死神の誤算
死神は急がない。なぜならどんな存在も自分の命を刈り取る鎌から逃れることは出来ないと知っているから。
騎士序列第八位ヴァロア・シューゼンは、ふと、向こうから歩いてくる一人の少年の姿を見て、幼いころに母親から聞かされた寓話の一説を思い出した。
へらへらと歪んだ笑いを顔に貼り付け、しかし目はギラギラと何かを渇望するかのように妖しく輝き、一体だれのものかわからない返り血で真っ赤に染まったまま、こちらにゆっくりと歩いている姿は、騎士の第八位という上級魔族にだって対抗できる誇り高い実力者に、そんな不吉な言葉を思い出させ、全力で警戒させるほどに不気味だった。
彼の顔を一筋の冷や汗が流れる。彼は目の前の存在の誘拐に積極的に関わった組織の一人だが、一体どうしてこうなったのか、いまだに理解できなかった。
始まりは、雪人に対する不満だった。
召喚された異世界人の中で唯一、魔法の適性の無い無能であり、魔力すらない役立たず。そんな雪人の王に対する言動は、はっきり言って不敬。自分が弱く力の無い存在の癖に王という至尊の存在に対する不遜な態度は、王に仕えるヴァロアにとっても、王宮に住む者にとっても我慢の効くものではなかった。
それでも初めは、異世界から来た人間が王の御立場を理解できていないだけであろうと自分を抑えることもできたが、そこから数日。無能の行ったことははっきり言って許容外のことの連続だった。
無能の癖に、王国の宝ともいえる図書館にいる邪魔者。
無能の癖に、色持ちを敬わないという不遜な態度。
無能の癖に、魔法という至高の業を理解しようとする身の程知らず。
彼の行動は全てが全て、王宮に仕える貴族と騎士たちに対し、喧嘩を吹っかけてくるようなものだった。
本来ならば、王宮どころか王都にすらいてはいけない無能の癖に。自分たちのように才能に溢れ、努力して王宮に仕える貴族も騎士も限られた一握りしかいられないというのに、まるで我が家のように王宮の図書館に居座るその姿を、殺してやりたいと思って陰から見たことも何度あったことか。それでもその時はしばらく我慢すれば出ていくことは確定していたので、今積極的に奴を排除する必要は無いと鷹揚に構えていることができた。
だが、奴と一緒に魔法の研究をしていた一人の異世界人が一週間で上級魔法を超える特級魔法を扱うことのできる逸材になったことで話は変わる。
一体無能が、ただの無能が、どんないかさまを使って 特級魔法を一週間で習得させたのか。他の異世界人たちはまだ中級魔法で止まっているし、同じく彼とともにいた少女が水の上級魔法を習得し始めていたことで、一気に無能が何らかの魔法習得を簡易に行う事の出来るようにする技術を秘匿していると噂には信憑性がでてきた。
それが本当ならば許せることではない。もし事実であればそれは王宮にあった魔法の知識を利用して開発したもので、こちらに教える義務が無能にはあるはずだ。王宮でも無能という害悪を排除することに同意した同士の者たちとともにそう気炎を上げた。
ヴァロア自身。非凡な才能と、たゆまぬ努力。そして長年王家に仕えてきた貴族という立場があってこそようやく序列八位として王宮内に職を得ることができたというのに。目の前の無能がそんな特権ばかりを享受し、義務を果たさないことでとうとう彼の堪忍袋の緒がプツンと切れた。
この無能に目にモノを言わせてやる。異世界人がどんなに偉いかは知らないが、そんな立場に無能がいないことを教えてやると。
そうして決行したはずの計画。彼を危険レベル5の魔物シンビオテック・ビーのしびれ毒で動きを封じ、王宮の貴族の一派が秘密裏に作り出した実験施設に誘拐し、奴の秘密を暴き立ててしまうという作戦。それは途中までうまくいっていたはずだった。
少なくとも、この裏の実験施設に運び込み、彼を念の為、封魔の鎖でしっかりと拘束したのは自分も確認している。
ではいったい今目の前で狙っていた獲物を見つけたかのように歩いてくるのは何なのか? ヴァロアは得体のしれない恐怖に襲われながらも声を震わせずに警戒して叫ぶ。
「止まれ! 貴様ここがどこか分かっているのか!」
しかし、前方の無能は止まらない。ニタニタ笑いも直すことなく、一歩一歩こちらに近づいてくる姿はまるでこちらの声が聞こえていないかのようだった。
「くそ!」
即座に抜剣し、自身の魔力による筋力の補助と、身体瞬発力を強化する火属性の中級魔法バースト・コンバスションを発動。一気に間合いを詰めて幅広のブロードソードで叩き斬ろうと前方に突進する。
瞬間、自分の眼前に手術で使うメスが飛んできていることに気付き、慌てて剣の軌道を撃ち落とす方にシフトした。そのせいで、自分の突進は相手との距離を一メートルも詰めていない何とも中途半端なところで止まってしまう。
「……驚いた。まさか死角に打ち込んだ攻撃を撃ち落とされるとは」
声の聞こえる方を向くと、無能が左の腕をちょうど右肩の上あたりに来るように振り切った姿勢で固まっている。つまり今の攻撃は、奴が投げたものだという事。
それに気づいて声を上げる。
「貴様!」
「……ん? よく見ると序列騎士のとこに並んでた奴じゃん。というか序列騎士って案外弱いのな」
「なんだと!?」
はあ、やれやれと息をついている無能の余裕がヴァロアの薄っぺらい選民意識に火をつける。
「貴様が一体どんな卑怯な手妻で私に気付かれないうちに攻撃したのかは知らんが、そんな手段がウェイン神聖王国第八位の騎士に何度も通用すると思うなよ!」
「……ぶはっ!」
ヴァロアの殺気を込めた宣言を聞いて、突然笑い始めた死神。
「……一体何がおかしい!!」
「だってさあ。何度も通用すると思うなって言ってもさあ」
死神はそこで言葉を区切って、左手を懐に突っ込み、おもむろに何本ものメスを取り出して、
「アンタにはこれを躱せないよ」
そして、手がかすむ速度で腕を一閃。今度は集中していたヴァロアの目に、しっかりと無能の投げた五本のメスの軌道が見えたので、体を捻り、自分にメスが当たらないように体の位置を変えて再度の突進。
ここで突進したヴァロアの判断は特に悪手とは言えまい。なぜなら一回手に持った武器を無能が投げてしまえば、壊れた右手では物を投げることはできず、もう一度左手で攻撃してくるにしてもヴァロアが突進して近接戦闘に持ち込むまでのタイムラグは発生する。その隙をつけば、明らかに筋力に劣る無能であれば一瞬で制圧することが可能だと考えてもおかしくはない。
惜しむらくは、ヴァロアが一体最初にどうやって雪人がメスを気づかれないように投げたのかという事を考えなかったこと。
そして、雪人に挑発されて、魔法や剣でメスを防ぐといった発想を妨げられていたこと。
そんな失敗をしてしまったヴァロアは、彼御自慢の鎧、その関節部の隙間と隙間にもう一本、時間差で彼の意識の間隙を盗むように迫っていたメスに直撃した。
突然の痛みに、突進の途中で動揺するヴァロア。その動揺を雪人は見逃さず、身体を低く縮めてまるで二足歩行の狼のように全力で疾駆。獣の速さ敵に向かい、それ以上の勢いでこちらに来ていた騎士の足元を、狙い過たずすれ違いざまに足かけ。本来ならば彼を切ったであろうブロードソードは直前の足への攻撃による負傷と動揺で十分な速度を発揮せず、結果、雪人にいいように転ばされたヴァロア。
そのまま自重のせいで壁に激突するのを避けて、大きく前転して体勢を整えたあたりは流石序列に列されるだけの実力はあるようだったが、一度ならず二度までも自分がただの無能、しかも魔力なしに手間取ったことが信じられないという目で雪人を見ている。
「メスは五本だと思ったか? 残念だが最初に放った五本は囮で本命はその六本目だったんだよな」
「くっ……だがさっきのお前は確かに五本しか投げていなかったはずだ。いったいどんな小細工を――――――」
「知るか。自分で考えな」
雪人はわざわざ腕を大きく振らなくても、鉛筆程度の大きさの物体なら手首の挙動だけで十メートル圏内は打ち抜ける。なので、大ぶりで適当に照準を合わせたメスを五本最初に腕を振る時に投げ、腕を振るって投げ終わりの位置で手首の挙動のみで本命の一本を放っていた。
人間は意識を集中していると思っているときでも、呼吸の間隙に意識の薄れる瞬間があり、その瞬間は攻撃に対する反応が遅れる。雪人は俗に言う「呼吸を盗む」という技術を使い、その瞬間を狙って一度目はメスを投げていた。今のはそんな自分の先制攻撃を躱した強敵に遭遇したときの為に作っておいた、前半の囮五本と後半の意識の死角を突く一本で相手を倒す騙し技だ。本来は裏の武術。彼も滅多な事では使用を許可されていなかったが、ただでさえ格上の相手と負傷して戦わないといけない自分の今の状況は使用していい状況に当たると判断。
しかし実は、一番成功率が高そうだったこの技でも、正直なところうまくいくか三分もなかった。あって一分くらいだったろう。雪人の無能ゆえの高感知力が今のヴァロアが激昂故に冷静な判断ができないと教えてくれていなければ、とてもじゃないが冷静に実行に移すことはできなかった。
この相手の魔力を読むことで、相手の攻撃の意図を読み取る力は実に役に立つ。心の中でそんな戦闘評価を下す雪人。
一方のヴァロアは、自分が二度も剣で攻撃しようとして妨害されたことから、相手を無力で無価値な無能ではなく、こちらに脅威となる敵と認識し、本気になって雪人を殺すことに決める。
しかし、その判断は少々遅かった。
「…あ?」
剣を持つ手から勝手に力が抜けていく。そうして剣を取り落し、膝をついてしまったヴァロアは騎士としてはあるまじき失態にすぐさま体勢を立て直そうとしたが、身体に力が入らず起き上がることもままならない。
「貴様……一体……」
「ああ。ちゃんと俺が喰らった毒もぬっといた。簡単にいやあ、お前らのやったことをやり返した感じだな。というかこんな殺傷能力の低い武器なんだから毒の一つや二つ塗ってるに決まってんだろ。ホント鈍いなこの国の騎士は」
「卑怯な……」
「お褒めに預かり光栄です」
そうして近づいてきた雪人の足を最後に見て、ウェイン神聖王国序列第八位騎士ヴァロア・シューゼンはその実力を発揮できないままに意識を永遠に失った。
「さてと……後は上の魔法陣のところにいる魔導士一人か」
雪人はそう呟いて、複雑な施設の中を一切迷う様子を見せずにゆっくりと歩いて行く。
彼のその歩調には生気というものが全く感じられない、まさに死人のような歩き方だったのは仕方のないことだろう。彼はここに来るまでに既に五十人は下らない人数を殺してきた。そのどれもが死角に放ったメスの一撃で一瞬で決着がついたとはいえ、もともとあの技は照準に結構な神経を使う。その上、もし躱されれば今の負傷した雪人の実力では対処しきれないという緊張感もあった。それほどまでにここにいた騎士たちの実力は高く、魔導士の質はいい。何やら建物周辺の様子は知覚できないように結界を張られているようで、どこかもわからないような場所での大立ち回りは神経を削るものがあった。
それに、彼が人殺しを体験してまだ一時間もたっていない。そんな短期間で何人も殺すという体験は、いくら雪人が他の人よりも弱肉強食の掟に近いとはいえ、きついものがあった。
とは言え、ここで立ち止まるわけにもいかない。このまま何処かへ雲隠れしても、先ほどの老人が言っていたような理由が本当なら、追っ手をかけられることはほぼ確実である。
だから殺さなくては……と、雪人は自分にそんな言い訳をしていることに気付いて苦笑する。自分が自分の意思で堕ちているというのに、まだ認めたくないのかと呆れたが、こればっかりはしょうがない。せいぜい動きに逡巡が出ないように自分をきつく戒めておくだけだ。
そうして覚悟を決めた雪人は最後の生き残りの魔導士の立てこもっている部屋の前にたどり着く。その部屋の中から彼の魔力探知にかかった魔導士の適性は風。扉を開けた途端に風の刃を向けられることを警戒しながらドアを思いっ切り蹴破った。
部屋の中に吹っ飛んでいく扉だった板切れ。それが運よく魔導士の方向に飛んだのか、板切れはウインドカッターの魔法を受けて真っ二つに切れたが、雪人はその魔法の標的となることは無かった。
相手が部屋の奥で二つ目の魔法を準備しようとする一瞬の隙をついて、雪人は左手に持ったメスを板の影から投擲する。メスは狙った眼球を的確に貫き、痛みで魔導士の詠唱を止めることに成功する。
そうして魔導士に近づき、敵を拘束する雪人。しっかりとその指は首にかけられており、万が一にも魔導士を逃がす気は無い。
そうして魔導士を無力化した雪人は尋問を開始する。
「ここはどこだ? 少なくとも魔の森じゃないことは俺にも分かっている。こんな施設を魔の森に作れるはずがない。ついでに言えばどこかの町というわけでもないな。もしそうなんだとしたらここにいた奴らの実力が異常に高いことに答えが出ない」
ペラペラと話していったのは相手の反応を調べて真偽を確認するため。相手が嘘をついたり、真実を隠そうと思って焦れば焦るほど血液にの流れも速くなり、ついでにこっちに来てから気づいた魔力というのものも結構挙動がおかしくなるのだ。
相手の魔導士は口では答えなかったが、身体の反応から自分の推測が正しいという事が読み取れる。
さて、ではいったいここはどこなのか。そうやって雪人が考えている一刹那を隙と見たのか、魔導士は何かの石を口の中で砕いた。
「何を!?」
その行動の意図を聞こうとしたがすでに遅く、魔導士はこと切れている。
まさかこんなにすぐに自殺を選ぶとは。自分の想定とはあまりにかけ離れた自体に動揺した雪人だったが、すぐにそれがただの自殺ではないことが理解できた。
建物の周辺にあった結界のようなものがなくなり、一気に濃い魔力がこちらに押し寄せてくるのを雪人は自分の広げていた知覚能力で感じていた。その魔力の濃度の濃さは、彼の魔力探知能力を完全にショートさせるレベルだ。
魔物でも大群で襲ってきたのかと思ったがそれにしては空間中の魔力の分布が均一である。嫌な予感に、この部屋に残されていた資料や他の部屋の資料を片っ端から調べていく。
そうしてわかったことは自分の最悪の現状。
「まじか……転移魔法で龍人国近辺の極秘の魔導施設に飛ばされてやがる……」
もともとウェイン神聖王国は大陸の中でも最も東だった。そこからどうやら魔国をはさんだ大陸の西にある龍人国の超危険地帯の森の中へと自分が転移魔法で運ばれている事を知り、愕然とする。
この森には、その危険度に応じた資源や素材が埋没しているという事で、それをこっそりと研究していた極秘施設で自分のことももみ消す手はずだったのだろう。そう考えると頭が痛い。
高等魔法の転移は、魔力の無い自分には勿論、十数人の魔導士が集まってようやく発動できる超難易度技術だ。そこまでしないと起動できない転移の魔法陣には何をしても無駄。故に、ウェイン王国に戻ろうと思ったら大陸を横断する旅をしないといけない。
だが、ここから徒歩で帰るにしても、まずはこの魔力の異常に溢れている森の中でどうにかして生き残っていかないといかない。もともと魔力が異常に多い場所では魔力の少ないものは体に支障をきたすことが多い。それは魔力が体内に少ない存在が、過剰の魔力量に感覚を崩してしまう一種の車酔い的な状態で、特に魔力の無い無能はその傾向が顕著に出る。
雪人が今までそう言った症状に悩まされたことがなかったのは、成長期もほとんど終わりかけで召喚されたため、身体に弱い魔力に対しては十分な抵抗が備わっていたことが関係していたが、流石にこの森ではそうはいかないだろう。
ついでに言えば、周辺の魔力が過剰であるほどに魔物は強い種が多い。つまり自分がここで生き残っていくにはいつもよりも悪い体調の中、魔の森で想定していたよりもはるかに強い敵と戦わなくてはいけない。
こうしている今も、少しづつ建物内部に魔物らしき強い魔力の塊が入ってきているのを感じた。
どこも危険だ。だがここの死体によって来る魔物達を考えると、ここに留まる方が危険。そうして判断した雪人は勝算の薄い賭けと知りながらいくつかの武器を奪ってから建物を飛び出して、生き残るために森の中に突っ込んでいった。
雪人の無茶なサバイバルが突然開始された。




