だがどうしてもいい案が浮かばない。
雪人が対魔法用に考えていた作戦は、いかにして先手を取るかという事である。
相手が自分よりも高いポテンシャルを秘めている以上、自分は相手の実力を発揮させないように戦いを誘導しない限り、自分が勝てる見込みは無い。
そうなると、どうしても相手を翻弄するような戦い方を選択する必要があるのだが、それをするとどうしても翔也を手加減して相手をするといったことができなくなる。つまり、雪人は全力で勝つか、惨敗するかの二者択一しかない。
取り敢えず、出来レースを演じるにしても、全力で戦って敗北したという事を印象付けておくことは最低限必要だろう。
そう思って突然、木刀を振り始める雪人に周りの兵士たちは動揺し始める。彼らは雪人が負傷を恐れ、決闘を降伏するところを嘲笑ったあとに止めようと思っていたところ、雪人が突然やる気になって驚いたのだ。
とは言え、強制して決闘をしろと言われた雪人が今更降伏をできるという発想にたどり着くわけもなく、本当に雪人を悪いと思い込んだ翔也との決闘は誰にも止められそうもない。
審判役の一人の兵士が前に進み出てきて、決闘する二人はその審判を挟んで向かい合う。
およそ歩いて五歩ほどの近さでにらみ合う二人。
翔也は怒りの視線で、雪人は観察するように。
ピリピリとした緊張感の中で、審判が大きく手を挙げる。
そして場の緊張がマックスに上がり、ギャラリーの騒ぐ声がなくなった時、審判の両腕が振り下ろされた。
審判の合図から動き出しが早かったのは雪人。
彼は審判が腕を下ろした直後から体重を体の前方にかけて全力で疾走を開始。僅か二歩目にしてトップスピードを実現し、たった五歩分しかない距離をまさに瞬き一つの合間に詰めていく。
こんな動きができたのにはもちろん秘密がある。それは彼の特殊な歩法と卓越した肉体制御能力にあった。
通常、人間の肉体は全力を発揮できないように脳のリミッターがかかり、体の能力を抑制している。それは肉体が全能力を常時解放していれば、自分の体の方が耐え切れずに壊れてしまうからで、普段の生活では自身の安全のためについている枷だった。
しかし、熟練し身体を鍛えぬいた武術者にはその理屈に当てはまらない。一説にはかつての忍者たちも強靭な肉体をつくる訓練と強い精神力を養う訓練によって、人間の潜在能力の限界を引き出していたと言われている。その「肉体のリミッター解除」を雪人も師匠から教わっており、使用することで彼の身体能力は平素の約五倍にまで引き上げることができたのだ。
勿論、能力を引き上げている間は体への負担が大きいが、幼いころからその負荷にも耐えられるほどに鍛えていた雪人であれば、長時間の使用をしなければ十分に負荷に対抗可能。
それと全く同時に、縮地と呼ばれる特殊な歩法で体重の移動をうまく行い、まさに迅雷疾風の速度を実現したのだ。
もしかしたら翔也の方が先制攻撃を仕掛けようとしていたのかもしれない。そんなことを思わせるように、長剣を身体の真上に掲げた大上段の状態で翔也はいきなりの雪人の接近に固まっている。そこを雪人は左手一本で握った木刀を後ろに構え、身体の胴体をねじるようにして全力の突きを顔に向けて放つ。
翔也はそれを必死の形相で全魔力で首周りを強化した後、顔を横に傾けることで躱す。確か魔力を纏うことで人間の反射神経も上昇する効果もあったはずだ。むしろと雪人は翔也が躱すことを期待して今の突きの一撃を見舞った。翔也が躱せるかどうかは、突きを放つ前に相手の体内の魔力を読むことで予想がついていた。
なぜなら「無能」は魔力がないことで、人一倍魔力の感受性が優れていたから。
異世界に来てからしばらくして、雪人は何とも言えない気配のようなものがあちこちに溢れていることに気付いた。生命力そのものにも似た、元の世界では「気配」と呼ぶにふさわしいそれは一体何なのかと疑問に思って研究してみると、なんとそれが実は魔力だったというわけだ。
このことからわかった自分の特性は、どんなに早い魔法発動の兆候も極些細な魔力の流れも、体内に魔力がないが故に敏感に感知して見逃すことはないという一種の異能。
一応色持ちも同じように魔力の感受性はあるようだが、元からある魔力が邪魔になるのか無能ほどの精度の良さは無いようだった。
そして今に至るまで何人もの訓練風景を図書室の窓から見てきた雪人には、相手がどのような強化をしようとしているのか、どのような魔法を使おうとしているのか事前に読み取ることができるようにまでなっていた。
それを利用して、相手の動きを事前に当てることも今では可能になっている。
もしかすると、達人と呼ばれる実力者にはまだまだ及ばないかもしれないが、少なくとも道化の動きを見切ることくらいは可能。
なので、翔也が寸前で避けるという事も分かっていたし、雪人はこのまま本命の右手の掌で追撃をかけることもできたが、そうはしなかった。そのまま突きの勢いを利用して木剣から手を離し、遠くに放り投げたのを確認してから、両手を上に上げる。
ギブアップ。あちらの世界では伝わるジェスチャーに怒りを覚えていた翔也も動きを止めた。
「いったい何のつもりだ?」
翔也は、いきなりの雪人の仕草に怒りよりも先に疑問を覚えたようで、こちらに困惑の視線を浮かべて質問してくる。
「何。俺が勇者であるアンタを倒すことができる可能性があったのは、油断していているところに先手で一撃をいれるという戦闘方法しかなかったわけだ。なぜなら無能と色持ちにはそれだけの魔力という格差があったんだから。というわけでそれすらも躱された俺にはもう勝ちの手段は無い。ならここで無駄に抵抗することよりも普通に切られた方が早い」
抵抗することに意味は無い。だから切られることにした。そうあっさり告げる雪人の様子に翔也はあっけにとられ、呆然と立ちすくむしかない。
まあ、いくらなんでも勇者というものを目指そうとしている人間が、無抵抗の相手を切ることはできないと思っての判断だ。というかむしろここで一刀両断の勢いで攻撃してもらった方がこちらとしても非難の視線を浴びずに助かるのだが、そんなことは流石にできないだろう。
審判もそう判断したのか、突然の展開に呆然としていた表情を浮かべていたが、「しょ、勝者、勇者翔也!」と大きく宣言した。
そうして不完全燃焼感のある、よく分からないままに終わった決闘だったが、兵士たちは雪人の卑怯な先手を打ち破り、勇者が勝ったことに喜びの雄たけびを上げる。雪人はそんな連中にばれないように人混みにまぎれて「B、行くぞ」といって訓練場から日輪の手を引いてすぐさま逃げていった。
結局、周囲を兵士に囲まれた勇者がそのことに気づくことは無く、決闘をわざわざした意味はほとんどなかった。
決闘騒ぎの翌日のこと。
「雪人殿……こう言っては何だが魔王討伐を再び考えてはもらえないだろうか?」
「冗談でしょう国王様。自分では魔王は倒せませんよ」
ここんとこの日常にそって図書館に引きこもって四度目の徹夜を敢行していた雪人は王様のおつきの「序列騎士」という何やら偉そうな騎士さんに図書館から引っ張り出されて、今となっては懐かしい王の間に呼び出されていた。
相変わらずのキンキラキンの部屋の中央の奥に座っていた王様からの言葉は呼び出された時点で考えていたが、せいぜいが「勇者との決闘などという事をしないでほしい」といったところくらいだと思っていたがどうやら毛色が少々違うらしい。
「しかし昨日私の耳に入った話では勇者である翔也殿との決闘をした時に、奇怪な動きをして先手を取ったそうではないか。それほどの実力があるのなら戦えないというわけでもあるまい」
王様の言葉に、雪人はしかし、首を振る。
「ここにいる実力者たちなら勇者が先手を取られた理由くらいわかるでしょう? 勇者はまだまだ戦闘経験もない、魔法にも慣れていないのに、少なくとも向こうの世界の戦闘経験に関しては豊富と言える自分に対し、何の心構えもせずに格下とみて戦いを挑んだんです。そんな油断した状況じゃあ自分は確かに実力では負けていましたが、先手を取ることはそんなに難しい事じゃあなかったです」
王の間に五人ほど整列している序列騎士と王様に向けて、昨日の決闘の発端となった誤解。自分の決闘を受けた理由。その顛末を詳しく語っていく雪人。彼自身、魔法をしっかり使える人物にはまだ勝てるとか勝てないとかいった判断は出来ないと思っているし、ここらへんで妙に自分の実力を過大評価されるのも困るのだ。
特にそれが目の前に並んでいる実力者たちならば尚更に。
「第一、異世界人というのは力を得たからと言って、すぐにそれが身についたわけじゃあないでしょう。どんな種類の力であれ、しばらくの間慣れるためにそれなりの期間を要するはずです。魔力然り、魔法然り。ならば未だこの世界に来て数日の彼らはあちらにいたころに毛が生えたような強さでしかない。むしろそんな状態で完全に先手を取ったこちらの攻撃を躱した勇者の伸びしろの方が大きいでしょう。残念なことに自分の実力は今が最大。伸びしろはまったくありませんね。少なくとも魔力、魔法が介在する技術については役に立つことは無い。だから自分では魔王を討伐することはできません」
「むうう……。ではその日輪殿に教えた杖術という戦闘技術とやらを教えてはもらえないだろうか? そのための報酬の用意もしよう」
「不可能です。というよりはやらない方がいいかと存じ上げます」
「何?」
即答にざわめきたつ騎士を無視して雪人は簡潔に話を伝えていく。
「この世界には魔力の流れを前提にした戦闘方法が既に確立されているわけでしょう? しかも、対魔物、魔族を考え、長い年月の末に編み出された戦術方法が。自分が図書の中で見ただけでもいくつもの魔物との戦闘方法がありました。でしたらあちらの世界の対人に特化した戦闘方法を教えてしまえば、逆にその動きは戦闘能力を阻害するでしょう。それに何より、自分も杖術を人に教えられるほどには極めておりません」
「今回、日輪に杖術を教えることになったのは、彼女の魔力がなくなった時に対人戦においての護身術程度に使える技術が必要だと彼女が願い出たからで、自分としては必要は無いと説明していたのだが、かつての世界の常識のままの勇者を説得することができなかったから」とそう告げる雪人に王も理解したのかがっかりした様子を隠せない。
「まあ。ここから杖術を魔術を使った技術に発展させるという手段もなくは無いのですが……正直四年では形になることは無いかと思います」
そう締めくくって王の間から退室を願い出た雪人。
国王はそれを承認し、そのまま雪人が外に出ていくのを認めた。
「王よ、あの者に自由を許しすぎではないでしょうか? 所詮無能ですよ。いかに勇者の要請があったとはいえ、そもそも訓練場を使った時点で奴を城から追い出すべきです」
「そうです。それに魔力を介さない戦闘技術など無用の長物。いったい何に興味を持つ必要があるのです?」
彼が居なくなった後で口々に不満を噴出させる序列騎士たち。王様はそれを聞いて、あまりの考えの無さに頭を痛めたような仕草で天を仰ぐ。
「貴様らは分からんのか? もし仮にあの技術を身に着けた魔法士がいたならば、そのものの護衛はその分楽をできるだろう」
「と言っても使える条件が著しく制限されている今の状態では学んでも意味がないでしょう。それよりも無能が勇者に先手をとれたという事実が問題なのではないですか? 一応勇者は人類最強の存在として今後育てていく必要があるのですから」
「では今の勇者と戦ってもここにいる騎士たちは勝てないというのか? それこそたかだか三日の修行だけでここにいる日ごろ鍛えていた騎士たちの実力はあっさりと抜かれてしまったと?」
「そういう問題ではありません! 無能に勇者が先手を取られたという事が問題なのです」
「そうであったとしても問題は無い。今の勇者が実力的には赤子のようなものであるという事も事実。むしろ勇者にとっての試金石となったことだろう」
「しかし!」
そうやって言葉をつなげようとする騎士を王は手をあげることで押しとどめた。
「よいか? 勇者の要請に従って戦うことになったのは雪人殿の意思ではない。それは先に聞いた日輪殿の話からもよく分かることだ。今では翔也殿も雪人殿に決闘を挑んだのは誤解だったと認識しているそうではないか。ならばこれ以上藪をつつく必要もあるまい。彼はもう数週間すれば出ていくことは確定しているのだ。それにこの状況で雪人殿を追放しても問題の解決にはならず、むしろ新しい勇者の立候補に問題が生じる可能性の方が大きい」
その王の説得で渋々納得した様子を見せる騎士たちだったがその根底に「無能だから」という嘲りがあることは隠しきれていない。
だがしかし、王としてもこのタイミングで雪人に追放されても死んでもらっても困るのだ。少なくとも異世界人の多くが、彼の言葉で勇者となることを悩んでいる間は。
もし彼が、自分たちが彼をしばらくは殺せなくなるというそこまで考えて発言していたというのなら、そんな計算能力こそ魔族との戦争に必須でもある。
とりあえず彼は雪人に被害がいかないように、そこまで偏見を持っていない腹心である序列一位の騎士に彼の付き人を頼んだ後、今後の勇者の教育について頭を悩ませていくのだった。