許せないもの
「さあ、ここからは自分たちでやってみろ」
「「「「「「はい!」」」」」」
これは一体何の茶番なのか。雪人はサバイバルの訓練という名目のピクニックに、異世界組生徒たちの後方でため息を吐いていた。
西ウェイン神聖王国の北の土地。隣が獣人の国と接しているという国と国との境目となる場所に茂っている魔物の森の手前に着くまでに王城から高起動魔導車に乗って約三日。ようやく到着した国の最果てで、最初に用意されていた訓練施設を見せてもらったときには驚きあきれた。
あまりのみすぼらしさに、ではない。
あまりの器具の贅沢さに、だ。
「よくもまあこんなところに金をかけようと思ったもんだよ」
悪態をついて山の中を歩く雪人の声には日頃の本音の会話だけではなく、結構な割合の皮肉も交じっていたが、彼の周辺には既に人がいないので誰かからの返事が返ってくるという事もない。
日本に住んでいた自分たちは意識の外にいきやすいが、そもそも国境沿いというのは厳重な警備を敷き、国外と国内を文字通り隔てた強固な壁の存在が不可欠である。なぜならば、壁がなくては不法に入ってくるもののせいで税は確たる量を決めることすらできず、犯罪者ですらも大手をふって行き交いができてしまうのだから。
特にこの世界には、魔法という属人的な個人の武力の要素が見逃せない重要なファクターとして存在しているのだ。国境の重要性については言わずもがな、自分なんかの想像のつかないような堅固な防御が敷かれているのかと思いきや……
「まさか手前の魔の森を攻略することすらしていないとはね」
そうやって彼は獣道の半ばに、邪魔になるように生えてきていた竹のような植物の枝を押しのけて、訓練内容にあった薬草を探してひた歩く。
今回彼が探さないといけない薬草は湿地帯のような湿度の高い土壌に生えている類いのものなので、こんな風に地盤がしっかりしているところには生えていない。もっと奥の方に行かねばならないとため息を吐く雪人。
今の自分が歩いているところはお世辞にもいい道とは言えないが、人が分け入ることもできない山の中というわけでもない。いたって普通の山道。もしここが魔力が豊富にあることで獣たちが急激な進化を遂げた魔の森でなかったら、老後の運動にでもちょうどいいような極めて楽な道である。
なんでも魔の森の環境は開拓することは実力的にも難しく、貴重な薬草や薬になる魔物が生息していることもあって、資源的にも逆に開発しないでそのままの方が良いという事で、隣接する国々は、魔の森の周囲五キロ圏内に人工物を建てないという条約が結ばれたことがあったらしい。
それが結ばれた時期は神話の時代に遡る古い話だったそうだが、代々の王家が継承し、魔法の誓約を結んでいることで、それが故意に破られることは無いそうだ。
そんなわけで国境線上にまたがって存在しているというのに国境線という存在が確認できないという何とも奇妙な場所が出来上がっているというわけだ。
今回の訓練はその手前にある便宜上国境と呼ばれている施設から、往復してそれぞれが何らかの材料を採集してくるというもの。
先ほど返事をしていた生徒たちは比較的魔力濃度の薄い、魔物たちもそんなにいない場所に生えている薬草を取りに行ったのだが、雪人は違う。
一体どんな政治的な権力が働いたのか、彼は一人で魔の森深くの湿地帯にある薬草を取りにいかないといけないらしいのだ。
これには流石になんらかの悪意があるという事で、断ろうといろいろ検討したが惨敗。自分で外の世界で自立したしたくばこれくらいやって見せろと無能排斥派らしい兵士に追い返され、結局従わざるを得なかったというのが真相である。
なので彼のモチベーションははっきり言って最低であり、やる気は皆無に近い。
来たところの訓練施設とやらが、最新のトレーニング器具しかなくて、全く実践を前提とした動きのできる土地や場所が無かったことで、本当に訓練というものがどういうものかわかっているのかと説教したくなるような気持ちにさせられたことも影響を与えている。
代わりとしてなのか、魔の森への演習という形の訓練は準備していたようだが、そこが危険地帯である以上、それは前段階としてやる訓練ではない。誰が、一度も演習せずに銃弾飛び交う戦場に出るだろうか。つまり雪人が言いたいのはそういうことだ。
この国は戦争中なのに末端がこんなに平和ボケというか頭が悪くて大丈夫なんだろうか。関係ないと分かっていてもあまりの体たらくに、一度は日本で鍛えられたことのある身としては腹が立って仕方がない。
しかも与えられている器具というのは王都に合ったものよりも高性能なもので、戦争の時に真っ先に使えなくされるじゃないか、というか魔の森が危険区域だと知っているのならもっと兵士自体の意識の方をまともな状況にしろよと思わなくもない。
そんな風に不満たらたらで森、というか山の中を歩いて行く雪人にはやる気は無くとも慢心もない。
王国の人間がどんなにここが平和な区間であると思っていても、彼の鍛えた五感はこの場所の雰囲気から、自分が警戒に値する危険区域だという判断が出ているのだ。
この山に入る前に見た資料の中には、人間の胴体位スパッと切れそうな巨大なカマキリや一軒家くらいの大きさの大蜘蛛の情報も載っていた。
間違っても会いたくないし、戦っても勝てる気がしない。資料についていた図には蜘蛛の体表が固い甲殻におおわれている姿がしっかりと描かれており、素手での打撃は完全に通用しなさそうだった。
「というかこんなことを考えていると遭遇するのがセオリーなんだよな」
そう言いつつも魔力の探知範囲を広げることに集中して、精度を犠牲にした彼の感覚にしっかりと魔物の反応があったので、それらを的確に避けていく。この無能の特徴があれば、山の中を一人で探索するくらいだったらなんとかなりそうだというのが彼の予想で、そうであったから彼は理不尽な試験を了承したのだ。このくらいのことはできるようになってないと困る、そう内心呟いて森の奥に突き進んでいく。
道は少しずつ、踏み固められていた獣道から草を分け入って進む茂みの中に移行していく。
身体の表皮は山の中とかをはだしで走ったりして鍛えさせられたので草に負けることもないが、今回は毒をもった虫の存在を警戒して、それなりに厚い魔物の皮をなめして耐久力を増したものを、服に仕立てたものを着ている。
少々自分の体よりも大きいので、動きやすさはそんなに悪くはない。
用意してくれた変態には感謝だな。そんなことを考えて道無き道を進む。
ふと、その足が止まる。
「なんだ……?」
彼の約二十メートル前方、魔力探知に突然映らなくなった完全”凪”の状態が一メートルほどの穴のようにぽっかりとできているのを感じて足を止める。
この森で、突然魔力の流れがないところができているなどあまりにも不自然。危険を感じて先に進むのを止める。
とりあえず石でも投げてみよう。そう思い立ち、適当に拾い上げていた大きさ三センチほどの鉛みたいに重い土の魔石を指で弾く。
指弾という技術を使用した魔石は、面白いほど加速して、一直線に凪の状態のところを穿った。
二十メートル先を過たず狙った攻撃はしっかりと貫通したようだったが、その後は特に変化は無かった。
「……勘違いか?」
考えすぎだったか。そう判断して先に進もうと足を踏み出そうとした雪人。しかし、その踏み出した足が地面をうまくつかめず、力なく崩れ落ちていくのを状態ごと傾いていくときに感じる。
(なんだ!?)
声を出そうと思っても声すら出ない。まるで毒を喰らったかのような症状に、この近くに空気中に毒を散布する植物は無かったはず――――――そこまで考えて、近くに誰かの視線があったことを感じた。
しまった。慣れていない魔力感知を鍛えるのではなくて、五感に頼った気配察知に集中していれば――――――薄れゆく意識の中、誰かが自分に近づいてくるのを感じた雪人はそう後悔したが手遅れだった。
起きてから一番最初に目に入ってきたのは白いタイル張りの見知らぬ天井。
自分の体勢を確認すると、どうやら診察台のような手術室に大の字に貼り付けにされ、ご丁寧に腕には手錠を、足には鎖を撒かれている。
いきなりの状況に混乱したが、とりあえず手錠と鎖が引きちぎれないかどうかを全力で引っ張って確認してみる。
当然、こんなところで突然何かの力が覚醒したわけもなく、腕の方も足の方も鉄ではありえない奇怪な金属音を発して軋んだだけだった。
「ひっひっひ。無駄じゃよ若いの。その鎖は魔力を封じる封魔石を含有した特殊金属じゃ。素の状態の人体では例え大男でも引きちぎることは出来んかったぞ」
「爺さん誰だ?」
自分が状況の確認をしていると、突然自分の寝ている診察台の後ろの方から声がかかり、白い服を着た、腰のまがった老人が自分の左側に出てきた。眼鏡をかけて、白く染まった髪は普段ならば柔和な印象を相手に与えるだろうが、顔に浮かんでいる嗜虐の感情で、こちらを手出しのできない実験動物として見ていることが丸分かりだ。
一目見て、こいつが今の自分を拘束している犯人だという事が雪人に理屈ではなく分かった。とは言え相手がだれかわからないというのも対応することができない。今すぐこの爺さんを殴りたいという欲求を押し殺し、表面上は落ち着いているように見せかける。
「儂か? 儂は今からのお主の主人といったところじゃな。ひゃっひゃっひゃ」
「…………俺に男色の趣味は無いんだが」
「おやあ? 最近の若いもんは爛れとるのお。儂の時代にはそんな返しは存在しなかったんじゃが」
「韜晦はいい。お前は何の目的で俺を捕まえた」
「せっかちじゃなあ。そんなんでは人生損するぞ?」
正体も目的もまともに話そうとしない、というよりはまともに応対しない老人の言動からは判断できなかったが、手術道具のメスのようなものを手入れしていく老人を見て、大体の見当がついた。
「……お前は俺を解剖しようとしているといったところか。だが一体何の目的でだ? 拷問だったら他にも手段はあるだろう」
「おお! 最近の若いもんは恐ろしいことを考えるのお。別にこれは拷問じゃあないんだぞい」
「…………何?」
雪人は首をひねる。最近は目立って活動している自分のことを気に食わない王宮の無能排斥派の暴走だと思ったのだが。
「俺を疎んだからこんなことをしたんじゃないのか?」
「いいや。違うぞ。恐らくそれが要因の一つではありそうじゃが、もっと根本の理由はほかにある」
「なんだ?」
先ほどまでとはうって変わってまともに話し始めた似非研究者の言葉に警戒した様子で耳を傾け始める雪人。
くつくつと趣味の悪い笑い声のまま、老人は楽しそうにこちらの質問に答える。
「お主、二人の異世界人をたった二週間で宮廷魔導士の実力を超えるほどの成長を行ったんじゃろう? 隠遁して研究にしか興味のない儂にもそんな噂が届いてきたぞ? それを聞いた国王がお主の異世界人補正というのは周辺の人物を急激に成長させるものではないかという疑問を持ってなあ。是非とも調べさせてもらおうという事じゃよ」
「……迷惑な」
自分が彼女たちにしたことと言えば、魔法を使う時にどこをどうすればうまく魔法を使えるようになるのかのアドバイスをしただけである。それ以上のことはまったくしていないし、特別なことは一切していない。王様に聞かれたときにそう答えて、彼女たちの実力は純粋に彼女たちの才能だと報告しておいたのに。
それに魔法の知識というのはもともと無理矢理に召喚したことの対価だったはずだ。信じてはいなかったが、前に言ったことを反転して、実力行使に出てきたことにちっと舌打ちをして顔を顰める雪人。その冷静な様子に、老人は笑いを止めて当てが外れたかのような失望を顔に浮かべる。
「冷静じゃのう、お主。ここに来た輩は皆、こう聞いたとたんに逃げ出したがって暴れるというのに」
「……輩? 他にもここに運ばれてきた奴はいたのか」
「そうじゃよ? ここにはかつての罪人や、能力の高い人間が実験目的で連れてこられているんじゃよ。七歳くらいの幼女を解剖したときが一番興奮したのう。「止めて!」と泣き叫ぶ子供の顔の筋肉を解剖して話すこともできなくしたのは随分と前のことじゃったしなぁ。そんな経験豊富な儂としても魔力なしの無能なんて希少種の解剖は初めてじゃからのう。腕が鳴るわい」
ぎしり、と空間がきしんだような音がした。それは雪人が壊せないと先ほど確認したにもかかわらず、手錠に再び力を込めて引っ張った音だったが、雪人が力を瞬間に彼から噴き出した殺気が理屈不問で空間に悲鳴を上げさせたような、そんな感じの不吉な音だった。
もともと彼は、自由に自分の好奇心に従って生きたいという強い願いがあった。それが転じて、誰かの自由を拘束する輩は彼の最も嫌うところ。例え自分に関係のないところで起こったことだとしても、それを楽しそうに話している老人の様子についつい抑えが利かなくなったのだ。
「下衆だな、お前。惨たらしく殺される覚悟はしているのか?」
「しているわけないじゃろう? 何とでも言え。貴様は最早抵抗できんじゃろう。ここでおとなしく解剖されるがいいわ」
あまりにも人や世界を馬鹿にした姿に、醜悪さから雪人は眉を顰める。
自分も興味のあることに関しては、ある程度この老人と同系統の性質を持っているだろうが、少なくとも自分が何かした相手にいつかやり返される覚悟をもって自分は行動するようにしている。こんな奴とかけらでも似ていると感じた自分が嫌だったし、何より多少は信じていた王宮側のこの行動は彼にとって手ひどい裏切りだった。
もう、自分を抑えて手加減する余地は無い。
「……はあ。多少信じてみたらやっぱりこれか……最近はいいこと続きで自分にもとうとう運が巡ってきたと思ったんだが」
「黙って……!?」
老人は口の減らない雪人の発言を苦痛で止めさせようとして、メスを握った手を左腕に近づけた。しかしそのメスが、今にも雪人の左腕を切り裂こうというときに、突然視界の上から出てきた何かに喉を掴まれ、そのまま体を上に持ち上げられる。
一体何が――――――自分の首を掴んで持ち上げている何かを両腕で掴み、呼吸が止まって苦しそうに自分を掴んでいるものを見ると、それは手錠で拘束していたはずの雪人の右腕だった。
「ゴガッ!?」
言葉にならない声で、それでも驚きを表現しようとした老人の声に、大の字に拘束されたままの体を捻り、右手のみをつかって老人を持ち上げている雪人は口の端をにやりと上げた狂相で、楽しそうに返事をする。
「俺の右腕が自由に動くことがそんなに不思議か? 別に手品のタネは何のことは無い。いたって簡単な回答だ。手錠が壊せなくて腕が動かせないんだったら自分の手を壊せばいい。な? 簡単だろ?」
手錠をかけられた時でも自由になる方法として、片方の腕を壊す、という師匠から教わった最終手段を使っただけだ。本来は関節を外して自由になるのだが、今回は人体が壊れるほどの出力を発揮して強引に腕を引っ張って関節を壊し、手の皮膚からの出血を利用して、手錠を抜けたのだ。今も見ると、右腕はだらだらと血が流れて腕を伝っている。
その時の痛みは、自分が拘束されているという気が狂ったような怒りのおかげであまり感じなかったのできっとアドレナリンが誤魔化してくれたのだろう。
そんな無茶をしてしまったことで手の先の方の感覚はまったくないが、それでもこの目の前の狂人を殺すのに何の支障もない。幼いころから熱した砂に貫手を繰り返し続けて鍛えぬいた彼の指は、レンガを砕き、瓦にもめり込む。
そう言えば日輪は瓦割りをすると誤解をしていたな、と少し楽しかったころのことが頭をよぎったが、そんな雑念はすぐに振り払った。
今の自分の思考を占めているのは、ようやく掴めそうになっていた自分の自由を、拘束しようとした老人に対する殺意のみ。
「さてと……一応これが俺の初めての殺人になりそうなんだが……別にいいか。どうせ俺がここから逃げるにはお前のような奴も何人も殺さないといけなさそうだしな。それに何より、俺はお前のように自分が殺される覚悟もなく、自分の嗜虐心を満たすために他者を縛る人物は許せない。つーわけでじゃあな」
「グっ!……」
僅かな独白と昇順の後、掴んでいた右手の指で、老人の柔らかな喉笛を勢いよく貫く雪人。そして雪人が手を放すと、目からは光を失い力なく人形のように地面に崩れ落ちた老人。
それを見ても雪人は、長年待ち望んだ自由を邪魔した退屈な敵を倒したというだけの認識しかできず、確かに彼にあった人殺しへの忌避感は音をたてて崩壊したのが聞こえた。
義憤が理由の一端にあったとはいえ、自分の身の安全の為にだったら同族殺しすらもあっさりと決断できる奴。自分のことを考えてそんな風に自嘲の笑みを浮かべ、今度は左手、両足と関節を外して拘束から抜け出していく。
次に、自分のことを解剖しようとしていた手術道具の中で、武器になりそうなものをいくつか引き抜いて手術室から出ていった。
こうして、無茶な行動で壊れてしばらくは使い物になりそうもない右腕を、プランプランと振り回し、初めての殺人と、これから自分の為に重ねる罪を想像し、どこか心を壊したようにへらへら笑いながら歩き出す。
そうしてこの施設を恐怖に陥れる死神が解き放たれた。




