魔王
*この話は、おいしい食べ物に関しての描写があります。もしお腹が空いている状態だったら、まずはご飯を食べて話しを読むことをお勧めします。「食い過ぎた」「早く何か食べたい」とグロッキーになっても責任はとれません
今日もポカポカといい天気だ。
「なので今日は仕事を休もうと思う」
「何がなのでなのか私にもはっきり分かるように言ってくれたらいいですよ」
魔王―――サタン・ラース・ヴァルデラ御年四十歳はサキュバスの側近の「働け」という笑顔の言外の脅迫にあえなく逃亡を断念した。
御年四十というと渋みのあるいい紳士を思い起こす人も多いだろうが、こと魔族に限ってはそんな固定観念は通用しない。
彼らはある一定以上の年齢になると、肉体が戦闘に最も最適化した年齢のまま老化しなくなる。
なので、魔王もその例に漏れず外見は十八くらいの人間の青年といった感じであり、背中には蝙蝠のような悪魔の翼六枚があったけれど、それ以外はどっからどう見てもそこいらにいる顔のいい若い男にしか見えない。
また精神年齢も比例して若く、というか後先考えない阿呆なせいで、未だ書類仕事を溜めこむ無能文官から成長しない。側近美女のフルールはそのことを考えてため息を吐く。
「いいですか魔王様? 今はウェイン神聖王国の逃亡が成功して冬が始まってもう一年が経過してるのです。あの卑劣な国のことですから時間さえあれば何しでかすかわかったもんじゃありません。早々に相手の出方を見て、情報を整理し……」
「そう言うのは、得意な奴がやってくれよ。俺が指揮官的な立場に向いてないの知ってるだろう? アスモデウスでもベルゼバブでも俺よりこういうのが得意な奴いるじゃないか」
ほけ~と机に突っ伏して、フルールの真剣な話の腰を折るサタン。一体何故この男が魔王なんか名乗れたのか、あまりのやる気の無さにいっそのこと「怠惰」の称号を継いだらどうかと思ったが、フルールは拳をプルプル震わせるだけで特にその態度に関しては何も言わなかった。
代わりに魔王がやる気になりそうなことを言った。
「もし頑張れば、レヴィアタン様にサタン様が頑張ってお仕事をしていたとお伝え……」
「よっしゃああ!!! 次の仕事持ってこい!!!!」
魔王の溺愛する義理の娘を餌にすると、直前の自分の話は一体なんだったのかと言いたくなるくらい魔王の態度は激変した。
今の今まで全然終わっていなかった書類にいくつもサインの嵐が吹き荒れていく。結構、いやかなり雑であったが、読めるか読めないかのギリギリのラインを見極めてやっているとみることもできる。
魔王の妙な小技に微妙な表情をしながらも、フルールが魔王の書類にミスがないかの確認を行っておく。
本来はそれを魔王が行う必要があったのだが、この魔王に事務仕事を任せても四回に一回はしくじる。これでも二回に一回の時期からは進歩したのだが、失敗しないという目標に至るまでにはあと三百年はかかりそうだ。
魔族といえど平均寿命は二百年ちょっとで、龍や精霊のように千年単位になるほど長くはないので、実質、魔王の目標は達成されそうにない。
一応確認して、問題があったとこを再と書いて書類の山に戻す。魔王の執務室の書類が一向に減らないのはこのためである。
やる気がある時でさえ、まともな仕事ができない魔王……いったい自分は側近としてこの魔王をどうすればいいのか、フルールは今後の教育に悩んだ。
そんな風にフルールが目の前の書類に集中していると、不意に魔王の動きが止まった。
「どうしたんですか魔王様。娘さんに自慢するのでは……?」
フルールは、突然停止してすぐにやる気を失くしたように見えた魔王に声をかける。それは、魔王に仕事をさせようという意図のものだったが、思いのほか真剣な目をして資料を見ている魔王の姿を見て、言葉が尻すぼみに終わる。
彼女が魔王の五年前から側近になって、真剣な表情を見たのは僅か二度。
一度はバラバラだった各種族の魔族をまとめるとき。
そしてもう一度は、一部の人間の非道な暴走に怒り狂って戦争を決定したときだ。
「いったいどうなされたんですか? 魔王様が真剣な表情になるなんて」
フルールは不安を隠せない。いつもは気楽な笑みで周りにいる人の清涼剤となっている魔王が、童心を忘れたことないその表情が、こうやって真面目な表情の時は、いつも何か悪いことがある時だ。
だが、今回は稀な例外パターンだったようだ。
「いやなに。今日はあのシュール・ロームの魔力嵐もないくらいの快晴という事だ。これは何としても行かなくては!」
「行かんでよろしい!!」
「へぎゃ!!」
フルールは魔王の頭を思いっ切りぶん殴った。
魔力も纏った全力の一撃に、魔王はそのまま机に頭を打ち付けてめり込ませる。
フルールはそのまま起こった様子で部屋に一つしかない出入り口の扉の前までカツカツと歩いて行き、
「次私がこの部屋に来た時までにその書類が無くなってなかったら、娘さんに告げ口しますからね!!」
と言って怒ってどこかに行ってしまった。
魔王はしばらくして廊下に響く足音が遠ざかったのを確認し、何事もなかったかのように頭を上げる。
「さて、ああは言われたものの……待ちに待った森の安定期だ。早速仕事してくるかな」
魔王はそう呟いて席を立って椅子の後ろ、ちょうど扉の対角にある大きな窓を開け放つ。
温かかった部屋の空気と外の冷気が混ざり合い、窓からは心地いい風が吹いてくる。
魔王はそれに特に感慨を感じることもなく、翼を広げて羽ばたいた。
目指すは、竜人国の魔の森シュール・ローム深奥、魔樹イービル・テイターン
ドドドドドドとものすごい地響きを立てて、森の木をなぎ倒しながら進んでくる猪。
体は過剰な魔力で肥大してただでさえ重量のある巨体は外側にまるで鋼のような毛を生やし、顔の前方に発達した尖った大きな角で、目の前に立ちふさがる魔の森の以上に強い木々をなぎ倒して進んでいく。
まるで重戦車の突進。その猪の前にたつ障害物は何者もその暴虐を止められない。今までこの森でどんな力自慢の魔物も、あの流動的なスライムの弾力も、巨大な蜘蛛の作った強靭な糸で編まれた巣も、この猪を止め切ったことは無い。
まさに、この森の最強の魔物はこの猪だった。
が、常に強さというのは誰か他者と比べて決まってしまう相対的な概念だ。最強と言われた存在でもいずれはその立場を下から追い上げてきた輩に追い越されることになる。
今、一人の男が猪の前に立ちふさがる。
「ようやく俺はお前を倒せそうだ……」
百九十センチを超えているだろう大柄な体。その身についた筋肉は厚くはあれど、決して鈍重という印象を与えるものではなく、ギリギリと恐ろしく引き締まった鋼の強靭さと敏捷性をうかがわせる。
身に纏うものはこの森の魔物の毛皮を適当に加工したもの。なめす技術などは使われていなかったが、しっかりと煙でいぶしたり魔樹についていた寄生虫を食わせたりしてある程度は体裁の整った毛皮を服として、魔物の蜘蛛の糸で縫い合わせた。
一応、皮にあった余分な脂肪などもそこいらから見つけたバクテリアに分解させたり、鋼蜜を吐く蜂にコーティングさせたりして着心地も防御力も保証できる自慢の一品だ。
「おれはお前に恨みはない。だがしかし、この森で数多の生物を食ってきた俺は未だに食ったことの無い魔物がいる。そうお前だ!」
男は自分が作った服以外を身に着けず、全くの徒手空拳で走ってくる猪に向けて指をさす。勿論猪は止まる事無く男に向けて突進してくるが、男もそんなことは最初から分かっている。およそ一年前からこの森に来て、この森の最底辺として戦いを続け戦闘技術を磨いていった結果、現在森で最も強い敵を倒すことができるまでに成長した。何となく今のそんな自分を何処かに宣言しておきたかったのだ。
「というわけでグルメな俺としてはお前の肉を食ってみたい! 恨みは無いが殺させてもらう!!」
男はそう宣言すると純粋な闘気を猪にぶつける。そこに殺気は無く、純粋に”戦う”という意思のみを凝縮した一種の気当たりと呼ばれる方法を使って猪に戦意を示したのだ。これで敵はようやく男を障害物ではなくこちらを脅かす敵だと認識し、猪はさらに速度を上げ男に向かって来る。
男は腰を落として両腕を地面につけ、右足を後ろに、左足を前に出しての前傾姿勢をとる。陸上ではクラウチングスタートと呼ばれる走り出しの格好になり、猪との間合いを測る。およそ十メートルに迫ったところで縮んだばねが解放されたかのように急加速のスタート。
互いに急激な速度で間合いを詰める。助走をつけていた猪の速度は言うまでもなく、男の方もほぼ二歩ほどでトップスピードに到達し、互いに相対速度が先ほどの二倍、つまり両者の速度はこの瞬間向き以外が全くの一緒だった。
体重分の瞬発力の有利があるとはいえ、男の加速は猪のそれよりも恐ろしく速い。先に長い距離の助走をつけていたことで、体重分速くないといけないはずの猪は、自分と同じ速度で男が向かってこれたことに困惑する。しかしもう二者の距離は十分に詰まっており、彼我の距離はおよそ三メートルほどのところまで来ている。
ここまでくれば迷いは不要。そう本能で感じてさらにもう一歩急加速する猪。その眼前で男の姿が唐突に消えた。
ここまでの加速をした男が、急激に進行方向を変えることは出来ない。つまり男は下か上か、ならばこの場合は――――――猪はそのまま牙を全力で上に向けた。
果たしてそこには――――――猪の予測した男の姿があった。
その姿はまるでブーメランのように体を腰のあたりで「く」の字に折り曲げてあり、空中で前方に向かって高速で回転している。
振り回されている両の踵はまさに斧が如し。猪はその足が自分の眉間を狙って放たれていることを悟り、ならばと自慢の牙でその足を貫こうとした。
お互いの攻撃がぶつかり合う一瞬の交錯。そして、猪の牙が宙を舞う。
雪人の放った右足の踵落としが猪の牙の側方を砕き、右に一瞬遅れて放った左足の二段踵落としが猪の眉間にめり込んだのだ。お互いの速度を重さに変え踵落としは、猪を絶命させる斧となって完全に決まっていた。
猪に突き刺さった左足に力をいれ、回転力を跳躍力に変えて猪を飛び越す雪人。そのまま慣性にしたがって木に突進して止まる猪をみて、雪人は自分の勝利を確信した。
「よっしゃあ!!」
この瞬間、森の最強の生き物が入れ替わった。
ワシャワシャと樹の根っこが猪の胴体に絡みついていた。
時折、猫か何かが身をよじるのに似た仕草で根をくねらせている姿を見るとどうやら今回の猪はお気に召したらしい。雪人はあまりの喜びように小さく忍び笑いを漏らす。
この樹はどうやら自分が安全地帯にいられるお礼として持ってくる強い魔物の魔力に病みつきになっているらしく、いつも狩りから帰ると「お土産は?」とでもいうように樹の根っこと枝の一部が伸びてきて出迎えてくれるようになった。これは雪人がトラウマを負ってからしばらく胃袋を鍛えている時に、魔物肉の食べ残しを「魔力抜き」してもらい始めてから段々と習慣づいてきたことである。
初めは自分のことを認識しているのか怪しい雰囲気だったのが、だんだんと自分に美味しい魔物を持ってくるいい奴だと認識したらしく、今ではある程度の意思疎通プラス懐き具合も上がっている。
多分だが、強い魔物はここいらに近づいてくることが少ないし、樹であるがゆえに動けないイービル・テイターンにとって自分の持ってくる魔物はいい刺激になるのだろう。なんか最近は、一年前に見たときよりも目に見えて太く大きくなっている気がする。
食べ物のバリエーションが増えて、舌?が肥えたからか、雪人が樹の上に登って枝のところで眠っていると、二か月くらい前からは「早く早く」と催促するように起こされるようになった。きっちり六時間睡眠で起こしてくれるので、特に不満もないが、いつの間にか相当な食いしん坊になっていることに笑うしかなかった。
最初の時は、自分に絡みついていたスライムの魔力を上手く捕食するために壊れた自分の体組織を癒しただけでこちらにはほぼ興味なしだったのに、今のこの懐きようにはなんだかなあと思うしかない。
これを見て雪人は、何か最初は懐かなかった猫がいきなり自分に懐いてきてすり寄ってくる幻視をしてしまった。隠れ猫好きの雪人としては断れるわけもなく、最近の彼は朝昼夜に一匹ずつ魔物を狩り続ける毎日を送っている。
そうして今回捕ってきたノルマは、雪人がこの森で今まであった中でも一番強かった猪である。正直言ってこれでだめだったらどれだけグルメに育ってしまったのかとお手上げな気分だ。
満足してもらえてよかった。そんなことを思ったが、最近の家賃がすごい速さで催促されるようになってきているのは勘弁してほしい。
「なあ、もうちょっと食事制限しねえか? このままだと太るぞ?」
雪人がそんな風に声をかけると、根っこがピタッと止まりこちらに向かって何やら恐ろしげな動きをし始める。
なんだろう。この「言ってはならないことを言ったなぁぁぁぁ!!」とでもいうおどろおどろしい雰囲気は。別に体重を気にする女子というわけでもないのだし、どうせ自分の食事を減らすつもりだという事に敏感に反応したというだけだろう。
というか、こっちの肉に興味を示すな。盗ろうと蠢くな。
「おい、約束を破って俺の分も盗るっていうのなら今度からここには来んぞ。十対一の割合でそっちに魔物はやってるんだから我慢しろ」
以前、魔物肉を安全地帯で食べるときに行った取り決めを持ち出して根っこの動きを封じる。それを聞いて「うっ」とでもいうように怯んだ根っこをほっといて、雪人は自分の分の調理した猪肉を食べていく。
別に雪人も猪の調理法は知らない。川で見つけた岩塩っぽい塩と魔物たちも食べていたそこらへんで見つけた香りのいい野草、それと後は叩けば肉は柔らかくなるという知識にしたがって猪肉の焼き串を作ってみただけだ。上手くいったら儲け物。駄目だったら樹の肥料といった感じで。
というわけで実食。辺りに漂う香ばしい匂いと、ジュウジュウ言っている肉の油はとてもおいしそうであるが果たして味は……?
「――――!?!」
雪人は絶句した。
今まで食べた魔物の中で文句なしに一番美味い。はぎ取っていたときは常人には噛み切れないかと疑うような硬さであった肉が、ひたすら叩いていたことが功を奏したのか丁度いい歯ごたえのある肉になっている。味は噛めば噛むほど旨みが増すという言葉そのものであり、自分の一噛みごとに味の出てくる猪は塩と野草をかけて焼いただけという単純調理とは思えない深みがある。特有の臭みがあるんじゃないかと思っていた肉は、香りのいい野草が上手く消してくれている。しかも、何やら食べると食欲の湧くようなピリッとした辛さがまた堪らない。
日頃はもっと単純な魚を焼くだけの料理とか、木を削って作った鍋での煮込み料理といった質素なものだったこともあって、今の雪人を止めることができる存在はいない。意識を肉にのみ集中し、ひたすらがっついていく。
そんな彼に、物欲しそうに根っこをくねらせるイービル・テイターン。まるで指でモジモジと言い難そうな失敗をした時の子供みたいな様子が、新しい肉串を取ろうとした雪人の目に入り、雪人はその様子を見て「このおいしさを独占するのも罪だろう」と一本だけそちらにヒョイッと投げた。
それに飛びついた根っこは、熱さにワタワタ、辛さにビクビクしながらも肉をむさぼっていく。どうやら無事にお気に召したらしい。そうして今度は料理を作れとか催促されないだろうなとか不安に思いながら雪人も再び食べることを再開する。
辺りにはしばらく物を捕食するだけの音が響くのだった。
とは言えそんな幸せが続くかといえばそうでもない。
猪肉を食べ終えて、樹の上で新しい技を開発するためにも、魔樹と一緒に魔力についての研究観察を行っているときにそれは来た。
いつものように森の魔力が荒れていない。まるで凪のように静かな森の上空から、莫大な魔力を一塊にした炎の塊が落ちてきた。
大きさはイービル・テイターンと比較してそこまで大きくなく、大体二メートルくらいの火球であることを雪人は魔力感知で察したが、それに込められた魔力量がこの樹をあっさりと焼き尽くすことができる事実に気づき、一瞬で血の気が引く。
すぐに魔樹が斜め上の火の玉に突き刺すようにして伸ばした枝は、いつも魔物が使う魔法を吸収するようにはいかず、枝の先から完全に炭化して燃え尽きる。
それを見た雪人は、成功率が低いことを顧みぬままに全力で樹の上方に移動を開始。幹の小さな窪み、太い枝を足場にして跳ねるように加速していき、右手に持った木刀を大気中の魔力を巻き込むようにして一閃。火の玉を構成する魔力の流れを強引に断ち切り誘爆する。
木刀はそれ自体が高い魔力耐性を持っていることと上手く空中の魔力を引きずったことで煤けてはいても折れはしなかった。爆風に叩き付けられるように地面に落ちる中にそれを確認し、そのまま空中で回転して勢いを殺す。回転して勢いを殺したおかげで、樹の中ほど、大体十メートルの高さからの着地にうまく成功した。
そして攻撃を放ってきた方を思いっ切り睨んで叫んでやった。
「おい、いきなり何しやがる! このハゲ!」
「おおスゲエ! ってハゲじゃねえよ!!」
赤く魔力の線が引かれた六枚の翼を広げ、空中に浮かぶ赤い髪の青年は雪人の声を聞いてそう叫び返した。
身の内に蓄えてある魔力量はイービル・テイターン以上という事実に雪人は油断せず木刀を構える。
こうして樹に危害を加えようとしてきた以上、こいつは雪人の敵。
「お前……何者だ?」
「ふっ、俺は魔王。二代目魔王サタン・ラース・ヴァルデラだ!!」
こうして雪人とウザったいテンションの魔王サタンとの戦端が開かれた。
最近イービル・テイターンが超人気です。もっともっと魅力を書いていきたい気分でいっぱいなんですが、明日はフル授業なので更新できないかもしれません。こんな引きで終わってごめんなさい。




