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彼女の内面

 思えば最初から兄は変な人だった。


 というか、私を取り巻く状況が幼いころから変だったというべきか。


 物心ついたときには自分の周りには、自分のことを溺愛する両親と、自分の様子を遠目から見守る親族の姿ばかりが周りにあった。これが意味することはその頃の自分にはまったくわからなかったが、今ならばそれが自分が兄のようにならないかを心配した行動だったというのが分かる。


 とは言えそんなことに齢三歳にもならない子供が気づくわけもなく。

 私は生まれ持った才能の高さと、自分に向けられる盲目的な愛情によって、その性根が醜く歪んでいくことに気付かなかった。

 そうして周りの関心を集め違った一人の愚かな子供には耐えられないことが一つあった。


 そう、兄だ。兄は自分が生まれた時には誰からも敬遠されていたのに、そのせいで兄は家族の注目の的になっていた。

 自分を差し置いて、誰かの注目の的になることなんて幼い私には許すことは出来ず、愚かな子供はそんな兄の立ち位置のみに嫉妬と憎悪を向けた。

 そんな兄の内面に自分の関心が向いたのは私が小学一年生の時に、集団リンチを受けていた兄の姿を見た時からだった。

















 それはふらふらと新しい学校を探検していたときのことだった。

 いつもは行ったことの無い校舎の裏側は一体何が存在するのか、そんなことに疑問を持って、一人、そこへ行くと、そこでは複数人の見るからに上級生のガラの悪い男子生徒に一人の小柄な生徒が蹴られたり、踏まれたりしていた。

 その時蹴られているのが誰かは気づくことは無かったけれど、その場に広がる暴力の気配に私の身は竦み、身体は動かなくなった。


 物陰で震えてみていることしかできなかった自分は、その内に誰かがこっちに気付いたような仕草をしたので、それを合図に一目散に逃げ出した。頭には、蹴られていた人のことを心配する余裕なんてなくて、ただただ恐怖から逃げ出した。


 そうして帰ってから、あの時の上級生たちが自分のクラスに来ないかどうか戦々恐々として、その日の授業も何事もなく終わった。一刻も早く家に帰って両親たちにこの不安をどうにかしてもらおう。目をつぶってお母さんの膝の上に蹲っていれば、こんな悪夢はすぐになくなってくれるはずだ。そう思い、帰宅してわき目も振らず、一直線に家にいたお母さんに飛び込んだ。お母さんは随分と私の行動を不思議がっていたようだったけれど、特に何かを聞くこともなく甘えさせてくれた。


 そうしているとやがて、兄の帰ってきたような音が玄関からこちらに響き、お母さんはそれに気づいて体をビクリと震わせる。

 突然兄の存在に気付いた両親はいつもこんな反応をする。幼心にも両親が兄を怖がっているということは分かったので、私は私を守ってくれる両親を苛める兄のことが好きではなかった。

 なので文句を言いに行こうと思って、玄関の方に走っていく。お母さんも慌ててそれを追う。


 そうして私が目にしたのはボロボロの顔をした兄さんの姿だった。

 それを見て、今日のリンチの映像を思い出し、「ひうっ」と言葉が詰まる私。お母さんも兄の惨状に絶句して何も言えなくなっているようだ。


 しかし兄はそんな私たち二人の反応をどうとったのか、「母さん。服は破れたりしていないので購入の必要はありません」とだけ告げて、いつものように二階の自分に籠っていく。

 私は兄が先ほど蹴られていた生徒だと気づき、母さんにどうにかしてもらおうと思ったが、母さんのまるで不気味な怪物を見るような兄の視線に何も言うことはできなかった。


 この時の私は何もできなかったけれど、その後にこのことをどうにかして解決しようと思って動いたときに、結局このことは兄の手によってすでに解決していたことを知るのはその翌日だった。

















 翌日、学校に来て一番初めにやったのは、兄のクラスを調べることだった。


 いくら嫌いな兄のこととはいえ、やっぱり昨日のことは見過ごしてはいけないと決心し直し、どうにかして担任の先生という強力な味方をつけようと考えた私は、まずは知らなかった兄のクラスを知るところからスタートする。


 というか私も学校にきて数日すでに話す友達らしい人もできていたので、両親の妨害や、兄の自主的引きこもりのせいで自分の兄にクラスも聞けないという状況が結構どころじゃなく変だというのが分かったがそんなことを気にするような分別は幼い私にはまだなかった。


 今の自分だったら客観的に見て、自分の家の問題を先に解決した方がいいと思うことだろうが、その頃の私はまだ自分の家の異常性に気付いていなかった。

 そうしてクラスを調べるために職員室にでも行こうかと廊下を歩いていると、向かい側からあの時兄を蹴っていた上級生がやってきたのが見えた。

 急いで近くの職員用の女子トイレに隠れた私は、大した考えもなく、上級生たちの会話を盗み聞く。


「くっそお。いったいなあ。なんで俺たちの足はこんなに怪我をしてるんだよ」

「知らねえよ、全くあいつを蹴るといっつもこうだ。もうそろそろ誰かにもばれそうだし。保健室の先生にも結構疑いの視線を向けられたしなあ。もうやめにしないか」

「そんなんあいつに負けた気がすんだけど」

「この後バレて誰かに怒られるよりもましだろ」


 口ぐちにそう言い当って歩いて行く四人の上級生たちの身勝手な発言には怒りを覚えたけれど、それ以上に発言の中にあった「あいつを蹴るといつも」という言葉が気になった。あいつというのは恐らく兄のことだろうという予想はついたが「こうだ」という被害の現状は一体何だったのかが分からない。

 勇気を振り絞って、彼らを手当てした保健室の先生に聞いてみると、帰ってきたのは意外な回答だった。


「ん?……ああ。彼らのけがのことかい? 彼らのけがはまるで竹や丸太を蹴ったような痣ができていてね。それが足のあちこちにできているものだから最初は彼らは何らかの虐めを受けているかと思ったんだが……それがどうやら逆の虐める側らしいという事に気付いたのは最近だよ。とはいってももうすでにいじめられる側が、いじめる側の方に結構な被害を与えているようだったから、このまま終結させることもできるようにお膳立ては終わっていた後だったし、彼も面倒事をさっさと終わらせたいとだけしか言わなかったしね。これ以上のけがは親に報告すると言って、及ばずながら私も彼の援護射撃を行ったというところかな」


 飄々と話す保健室の先生には兄に対する賛辞のようなものが多分に含まれた言葉が帰ってきて、家族である自分が他人にさえ劣るほどにロクに自分の兄のことを知らないというのがまざまざと理解させられてしまった。

 そこから、私の兄への興味と観察の日々が始まった。

 と言っても私の一方的な追っかけだったけれど。








 兄は日ごろからいろんな人間に敬遠され、疎まれていた。

 どうやらそれは、周り人間がその雰囲気に流されてそうなったという感じのようで、兄自身が言われているような極悪非道の行いをしていたからというわけではなかった。


 というよりもむしろ、兄を攻撃する人たちの方がよっぽど最低なことをしていた。

 兄は肉体的な暴力は相手にも気づかれないようにこっそりとやり返していたが、精神的な暴力は実害がない限り面倒がって何もしないらしかった。


 そのことに気付いた生徒たちが兄に実害の出ない攻撃をつづけたこともあったけれど、勿論そのころには成長した私が許さない。全く嫌味を気にしなかった兄に代わって、着実に裏から敵を排除していった私の行動で生徒たちは一網打尽にしておく。何かその頃の手下というか部下的な人たちが私の兄に実力行使に出たらしいけど、それもすぐに兄が対処してくれたらしく私としては兄に実害が何もなくてよかったと思う。


 そうして私は兄の後を追っかけて行った。


 兄の武術の師匠に頼み込んで、修業している兄をこっそりと見学させてもらったり。


 部屋の中にあった高校三年生がやる様な教科書があることを確認して、理解できるように勉強したり。


 たまに鍛えている音を聞いては、自分も体を鍛え始めたり。


と言っても最後のはまったく自分には筋肉はつかなかったので断念したが。





 そんな感じに兄の後を追っかけていくと分かったことがたくさんあった。


 周りの人から恨まれていても気にしない豪胆な精神の持ち主だったこと。


 計画的に動くようにしているくせに、たまにお人よしのようなところもあること。


 実は猫好きだったこと。


 たまに、草原で寝ていること。


 全部が全部、兄の大切な秘密ではなかったけれど、それでも兄の一つ一つを知っていけたのは良かったと思う。これで自分は兄のことにも詳しくなっただろうか、と四年にわたる観察をそろそろ終わろうかというときに、ふと、私は気づいたのだ。


 もしかしたら私は、兄の幸せを奪っているのではないかという事に。


 思い返してみれば、兄は自分に否の無いことで常に迫害を受けていた。顧みるに自分はどうだっただろうか?


 努力しても認めてもらえる人のいなかった兄。努力せずとも愛されていた自分。


 常に周りからの攻撃の対象だった兄。何もせずともその容姿で人の好意を集めた自分。


 兄の後に追いつくためにやったことはすべて正当な評価を受けて、自分の価値として周りからは見做されたが、その努力の道筋を自分に見せてくれた兄は評価を受けたことはあっただろうか?



 一度考えてしまえば、どこまでも正反対な兄妹だった。片方は疎まれ、片方は愛される。自分がそのことに気付いて、もしかしたら、いや、もしかしなくても兄に憎まれているかもしれないと思ったときは人生で初めての大きな衝撃を受けた。


 そう思ったらいてもたってもいられなかった。

 自分は知らなかった兄の一面を知って、少しずつ兄の人間性を受け入れるようになっていっても、兄は自分のことを恨んで心の奥底では拒絶しているかもしれないのだ。

 それがどこか自分にとってつらいことだと分かった時には衝動的に兄に会いに行った。


 でも、会いに行った自分に兄は気づかなかった。


 近くに行って、話しかけた時の兄の反応は、自分のことを知らない人のように扱ったよそよそしいものだった。


 そうだ。自分はこの四年間一体何をしてきていたのか。

 ただ遠目から兄を見ていただけではないか。

 そんな人物を兄が気づいて見てくれているはずもない。

 自分は恨むことすらされていなかったことに気付いてショックを受けた。

 今更だった。

















 そうして月日が過ぎて、自分が今日こそ兄に話しかけようと、約七百回目になる決心をして入学したばかりの新しい学校の三年教室を目指していたころ。

 突然の白い光に包まれて、私は自分の居場所を認識できなくなる。

 そうして私は魔法という不思議な技術の存在する世界に、同じ中学の生徒たちと一緒に放り出されてしまったのだ。






 

 幸いと言ってよかったのか。自分と一緒に飛ばされた生徒の中には、二歳年上の兄の姿もあった。

 その世界に私たちを召喚した王様は、私たちを「勇者」にしたがった。


 私がそれを聞いて最初に考えたのは、もしかしたらその冒険を機に、兄とも話せるようになるかもしれないという極めて利己的な事。

 自分たちの命を懸けた戦いの中ならばあの兄のかたくなな心の中にも入れるかもしれないという期待。


 しかしそれはすぐに裏切られた。

 兄は召喚された異世界人の中で唯一、「無能」だった。

 そして自分は、異世界人の中で二人しかいなかった「二属性適性ダブル

 自分はまたしても兄の幸せを奪ってしまったという考えが、呪いのように私にとりついてきた。

 自分の高い才能と自分に都合のいい運命が、この時ばかりは恨めしかった。

















 しかし、兄は諦めなかった。

 というよりは傷つくこともなかったというべきか。

 自分に力がないという事を自覚した兄は、この世界で生き残るための知識を蓄えようと努力を始めた。

 宮廷にいた無能廃絶主義の人たちを完全に流し、そのまま自分で世界のことを詳しく知っていこうとする兄の姿に、自分は兄の何を見ていたのかと目から鱗が落ちる思いだった。


 そうだ。兄は別に不遇も何も興味がない。

 いったい何に興味があるのかは、何を目的として生きているのかは知らないが、少なくとも自分を恨むなんて暇があったならばその時間も使って前に進もうとする超現実主義者であったと。

 そして自分はそんな兄が一体何を考えていたのかが知りたくて、兄を追いかけ始めたのだ。

 ならば、ここで怖気づいてどうする。


 そうと決めたら、自分に与えられた魔法という才能を存分に活かし、身に着け、体得していく。何やらうるさい宮廷魔導士とやらに「大賢者の再来だ」とかなんとか言われたのを無視して、兄と気兼ねなく話すための魔法を習得するためだけに努力した。


 そうして召喚されて二週間。やっとのことで会うことができた兄は、やっぱり強い元の世界にいた時のままだった。


 そして今度は自分のことを見てくれた。

 そのことに嬉しさで表情が緩むのを必死に無表情で隠す。こんなところでにやけてしまえば、兄に気味悪がられてしまうかもしれない。

 そうして話そうと思ったが、兄の後ろに邪魔な騎士が立っていたせいで自分の聞きたかった話を全て聞くことはできなかった。

 なので「後で会おう」という事をこっそりと伝えるための一芝居をうつことにした。


 結果は…………成功だったはずである。ただ、慣れないことで緊張したことや思いのほか兄が筋肉質だったせいもあって、そこに「男」のにおいというのを感じたことの無い自分はひどくうろたえて逃げ出してしまったという失態も犯してしまったが。


 兄もいきなりのことで気味悪がって固まっていたのかもしれない。後からあの時の兄の様子を考えて、そんな思考にたどり着いた自分はそのショックにまたへこみそうになったが、今日は約束も半ば一方的に取りつけてしまったのだ。こんなことで自分が落ち込んで約束を破ることは許されないと思って、一緒に召喚された、彼氏持ちの友人の一人に「男の人を怒らせたらどうやって機嫌を取ればいいと思う?」と聞いてみた。


 帰ってきた答えが「色気のある服でも来て懇願すれば男なんて上機嫌になるわ。というかあなたもとうとうそんなことに……」と言われて、強引かつ迅速な手際で、恐ろしく薄い寝巻を着せられてしまった。

 鏡で見た姿は最近まで小学生だったという事がすぐにわかる貧相なものだと思ったが、「イケルわ! 純粋な中に、妖艶な香りのする美少女。私が持ち帰りたい!!」とはしゃいでいたので、これでもいいのかもしれないと思って、水の上級魔法ミスト・ミラージュで自分の幻影をつくり、周りからは普通の服を着ているように見せかけたまま、兄の部屋に入っていった。
















 いつの間にか眠ってしまっていた。反省しなくてはいけない。


 兄の部屋に入ると、兄はベッドの上に身体を仰向けにしてぐっすりと熟睡していた。

 人の気配に敏感な兄が近づいても起きてこないことに結構な驚きを感じたが、何のことは無い。兄は敵意のない人間が近づいても眠ったままだったことを、草原で昼寝して猫に群がられていたのを思い出して納得する。

 それに合わせてここ最近の不健康な生活が睡眠を深くしているようだったので、特に起こすこともせず、ゆっくりとおきるのを待つことにする。


 とは言ってもただ待つのも暇である。ここはいつもは気づかれる危険性から観察することのできない兄の顔を見ておくことにする。


…………昔と比べると結構顔立ちは少年といった感じから青年といった感じに変化してきている。ただ、髭とかはしっかりとそった直後なのか、ツルツルの肌が光に照らされているのが見える。

 色々とそんな感じの批評をしていくと、自分でも意識しないうちに眠ってしまっていた。

 

 そうして兄に起こされたというのが今回の失敗である。

 ただその後に長年の目標であった、兄との会話を自然にすることができた。もはやこれは記念日と言ってもいいかもしれない。


 にやけそうになる顔を必死に誤魔化して兄と話していくと、少しずつ、等身大の兄の姿が見えてきた。

 皆が皆、嫌っていた兄は何のことは無い。普通ののんびり過ごしたいわがままな少年なだけであった。

 少々、研究者気質なところも垣間見えた気がするが、そんなに大して怖がる必要もない。

 というかこの兄のいったいどこが怖い要素があるのだろう? 私はちょっと前までの怖がっていた自分を棚に上げて疑問を持ち始める。


 そうやって話していくと、兄はますます興味深かった。


 これからも一緒に話したいと思っていたが、どうやら兄はどこかへ行こうと考えているらしい。

 しかも一人で。


 呑気に構えているわけには行けない。この兄は一度決めたら決して自分は折れないことは、妹として観察してきた自分の方がよく分かっている。

 最初はなんでもない興味から観察を始めたが、今ではこの兄とまだまだ話してみたいという欲求だって存在しているのだ。逃がすわけにはいかない。

 そうと決まったらさっそく作戦を練ってこの兄を情でほださなければ。

 とりあえず、明日からも会えるように言質をとって今日のところは明日からの作戦の為に一時撤退ということにした。


 こんな調子で、いつか自分が兄から幸運を奪ったような人生になってしまったことを謝ることができたらいいと思う。

 その位気にするなとか言われそうだけれど、やっぱりいつかはそこらへんの清算とかをきっちりしておきたいなあ、と思って自分の部屋に戻っていった。


 部屋に帰ったら、自分を着飾った友人があれこれ聞いてきたのは大変だったけど。



 

 このころの雪人は何もしてませんよ。たまに自分の興味のあることにふらふらとついて行ったりして迷子になってましたが

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