義憤と代償
「兄さんが返ってこないってどういうことですか!?」
突然、ウェイン神聖王国と獣人国の国境付近の町の夜の空に響き渡った悲鳴は、多くの人間の耳目を集めた。
もともとのこの訓練の発案者であった冬音の訓練も終わり、明日の合同訓練の準備のために幾人かの友人と買い物に出かけていたところに一人の兵士が彼女に報告を持ってきた内容に彼女が悲鳴を上げたというのが正体だ。
普段は、人の視線を集めるような間抜けなことをしない冷静さを兼ね備えた少女であったが故に、彼女を知る人物たちは一様に彼女の取り乱し具合をみて驚きを隠せない。
周りの人間が彼女の悲鳴に動揺している間に、悲鳴を上げた当人はそのまま報告に来た兵士に詰め寄っていった。
突然悲鳴を上げたと思ったら猛烈な勢いで詰め寄ってくる少女の剣幕に、報告に来た不幸な兵士はうろたえながらも冬音に彼女の兄が魔の森の探索から帰ってきていないという事実を繰り返す。
それを何度も確認して間違いがないことを確かめた冬音は、すぐに今回の訓練を管理している騎士団の宿の方向に向かっていった。
彼女は肉体をよどみなく魔力で覆い、肉体をフルに強化して猫のごとき敏捷性で人々の間をすり抜けていく。無論、彼女も雪人の薫陶を受けた少女の一人であることから魔法の基礎の魔力の扱いに関しては既に一流の領域に達している。そこに彼女の天性の才能が相まっての超加速に集団の中の友人は誰もついてこれない。
伝令役として魔力の強化に特化している兵士もついてこれないことから、その速さがうかがい知れるしれる。
「嘘だと言ってください。兄さん」
そうして彼女は、彼女を突き動かす焦りのままに全力で夜の街を疾駆した。
「本部の騎士の皆さんはここにいますか!?」
「ようやく冬音さんも来たんですか! よかった!」
冬音が急いで騎士団の本部に突入すると、そこには騎士たちのほかに、最近冬音が雪人を通じて親しくなった日輪を含め、何人かの勇者たちがいた。
その中には意外なことに雪人を嫌っていたと思っていた翔也の騎士と口論する姿もあり、冬音はそのことに疑問を感じたがすぐにこの現状を把握することに努めた。
「今は一体どういう状況なんですか?」
その質問に、日輪は答えにくそうに冬音に事態を説明していく。
「今は……雪人君の安否を調べるための勇者勢力を魔の森の中に送り込むか、送り込まないかで言い争っているところ。私と翔也君、それに勇者数人が集まって魔の森に行こうとしているのだけれど……危険すぎるということと、条約に夜間の森の中への侵入を禁止してあることで騎士たちの方が了承してくれないというところで口論になってるの」
「……じゃああれは兄さんを助けようとしているのですか?」
冬音が懐疑的に翔也の方向を指さして日輪に尋ねると、日輪も「私も詳しい経緯は知らないけど……」と前置きしてから肯定する。
冬音も雪人と翔也の確執を知っていたのでますます疑問に首をひねったが、考えても思い浮かばないことは仕方がない。ここは素直に割り切って、色々と思うところもあったが、雪人の味方であるという翔也の援護に回ることにする。
「……だから、ここで彼を見捨てるのは勇者としても看過できないと何度もいっているだろう!!」
「ただの一般人が魔の森で迷ったからといってそれは勇者としての責務ではありませんよ。お控え下さい」
「じゃあお前たちがやってくれるのか!?」
「いいえ。私たちはウェイン神聖王国の騎士。国の結んだ条約に縛られる身なのでやりたくてもやれません。一応明け方から捜索を開始しようと思っているのです」
「それじゃあ遅すぎる! どうしても今すぐ向かわないというのなら俺たちを行かせろ! その位は許可してもらうぞ」
「駄目です。貴方達が勇者になることを承認したその時から、貴方達もこの国に所属していると見做されます。つまり条約に引っかかるのでおやめください」
「くそ!」
翔也が拳を机に叩き付けたのを会話の切れ目と判断し、冬音はそこで口をはさむ。
「そしたら私が行きます。私はまだ勇者になるという事を了承していませんし、魔の森に行くことを妨げる条件は無いはずです」
「なっ!……いいえ、認められません。こんな危険なことに”雪精”様を駆り出すなどと……」
「どうしてですか? 法律的な側面には何の問題もないはずですが」
「そんなことを言われても、たかだか無能一人の為に上級魔法まで習得している魔法使いを行かせるわけには―――――――」
その瞬間、空気が死んだ。
本部の中には冷たい殺気が物理的な現象となって舞い降りて、部屋の各所に霜を下ろす。一気に冷えた室内では水分が突然の温度の低下に水蒸気に変わり、そこにいた人々の吐く息は白く染まる。
冬音の逆鱗に触れたその騎士の発言のせいで、場は、暴走する一人の氷少女に完全に支配された。
それを一呼吸の合間に行った少女は口を開き、一言。
「死にたいんですか?」
それだけを騎士に告げて腰に下げていた細剣に手をかける。
誰も、あの勇者を決意した翔也も、彼女と話す様になった日輪も、冬音を止められない。不用意な発言をして彼女の逆鱗に触れた騎士はそのまま少女に切られてしまうかに思われたが――――――
そんな緊迫した状況を破ったのは一人の男の声だった。
「少なくとも、今のあなたは王の客人という立場であるし、貴方は異世界から来られた方がただ。そうである以上、この国にあなたの身柄は帰属しているのです認めるわけにはいかない」
序列騎士第一位、ガイル・クオーターはまさに一触即発な死地に単身踏み込んだ。彼の存在感とその身から放たれる剣気に、冬音は現在の自分との実力差を比べ、今は勝てないと判断。仕方なく動きを止める。
が、そこで行動までは止める気がなかった。
「だとしたら私は今すぐ王宮の庇護を抜けます。そうすれば、問題は無いでしょう」
冬音の発現は破れかぶれのものだった。今現在、王城にいるわけでもなく、王様に伺いをたてたわけでもないのだ。当然、ガイルはその意見を却下した。
「そう言うことは王城に戻ってからおっしゃってください。それに――――――」
そう言ったガイルの右手が黙視できないほど速く動き、次の瞬間に室内を覆っていた氷が全て粉砕した。
あっけなく。
「な!?」
「この程度の魔闘技を防ぐことができないのならまだまだ夜の魔物と戦うことはできません。諦めてください」
大した労力も使っていないといった風に、冬音にも認識できない速度で剣を振るったガイル。日頃から雪人との戦いでの動きで、速さに慣れた目ですら捉えることのできなかった剣。まだまだ自分は実力が不足している。言葉によらず、剣によってそう痛感した冬音。
ここでガイルという騎士は自分の強行突破を許すことは無い。たとえ百回やっても百回負けてしまうだろう。
「なに。彼には魔力がありません。夜の森でも気配を消す術に長けた彼ならば、早々命の危険に見舞われることは無いでしょう」
冬音も他の勇者たちも、そう告げるガイルの言葉に頷くしかなかった。
「はあ、はあ、はあ、……ガフッ! ガフッ! ゲハッ!!」
夜の森の中を、血まみれの状態で歩いて行く雪人。その血は、先ほどまでの彼の殺した存在の返り血ではなく、純粋に彼の血も多量に混ざっていた。
それもそのはず、今の彼の体には逃走後、見つけた魔法薬で治療を施した右手以外にも、多量の怪我を負っているからだ。
正直、竜人族の土地にある魔の森を舐めていた。雪人はそう後悔していた。
自分の肉体の魔力抵抗を容易く上回る魔力濃度のせいで体はまるで水の中を歩くように重く、感覚はそれに輪にかけて鈍くなっている。
初の人殺しの動揺ゆえか、血の匂いを落とすといった致命的に重要なことを忘れていた雪人には幾匹もの魔物が集中してきて、それらの襲撃が三回目になるころには、手持ちのすべての武器を使い果たしていた。
森の中を歩くだけでいくつもの鋭利な植物に皮膚は切り裂かれていき、今や全身傷だらけ。
つい先ほどの戦闘では、近くに寄っただけで攻撃してきたサボテンを大きくしたものから攻撃が飛んできて、彼の足にはサボテンの棘を何倍も太く大きくしたような太い針が何本も刺さっており、それを抜けば出血を考えて抜くこともできず足を引きずっている。
右腕は巻いていた包帯の下から血がにじんでいるし、左腕は先ほどの巨大カマキリとの戦闘でこちらの胴体をぶった切ろうとした鎌をかがんで躱し、そのまま懐に飛び込んで関節技の要領で羽をむしった時に深い切り傷を負っている。
そしてそんなところに、微細中のような虫が群がってきて、幾匹も自分の血を吸っていくのだ。
初めは虫を殺したり走って速度を上げて振り切っていたが、時間が経過し、魔の森の負荷を十分に受け始めた自分にはそんな無茶はもうできそうにない。
はっきりと誰の目にも分かりやすく、雪人は死にかけていた。
「……くそっ」
自分の死期がすぐそこまで迫っていることを理屈ではなく、本能で感じる。耳を澄ませば死神の足音も聞こえるかもしれない。
少なくとも、血を落とさなかったのは失策。焦っていたとはいえ、こんなミスをするとは自分は相当慌てていたらしいと数十分前の自分の行動を思い出し、力なく笑った。
こんなところで死ぬのは流石に許容できない。ならば戦うべきだが、そのための戦う力というのはもはや雪人にはほとんど残っていない。
そう言えば、最後に食事をとったのはいつだろうか。一応、三日間は完全絶食にも人体は耐え切れるという事だったが、今の高負荷の運動をして、けがを負っている自分がそこまで何も食わずにいられるとは思えない。
研究所内の資料から推察して、こっちの方向に彼の求めるものがあるはずだと思ったので、まっすぐ走ってきたのだが、そこに到着する前に死んでしまう可能性の方が高かった。
「………またか」
雪とはそう呟くと、地面に向いていた視線を上にあげ、使い物になりそうもない両腕を体の前方で交差させる。力なく体を構えた雪人の視線の先、一匹の青い巨体が周りの植物を溶かしながら姿を現した。
体に触れたものを何でも溶かしてこちらに進んでくる姿を見るに、それは何かのゲームのように可愛くデフォルメされていないスライムを巨大化させたようなそんな魔物だった。
見るからに、近接攻撃は危険。しかも打撃は聞きそうもない。そして半透明な体の中に、核らしきものも見当たらないのでどうにも倒し方が分からない。
そう言えば、等身大のアメーバみたいなスライムってどうやって倒すんだ? とここにきて疑問を感じたが、頼みの魔力感知もこの森ではマヒしたままだ。
こんなものと素手で戦えるかと思った雪人は最優先で逃走を決める。取り敢えず愚鈍そうなスライムをすれ違いざまに抜いて、向こう側に突っ走るのだ。
そう思って隙を窺っていると、スライムはいきなり蠕動し始めた。いきなりの怪しい動きに嫌な予感がして雪人は迷わず全力で横に飛ぶ。
そうして彼が右の茂みの中に突っ込んで、身体に新たな傷を無数に増やしながら先ほど立っていた場所を確認すると、そこにはばねのように飛んできたスライムがグニョンと妙な音をたてて地面にぶつかっていた。
それを確認して、一目散にスライムのきた方向に走り出す雪人。もしかしたら冬音なら圧勝できたかもしれないが、今の素手しか攻撃手段の無い自分との相性は最悪である。というよりも、触れただけでけがをしそうな魔物がこの森には多すぎる気がする。
恐らくはこの森の異常な魔力に進化したんだろうが――――――とまで考えて、自分の研究好きに呆れた。魔法だけでなく、こんな生態系の謎を命の危険のある時に解こうなんて自分は相当いかれている。
まあ、元からだったな。そう独り言ちて、雪人は背後に迫ってきたスライムを避けた。
いや、避けようとした。
しかし、彼の体は遂にこの森の魔力に毒され切って、いう事を効かず、そのまま突撃してきたスライムに背中を押されて、いつの間にか前方に開けていた崖を、スライムと一緒に重力につかまって落ちていく。
「うっわあああああ――――――」
下は木が小さく見えるほどの高さを、一気にノーロープバンジーすることになった雪人は自分でも出ないと思っていた声を上げて、スライムに飲み込まれながら遥か地面に落ちていった。
わ~ なんてところで終わるんでしょう、自分。
しかし、多分更新は明日




