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第一話

初投降です。


筒井康隆の『最後の喫煙者』をオマージュして、酒が規制されていく世界で酒呑み達はどんな風に生きようとするのか、SF的に描いてみました。


2週間に一度を目安に更新していけたらな、と考えております。

よろしくお願いします。


 《一》


 東京タワー、その電波塔としての役目を終えた東京の元シンボルが天辺を死に場所と決め込み、おれは只管にウォッカを煽る。

 

 つい先程、ぎっくり腰で引退するまで銀座のバーにてシェーカーを振り続けた同志の竹本さんが、吹き荒ぶ冷風に耐えかねてか、警官隊で犇く塔内に逃げ戻ろうとした挙句に足を滑らせ、遥か彼方の闇へと真っ逆さまに消えていき、おれは世界最後の酒呑みとなってしまった。

 

 塔内から警官隊が拡声器を通して「大人しく投降しろ」だの「要求はなんだ」だの姦しく喚き散らすのを聞き捨て、忙しなく飛び回るテレビ報道のヘリコプターが満天の星空を汚すのを尻目に、おれはただただショットグラスの半ば程までに減ってしまったウォッカへ想いを馳せる。

 このウォッカは先刻、眼前から消えた竹本さんの秘蔵の品であり、今となっては形見といっても過言でない代物である。多少温くはあるものの流石は元バーマンがこのご時世に至るまで後生大事に抱えていた一品と言った所か。

 舌に、喉に伝う最中、確かな存在感を感じさせるキレの良さと、どんな寒さをも吹き飛ばすであろう滾る熱さを宿した神秘の雫が、最早死を待つのみと覚悟を決めたおれの身にすら染み渡り、沸々と活力を湧き上がらせる。


 ウォッカ。

 ロシア語で「水」を表す言葉であるヴァダーが転じた「水、液体」を指す単語であるが、なるほど然り。

 原料はアルコール分が取れさえするデンプンであらば何でも良しとし、徹底的な蒸留の後に白樺の活性炭を用いてとことんまで濾過して不純物を取り除き、究極的に「水」を目指した酒であるのだから、これ以上に「ウォッカ」と名乗るに相応しい酒が他にあろうか、というものである。

 しかしかつて欧州にて「生命の水」とさえも呼ばれた蒸留酒が、役割を終えて死んだも同然である東京タワーの天辺を、この身が朽ち果てる迄の籠城を決め込む、正しく死に場所として選んだおれの末期の水となるのであるから、皮肉なものである。


 おれはショットグラス越しに揺らめく夜空を仰ぎ見つつ、我が人生ながらなかなかどうして面白いことになったものだ、と自嘲めいた笑いがくつくつと起こるのを噛み締めた。

 こんな天外へまでも辿り着く羽目になった経緯をしとしと思い返す、ただそれだけで生涯最期の酒を彩る肴には贅沢過ぎた。



 《二》


 おれの齢が二十を数えようかという頃には既に若者の酒離れが叫ばれていたものの、まさかこんな酒を呑むだけで畜生を見るかのような目を向けられるような時代が来ようとは露とも思わなかったし、考えもしなかったものだ。

 それどころかおれがいよいよ地上最後の酒呑みとなる日が来ようとは夢にも思わなかった。

 いや、認識はしていなくとも脳の表面の所ではそんなこともあるやもしれない、という予感めいたものを覚えてはいたのである。


 だがしかし、おれの身に深く刻まれた酒を愛する心情は『酒が呑めなくなる』という可能性を示唆する類の情報の一切を遮断しようと努めたのだった。

 おれは独り身なのを良いことに親の遺産を食い潰しながら好き勝手遊び回る、本業の作家としては実にしがない作家である。

 生きて酒さえ呑めていればそれで良しという生き方を決め込み、その生き方を可能にする必要最低限の労力のみを払ってのらりくらりと生きてきた。

 そうした人生観は、酒を呑む以外のあらゆることからおれを無気力にさせ、おれの酒道には差し障るまい、と判断を下したあらゆる問題から逃避させた。


 今は独り身で自由奔放にやっているが、十数年前の三十路を数えるか否かという頃には一時、俗に言う所帯というものを構えていたこともあった。

 おれは常に在宅でパソコンに向かってカチャカチャやるだけの仕事であるので妻に割いてやれる時間というのはいくらでもあったと言えた。

 だが、妻に奉仕してやったことと言えば、偶に気に入っている店へ呑みに連れて行ってやったり、醸造所の見学や珍しい酒を求めがてら一緒に旅行したりだとか、やはり酒絡みのことしかしてやらなかった。

 するとどうしたことか結婚生活一周年を迎えようか否かという時に、おれのこうした性質をよく知っていた筈の妻がおれの行きつけの呑み屋にて「お酒と私、どっちが大切なのよッ!」と梅酒で満ちたグラスを床へと力一杯に投げ捨てたかと思ったら、勢いそのままに実家へと帰ってしまった。


 それ以後は妻と直接顔を会わせることもなく弁護士を通して妻と離縁することとなり、おれが慰謝料を細々と支払っていくことに決まったが、おれはこの一連の妻との別離に対してなんら感慨を覚えなかった。

 この件を境におれの人生に同じ釜の飯を喰らう類の女なんて必要ないし、その先に子孫を見据えるということもないだろうと判断した。今更加速した少子化を抑えられるなんざ思ってもいなければ、自分が子供の一人二人を育て上げた所でこの国に先があるなどという夢物語は微塵も思い浮かべたこともなかった。


 森羅万象に滅びは訪れる、それが栄枯盛衰の理というものである。

 それぞれがそれぞれに栄え、その果てに滅びていけばそれで良いではないか。

 足掻きたければ足掻き、滅びたければ滅びれば良い。


 そうした退廃的な思考を漠然と交えつつ、妻との離縁の顛末をおれの結婚を切に願っていた母に報告したところ、母は非常に残念そうな様子で静かに話を聞いていた。

 これもその数年前になるが都内でアパートを建てられる程度の資産を残して父が死に、母はしばらく悲しみに暮れはした。

 しかし母は直ぐに元来の気丈さを取り戻し、後は一人息子の行く末の兆しを見届けるだけと決め込み、おれに早く良い相手を見つけて結婚しろなどと責付きながらアパート経営に精を出していたものだから、おれが結婚した際にはそれは大いに喜んだものだ。

 だからこそ反動が大きかったのか、おれの離婚は母にはよほどの悲しいことだったらしく、おれの離婚から一年もしない内にころっと死んでしまった。


 おれとしても少なからず育ててくれた父や母への良心の呵責というのがあって大学時代より多少の好意を寄せられていた呑み仲間の女との結婚に踏み切ってみたものの、仕舞には母を悲しませ死に追いやってしまったという事実に少なからず悔いはあった。

 だが、まぁこれはこれで身軽になってより気軽に酒は楽しめるか、と捻じれた方に前向きに捉えてしまうのがおれという人間だった。

 家庭や家族というものに縛られずにこれからは酒と共に在ろう、母の死を境におれはそう決めたのだった。


 おれはとかく社会の為に、他人の為に、ということから一つ身を置いてがむしゃらに生きたかった。

 環境問題やらエネルギー問題、世界情勢、経済といった人間に降りかかる災いを気に掛けるどころか、一端の社会人らしく生きることすら嫌った。

 なにものの犠牲にもなりたくなかったのだ。

 酒を呑んで生きて、いつか死ぬ。

 おれはただそれだけで良かった。

 酒を呑む権利がある、そう思い込んでいたのだ。

 金さえ払ってさえいれば酒は呑める、そう信じて疑わなかった。

 何より酒は国の税収源であるという後ろ盾があるのだ。

 国からの保護があり、消費者がいる限り、酒は生産され続ける。事実、数年前まではそうあり続けた。 かつてこの国の酒造税は数十年にわたって税収一位の座を占めていたことがあり、国税収入の四割を賄っていたことさえもある。そんな貴重な税収源である酒が国の庇護を受けない筈があろうか、と。

 

 いや、実際のおれは酒税による税収は減り続けているという事実からは目を背けていただけであった。 いくら酒の消費量が減ろうが酒税を失くしてわざわざ税収を減らす馬鹿な政府など在りはしないと思っていた。

 だが四、五年前のことになるだろうか。

 現実では酒を造る企業側があまりにも落ち込んだ酒の消費量に耐えかね、酒税の撤廃を要求したのだった。

 酒税分が安くなれば消費者が酒を買ってくれる筈だ、という考えの基に国内で酒の供給の大半を担う大手ビールメーカー三社が示し合わせて政府に直談判したとの話だったらしい。

 実際酒がいくらか安くなり、消費は確かに増加の兆候を示したという。

 しかしそれまで酒を呑んでいなかった低所得層が幾許かの安酒の購入に一層励むようになったという程度で、その効果は長くは続かなかったようだ。酒の消費量が下がったというニュースをしばしば小耳に挟んだ。


 こうして酒は国の税源であるという名目を失った。

 それでもただ酒を呑んでいく分には何ら関わりあるまい、という幻想におれはまだ囚われていた。

 いや、妄執と言うべきであったろう。

 おれは酒を取り巻く世情から目を背け、ただ酒を呑む為だけに筆を執り続けた。


執筆時期にゾラの『居酒屋』や吾妻ひでおの『失踪日記』を読んだのですが、アルコール中毒というのは本当に怖いですね。

お酒はほどほどに楽しんでいけたらな、と思った次第です。

ただお酒が呑めなくなると分かったら、自分なら呑めなくなる前に死ぬほど呑もうとするだろうな、というのは確信できます。


アルコールが規制されていく世界を読者の皆様が想像し、楽しんで頂けたら幸いです。

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