羊と人間
その部屋は広いだけで、家具も窓も無い、牢屋のような冷たい部屋だった。
出口は黒い扉が一つ。
だが、外から開くようになっているため内側にはドアノブはない。
女は、そんな部屋の片隅に蹲っていた。
両手両足は縛られている訳ではないが小さな傷口が沢山あり、動かすたびに痛みで顔を歪めている。
逃げ出そうとして暴れたのだろうか、手首と足首にはだらだらと血が流れていた。
――ガチャ。
ドアが開く音が聞こえて、男が3人入ってきた。
男達が入ってくる間、じっと男達の後ろを見ていた女の目にはレッドカーペットと白い壁と床が写った。
ぼーっと外を眺めていると、妙な模様が描かれた仮面で顔を半分隠した男が、女の顔を掴んで視線を合わせた。
その男の後ろで初老の傲慢そうな男と初老の側近であろう男の二人が、此方の様子をうかがっている。
「これが、あの最悪と呼ばれた男の娘とはな。ただの女ではないか」
仮面の男が笑みをこぼしながら、女を掴んでいた手を離す。
「しかし、能力は本物です。この女は、確かにあの男の娘なのですから」
初老の男がそう言って仮面の男と笑いあっているその時、彼の隣で黙っていた側近の男が自分の左腕に隠し持っていたナイフを取り出した。
そしてそのナイフで初老の男を刺した。
その奇行としか言いようの無い行動に、女は瞠目する。
仮面の男が悲鳴をあげ、命乞いを言いながら後退るが側近の男は問答無用で仮面の男にもナイフを突き刺した。
ナイフを突き刺したまま、側近の男は女の前まで近づき左手を女へと伸ばす。
女が咄嗟に後ずさるも、その細い腕は無遠慮に掴み上げられた。
傷口が痛み、女は苦痛に顔を歪めた。
そのまま自分も死ぬのか、と女が覚悟を決めて目を瞑る。
しかし、いつまで待っても彼女にナイフが突き刺さることはなかった。
そろり、と目を開けると目の前にいる側近の男は、ぶつぶつと何かを呟きながら女の傷口を手当てしていた。
手当てし終わると側近の男は女を抱き上げて、外に出ようとする。
恐怖や悲しさで泣き叫びたい気持ちもあったが、女の心を占めていたのは「ああ、またか」という諦めだった。
この状況を打破できない無力な自分、自分を出世の道具に使う非道な男たち。
女の父親が死んでから繰り返し拐われては、誰かが奪い、また拐われた所を誰かが奪う。
そんな風に続けられた行為に逃げ出すことは諦めていた。
誰も居ない暗い廊下で側近の男に抱き上げられながら、女は静かに涙をこぼした。
+++ +++ +++
久しぶりにゆっくりと見る機会が訪れた満月は、今は雲に覆われており、あたりは暗闇に包まれていた。
そんな闇に溶け込むように、黒い服を着た成人男子の平均背丈ほどの羊が山の奥に建てられた豪邸の前に佇んでいた。
羊は仲間の間で聞いた噂の人物がいるという豪邸の前で、懐中時計を見ながら退屈そうにしている。
豪邸の警備をしている者の中には魔力を持っている者もちらほらいるようだが、羊には赤子と同じようなものだ。
羊にとって豪邸の厳重な警備は無いに等しい。
退屈しのぎに、近場にいたやつを殺しに行こうかと考えていると声をかけられた。
「シュトラ様」
音をたてず豪邸の玄関が開き、中から女を抱えた男が現れる。
男の瞳は光を失い、表情はない。
それは、羊の魔法の力で操っているせいだった。
その男が抱えた女を片手で受け取り、羊は笑う。
「ありがとうございます。お疲れ様でした」
その次の瞬間には男の首は胴体から離れていた。
ゴトリ、と軽い音がした後、血が吹き出し地面を赤く染めていく。
鮮血の臭いに包まれながら、羊は女を抱きしめて笑った。
ようやく会えた、と思いながら。
+++ +++
いつの間にか、気絶していたらしく目が覚めると、またもや見知らぬ部屋だった。
これで何回目だろうかと、頭の中で数えながら、腕や足を確認する。
他の人より傷の治りが早いため、傷は既に治っている。
手足は拘束されていない。
本当は喜ばしいことなのだが、素直に喜ぶことはできない。
拘束をされていないことは過去に何回かあった。
だが、暴力をふるって楽しむ奴らがわざと逃げさせるために拘束をしないだけだったのだ。
それでも、逃げようとするのを止めることはできなかった。
私はよろよろと上体を起こした。
どうやら私はベッドに寝かされていたらしい。
真っ白なシーツの手触りや柔らかい感触の布団を、戸惑いながら握り締める。
周りを見渡せば、そこは上等な家具が置かれている母の部屋に似た場所で、薄桃色のレースカーテンが開けられた窓から入ってくる風に靡いている。
あまりにも穏やかな雰囲気で対応に困りながらも、窓に近寄って降りれるか確認する。




